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第3章 渇き
第36話 名前の呼び声
しおりを挟む「ラブラドライトは……私の弟だ」
ガーネットは暗い顔で唇を噛み、牙が唇にめり込み僕の唇から血液が垂れて顎からしたたり落ちる。
「…………そう、だったんだ」
あの酷い血の海を思い出すと、とてもじゃないが明るい話ができるような状況じゃなかった。
僕もロゼッタが彼を殺してからの明確な記憶がない。
「私の弟はどうなっていた」
「…………ガーネット、僕は嘘がつけない。やめてくれ」
「どういう意味だ。ラブラドライトはどうなっていたんだ!?」
「………………」
「言え!」
激しく僕に掴みかかり、翼に思い切り爪を立てた。
「うあぁっ……!」
翼の部分のあまりの激痛で僕はその場に膝をついた。
ガーネットも同じ痛みを感じたのだろう、背中を抑え込みしゃがみ込んだ。
「お前、大丈夫か!?」
ご主人様が僕の白い翼に赤く、血液がにじんでいる部分に触れようとした。
その前に僕は自分で怪我をした部分を手で覆った。
手で触れるとねっとりした血液が付着するのを感じた。それに、翼の部分が酷く痛む。
「僕は大丈夫ですから……」
ご主人様の顔を見ないまま、僕はそう言った。
やはり怖くて僕はご主人様の顔を見ることはできなかった。そのときの拒絶されたことへの不安感をあらわにしている表情を、僕は見ることはなかった。
ガーネットが起き上がり、冷や汗を出しながら僕の方に再度鋭い眼光を向ける。
「大丈夫なわけがあるか……気絶するかと思ったぞ……」
「自分でやったんでしょ……自業自得だよ。翼は翼人の急所だって知らなかったの……?」
「ちっ……お前の血を寄越せ」
僕の唇から垂れた顔についた血液をガーネットはなめとった。
ご主人様の前で、突然そうされた僕は言葉にならない声をあげてガーネットを突き飛ばした。
「なっ……! なにしてやがる!?」
ご主人様はガーネットをつかみあげようとするが、ガーネットはご主人様の手首を掴み、それを牽制した。
「食事の邪魔をするな」
「ふざけんな!」
ご主人様は必死にガーネットに抵抗するが、びくともしない。
先程の少量の血液で、僕とガーネットの傷はゆっくりと塞がり、痛みはなくなった。
「ガーネット、手をはなして。彼を傷つけないで……話の続きをするから」
「…………さっさと話せ」
乱暴に手を離したガーネットはまだ物欲しそうな表情をして僕の首筋を見つめた。
僕は黙って「それはダメだよ」と首を横にふった。
「なんなんだよこの魔族は!? お前、俺以外の男に……!!」
「……彼は吸血鬼族なので……僕の血が必要なんです……」
「他の魔女の血でいいだろうが!」
「低俗な人間風情に教えてやれ、魔女の血がどんなものなのか」
「…………」
――ガーネットだって知らなかったくせに、偉そうに……
そう思いながら僕は険しい表情をしているご主人様の顔を恐る恐る見た。目が合うと、やはり目を合わせていることが困難で僕は目をすぐに逸らした。
「魔女の血を魔族に与えるという行為は、『契約』を意味するんです。お互いの身体の痛みや怪我を共有する代わりに、魔女は魔族を完全に使役できるようになって、回復力を共有することで怪我をたちどころに直したり、その他の恩恵が得られるのです」
「契約? ……お前とこの吸血鬼は特別な関係ってことか……?」
「えっと……その辺の魔族よりは……そうですけれど……」
『特別な関係』などと言われて僕はドギマギしてしまう。
ガーネットとは別に何も、契約してる以上の関係ではないし、本人も嫌々契約しているだけだから……そんな言い訳をすればするほど余計に意識してしまうので、僕はそれ以上言えなかった。
本当はガーネットにラブラドライトの話をしたくなかったが、ご主人様の前でこれ以上おかしなことをされても困ってしまう。
「やっぱりお前……俺よりこの吸血鬼がいいんだろ……?」
疑念に満ちたその言葉と声のトーンに僕はあわてて否定をする。
変な汗がじっとりと出てくるのを僕は感じていた。
「違います!」
「……もういい」
