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第十二章
腕(かいな)の中のリリアーナ 93
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リリアーナは魂を抜かれたように、焦点の合わない瞳でカイトを見つめる。ただこぼれる涙だけが、彼女の胸の内を物語っていた。
「涙の雫さえも美しいのだな、君は」
長い時間くちづけられ、力が入らないリリアーナの身体を、カイトは再び引き寄せようとした。
「い…やぁ……」
か弱い抵抗などものともせず、腕の中に閉じ込めて、強引に唇を重ねた。
まるで烙印を押すかのように――
***
何で殴ってしまったの……わたし……。
サファイアは医務室に近い庭園のベンチで、深い溜息を吐き、ラザファムと侍女は顔を見合わせる。
あの時、サファイアはすぐに気づいた。
ルイスのついた優しい嘘に――
本当は凄く嬉しくかった……。けど、照れくさくて、ブレンダンにキスされた悲しさもあって、でもやっぱり嬉しくて……とごちゃ混ぜになって混乱し、気付いたら手が出ていた。
その後、自己嫌悪に陥り今日に至る。はぁぁ……とまた溜息を吐いた。
「謝らなきゃ……でも、何て言おう……」
リスがスカートを這い登り、サファイアの指先に鼻面をすりつけて餌をねだる。
「いっそのこと、このまま騙された振りをして……ルイスもそれを望むかも……」
上の空のサファイアは無意識に鼻を撫でるだけだ。
「ううん、やっぱりそれは駄目。私はすぐ顔に出るし、きちんと謝らないと、殴ったことを………」
口にして、またどーんと落ち込んで項垂れる。
「リリアーナだったら嬉しそうに、『ありがとう』って言うだろうに……私はなんで手が出る……」
「――分かってくれると思うがの」
顔を上げると優しい目をしたじいやが目の前に立っていた。じいやは手を伸ばしてきてサファイアの頭をぽんぽんと叩く。
「全く、昔から変わらんのう……。お前さんは不器用だけど、とてもいい子じゃ……あやつになら、素直な自分を見せても……いいや、見せたほうがいいとわしは思うがな」
「………」
幼子のように頭を撫でられ、サファイアの気持ちが落ち着いていく。暫くはまだ座っていたが、意を決して立ち上がった。
そう、じいやの言う通り、素直になって、自分の気持ちを伝えよう。そして謝るのだ。
怖気づかないうちにと、医務室に足をむけた。医務室の入り口にはラトヴィッジの騎士や、従者がなぜか大勢いる。
不思議に思いながらラザファムを待機させ、侍女を従えて医務室に入り、病室の扉をノックした。
扉を開けたのは見知らぬ男性で、服装から見てラトヴィッジの高官のようである。病室はその高官達で溢れかえっていた。
「サファイア様!」
いつもルイスに付き従っている従者の青年が、サファイアを見て飛んでくる。
「ルイス様は国王陛下とお会いになっています」
「お父様と?」
「はい。すぐお帰りになるので、こちらでお待ちください」
従者は感じ良く、いつもサファイアが座っている椅子を指し示した。
「ありがとう、アーロン。でも忙しそうだし、また改めて……」
「もう、18歳だそうですよ……」
サファイアの耳に、意地の悪いひそひそ声が聞こえてきた。
「確かに美しく、見かけは可愛くもありますが……我が国の王子にはもっと若くて、こう、しとやかな、深窓の姫君が似合いますなぁ」
「今回、王子が大怪我を負ったのも、この国の姫君の軽はずみな行動が原因だったとか……」
「ああ、そんな女性が王妃になった日には、目も当てられませんな」
「サファイア様、外で待ちましょう」
サファイアに付き添っていた侍女が、腹立たしそうに二人を睨んでから、サファイアに囁いた。
「王子も三日後には帰国されますし、この国で購入した屋敷も手放すそうですぞ」
「どこぞの誰かが、変に気を持たせてなかなか返事をしないから、見切りをつけたんですな」
「隣国の姫君であるステファニー王女。可憐で初々しく、ルイス王子を少なからず想っているとか」
「ほう、それは、似合いのお二人ではないですか……!」
