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第5章 理念の灯火
第134話 移り気な主
しおりを挟むガーネットが抱えて運んでくれたおかげで、僕らはすぐに目的の場所へたどり着いた。
レインと約束した場所につくと、馬はまだそこにいてくれたようでのんびりと草を食べている。
近づくと僕らに気づいた馬は申し訳なさそうに頭を垂れた。馬にも申し訳ないと感じるところがあるのだろうか。
「探したぞ。お前」
僕が頭を撫でてやると馬は大人しくしていた。
どうやら人間に見つかって大騒ぎになっている様子もなく、僕はホッと胸をなでおろす。
「お前にも名前を付けてやった方がいいかな。これだけ長く一緒にいるのに“お前”では味気ないから」
「名前?」
「そうだな……というか、性別は雌かな? なにがいいか……悩むな……」
「はぁ……お前は一々緊張感がないな」
「そんなにいつも緊張していられないよ。ここのところ大変だったんだから」
「……そんなことで悩むな。その辺の草の名前でもつけておけばいいだろう」
ガーネットにそう言われて妙案だと思い、周りにある植物を見渡した。キナの薄いピンクの可愛らしい花が咲いているのが目に入る。
かつて人間の間で流行した熱病の特効薬として使われている薬草だ。
「キナ……キナにしよう」
「キナ? 変わった名前だな」
「あの小さい花の咲いている植物の名前だよ。よし、今日からお前はキナだ」
馬――――キナにそう言うと僕の言ったことが解ったのかすり寄ってきた。真っ白な鬣がサラサラと風になびいて美しい。
キナをガーネットに任せ、僕は太陽の高さを確認した。
まだ約束していた時間は少し早いようだ。レインはまだ来ない。数日しか離れていなかったのに、やけにこの場所が懐かしく感じる。
――ここでいろいろあったな……
僕がよく摘んでいた薬草たちは背を伸ばして太陽の光を懸命に受けようとしている。蕾をつけているものもあり、生命の息吹を感じた。
その小さな花をしゃがみこんで見つめる。弱い風に撫でられゆらゆらと揺れている姿がけなげに見えた。
「ノエル、きたぞ」
ガーネットの声に僕は立ち上がって周りを確認すると、白い龍が飛んできているのが見えた。
その後ろに視線をやるが、ご主人様がついてきているということはなさそうだ。
ホッとする反面、残念な気持ちになる。
「ノエル!」
レインは大喜びで僕の胸に飛び込んできた。
勢いよく飛び込んできたレインの鋭い鱗や爪が相変わらず痛かったが、僕はしっかりとレインを抱き留めた。
「ノエル、会いたかったよ!」
「レイン……ありがとう。寂しい想いをさせてごめんね」
レインは顔を僕の肌にすり寄せてくる。
「ノエル異界に行ったんでしょう? ぼくの故郷どうだった? 楽しかった?」
「そうだね……楽しかった……ような……」
命がけだったが、レインに心配をかけるわけにもいかない。レインに心配をかけると、そのままご主人様に心配をかけてしまうことになるだろう。
苦笑いをしながらも僕は話を変えることにした。
「世界を作る魔術式を魔王様にいただいたんだ。これからその魔術式の準備をする」
「世界をつくるの?」
「そう。それが成功したら魔女の女王の心臓を使って魔女をこの世界からそっちの世界へ移すんだ。今のところ色々問題もあるけど、魔族も全面的に協力してくれるって言うからなんとかなりそう」
「ほんと!? じゃあぼくといつあっちに遊びに行ってくれる?」
相当に機嫌がいいのか、レインは長い尻尾をひらひらと左右に揺らしている。
「そうだね……全部終わったら、かな」
「いつ終わる?」
「いつになるかは解らない……世界を作る魔術にどのくらいかかるか解らないから……」
「えー……それまであの人間と一緒にいないといけないの?」
「…………ごめんね、ちょっと横暴な人だから……」
「ううん、それはもう慣れたけど……ぼくは人間の世話はできないよ……何を食べるのかわからないし……」
「そうか……町に買い物に行くのも大変だよね」
尻尾を揺らしていたレインはシュンと下に垂れ下げる。先ほどまで元気だったのに、急に元気がなくなってしまった。
「買い物なんて、行けないよ。町の人間が……あの人のこと……――――」
「町の人に何かされたの!?」
抱き上げていたが自分の身体から引きはがし、自分の顔の前にくるように両手でレインを持ち上げる。
小柄とはいえ以前よりも重くなっているような気がする。
レインを掴んでいる手に力が入ると、鋭い鱗が自分の指に食い込む感触がした。
そこからうっすらと血が出てくる。
「う……ううん、ノエルとの約束どおり、あの人を守るためにぼくが町の人を追い払ったから」
そのレインの言葉を聞いて、僕は一瞬言葉を詰まらせる。追い払ったってどういう意味か理解が及ばなかった。
「……追い払ったって……何か……されそうになったの?」
「何をしようとしてたのかはわからないけど……怖かった」
追い払うことになるということは、何か揉めていたということだ。そのくらい容易に想像がつく。
――僕のせいだ……僕のせいでご主人様が……
そう考えたが、どうしたらいいか解らない。
町の人に僕が説明しに行っても、逆効果になってしまう。
僕は町の人のまえで魔女を大勢殺した。怯えられ、恐れられ、叫び声をあげられるに決まっている。
「……それで、食事はどうしているの?」
「食料はもうすぐ終わりそうなんだけど、夜にぼくがときどき獣をとってきてるんだ。あと、怖くない人間が来てるのを見たことあるよ。その人が食べ物を置いて行っていた」
「どんな様子だった?」
「えっと……体調はどうだとか、カンジャ? が助かってどうとか……」
患者という言葉を聞いて、誰がきたのか僕にはすぐに解った。僕のことを雇ってくれたカルロス医師だ。
先生に頼めば何とかなるかもしれない。
そう思った矢先、あれだけの惨事を町で起こした僕に恐怖心を抱かないわけがないと思い直す。
しかし、ご主人様のことをずっとレインに任せている訳にもいかない。
時間がないと焦りを感じた。
罪名持ちの魔女の脅威がほぼなくなったとはいえ、ご主人様の身の安全を確保しなければならない。
「レイン、また会いに来るから。僕はその訪問してきた人間に心当たりがあるから行ってくるよ」
「それならぼくも行くよ! 少しくらいいいでしょう……? ずっとノエルと遊んでもらうの我慢してたんだよ。ね? ね?」
またレインがバタバタと翼をはためかせて暴れ始める。
「…………解った。一緒に行こう」
「やったー!」
「ガーネット、ここでキナを見ててくれる? カルロス医師の医院はここからそこまで遠くないから」
「……遅くなるなよ。何かあったら――――」
ガーネットが話し終わらないうちに、僕はレインを抱き上げたまま町を通らない道で先生の家に向かった。
どうか、僕の話を聞いてほしい。
その思いに脚を急がせる。
「……まったく……お前を回収しに来ただけのはずなのだが……お前の主は移り気だな……」
ガーネットはキナの方を向いて話しかけたが、キナは食事をに夢中なようで意に介していない様子だ。
それを見てため息交じりにガーネットはノエルの帰りを待った。
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