罪状は【零】

毒の徒華

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第1章 人間と魔女と魔族

第7話 契約

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 覚悟を決めた僕は、風の刃の魔術式を展開した。
 手の平の静脈を少し傷つけて血液を出し、その吸血鬼の口を開けさせて垂らす。痛みと、液体が伝っていく感触を確かめながら静かに見ていた。
 ポタリ、ポタリと何滴かが彼の口の中に落ちる。鋭い白い牙が光を強く反射しているように見えた。
 僕の血を数滴口に落とした後に吸血鬼は途端に意識を取り戻し、舌なめずりしてそれを舐めとった。
 上半身を勢いよく起こし、いきなり僕の手首に勢いよく咬みつく。

「いっ……」

 鋭い牙が肉を裂き、手首に鋭い痛みが走る。動脈が切れたようで沢山の鮮やかな血が溢れだした。吸血鬼は僕の傷に舌を這わせて丹念に血液を舐めとった。

 舐め始めて少し経った頃、彼に変調が起きた。

 怪我が目に見える速度で治り始めた。僕のレインに引っかかれた傷も、咬みつかれたその手首の傷も治ってしまった。
 彼は倒れていた身体を起こして、僕の身体を抑えつけて更に血液を飲もうとする。
 これ以上飲まれたら魔女の血にあてられて本末転倒になってしまう。

「やめて」

 僕が拒否を示すと、彼は身体が硬直した。

「なんだ……? 身体が動かない……!」

 彼は動かない身体を懸命に動かそうともがく。しかし、彼の身体は僕を引き裂こうとする行動の全てが規制され、思うように身体が動かないようだった。
 これが魔女の血の呪い。
 呪縛。
 もう彼の血は穢れてしまった。戻すことは出来ない。

「もう傷の痛みがない……治っているだと……お前の血の影響か? むしろ調子がいいくらいだ。お前の血をもっとよこせ」
「これ以上与えたらキミに悪い影響しか出ないよ。少量で様子を見て」

 吸血鬼の傷も恐るべき早さで治癒していた。
 薬学を勉強していて僕は知ったことがある。毒と薬は紙一重だってこと。なんでも過剰に摂取することは身体に牙を向く毒になる。
 強い魔女の血は少しの量でも穢れてしまうのに、過剰に与えたら彼が吸血鬼族ではない化け物になってしまう。
 混血の僕は半分は魔族に近い血を持っているから、影響が少し緩和されているのかもしれないが、確証や証拠はどこにもない。
 彼は僕の言葉に心底不愉快そうな顔をした。

「私は『キミ』じゃない。ガーネットだ。未成熟な魔女のくせに偉そうに私に口をきくな」

 その言葉に、僕もムッとして言い返す。

「僕は未成熟じゃない。22年も生きている」

 見た目こそ、少女の姿をしているものの
 僕は人間でいうところの“成人”をしていた。未成熟という言葉は適切ではない。

「やはりまだ未成熟じゃないか。300年生きてから物申せ」
「…………何年生きているの?」
「私の歳などどうでもいい。お前が私に偉そうな口をきくなと言っているのだ」

 ――気難しい吸血鬼だな……

 そう思う最中、魔族は下位魔族ほど自分の名前というものを持っていないというのを思い出した。名前で呼ばれないと下位魔族と混合されているようでいい気はしないんだろう。
 名乗ってくれたので、僕も自分の名を名乗ることにした。

「僕はノエル。よろしくガーネッ――」
「よろしくするつもりはない!」

 途端に元気になり、生意気な口をきき始める目の前の吸血鬼を、僕はどうしたらいいか解らなかった。
 しかし説明はしなければならない。
 僕が何から説明をしようか頭を悩ませていると、レインが大騒ぎし始める。

「ノエル、ぼくこいつ嫌い! 早く異界に帰してよ!」
「龍族の子供風情がやかましいぞ。黙っていろ」

 上級魔族同士は仲が良くないらしい。
 二者は向かい合って睨み合っている。

「ガーネット……どういう状況なのか説明したい」
「どうでもいい。私はこれからお前を始めとして魔女を皆殺しにする」
「……もう僕の眷属になったんだから僕と一心同体なんだよ。僕を殺すと、ガーネットも死んでしまう」

 ガーネットは僕が何を言っているのか解らないと言った様子で僕の方を見た。

「どういう意味だ。私が汚らわしい魔女と一心同体だと?」
「その言い方、どうかと思うよ。僕の腕を見てて」

 僕は汚らわしい魔女などと言われて少しムカついた。
 その感情を抑え、自分の腕を風の魔術式で浅く切ってみる。ビリッとした一瞬の痛みを感じた。

「!」

 ガーネットは自身の腕に痛みを感じたのだろう。自分の腕を見て確認していた。
 傷口はすぐさま塞がり、そこには少しばかり出血した血だけが残る。

「おい……私に何をした!?」
「僕の血を飲んだことによって、僕とガーネットは『契約』したんだよ」

 ガーネットはそれを聞いて唖然としていた。僕の顔を何とも言えない表情で見つめてくる。
 大変なことをしてしまった自覚はあった。
 こうするしか助けられなかったとはいえ、軽率だっただろうか。
 僕はご主人様のところに戻りたかったが、この吸血鬼をどう説得しようか考えていた。

