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第3章 渇き
第53話 違和感
しおりを挟む【キャンゼルの部屋】
キャンゼル自身、本当は理解していた。
ノエルは自分を見殺しにすることくらい。
それでもあの場で殺されてしまうより、それでも少しは長く生きながらえることを選んだ。それに、もしかしたら助けに来てくれるかもしれない。
――そんなわけないか。だって2回も裏切ったんだもの……
一度はエマに情報を渡したこと。
もう一度は魔女の心臓の誓約書を再現してノエルを貶めた事。
自分の立場は解っている。
自分は大した魔女ではないこと。
幼いころからろくに育ててもらえなかった。自分を生んだ母は魔族を扱いきれずに魔族に殺された。
幼かったキャンゼルはそのまま路頭に迷った。
強い魔力の魔女からは迫害され、人間からも勿論疎まれた。それでも魔術が使えるから殺されずには済んでいたし、人間たちから奪った食べ物で飢えをしのいだ。
何の楽しいこともなく、そのまま成長した。
最近魔女の本部の方でかなり女王が荒れているという話は聞いたりもしたけれど、自分とは縁遠い存在だと気にも留めなかった。
そんな退屈で、何もないある日に赤い髪の美しい魔女が現れた。吸血鬼を従え、困ったような表情で歩いていた。
そんな彼女にキャンゼルは声をかけずにはいられなかった。
――声……かけなかったら良かったかな
キャンゼルがもし、ノエルに声をかけなければ今頃、あの町でなんの代わり映えのしない生活をしていたかもしれない。
そうすれば命を危険にさらすことなくいられたはずだ。
――でも、それでも私はノーラが好きなの……
必死なノエルの姿を見て、自分も必死になるということを見出した。
力を持っているのにそれを誇示しない態度が好きだった。
自分を一人の魔女として扱ってくれることが嬉しかった。
魔女や人間、誰にでも優しいところが美しいと感じた。
――ノーラの為なら、死んでもいいかな
一人でいると余計なことを沢山考えてしまう。
色々な分岐点があったはずだが、キャンゼルは選択してこなかった。いつもその場の安定を求めて、一歩踏み出すということをしなかった。
その罪が今悔やまれる。
――あたしは罪名持ちなんてなれないけど、あたしの罪は『怠惰』かしら
そう考えていると、扉が開く音が聞こえた。
――ノーラ……!
期待を胸に顔を上げると、キャンゼルは凍り付いた。
「大人しくしていたかしら? ノエル」
そこにはクロエとゲルダの二人が立っていたからだ。
キャンゼルは悲鳴を上げそうになったが声を出すとバレてしまうので声を押し殺し沈黙を守る。
女王のゲルダを間近で見るのは初めてだったが、その恐ろしい風貌や残忍さを思うとキャンゼルは吐く息も震えた。
「…………」
黙ってクロエとゲルダを見つめると、クロエは満足そうにキャンゼルを見ていた。
「ゲルダ、本体は俺がいただいていいだろ?」
「まだそんなことを言っているの? いつまでノエルに執着するつもり?」
ゲルダが幻影のノエルの翼に触れようとしたとき、キャンゼルはもう駄目だと目をきつく閉じた。
「話が済んでないだろ。俺の話聞けよ」
クロエがゲルダの腕を掴み、幻影のノエルの翼を触れようとする手を抑えた。
キャンゼルは荒くなりそうな息を気づかれないようにゆっくりと呼吸する。心臓の音が相手に聞かれてしまいそうだと汗が噴き出てくる。
「いいの? あのことを言うわよ?」
「いつまでもそのことで俺を縛れると思うなよ」
なんで揉めているのかキャンゼルには解らなかったが、なにかクロエがノエルに知られたくないことをしたということはキャンゼルにも解った。
「ふふ……いいわ。じゃあその反応を見て楽しむのね?」
ゲルダはキャンゼルに向き直って不敵な笑みを浮かべた。
キャンゼルはゲルダの顔を見つめて、何を言われるか身構える。
「まて、俺が自分で言う」
「好きにしなさい」
クロエがゲルダに割ってキャンゼルの前に立つ。
クロエはいつもよりも落ち着かない様子だったが、普段のクロエを知らないキャンゼルは落ち着きのない男の魔女だと思っていた。
――なんなの?
中々話し始めないクロエに、ゲルダはトントンと指を組んだ腕に打ち付けている。
クロエはひたすら話しづらそうに口を開きかけては閉じたり、目をしきりに泳がせている。
「わざとじゃなかったんだ。それは解ってくれ。いいな?」
キャンゼルは声を出さずにゆっくりと頷く。
「俺は、お前にもう一度会いたくてお前たちのいた小屋に戻ったんだ」
キャンゼルは黙ってそれを聞いていた。
「俺はお前に誤解されたままでいたくなかったんだ。あの晩のことは謝るよ。俺は……お前のことが……なんつーか、やけに……他の魔女とは違って見えて……」
クロエはなかなかハッキリと言えない様子だった。
キャンセルは緊張で話がよく頭に入ってこない。
「お前とアレをしたかった。お前はまだガキで意味も解ってなかっただろうな。俺も知らなかった。でもお互いもう意味は解るだろ?」
――クロエとノエルは子供のときに何かあったの……?
「クロエ、そこはどうでもいいでしょ? 早く言って」
「時間はあるんだからいいだろ」
「はぁ……」
ゲルダはため息をついて顔をそむける。
「俺はお前と過ごした時間がずっと忘れられなかった。いや……俺はお前が忘れられなかった。俺のことを嫌っていても、男としてじゃなく、一人の魔女として扱ってくれただろ? だから……もう一度会いたくて小屋に行ったんだ。そうしたら……お前の髪の毛が落ちてた。それを持って帰ったんだ…………それを追跡魔術としてゲルダに使われて…………お前は捕まった」
ゲルダはじっとクロエの方を見ていた。クロエはノエルの幻影しか見ていない。
「俺のせいだ」
クロエはキャンゼルの頬に触れた。キャンゼルは黙って話を聞いていたが、触れられた瞬間一気に緊張が走る。
「お前が拷問されていたことは知らなかった。会わせてもらえなかったんだ。本当はお前と逃げようと思った。でも……この話をゲルダにばらされて、お前にもっと嫌われるのが嫌だった……」
頬に触れていた手がゆっくりとキャンゼルの身体の方へ滑って行く。首筋やそのしたの胸の辺りまできたところでクロエは手を止めた。
「今は俺が嫌いでも、そんなことは時間が解決する」
クロエは再びキャンゼルの頬に触れた。今度はなぞるようにではなく、しっかりと顔を上げさせるようにした。かなりクロエの顔が近い。
「これからお前は翼を切除したあと、俺のものになるんだ。そうすれば殺されたりしない。毎日俺が可愛がってやる。お前の眷属も一緒で良いし、人間のほうも殺さないでおいてやる。いいな?」
クロエが身体を密着させ、キャンゼルに口づけしようとする。
キャンゼルは目を閉じてそれを受け入れるべきだと判断し、目を閉じて自ら顔を上げ、クロエに口づけしやすいようにした。
そこから、数秒経つ。
キャンゼルはいつになってもクロエが自分の唇に触れてこないことを不審に思って目を開けた。
クロエの顔は目の前にあった。それを見てキャンゼルは思わず息が止まる。
「お前、ノエルじゃないな?」
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