ご主人様は再び僕に背を向けて座った。僕が跪いてご主人様に許しを乞おうとすると、ガーネットに腕を掴まれる。
「お前は私の質問に答えるべきだ。あんな男のことなど放っておけ。さっさと話せじれったい魔女だな」
イライラして声を荒げるガーネットにもう引き伸ばせる術はないと確信した。
「解ったから……」
僕は真剣な貌をしてガーネットに向き合う。
息を整えて意識を集中するとやけに周りが静かに感じる。
自分の呼吸の音がやけに大きく感じる。
心臓の鼓動が早い。
その音が2人に聞こえてしまいそうだと僕は自分の心臓のあたりを押さえた。
「……だから……その……彼は僕との交配実験の為に連れてこられた吸血鬼だった。そこで嫉妬の罪状の魔女に…………」
殺されたと言えずに話題を引き延ばすが、なんと説明していいか分からずに、言葉に詰まってしまう。
「交配だと!? 下衆な魔女め……それで!? お前は私の弟と……!!」
「し、してないよ! そんなことするわけないじゃん!!」
「ではどうなったのか言え! 生きているのか!? 死んでいるのか!?」
「い、生きてるよ……!」
嘘をつくのはとてつもなく苦手だったが、急に迫られて僕は苦しい嘘を咄嗟に言ってしまった。
言ったすぐ後に「しまった」と思ったが、もう引き返すことができない。
「本当か?」
ガーネットのその安堵の表情に、僕は言葉を撤回しそこねる。
「う……うん。その当時はね……」
「ならまだ希望はあるだろう」
ガーネットはそれを聞いて、いつも難しそうな表情をしているのに、彼に似合わず嬉しそうな表情になった。
僕といるときにそんなふうに柔らかい表情になったことなどなかった。
胸が痛んだが、どうしても僕は彼からそれを取り上げることはできなかった。
「大切な弟さんだったんだね……」
「あぁ……今となってはな……」
――家族か……
僕にはもういない。
僕にはご主人様しかいない。これ以上奪われたくない。そうなれば、僕は今度こそ生きていられなくなってしまう。
「弟は何か言っていたか?」
「殺してくれと懇願された」などと口が裂けても僕は言えない。
「兄弟を助けてって言ってたよ」
「…………」
ガーネットは少し考えながら目をそらし、再び僕の目を見た。
「……だからお前は私を助けたのか?」
「…………そうかもね。明確にそうだとは言えないけれど。ガーネットが兄弟だとはしらなかったし」
それをきいたガーネットはまた少し考えた末、僕に背を向けた。彼の金色の髪を何度か瞬きしながら見つめる。
気がすんだのだろうか。
「……――――ている」
「え?」
「だから……――――しゃしている」
いつもより声が小さく、何を言っているかよく聞き取れない。
「ごめん、もう一回言っ――――」
「何度も言わせるな! 感謝していると言っている!」
怒られたのか、感謝の意を伝えられているのか解らず、僕は動揺した。
しかし、不器用な彼なりの礼儀なのだろうと思うと僕は困った顔で弱く笑った。
「ふん、お前はまだ他の魔女よりマシだからな。私と契約したことを栄誉と思え」
「……それはどうも」
話も半ば、飛行船は動きを止めた。
その反動で僕はよろけてガーネットにしがみつく形になってしまう。
「あ……ごめん……」
慌てて僕はガーネットから離れる。
気安く触るなと怒鳴られるかと思い、焦った僕は目を泳がせながら謝る。
「…………ふん、これから魔女の本部に入るのだ。しっかりしろ。ノエル」
――え?
ガーネットに怒られなかったこととについても驚いたが、何よりも「ノエル」と呼ばれたことに驚いた。
今までは「おい」「お前」「魔女」「貴様」などと下等魔族と同じような扱いをされていたけれど、遂に僕のことを一人の魔女と認めてくれたのか。
そう思うと、こんな状況なのに、なんだか微笑ましい気持ちになった。
「ガーネット……」
僕が微笑みながらガーネットを見つめていたので、ご主人様が睨んでいたのを気づかなかった。
彼は自信の拳を強く握りしめ、爪が食い込み強い痛みを感じていたが、それでも拳を強く握り続ける。
その視線に気づかないまま、僕らが押し込められていた飛行船の部屋の扉が開いた。
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