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第5章 理念の灯火
第152話 愛する者の死
しおりを挟む【クロエ 現在】
何度夢見た事か。
何度、狂おしく思ったことか。
その赤い髪。
その赤い瞳。
その燃えるような赤に映える白い肌。
滑らかな感触、光に反射する美しい色彩。
あどけない表情は曇ってしまったが、それでも美しい彼女。
他の魔女とは違う。何もかもが違う。魔族でありながら、魔女でありながら、誰よりも神聖に見えた。
何度触れたいと願ったことか。
何度身体を重ねたいと願ったことか。
どれほど俺がノエルを求めていたのか、ノエルに理解してほしい。ノエルをもっと知りたい。どんな些細なことでもいい。
――ノエルがほしい
どんな屈辱にも耐えてきた。
何度も何度も魔術の練習を影でしてきた。恐れられ、迫害されるほどの実力のあるノエルをそばに置きたいと思った。
それには自分が強くなるほかない。
弱い自分にノエルは見向きもしないだろう。
――そう思っていたのに……
ノエルが好きになったのはただの人間だった。
何の力もない、俺が少し魔術を使ったら死ぬような弱い存在だった。それを、庇護欲とでも言うのだろうか。
それでも、ずっとノエルを追ってきた俺を差し置いて、横からかっさらうようにノエルを持って行った人間に対して憎いと感じる。
力づくでノエルを自分のものにしようとしても、ノエルは全く自分に見向きもしない。
――……一度でいい。一度でも抱けばノエルも気が変わる
一縷の望みに縋るような思いだった。
そして今、ノエルと向き合っている。俺が勝てばノエルは一晩俺の腕の中で俺のものになると言った。
そうだ。
これは最後の機会。
――俺は負けねぇ……絶対に……ノエルを俺の女にする……
ノエルの一撃を受け、右耳はよく聞こえない。前方にザラザラと動き続ける砂の球体があるだけだ。その中にノエルがいる。
――雷が効かない砂の中にいられたら俺は何もできねぇ……迂闊に近寄るべきじゃなかったぜ……
心のどこかで、ノエルは俺に刃を向けないとタカをくくっていた。殺す気はないと。それでも、さっきは砂の表面の魔術の感知が遅れたら内臓に砂の棘が突き刺さっていた。
右耳の方は右目に突き刺さるところだった。
――いや……右目だけならまだしも、脳に達していたら俺は即死だったかもしれない……
本気で俺を殺そうとしたのか? と、考えるものの、ノエルから殺意のようなものは感じない。
だが、殺すのに殺意なんていらない。
いつも息をするように殺しをするゲルダを見てきた。何人もの魔女が、大した理由もないのに目の前で殺されて行った。
俺も逆らえばそうなるのだと、ゲルダに逆らうことは出来なかった。いくら俺が貴重な男の魔女だと言えど、ゲルダは見限れば容赦しない。
そういう演技だったのか、それとも本心だったのか、ゲルダは俺に惚れている様だった。
――ちがう……惚れていたわけじゃない……
体のいい玩具が手に入っただけだった。
無理な交配はなんどもあった。血の濃さから奇形児が生まれたこともあっただろう。しかし、処分することによってゲルダは隠し続けていた。
心のどこかで、その冷徹なゲルダとノエルは重なる部分があると感じる。時々見せる冷たい表情はどこか似ている。
そんなことをノエルにつけられた傷口を押さえながら考える。
――今は集中しねぇとな……
俺はノエルの防御壁を崩す術を考えた。
砂に絶縁体の水……すべての破壊の魔術系統を使えるノエルが相手だ。たたみかけられたらマズイ。
――策がねぇなんて言いながら、あの調子で魔術で防御されたらここじゃ抵抗できねぇ……
考えている内に、魔術式が素早く構築されるのが見えた。そこから砂の弾丸が幾重にも跳んでくる。背後に回転しながら避けると同時に、今度は跳んだ先に水柱が立ち上り俺は足をとられた。
素早く水を蹴り上げ逃れる。
その際にわずかに残った水が凝固し始めるのが見え、慌ててその水を高速に移動し振り払った。
「いつまで閉じこもってるつもりだ!? そんな勝ち方でゲルダに勝てると思ってるのか!?」
力で押し切るしかないと考えた俺は、アナベルに向けたような雷を当てた。すさまじい音も左耳でしか聞こえない。
ノエルなら防ぎきるだろうと信じての威力だ。並の魔女なら防御する間もなく絶命するだろう。
砂の殻が跡形もなくなっていて、且つそこには大きなくぼみができていた。
ノエルの姿や、ノエルの遺体がある様子はない。
――どこだ?