「お二方! いくら王子と縁戚関係にあるからと言って、サファイア王女殿下に対して、無礼ではないですか!!」
腹に据えかねたアーロンが申し立てるが、どこ吹く風で二人の高官は話を続ける。
「やはり女性は大人しく、愛らしく、若ければ若いほどに……」
サファイアを見て冷笑する。
「お二方! 王子の想い人に失礼だと言っているのが、お分かりにならないのですか!?」
「何だと? 王子に気に入られているからと大きな顔をしおって、お前の首など私の一存で…」
「ちくちくねちねち……」
「……は?」
サファイアがキッと二人を睨みつける。
「さっきから聞いていれば……ちくちくねちねち! うるさいったらないわ!! 言っておきますけど、ルイスは私に首ったけですからね! 他の王女なんて見向きもしない筈よ!! それにラトヴィッジみたいな大国の王妃が、深窓の姫君に務まるとは思わない! 貴方達はお飾りの王妃が欲しいのでしょうけど、ルイスはきっとそれを望まない! ルイスは強くて、自分と一緒に国を支えてくれ、いついかなる時も味方になってくれる女性を――自分を守ろうとしてくれるような、そんな相手を選ぶはず!」
「思いあがりも甚だしい! こんな跳ね返りに首ったけなぞ! そのうえ呼び捨てにしただけでなく、王子が守られたいだと!? 我が国の王子が軟弱だと馬鹿にしておられるのか!?」
「貴方達こそ! 自分達の都合ばかりを押し付けて、王子の気持ちを知ろうとしたことがある? 彼の話を親身になって聞いたことがあるの? 味方になって、守ろうとしたことは? ないでしょう……! ないからこうやって頭から私を否定するのよ」
「ふん、口ばかり達者で……小賢しい女は可愛げがない。だからなかなか嫁の貰い手がないのでは? 第一王女のクリスティアナ様も、20歳でやっと相手が決まったそうではないか…」
「姉様のことは私とは関係ないわ、悪く言うのはやめてちょうだい! 姉様は初恋の人とやっと結ばれたのよ。水を差すようなことは言わないで!」
「ふん、どうだか……口では何とでも言える」
「何の落ち度もない姉様を、引き合いに出すなんて最低ね。貴方みたいな人が政務活動に携わっていたから、最近までラトヴィッジの経済は傾いていたのではないの!?」
「な、何という事を…!!」
ギリギリと歯軋りをする男の言葉を打ち消すように、拍手が聞こえてきた。全員の視線がサファイアに……いや、サファイアの背後に集中する。
「さすが私のサファイアだ」
「えっ、……」
振り返るサファイアに、ルイスが片手を回して肩を抱いた。サファイアは目を見開き、口もあんぐりと開けたままルイスを凝視する。ルイスは高官二人を厳しい目で睨めつけた。
「なに勝手なことを言っているんだ? 私はもう、サファイア姫以外は関心がないと伝えただろう。それにアーロンも言った通り、随分と失礼な物言いだ」
高官達は顔を赤くして、気まずそうにルイスの視線を避ける。
「い、いつから聞いていたの?」
「”ちくちくねちねち”辺りからかな?」
「………”ちくちくねちねち”って………という事は”首ったけ”も……?」
”もちろん” とばかりにいい笑顔で頷くルイス。
「いやあぁあああああ!!」
サファイアはルイスをグーで殴りつけ、その場から逃走した。ルイスはサファイアの瞳が潤んでいた事を見逃さない。
「王子、考え直すなら今ですぞ。あんな乱暴な姫君はおやめになったほうが……」
「デトレフにローマイヤ、私の唯一を泣かした罪は重いよ」
「えっ、……」
***
「16人目……」
サファイアは東屋近くの茂みに身を隠し、来る人を窺っていた。姿を消したサファイアを、城中の人間が探している。全員お気に入りの東屋に隠れていると思うようで、探しに来たのはこれでもう16人目だ。
辺りが薄暗くなってきたが、怖くはない。ひっきりなしに誰かしら東屋を探しにくるからだ。
「それにしても……」
またやってしまった……orz と、サファイアは落ち込む。高官達に言い返したことは後悔していない。酷い言いようだったし、自分を庇ってくれたアーロンを矢面に立たせずに済んだからだ。
