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第3章 渇き
第40話 取り返しのつかない事
しおりを挟む【ノエルが作った檻の中】
「おい!! ここから出せ!!!」
何も見えない暗闇だ。
人間であるこの男は何も見えていないだろう。男は内側の木と蔦の檻をむしり取ろうとしているが、魔力で強固に固められていて人間の力ではびくともしない。
「おい、やめておけ。お前の手がボロボロになるだけだぞ。アイツの魔力で……――」
「うるせえんだよ!!」
男は私に掴み掛ろうとするが、暗闇で私の位置が正確に解らない為に、男の手は空気をかいた。
みっともない人間だと私は呆れる。
「感情的になるな。何も解決しないぞ。お前が私の忠告を無視してアイツの元に走るものだからこういう事になったんだ。そもそもアイツは魔女だということをお前に必死で隠して――――」
「ふざけるな!」
男はついに闇雲に動いていた手で私の服を掴み上げた。
――全く……アレに命令されていなければ……ただの人間だったらとっくに殺しているところだ
私は男の手を振り払う。
「人間風情が気安く触るな。八つ裂きにされたいのか」
「あいつが……あいつが魔女だってことお前は最初から知っていたのか」
「あぁ、魔族は人間か魔女かの区別がつく。人間には解らないだろうけどな。私が猫に姿を変えていたことも、お前は気づかなかっただろう?」
「お前……あのときの猫か……」
こんな男に何度も“お前”などと呼ばれることが心底不愉快に感じた。
「あいつはずっと……俺のこと騙していたのか」
今度は私が男の胸倉を掴み上げた。
「お前はいい加減にしたらどうだ。アレがこの町を守っていなかったら、とっくにお前もこの町も魔女に蹂躙されていたところだぞ」
「離せよ、化け物……俺の考えていることがバケモノに解る訳がない」
「ふん、下等な人間風情が吸血鬼族の思考が解らないのと一緒だな」
私たちは外で何が起きているのか解らず、ただいがみ合うだけだった。
「あの魔女がお前などに執着している理由が全く解らない」
「てめぇには関係ないだろ」
「子も成せないのに。理解に苦しむ」
反論があると思ったが、男は悪態をつく代わりに急に咳込み始めた。
しばらく咳き込んで苦しそうに胸を押さえる。病に侵されているあまりにも無力な人間だと私は感じた。他の健康な人間よりも殊更に脆弱だ。
――あいつが焦る気持ちが解る。もうこの男は長くはないだろう
「お前が死ねばアレは私と生きる。せいぜい長生きすることだな。まぁ……人間の寿命と魔族や魔女の寿命は違うからお前が先に死ぬことなど決まっていることだが」
「はぁ……はぁ……あいつは俺が死んだら後を追うだろう。てめぇのものにはならない」
確かにあの魔女はそうしかねない。
あれほどの執着を示しているのだから、この男が死んだらそうしても不思議ではないだろう。
しかしそうされては困る。
「あいつが魔女でもなんでも関係ない。あいつは一生俺のものだし、あいつの一生も俺のもんだからな」
強欲だ。そして傲慢だ。
人間はやはり罪深い。その罪が己を滅ぼす結果になることを知らない。
知っていたとしてもそれを防ぐ術を知らないようだ。
「………何故そんなにあの魔女にこだわる? お前は別の女もいるのだろう」
あの魔女が帰った後、私は様子を見に行きながら泣きながら走っていくのを見た。家の中を確認した際に他の女がいたのを見ている。
それに他の女の匂いが家の中から複数匂ってきた。
私はそれに酷い嫌悪感を抱いていた。子を成すわけでもなく、ひたすらに快楽におぼれて堕落しているおぞましい生き物だ。
「あいつは……俺が拾ったんだ。俺がいないと生きられない女だ。俺がいなくても生きられる女とは違う」
全く少しも理解ができない。
家畜の気持ちはわかるわけがないのも当然だと、私は理解できないことへの不快感を切り捨てた。
「あの魔女は賢い。お前が死んでも強く生きる道を選ぶだろう」
あいつは弱いだけだ。縋る先はこんな人間でなくても本当は構わないはずだと私は考えていた。
「……随分あいつについて知った口を聞くじゃないか。ほんの数日一緒にいただけの奴が俺のもんを知った口をきくんじゃねぇ」
「共にした時間の長さなど関係ない。知能と洞察力が人間と違う」
「ふん、魔族に人間の情緒なんか解るのかよ。……それよりなんでこの町に魔女があんなにきているのか教えろ」
「そんなことを知ってどうするつもりだ」
あの魔女なら表にいた魔女なんて簡単に殺せるだろう。
心配することでもない。魔女を全員始末して、そしていつも通りのやる気のない声で私の名前と、この男の名前を……――
いや、あの魔女がこいつのことを名前で呼んでいるのを見たことがない。
――コイツの名前はなんというのだ?
