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第5章 理念の灯火
第135話 選べる選択肢が必ず幸せとは限らない
しおりを挟む町の外側を通り、カルロス医師の住まう場所に僕はたどり着いた。
先生が住んでいる家は他の家と大して変わらない外観だ。特記することがあるとしたら、他の家よりも装飾品が多少多いくらい。
ここまで誰にも見られてはいない。もし見られたら大騒ぎになってしまうだろう。
これ以上、事を荒立てたくないという気持ちでいっぱいだ。
理解してほしいと思う面もあるけれど、僕はとっくに諦めてしまっていた。
理解されないのが普通、受け入れてもらえないのが普通……
そう思わないとならなかったのは悲しいと思うけれど、説得しようにも聞こうとすらしてもらえない。
カルロス医師は僕の話に耳を傾けてくれるだろうか。
「ここ?」
「そうだよ。レインはカルロス医師に会った?」
「うん。ぼくを見て驚いてた」
「優しそうな人だったでしょう?」
「……ぼくは、ぼくのこと珍しそうに見るあの目はきらい」
レインはギュッと僕の肩に捕まる手に力をこめる。
「確かに、嫌だよね。好奇な目で見られると……」
「ノエルはぼくのことそんな目で見ないから好きだよ!」
「そう、ありがとう」
ガチャ……
僕が扉をノックする前に、扉は開いた。
そこには優し気な表情の、しかし少しやつれたようなカルロス医師が立っている。
先生は僕を見て驚いている様だ。当然の反応だと僕は思ったが、先生は恐怖に顔を引きつらせることはなく、いつもの優しい表情に戻った。
「ノエルちゃん……」
「先生……ごめんなさい。色々……話したいことがあるのですが、時間がないんです……」
いきなり現れた先生に僕も驚いたのも相まって、言いたいことが沢山あるせいで言葉が不正列で零れるように出てくる。
言った後にこれでは伝わらないと思いつつも、何からどう伝えたらいいかと考えると今度は言葉が詰まってしまう。
「ノエルちゃん、ひとまず入りなさい。家内はでかけていて帰ってこないから安心していいよ」
「……はい」
レインは先生を警戒しているのか、僕の肩を掴む手に力が入っている。
先生の家の中は様々な家具や美術品が飾られていた。僕には理解の難しい芸術品がいくつか並べられている。
ご主人様の家とは異なり、物が沢山ある。
「あの……僕が怖くないんですか……?」
「怖くないと言ったら嘘になるだろうが……根は優しい子だと思っているよ」
先生は薬茶を手際よく入れて出してくれた。琥珀色の美しいその薬茶の表面に映る自分の表情が曇っていることに気づく。
「魔族の龍君は何か飲むかい?」
「ぼくはいらない」
「そうか」
いつも僕に話しかける時よりもそっけない態度で、レインは僕の赤い髪の中に隠れるように先生を警戒した。
僕は促されるまま椅子に座り、先生も向かいに座る。
「ガネルもノエルちゃんのことは慕っていたからね……」
赤い果実を僕におまけでくれた優しいガネルさんは、カルロス医師とは仲が良かった。患者と医師との関係であったが、歳も近く、魔女が支配していた頃からずっと長い間支え合って生きてきたのだろう。
「…………僕の責任です……魔女は僕を狙って町にきたので……」
「目的はノエルちゃんだったかもしれないが、ノエルちゃんのせいじゃない。魔女の支配を逃れていたのが奇跡だっただけだよ」
白衣を着ていない先生は、普通の人に見えた。恰幅のいい身体が少し痩せたように見えて、僕は胸が痛む。
「そうだよ、ノエルのせいじゃない。ノエルが町を守ってなかったら、もっと酷いことになってたんだから」
「………………」
「随分ノエルちゃんに懐いているようだね。どこで知り合ったんだい?」
「魔女から逃げてきて、怪我をしていたので手当したんです。あの裏山で会いました」
「そうか……私には心を開いてくれないんだが、心当たりはあるかい?」
少しおどけて言う先生に、レインは更に僕の後ろへと警戒を強める。その様子に僕はレインを抱き上げて胸の前で再び抱き留める。
不安なのかレインは懸命に僕にしがみついてきた。
「大丈夫だよレイン。この人は何もしてこない」
「……でもぼく……ノエル以外は怖い」
人間を超越した力、魔女の中でも相当の力を持つ僕が怖くなくて、か弱い人間の方を怖がるなんて……と考えると僕は笑みがこぼれる。
「ノエルちゃんには色々聞きたいことがあるんだが……時間がないと言っていたね。何か、私に用事があったんじゃないのかい?」
「……そうです……。あの……彼が町の人になにかされたと聞いて……食料を買い出しに行けないと……」
「あぁ……そのことだと思ったよ。悪く思わないでほしい。彼らは酷く怯えているだけだ。どうか――――」
「殺さないでほしい……ですか?」
矢継ぎ早に話す先生が、僕に怯えているということを物語っていた。やはりあれだけのことをしたのを見ていた先生が怯えないわけがない。