ただ、話をルイスに聞かれたことと、また殴ってしまったことは……。
はぁぁぁ、ともう何度目か分からない溜息を吐く。
「どんな顔をして出ていけばいいの……。無理! やっぱり出ていけない。だとしたら、今日はここで野宿? 野宿……響きが嫌だわ、言い方を変えたら明るくなれるかも。そう、これはキャンプ! 一人で楽しいキャンプ! ……キャンプってした事ないけど……」
背後からくすくすと笑い声がした。ビクッと身を震わせて恐る恐る振り返ると、ルイスが手で口を押さえ、我慢できずに笑いを洩らしているのが目に入った。
「いつから……?」
「うん……溜息を吐いた辺りからかな」
「………」
羞恥心いっぱいで逃げ出そうとするサファイアを、タッチの差で後ろから抱きすくめる。身長差があり過ぎるため、彼女の足は地面から浮いてしまった。
「捕まえた。もう逃がさない」
確固たる調子で耳元で囁かれて、サファイアは頬を紅潮させ、ルイスの腕の中でじたばたする。
「大人しくして」
「いやっ、んっ、…ぁ……」
花びらのような耳朶に、ルイスはくちづけた。あえかな声が出てしまい、サファイアは恥ずかしさで益々顔を紅くする。
「は、離して、」
「駄目だ。やっと捕まえたのに」
ようやく手にした宝物を逃すまいと、きつく抱き締めるルイスの腕。その腕の強さとは裏腹に、こめかみに触れる唇はとても優しい。
唇で触れても嫌がらないサファイアに、ルイスが喜びを感じていると、なぜか急に腕の中で彼女が静かになった。ルイスは心配になり、掻き抱いたまま上から覗きこんでみる。
サファイアは顔を真っ赤にして、ただ恥かしそうに身を震わせていた。視線は不自然にさまよっていて、”どうしていいか分からない” といった風情である。
高官達の前で、女神アテナのように堂々と振舞っていたサファイアが、ルイスの腕の中で途方に暮れ、ふるふると震えている。
たまらなく、可愛い――
何だ、この可愛さは……! 良かった、本当に良かった! 他の男に先を越されなくて!! 普段はあんなに気が強いのに、まるで親鳥とはぐれた雛のように、俺の腕の中ではこんなに震えて……。
ルイスは感激で胸がいっぱいになる。
サファイアを怖がらせないよう、繊細な陶器を扱うように、桜色に染まった頬に触れ、そっと……指先を滑らせた。
「涙の雫さえも美しいのだな、君は」
長い時間くちづけられ、力が入らないリリアーナの身体を、カイトは再び引き寄せようとした。
「い…やぁ……」
か弱い抵抗などものともせず、腕の中に閉じ込めて、強引に唇を重ねた。
まるで烙印を押すかのように――
***
何で殴ってしまったの……わたし……。
サファイアは医務室に近い庭園のベンチで、深い溜息を吐き、ラザファムと侍女は顔を見合わせる。
あの時、サファイアはすぐに気づいた。
ルイスのついた優しい嘘に――
本当は凄く嬉しくかった……。けど、照れくさくて、ブレンダンにキスされた悲しさもあって、でもやっぱり嬉しくて……とごちゃ混ぜになって混乱し、気付いたら手が出ていた。
その後、自己嫌悪に陥り今日に至る。はぁぁ……とまた溜息を吐いた。
「謝らなきゃ……でも、何て言おう……」
リスがスカートを這い登り、サファイアの指先に鼻面をすりつけて餌をねだる。
「いっそのこと、このまま騙された振りをして……ルイスもそれを望むかも……」
上の空のサファイアは無意識に鼻を撫でるだけだ。
「ううん、やっぱりそれは駄目。私はすぐ顔に出るし、きちんと謝らないと、殴ったことを………」
口にして、またどーんと落ち込んで項垂れる。
「リリアーナだったら嬉しそうに、『ありがとう』って言うだろうに……私はなんで手が出る……」
「――分かってくれると思うがの」
顔を上げると優しい目をしたじいやが目の前に立っていた。じいやは手を伸ばしてきてサファイアの頭をぽんぽんと叩く。
「全く、昔から変わらんのう……。お前さんは不器用だけど、とてもいい子じゃ……あやつになら、素直な自分を見せても……いいや、見せたほうがいいとわしは思うがな」
「………」
幼子のように頭を撫でられ、サファイアの気持ちが落ち着いていく。暫くはまだ座っていたが、意を決して立ち上がった。
