罪状は【零】

毒の徒華

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第1章 人間と魔女と魔族

第10話 決意

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 事が終わり、ご主人様が荒い息を整えているさ中……
 ご主人様にいつもの発作がおきた。

「ゴホッ……ゴホッ……! カハッ……」

 激しく咳き込むご主人様の裸体の背中を摩る。
 お薬を取ろうと僕が離れようとしたら、ご主人様は僕の腕を掴んで首を横に振る。

「ですが……」

 ご主人様の咳が落ち着くまで、僕はずっと背中を摩っていた。
 こんなことしても、ご主人様の咳は止まらないのに。
 気持ちはいつも焦っていたがこんなに酷く咳き込んでいるのは初めて見た。
 僕がうろたえていると、ついに恐れていたことが起こった。

 ご主人様が口を押さえていた手を口から離すと、僅かにだが血がついていたのが見えた。

「……!!」

 それを見た僕は、頭が真っ白になった。
 こんなに悪くなってきてしまっているなんて、僕は現実を受け入れられなかった。
 僕は正気を失い、強く強くご主人様を抱きしめた。
 なんで僕には何もできないんだ。僕はご主人様しかいないのに。
 もう、僕にはご主人様しかこの世にいないのに。

 ――お願い、僕から取り上げないで。お願い……何でもするから、ご主人様を僕からとらないで……

 僕はそう願った。何度も何度も願った。
 ずっとご主人様の前では泣かないようにしていたが、堪えきれずに僕は泣いた。

「ご主人様ぁ……っ…………死んじゃ嫌です……ご主人様……っ!」

 涙が溢れる度、ご主人様も少し困ったような表情をしたが、泣きじゃくっている僕にはその表情は見えなかった。
 視界の光が涙で乱反射して何も見えないという乱暴な説明をするつもりはない。
 違うんだ。
 僕が現実なんて何も見たくないって思っているから、何も見えなくなった。
 僕は何も見えていない。
 見ないようにしてきたんだ。
 いつでも、現実を知っていながら、きっと大丈夫、きっと大丈夫っていう希望的観測でここまできた。

 ――違う

 全然大丈夫なんかじゃない。

「バカ。死なねぇよ。なに泣いてんだ」
「だって……! 全然身体……よく……っならない……し……」
「生まれつきだって言ってんだろ? そんなに泣くなよ」

 ご主人様が僕の頭を撫でてくれた。
 それがもっと苦しくなって、辛くなって、悲しくなって、情けなかった。

 ――僕は魔女なのに……強い魔力があって……誰よりも強いのに、どうしてご主人様の身体を治して差し上げることすらできないんだろう

 こんな力別に欲しくなかった。こんなのいらなかった。そのせいでみんなみんな壊れていった。
 僕が壊してしまったんだ。
 ご主人様を守る為だけに力を使おうって決めたのに、ご主人様はどんどん弱っていっている。

 ――こんなの、耐えられない……

 泣き止むことのない僕を、ご主人様が慰めてくれた。
 こんなんじゃ駄目だ。僕がご主人様を支えないといけないのに。
 妙に優しい今夜のご主人様の手を、僕はゆっくりをほどいた。ご主人様に顔を向ける前に、僕は自分の腕で涙を拭う。
 そして彼の顔を見た。今まで彼が僕に見せた事のないような表情をしている。困ったような、うろたえているような、そんな表情だ。
 その顔を見て僕は、決心した。

「……ご主人様…………僕が、いなくても平気ですか?」



 ◆◆◆



 ご主人様の家の庭に僕は座り込んでいた。月明かりが優しく僕のことを照らしている。
 本当ならこんなに泣いたら目が酷く腫れてしまうだろう。
 赤い目は白目まで充血して目の全体が赤くなってしまう。瞼も腫れてしまうはずだった。
 しかし僕はまだ強い再生能力を保持したままのようだ。目は触ってみたところ腫れていない。だが、ガーネットと契約を交わしたときよりも治りが遅くなっていることに気が付いた。
 恐らく、僕の血を飲んだ直後には爆発的に回復力があがるのだろう。時間が経てばいつも通りの再生速度に戻るらしい。

「はぁ……」

 冷静にそんなことを考えていると、幾分か気持ちが落ち着いてきた。
 もう、薬じゃご主人様の身体はもたない。
 僕は治癒魔術の最高位魔女を探す決意をした。
 ガーネットの傷をたちどころに治したと聞いたし、病を治せるのかまでは解らなかったが、ここでこうしていてもご主人様はもう長くはない。

