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第5章 理念の灯火
第143話 王子と姫
しおりを挟む【ガーネット 現在】
扉の内側から、時折笑う声が聞こえる。
白い魔女たちはリゾンを恐れて中に入れない様子だった。それは当然だ。あんな凶悪な者がいる空間に入れるのは、殺されないという自信がある者だけ。
――何故だ……何故そんな風に笑って話ができるんだ……あれだけの非道な行為をされたのに……
あんな風に腹を抱えて笑っているノエルは見たことがない。
リゾンがそれほど面白いことを言ったわけではなく、むしろ罵詈雑言の類だったはずだ。
――普通、褒められたほうが嬉しいものなのではないか
本来なら毎夜、リゾンとノエルが話しをすることも反対だった。私がその場にいると喧嘩になってしまうからと、ノエルは途中で私を外した。
それでも会話の内容は一定の距離にいれば聞こえてくる。リゾンが不穏な動きをすれば、すぐに対応することができる距離に私は待機した。
リゾンとノエルの会話の内容など、他愛もないものだった。
ノエルは適当に相槌を打っているだけで、別段内容があるわけではない。
しかし、時折リゾンと話しているときに弱く笑うノエルの姿を見ると無性に苛立った。
しかも……
魔術式の解読を手伝えるほどの知識がリゾンにはある。
自分にできないことができるリゾンとの差を私は感じてしまう。
「なるほど……それは盲点だった」
「馬鹿だな。こんなことも解らず何日も潰していたのか?」
「手厳しいな……でもありがとう。ここが解ればこっちに繋がる」
「空間形成の基本の部分は、無から有を作り出すということだ。現状あるものを流用して意のままに操る魔術とは根底が違う」
「膨大且つ純粋なエネルギーを密集、変換して、空間……距離という概念を超越するわけか……」
「この術式を見る限り、そうかもな。しかしここの部分が――――」
「どこ?」
「ここだ」
少し、沈黙の間があった。
「お前、綺麗な赤い髪をしているな」
突然、何の脈絡もなくリゾンはそう言った。
――こいつ……何を言っているんだ……
それは私が言ったことのない言葉だった。
永遠に言うことのない言葉かもしれない。
――まさか……ノエルを口説いているのか?
リゾンの歯の浮くようなセリフに私自身に寒気と虫唾が走る。
しかし、それと同時にノエルが会った当初に私に言っていた言葉を思い出した。
「綺麗な目をしているんだね」と、ノエルはそう言った。
そのとき私は「気色が悪い」と一蹴したが、それを今思い出すと歯がゆい気持ちになってくる。
「えっ…………な、なに、急に。散々ブスだの馬鹿だの言ってたのに……」
「私に貶されたことを本気にしているのか? お前は美しい。その髪も、顔も……」
「なっ……なに、言ってるの? 気恥ずかしいからやめてよ」
「なぁ……本当に私の伴侶にならないか?」
まだ懲りずにそのようなことを言っているリゾンの提案を聞いたとき、その提案をノエルが断ると解っていても、その言葉に身の毛もよだつ思いだった。
「子供は何人作ってもいい。魔族が減っている今、異界の為を想うなら強い子供が必要だろう?」
「……異界のことなんて……他の誰かのことなんて、リゾンにとってはどうでもいいんでしょう?」
「ククク……お前を手に入れられるならそう悪い話でもない」
「馬鹿な事言わないで」
「現実的な話だ。父上もお前を認めていた。お前はこの作戦が成功すれば魔族全体に歓迎されるだろう。ましてお前は翼人の最期の生き残り。私は異界の……こちらの言葉で言うと“王子”だ。誰もが私たちを祝福する。また翼人は繁栄できる」
“オウジ”とは何か、私には解らなかったが、王の息子という意味だろう。
それを聞いた私は、リゾンと私の絶対的な地位の差を感じた。埋められない圧倒的な差だ。
魔術式が解るか解らないかなどというよりも、客観的に見ても大きな優劣に、答えなど解りきっていることだと感じる。
――確かに、伴侶にするなら、私よりもリゾンを選ぶ……
「どうだ? 悪くない話だろう? お前も私の伴侶として……“姫”か“王女”となる。残りの余生は子育てにでも明け暮れたらいい。お前ならいい母親になれる」
「そう……それはいい話だね」
私はノエルがその話に乗った事に、覚悟していたはずなのに落胆する。
――やはりノエルは私を選ばない……
それ以上話を聞いたらどうにかなってしまいそうだと、その場を離れようと私は扉に背を向けた。
「でもさ……」
ノエルの言葉に私は引き返そうとした足を止める。
「なんだ?」
「リゾンは僕のこと認めてくれてないんだね」
「なに?」
「だって……名前で呼んでくれないもんね」
そう言えば……リゾンがノエルのことを名前で呼んでいるところを聞いたことがない。
「僕のことをそうやってからかって試すようなことして、遊ぶのはやめて」
「…………本気だと言ったら?」
「だとしても僕は、相手の苦しむ様を見ないと興奮しないリゾンと上手くはやっていけないと思うよ」
どれだけその言葉で私が安堵したか解らない。
聞こえない程度に私は息を大きく吐き出した。
不安に駆られて忘れていたが、ノエルは確かに肩書などに囚われるような性分ではない。
そう、解っていたはずなのに、感情が先行して解らなくなってしまっていた。
「ではあの男の魔女がいいか?」
「クロエ? んー……どうかな」
「まさかとは思うが、ガーネットのやつがいいなどという訳ではないだろう?」
心臓が大きく跳ねた。
まるで時間が止まってしまったかのように感じた。
答えてほしい反面、それだけは今答えてほしくないと動揺する。
ほんの少しのノエルの沈黙が永遠に感じるほど長かったが、ノエルはその質問に答えた。
「……まぁ、ガーネットならいいかな」
――馬鹿な……
「馬鹿な!」
私が思っていたことと全く同じことをリゾンは口にした。
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