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第4章 奈落の果て
第89話 穢れた血
しおりを挟む【魔女の城 ノエルが去った後】
思い出す思い出はどれも苦いものばかりだ。
――なんで私、生まれてきたのかしら……
それでも、子供のころの笑っていたルナの顔がこんなときでも脳裏によぎる。
すると、あのとき崩れ落ちた際に流した涙と同じ涙が溢れてきた。
――子供のころは辛かったけれど……でも……孤独じゃなかったのに……
クロエも、シャーロットも、ルナも……全部ノエルにとられてしまった。
ノエルを見ているとルナを見ているようで、それでいてルナの罪が具現化したようだった。
手に入れたいと願うけれど、その姿はあまりにも癪に障る。
ルナではないそのナニカは、妙にルナよりも眩しく、この手で汚して貶めて穢してやらなければならないと思った。
輝かしい翼は、まるで自分から飛び立とうとするその憎らしい様子を具現化したようで、もぎ取らずにはいられなかった。
「翼があれば……」
――もし翼が両方揃って飛べたなら……ルナのところへ行けるかしら……
リサの腹からするやけに甘い匂いに、もう理性を保っていられなかった。
ゲルダはその柔らかな腸に顔を埋めて貪った。
◆◆◆
【ノエル 現在】
息もつかせぬ瞬間だった。
交渉が決裂し、飛び掛かってくる魔族にガーネットが咄嗟に応戦する。
「ちぃっ……! 弟を頼む」
彼が多少乱暴にラブラドライトの遺体を投げてよこすと、僕は魔術で水の膜を作り出し包み込み受け止めた。
ガーネットはその魔族たちを次々と自身の爪の餌食にしていく。
その荒々しい爪は下級魔族を軽々とあしらい、下級魔族の血しぶきが飛んでいるのが見えた。あらゆる魔族がその強さに怖気づくが、それでも向かってくるのをやめることはない。
その手についた血を舐めとると、彼は不満そうな表情を浮かべる。
――下がる後がないなら……!
その崖から魔王城まで氷で長い長い道を構築した。氷ができるまで時間がかかる。魔女だとばれたなら、もう一気に魔術で魔王城まで行ってやろうではないか。
ガーネットが目にも留まらぬ速さで低級魔族を相手している間に、僕はその辺の木から乱暴に木の板を作った。造形魔術ではなく、無理やりに切り出した不器用な板。
そしてそれを下に置いて氷の道を水で濡らす。
「ガーネット! これに乗って一気に行くよ! 僕を抱えて!」
ガーネットは雑魚の相手を切り上げて、魔族の血がべったりついた両腕で僕を抱え上げ、その木の板に乗り地面を思い切り蹴った。
ラブラドライトを包んでいる水の膜を、僕は絶対に放すまいと魔術で制御した。
僕らが物凄い速さで滑空している氷の道を僕は常に作り続けた。しかし氷の道ができる速度よりも僕らが滑る速度の方が早い。
だが、もう今更止まることなんかできない。
「僕に捕まっていてガーネット!」
僕は隠していた翼を広げた。
少し風の抵抗が変わってガーネットが均衡感覚を失いかけるが、彼はすぐにそれを補う。
――まったく、ガーネットは……能ある鷹は爪をなんとやらというから……
「片翼で飛べる訳ないだろう! どうするつもりだ!?」
少し焦っている彼の言葉を聞いても、僕は不意に失笑した。しかし前方を見ている彼は僕が笑っているのを見ていない。
「翼がない方は風の魔術で補うから! しっかり捕まっていて!」
僕は右側に大型の風の魔術式を構築して氷の道が途絶えると同時に、僕は羽ばたいた。
ぐるりと体制を変えて、僕がガーネットを左腕で抱える。
勿論力では支えられないので、僕は彼の身体も魔術で固定する。彼の身体にべったりついた血液を使って磁力で身体を引き寄せて、なんとか彼を支えた。
「ッ……!」
――重い……!
ガーネットが覚悟を決めたような声を一瞬した。
当然だ。
飛んだのと同時に急降下したのだから。
崖から下まで少し距離があると言っても、落下速度からして数十秒も持たない。
僕は生まれて少ししてからすぐに片翼を失った。
飛びかたなんて解らなかった。幼いときは飛べていたかもしれないが、もうそんな感覚は忘れてしまった。
翼が片方欠落している僕の前で、セージも気を使ってか、積極的に翼を見せることはなかった。
――セージ……
僕には、背負うものが沢山ある。
今抱えているガーネットやラブラドライトだけじゃない。
レインや、シャーロット、ついでだけどクロエ、向こうの世界で虐げられている人間たち、こっちの世界で苦しんでいる魔族たち。
――ご主人様……!