対抗する手段なんて何一つ持たない者が、絶対的な強者に怯えないわけがないんだ。
「……そんなことしません。ですが……彼に危害を加えたりしないでほしいんです……僕は理由があって彼の側にいられません。押し付けるようで心苦しいんですが……彼を先生にお願いしたいんです。無理にとは言いませんが……どうしても不安で……」
「私に任せていいのかい? ノエルちゃんの大切な彼だろう?」
「先生以外にお願いできる人がいなくて……」
僕は先生の返事を待っていた。いつもの優しい表情が曇っているのをみると自分がここにいることに対して気が引けてくる。
ほんの少し前までは普通に話しができていたのに、やはり狼は羊の群れの中で羊になることはできない。いくらその牙を向けなくとも、どこか遠くに感じてしまう。
先生はし少しの間考えていたが、口開いた。
「……そうだね、私も彼のことは気にかけているんだ。最近は色々あったし、町の人の精神的な療養に追われているが……様子を見に行ってみるよ」
「先生……ありがとうございます!」
立ち上がって深々と僕は頭を下げた。
レインは僕が身体を傾けたので机の上に飛び降りる。その様子をみて先生は呆気にとられていた。
「ノエルちゃんに聞きたいことが沢山あるんだが、聞いてもいいかい?」
「……少しだけなら。待たせている者がいるので、長くはいられませんが」
「そうか……なら3つだけ聞いてもいいかな?」
「はい」
先生は僕に再び座るように促した。
「ありがとう。じゃあ1つめ。どうして魔女に追われているんだい? 何か……悪いことをしたのかな?」
「…………悪いこと……全くしていないと言ったら嘘になると思いますが、魔女が僕を追っているのは、魔女の女王が僕の半翼を狙っているからです。恨みを買うこともありましたが……僕から率先して彼女たちに危害を加えていません」
「半翼とは……ノエルちゃんの背中にあった翼のことかい?」
「そうです。僕は魔族の……翼人の最期の生き残りでもあります。魔女と魔族の混血です」
「そんな……」
先生が言葉を失ってしまったのを見て、僕は自分の存在の罪深さを改めて自覚する。
初めの魔女の伝承は人間の間でも有名な話だ。魔女と人間の歴史から切りはなすことのできない重要な話であり、人間が魔女を裏切った話。
人間にとっては忌避するべき話であるがゆえ、イヴリーンと同じ混血の僕を見る先生の目が動揺しているのも納得できる。
「あ……あぁ、すまない。あまりの出来事に呆気に取られてしまって……」
「驚くのは当然です。すべてが終わったら、何もかもお話します」
「そうか……他にも聞きたいことがあったけれど、何か大きなことをしようとしている様だね。私には魔女たちに対抗することは何もできないが、彼の世話くらいはできる」
先生は優しく微笑みながら、僕の目をまっすぐに見つめる。けして偽りのない真っ直ぐな眼差しだった。
「安心して行ってきなさい」
その言葉に僕は目頭が熱くなり、ボロボロと涙が溢れだした。
――僕のこと、ちゃんと見てくれた……
魔女や混血、魔族といった括りではなく、僕を僕として見てくれたことに涙が止まらない。
「お……おぉ……どうしたんだ。泣かないでくれ」
「ごめんなさい……普通に接してくれて……嬉しくて……」
「…………ノエルちゃん、私は君に自分の人生を生きてほしいと思ってる。難しい立場なのは解るが、自分の幸せを考えてほしい」
先生の言葉に、僕は視線を逸らした。
自分の人生や、自分の幸せなんて考えたことがない。ご主人様が幸せなことが自分の幸せだった。
これからもそうだ。
それ以外はない。
「先生……ありがとうございます。僕、もう戻ります。彼のことをよろしくお願いします」
逃げるように言う僕に、先生は悲しげな表情をしていたが、それ以上は何も言ってこなかった。
レインを抱き上げて入口へと向かう。そこで、これでは僕はいつもと同じだと感じた。
いつも僕は先生の言葉をそうやってかわす。
そう言われることがたまらなく嫌だからだ。
しかし、このままではいけない。
先生に背を向けてから僕はそう考え、脚を止めた。
「あの……先生…………僕は自分が選択して彼の側にいる……強いられている訳じゃないんですよ」
「そうか……他に選択肢があるんじゃないかと思っているんだが……」
「他の道ですか……」
異界に行ってガーネットやレインと暮らす道、こっちでガーネットと2人で生きて行く道、このまま何もしない道……
そのどれもこれも、僕の未来にご主人様はいない。
「選べる選択肢が、必ず幸せとは限らないですよ」
弱く笑って先生にそう言うと、彼はやはりそれ以上は何も言ってこなかった。
扉の外に誰もいないことを確認してから先生の家を出る。出る時に向き直って会釈すると、先生は困ったように笑っていたのが見えた。
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