「契約とはなんだ!?」
「ちょっと待って、説明する前に異界に続く扉を開くから」

 僕は出来ることを一つずつ片付けようと書きかけの魔法陣を書き始めた。
 昔、同じものを書いている者を見ていたからなんとなく解る。
 ガーネットを後ろに僕が黙々と魔法陣を木の枝で書いていると

「どうなっているのか説明しろ!!」

 少しの間呆然としていたガーネットは、魔法陣を描いている僕を向き直させ、首元を掴み上げてすごんでくる。
 頭の整理をしていたのに、考える間を与えてくれない。
 説明するべきことは沢山あるのに、ガーネットに何から説明したらいいか解らなかった。

「だから、君の……ガーネットの身体に僕の血を与えて『契約』を結んだんだよ」
「契約を結ぶとどうなるんだ!?」
「肉体的な痛みや傷を共有することになる。ガーネットが傷ついても僕は痛みを感じるし、僕が傷ついてもガーネットは痛みを感じるってこと。あと僕の命令を拒否できなくなる」

 普通、契約を結ぶ魔女などいない。
 一方的に魔族を使役するものが殆どだ。誰も魔族と契約を結ぶ物好きな魔女などいないし、魔女の掟では魔族との契約を禁止している。
 だが利点が何もないわけではない。

「なんてことをしてくれたんだ! この腐れ外道の魔女が!」

 ガーネットが僕の顔を乱暴に掴み、鋭い爪でひっかいた。その瞬間ガーネットの頬にも同じ傷ができる。
 しかし彼の傷は瞬く間に治癒された。
 契約する者とその魔女の潜在能力を爆発的に上昇させる。それが最大の利点だ。だからこそゲルダはそれを恐れている。
 禁止している理由はそれだ。

 それにしても、僕の顔で試さなくてもいいのに。
 これが普通の人間の女だったら、顔に傷がついたなんて言って大騒ぎするのだろうか。

「なんだこれは……ふん、お前から離れたら済む話だ」

 ガーネットは僕から離れようと背を向けた。

「僕から離れると、ガーネットの中の僕の血の制御ができなくなって、最悪の場合死ぬよ」
「ふん、試してみようじゃないか」

 ガーネットは僕から離れていった。
 10メートル、50メートル、200メートル……僕は見えなくなったガーネットを放っておいて、魔法陣を描き続けていた。
 レインは下級魔族と一緒になって僕が黙々と魔法陣を描いているのを見ていた。

「あいつ嫌い」
「うーん……早まったことをしちゃったかな……」

 それでも、僕は吸血鬼というものに対し、特別な思い入れがあった。
 よく覚えていないが、昔、魔女に拘束されていたときに吸血鬼と出逢った。
 僕は、助けられなかった。
 その吸血鬼の青年は、見るも無残に殺された。
 今、その時に戻れるのなら守ってあげられたかもしれない。あのときは、僕自身がどうしようもない状態だったから……と、言い訳したところで命が戻ってくるわけもない。
 そんなことを思い出しながら僕は魔術式を書き続けた。
 暫くして、大分異界へとつながる魔術式を描き終わったころに、ガーネットは納得できない様子で帰ってきた。
 息を切らして僕の後ろに立っているのが解る。

「あー! 帰ってきた吸血鬼!!」

 ガーネットは苦しそうにしている。
 やっぱりだ。確信はなかったが契約を交わしたら離れることができなくなる。
 僕の記憶は間違っていなかった。

 彼の苦しさと、口惜しさと、憤りと、口惜しさと……そういった負の感情が僕にはなんとなく解った。
 否応なしだったとはいえ、彼の意思を尊重できなかったのは事実だ。
 彼は僕に文句をいうかと思ったが、そうは言わなかった。

「……こんなときに、何をしている」

 こんなとき、というのがどういうときなのかと僕は考えながらも、魔術式を書くために手を動かし続ける。

「この子たちを異界に帰さないといけないから、魔術式を描いているんだよ」

 僕は返事をしながら、書きあがった魔術式に僕の血を垂らした。
 魔術式をその陣にかけて異界の扉を開くと、深い暗闇に更にもっと暗い闇が姿を見せる。
 そこからはものすごい熱量がこちらの世界に流れ込んできた。
 あまり長くは開けていられない。

「さぁ、帰って。レイン、帰るように言ってくれるかな」
「解ったー!」

 レインは異界の言葉で帰るように話をしてくれた。
 そうして異界の住人が僕を一瞥しながらもその穴に帰っていくのを見ていた。
 正直に言うならガーネットにも帰って欲しかった。しかし、契約してしまったからには僕が面倒をみてやらないといけない。
 もう彼は……普通の吸血鬼族としては生きられないのだから。
 しかし、てっきり「私も帰らせてもらう」と言い始めると思ったが、ガーネットはそう言わなかった。
 彼の方を見たら、釈然としない顔はしていたが状況をなんとなく理解はしている様子だった。
 高位魔族は賢くて助かる。

「えー、こいつ帰らないの?」
「お前こそ帰ったらどうだ」
「あー! お前って言ったな! ぼくはレインだ! お前なんて言うな吸血鬼!」

 魔族の異種同士は基本的に仲が良くないんだろうけれど、こうも露骨に頻繁に喧嘩されると困ってしまう。魔族同士のそういう習わしなどは僕には解らない。
 僕は喧嘩している二人を他所よそに、異界の扉を閉めた。


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