 ――おかしいよね……

 元々魔女と人間の寿命は違うから、どうあがいても僕はご主人様を看取ることになるのに。でも、この世の摂理を捻じ曲げてでも僕はご主人様に生きていてほしい。
 ご主人様が死んでしまったら、僕は生きていけない。
 とはいえ、流石に治癒魔術を使える魔女を探しに行くなんてご主人様に言えなかった。
 身体を治すことができるような薬草を探しに行くとご主人様に言ったら、酷い喧嘩になってしまった。「じゃあ俺もつれていけ」という話から「そんな危険なことはできない」という反論に、「危険なのはお互い様だろうが」と当然のように反論が飛んでくる。
 僕にとっては外は危険じゃない。少しの魔女と戦うだけなら僕を凌駕できるほどの強い魔女は早々いない。
 しかし「破壊を司る最強の魔女なんです」なんて、そんなことは言えない。

「はぁ……」

 主従関係で喧嘩なんて本当に何しているんだろうか。
 ご主人様に逆らってでも死んでほしくないっていう僕のエゴだっていうのは解っている。
 真夜中なのに眠れなくて、僕は外で自分の育てている薬草をぼんやりと見て今後のことを考えていた。
 ご主人様の寝室へ戻りたい。一秒でも本当は離れたくない。目を放している時間が長いほど、僕はどんどん不安になる。

「にゃーん」

 猫の声が聞こえてきた。そちらを見なくても、その猫がどんな色をしているのか、どんな瞳の色をしているのかが容易に僕は分かった。
 ガーネットが僕の真横にやってきて座る。ちらりと僕が視線をやると、ガーネットは月を見ていた。
 視線に気づいた彼は、僕に視線を向けてくる。その赤い瞳には、月の光が反射して美しく輝いていた。

「……僕のご主人様をひっかこうとするなんて、なんてやつだ」

 猫の姿のままのガーネットに文句を言うが、涼し気な様子で意にも介していない様子だった。
 その様子を見て、ガーネットとも喧嘩をしても仕方がないと僕は漠然と考える。

「…………彼が僕の大事な人なんだよ」

 僕はボソボソと覇気なく話し出した。
 ガーネットは静かにそれを聞いている。

「僕はもうあの人しかいない。あの人が死ぬなら、世界なんて滅んだ方がましだ」

 まだ涙がボロボロと出てくる。

 ――格好悪いな、僕……

 ご主人様の前でも、ガーネットの前でもボロボロ泣いてしまうなんて。

「側にいたいよ……でも、探しに行かなくちゃ……ご主人様が死んじゃったら、僕もう生きていたくないよ」

 自分の腕に強く爪を立てる。痛い。でも心の痛みはこんなものじゃない。
 こんなにどうしようもなく苦しいのは何故なんだろう。
 なぜ心は、際限なく相手を求めてしまうのだろうか。独りでも平気になればこんな思いはしないのに、独りになった途端に僕は生きる意味そのものを失う。
 魔女に怯えて逃げて生きているのは人間と変わらない。魔女に捕まればまた実験の日々に逆戻りか、あるいは今度こそ殺されるかもしれない。

 ――いっそ、世界を滅ぼしてしまいたい……

 世界は、僕が滅ぼそうとしなくても、魔女の女王のゲルダが滅ぼしてしまうだろう。人間にも魔族にも未来はない。
 そんなことは解ってる。

「僕ね……魔女に両親を殺されたんだ。そのあと、拾ってくれて育ててくれた人も魔女に殺された。もう大事な人をこれ以上亡くしたら…………こんな世界……見たくなかった。知りたくなかった。守りたいものなんて何もなければよかった……――――」

 僕はボロボロと涙を流し、みっともなく泣いた。
 なんでこんなに涙が出てくるんだろう。ガーネットはただ僕の方を見ていた。多分僕の感情は魔族のガーネットにはよく分からないだろうけど、それに文句をつけてくるわけではなかった。
 そんな彼の隣でずっとずっと泣いていた。身体中の水分が全部涙で出て行ってしまうのではないかと思うほど。
 時間が随分ゆっくりに感じられた。まるで世界に僕しかいなくなったような感覚に襲われる。
 それと同時にご主人様に捨てられたらどうしようという不安が募る。

 ――そうなったら一人になってしまう

 そう考えた刹那、僕の隣にいる猫の存在が目に入る。
 僕が泣いていることなど気にも留めていない様子で月を見ていた。

「そうだよね……もう、独りじゃないもんね……」
「…………」

 ガーネットは一言も口を開かない。

「…………」

 僕がガーネットに話をしていたことを、ご主人様が静かに聞いていたことを僕は知らなかった。


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