その背負っているものの重さから比べたら、こんなのどうということはない。
バサリ――
片翼を大きく羽ばたかせると、落下する速度が落ちた。
そのまま右手で翼の羽ばたきに合わせ、上手くバランスをとって風の魔術を使う。
かなり難しい。
こんなふうに飛ぶのはかなり難しいと感じた。それだけじゃない。水の魔術、雷の魔術、風の魔術を同時に発動させるには恐ろしい集中力がいる。
術式の計算の配分を間違えた瞬間になにもかもが崩壊する。
「やるではないか……褒めてやろう……!」
「弟をしっかり捕まえててよね……!」
水の膜に手を突っこみ、ガーネットは弟をしっかりと捕まえる。
そんな精一杯の僕の行く手を阻むように巨大な植物の蔓のようなものが僕の前に現れた。
毒々しい配色の赤や紫のギザギザした葉をうねらせ、幾重にも禍々しく重なる蔦の先にある花は、鮮やかな赤色で中央に牙のようなものが円を囲うように配置されている。
「なんだこれ……!?」
「動くものを捕える食肉植物だ!」
異界は興味深い。向こうではせいぜい小さな食虫植物があるくらいだと記憶している。こんなふうに明確に、しかも素早く動いて獲物を捕らえるなんて、まるで魔術で動いているようだ。
焼き払いたいが、両手が塞がっている状態では到底不可能。
――避けられるかな……
僕は植物が届かない程度の高さに飛ぼうとする。しかし今までの勢いがあった分、完全にはよけきれない。
植物は素早く僕の身体に巻き付いた。鋭い棘で皮膚が裂かれる。痛みで集中力が途切れると、発動していた魔術が解けてしまった。
ガーネット共々からめとられていた僕は、ラブラドライトを落としてしまう。
「ラブラドライト!」
ガーネットは蔦を鋭い爪で切り裂き、僕を抱えて弟の方へ跳んだ。弟に絡まる蔦も破壊しようとするが、こちらはやけに硬い蔦でなかなか切断することができない。
「このっ……!」
威力を制御せずに爆炎をおこすと、植物は焼け落ちた。少しだけ勢いが落ちるが、すぐさま別の蔦が伸びてくる。
「ガーネット、少し離れて」
次々に襲い来る蔦を何度も炎で焼き払いながら、ラブラドライトを絡めとっている方の硬い蔦を、高圧縮のレーザーで焼き切った。
ガーネットは絡まっている蔦ごと弟を掴み、僕の身体を再びしっかりと抱える。
「すぐに再生するぞ、早く行け!」
僕は再び翼を羽ばたかせ、右手で風の魔術を使用して飛んだ。
「私を落とすまいと魔術を使うな。大丈夫だ」
ガーネットは僕の背中の上に乗る形となり、均衡感覚を保っている。
――乗られてるみたいで嫌なんだけどな……
そう言う余裕もなく、うねる植物を回避して素早その一帯を潜り抜けた。僕は一息つく間もなく羽ばたき、魔術を絶えず使い続けた。
「(翼人……魔女!? ……吸血鬼!)」
ざわめきが下から聞こえる。即刻異界の者たちに僕の存在を知らしめてしまった。
このまま魔王城に一気に行けたらいいが、そうは思えない。
それに僕は戦争に来たわけじゃない。協力を仰ぎに来たんだ。
植物を焼き払う程度ならいいが、魔術で派手に魔族を殺すわけにはいかない。
「ガーネット……僕は極力攻撃しない。なるべく説得してほしい。ここで小競り合いをしたくないんだ」
「きれいごとを……」
「僕はこっちの言葉が不自由だから、ガーネットだけが頼りなんだ。頼んだよ」
「……あぁ」
僕は崖の上から見た大きな木の辺りにようやくたどり着いた。その木の根元に降り立つと、いくつも大きな石板が置いてあった。その石板の上に乱暴に削られた名前がある。
その木は近づくと本当に大きく、神聖な場所に見えた。
近くには黄色く可愛らしい小さい花が沢山咲いている。細く楕円になっている葉が交互に伸びているのが見えた。
僕はこの花を地上で見たことがある。
「ガーネット……これ……」
「それは吸血鬼族が血液のほかに好んで食べる植物だ。他の魔族もこれを食べる」
「…………これは、食べない方がいい」
「なぜだ?」
「いや……それは後で話そう」
ラブラドライトの身体にまだ巻き付いている硬質の蔦を焼き切ると、僕は空いている場所に手で穴を掘り始めた。
「何をしている? 魔術で穴をあけたらいいだろう?」
「……気持ちの問題でしょ。魔術でしたら簡単だけど、死者への弔いにはならない」
「そんな悠長なことをしている時間があるとは思えないが?」
「解ってるよ」
僕らは魔族に囲まれていた。
低級魔族や、中級魔族などが僕らを中心に取り囲んでいることくらい解っていた。
「(何故……魔女……墓場……荒らす……)」
「(魔女……殺す!!)」
ざわざわとしているが、「殺す」「魔女」「許さない」「翼人」「穢れた血」という単語は聞き取れた。
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