そう、じいやの言う通り、素直になって、自分の気持ちを伝えよう。そして謝るのだ。
怖気づかないうちにと、医務室に足をむけた。医務室の入り口にはラトヴィッジの騎士や、従者がなぜか大勢いる。
不思議に思いながらラザファムを待機させ、侍女を従えて医務室に入り、病室の扉をノックした。
扉を開けたのは見知らぬ男性で、服装から見てラトヴィッジの高官のようである。病室はその高官達で溢れかえっていた。
「サファイア様!」
いつもルイスに付き従っている従者の青年が、サファイアを見て飛んでくる。
「ルイス様は国王陛下とお会いになっています」
「お父様と?」
「はい。すぐお帰りになるので、こちらでお待ちください」
従者は感じ良く、いつもサファイアが座っている椅子を指し示した。
「ありがとう、アーロン。でも忙しそうだし、また改めて……」
「もう、18歳だそうですよ……」
サファイアの耳に、意地の悪いひそひそ声が聞こえてきた。
「確かに美しく、見かけは可愛くもありますが……我が国の王子にはもっと若くて、こう、しとやかな、深窓の姫君が似合いますなぁ」
「今回、王子が大怪我を負ったのも、この国の姫君の軽はずみな行動が原因だったとか……」
「ああ、そんな女性が王妃になった日には、目も当てられませんな」
「サファイア様、外で待ちましょう」
サファイアに付き添っていた侍女が、腹立たしそうに二人を睨んでから、サファイアに囁いた。
「王子も三日後には帰国されますし、この国で購入した屋敷も手放すそうですぞ」
「どこぞの誰かが、変に気を持たせてなかなか返事をしないから、見切りをつけたんですな」
「隣国の姫君であるステファニー王女。可憐で初々しく、ルイス王子を少なからず想っているとか」
「ほう、それは、似合いのお二人ではないですか……!」
「お二方! いくら王子と縁戚関係にあるからと言って、サファイア王女殿下に対して、無礼ではないですか!!」
腹に据えかねたアーロンが申し立てるが、どこ吹く風で二人の高官は話を続ける。
「やはり女性は大人しく、愛らしく、若ければ若いほどに……」
サファイアを見て冷笑する。
「お二方! 王子の想い人に失礼だと言っているのが、お分かりにならないのですか!?」
「何だと? 王子に気に入られているからと大きな顔をしおって、お前の首など私の一存で…」
「ちくちくねちねち……」
「……は?」
サファイアがキッと二人を睨みつける。
「さっきから聞いていれば……ちくちくねちねち! うるさいったらないわ!! 言っておきますけど、ルイスは私に首ったけですからね! 他の王女なんて見向きもしない筈よ!! それにラトヴィッジみたいな大国の王妃が、深窓の姫君に務まるとは思わない! 貴方達はお飾りの王妃が欲しいのでしょうけど、ルイスはきっとそれを望まない! ルイスは強くて、自分と一緒に国を支えてくれ、いついかなる時も味方になってくれる女性を――自分を守ろうとしてくれるような、そんな相手を選ぶはず!」
「思いあがりも甚だしい! こんな跳ね返りに首ったけなぞ! そのうえ呼び捨てにしただけでなく、王子が守られたいだと!? 我が国の王子が軟弱だと馬鹿にしておられるのか!?」
「貴方達こそ! 自分達の都合ばかりを押し付けて、王子の気持ちを知ろうとしたことがある? 彼の話を親身になって聞いたことがあるの? 味方になって、守ろうとしたことは? ないでしょう……! ないからこうやって頭から私を否定するのよ」
「ふん、口ばかり達者で……小賢しい女は可愛げがない。だからなかなか嫁の貰い手がないのでは? 第一王女のクリスティアナ様も、20歳でやっと相手が決まったそうではないか…」
「姉様のことは私とは関係ないわ、悪く言うのはやめてちょうだい! 姉様は初恋の人とやっと結ばれたのよ。水を差すようなことは言わないで!」
「ふん、どうだか……口では何とでも言える」
「何の落ち度もない姉様を、引き合いに出すなんて最低ね。貴方みたいな人が政務活動に携わっていたから、最近までラトヴィッジの経済は傾いていたのではないの!?」