「こっちだよ」
声は後ろから聞こえた。それと同時に両腕が焼かれる感覚に襲われる。あまりの熱量と痛みに何かの冗談なのではないかという考えが脳裏に巡る。
こんな痛みは感じたことがない。
「いつまでも閉じこもってるのは、僕の方じゃないだろ?」
ゲルダのいる街を滅ぼす手前だった魔術と同じ高熱量の光線だと気づいた瞬間に、俺は自身を雷に変化させて腕を切り落とされるのを逃れた。
「自分の殻に閉じこもり続けてるのはクロエでしょ?」
「俺は……閉じこもってなんかいねぇ!」
素早くノエルの声のする方に向き直り、立っているノエルの背後へ一瞬で回り込んだ。
ノエルは反応できていない。
俺がどこにいるか追えていない。
――両腕を切り落とせば大人しくなるだろ……!
雷の刃をノエルの腕に叩き込む。手ごたえがあった。これなら決着がついただろう。
そう思ったが、ノエルの腕はついたままだ。水の膜が腕の部分だけに器用に巻き付けている。まるで俺が腕を狙うと解っていたかのようだった。
他の身体の部分には水は存在していない。
「考えが甘いんじゃない?」
ふり返ったノエルの赤い目と目が合う。その冷たい視線に俺は息をのんだ。
怒っているような目だった。
心底俺にがっかりしているような、失望しているような目に見える。
――どうしてだ……どうしてそんな冷たい目で俺を見るんだ……
心の奥からどす黒い感情が湧き上がってくる。
深い悲しみとも、激しい怒りとも、永遠の苦しみを与える憎しみとも取れる感情。
――お前だけには、俺にそんな目を向けてほしくない……
「そんな目で俺を見るなよ……」
「………………」
それでもなお、ノエルはその突き刺すような冷たい目で俺を黙って見つめた。
まるで「いつでも殺せる」と目で訴えてきている様だった。
――お前にとって俺は、死んでいても生きていてもいい、どうでもいい存在なのか……?
考えるほどに、視界が歪むほどの激しい感情に飲み込まれて行く。
「見るなぁッ!!!」
ドォオオオオオオオオオオオン!!!
自分でも制御できない轟雷が鳴り響く。
あの日、幼い俺が逃げた先で周りの木々をなぎ倒したときのように。
間髪入れずに俺は何度も周りに轟雷を落とした。あの冷たい目から逃れる為に俺は必死にもがくように魔術を行使する。
「はぁ……はぁ……」
俺が息を整えて砂煙が消えるのを待った。
嫌な汗をドッとかいている。それは砂漠と太陽の熱さで出た汗ではないことだけは解った。
魔術を半ば暴走させ、ノエルがどうなってしまったのか全く分からない。
「ノエル……どこだ?」
もう右耳や脇腹の傷の痛みすらぼんやりとしてきている。そんなことどうでもいい。ノエルがどうなったのかだけが俺の気がかりだった。
その中、シャーロットの声が聞こえてきた。
「ノエル! しっかりしてください! ノエル!!」
砂煙の中からシャーロットの叫ぶ声が聞こえて、俺は心臓を掴まれたような焦燥感と嫌悪感を覚え、目をせわしなく左右に泳がせた。
――なんだ……この焦った声は……
その焦った声の理由を、俺は煙が晴れた時に理解した。
「……ノエル……」
そこには半身が焼け焦げて息をしていないノエルの姿があった。
俺は知っている。
何度も何度も、そのような状態になって絶命している魔女を見てきた。
――助からない……
「あ……あぁ……あぁあああぁああッ!!!」
俺は、自ら終わりのない地獄に足を踏み入れてしまったのだと、正気を保つことができなかった。
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