「貴様、名前はなんという?」
「あぁ? 俺の質問に答えろよ」
「何故貴様の質問に素直に答えなければならないんだ。そんなものはアレに直接聞け」
「じゃあ偉大な魔族様の力でここから出してくれよ」
「普通の魔女の力ならまだしも、あれ程の魔女の魔術をそう簡単に敗れるか」
「ふん、役立たず魔族が」
殺すぞこの人間風情が――――と思った瞬間、この暗闇に光が差した。
私は眩しさに眼を覆った。
解き放たれたときに、魔女の死体がそこら中に転がっているのであろうと思っていた私は、複数の魔女がまだ生きているのを見て私は驚愕した。
そしてあの魔女のその選択に。
◆◆◆
【ガーネット 現在】
ノエルの主人はガーネットに対し、敵意を向き出しで縄を無理やり外そうとせわしなく腕を動かしている。
拘束魔術がかかっているのだから外れるわけがない。
「やめておけ、外れない。体力の無駄だ」
「俺に指図するな!」
「……ふん、まぁいい。貴様に等興味ない。せいぜい短い余生を楽しむのだな」
ガーネットは部屋を見渡す。
ノエルが何の取引をしたのかガーネットには漠然と解っていた。
ノエルが取引をするなら主のことにほかならない。そして魔女が所望するのはノエルの命、あるいは翼、力。そのいずれかだが、可能性が高いのは命だ。
――しかし……いくらノエルが無鉄砲の愚者であったとしても、魔女を無条件に信じる程の大馬鹿者ではないはずだ……何か決定的な条件や誓約があるはず……
ガーネットはそこまで考えた際に、ノエルが持っていた何かの布のようなもののことを思い出す。
――契約を記したものか……しかし、書面で交わした契約や誓約などただの建前…………待て、聞いたことがあるぞ…………くそ……なんということだ……“魔女の心臓”か!
ガーネットはノエルの主が懸命に暴れているのを他所に、焦りを感じた。
部屋の外の気配に集中し、魔女の気配を探った。この辺りには魔女はいないようだ。
拘束魔術の術式を解き、ガーネットは拘束魔術を難なく外した。拘束魔術を散々かけられた末に解除方法を編み出したのだ。
「あ……てめぇ、俺の縄も外しやがれ!」
「頼む態度ではないな。育ちが知れるぞ」
「今すぐ外せ! 俺がてめぇを殺してやる!!」
「……呆れて言葉もない。貴様は邪魔になる。そこに居ろ」
「ふざけんな!!」
彼が肉食獣のようにガーネットを睨みつける。しかし無視して視線を外し背を向けようとすると、ガーネットはあることを思い出す。
「……そういえば目を離すなと言われていた……仕方ない、連れて行く。足手まといになるなよ」
ガーネットは鋭い爪でノエルの主を縛っている紐を切った。
自由になった彼は、当然ガーネットに殴りかかった。
しかし彼の拳はガーネットを殴ることは能わない。彼の手首をしっかりつかんで、彼はピクリとも動かせない状態になった。
「私を殺すのは諦めろ。それよりもノエルの元へ行くぞ。取り返しのつかないことになる前にな」
ガーネットが手を離すと、ノエルの主はその手首を庇うように抑えた。ガーネットはそれほど強い力で掴んだつもりはなかったが、人間の彼には強かったようだ。
それでもすぐに彼はガーネットを睨みつける。
「いつか絶対殺す……それよりなんだってんだ、取り返しのつかないことってのは!?」
「お前のお気に入りのあの魔女が死ぬということだ」
そう告げられた彼は、言葉を失って目を大きく見開く。
「……あと、私を殺したらノエルは死ぬぞ。契約とはそういうものだ。そのゴミみたいな脳みそに良く刻み込んでおけ。ぐずぐずするな。行くぞ人間」
そう吐き捨ててガーネットは部屋から出て行った。
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