「な、何という事を…!!」
ギリギリと歯軋りをする男の言葉を打ち消すように、拍手が聞こえてきた。全員の視線がサファイアに……いや、サファイアの背後に集中する。
「さすが私のサファイアだ」
「えっ、……」
振り返るサファイアに、ルイスが片手を回して肩を抱いた。サファイアは目を見開き、口もあんぐりと開けたままルイスを凝視する。ルイスは高官二人を厳しい目で睨めつけた。
「なに勝手なことを言っているんだ? 私はもう、サファイア姫以外は関心がないと伝えただろう。それにアーロンも言った通り、随分と失礼な物言いだ」
高官達は顔を赤くして、気まずそうにルイスの視線を避ける。
「い、いつから聞いていたの?」
「”ちくちくねちねち”辺りからかな?」
「………”ちくちくねちねち”って………という事は”首ったけ”も……?」
”もちろん” とばかりにいい笑顔で頷くルイス。
「いやあぁあああああ!!」
サファイアはルイスをグーで殴りつけ、その場から逃走した。ルイスはサファイアの瞳が潤んでいた事を見逃さない。
「王子、考え直すなら今ですぞ。あんな乱暴な姫君はおやめになったほうが……」
「デトレフにローマイヤ、私の唯一を泣かした罪は重いよ」
「えっ、……」
***
「16人目……」
サファイアは東屋近くの茂みに身を隠し、来る人を窺っていた。姿を消したサファイアを、城中の人間が探している。全員お気に入りの東屋に隠れていると思うようで、探しに来たのはこれでもう16人目だ。
辺りが薄暗くなってきたが、怖くはない。ひっきりなしに誰かしら東屋を探しにくるからだ。
「それにしても……」
またやってしまった……orz と、サファイアは落ち込む。高官達に言い返したことは後悔していない。酷い言いようだったし、自分を庇ってくれたアーロンを矢面に立たせずに済んだからだ。
ただ、話をルイスに聞かれたことと、また殴ってしまったことは……。
はぁぁぁ、ともう何度目か分からない溜息を吐く。
「どんな顔をして出ていけばいいの……。無理! やっぱり出ていけない。だとしたら、今日はここで野宿? 野宿……響きが嫌だわ、言い方を変えたら明るくなれるかも。そう、これはキャンプ! 一人で楽しいキャンプ! ……キャンプってした事ないけど……」
背後からくすくすと笑い声がした。ビクッと身を震わせて恐る恐る振り返ると、ルイスが手で口を押さえ、我慢できずに笑いを洩らしているのが目に入った。
「いつから……?」
「うん……溜息を吐いた辺りからかな」
「………」
羞恥心いっぱいで逃げ出そうとするサファイアを、タッチの差で後ろから抱きすくめる。身長差があり過ぎるため、彼女の足は地面から浮いてしまった。
「捕まえた。もう逃がさない」
確固たる調子で耳元で囁かれて、サファイアは頬を紅潮させ、ルイスの腕の中でじたばたする。
「大人しくして」
「いやっ、んっ、…ぁ……」
花びらのような耳朶に、ルイスはくちづけた。あえかな声が出てしまい、サファイアは恥ずかしさで益々顔を紅くする。
「は、離して、」
「駄目だ。やっと捕まえたのに」
ようやく手にした宝物を逃すまいと、きつく抱き締めるルイスの腕。その腕の強さとは裏腹に、こめかみに触れる唇はとても優しい。
唇で触れても嫌がらないサファイアに、ルイスが喜びを感じていると、なぜか急に腕の中で彼女が静かになった。ルイスは心配になり、掻き抱いたまま上から覗きこんでみる。
サファイアは顔を真っ赤にして、ただ恥かしそうに身を震わせていた。視線は不自然にさまよっていて、”どうしていいか分からない” といった風情である。
高官達の前で、女神アテナのように堂々と振舞っていたサファイアが、ルイスの腕の中で途方に暮れ、ふるふると震えている。
たまらなく、可愛い――
何だ、この可愛さは……! 良かった、本当に良かった! 他の男に先を越されなくて!! 普段はあんなに気が強いのに、まるで親鳥とはぐれた雛のように、俺の腕の中ではこんなに震えて……。
ルイスは感激で胸がいっぱいになる。
サファイアを怖がらせないよう、繊細な陶器を扱うように、桜色に染まった頬に触れ、そっと……指先を滑らせた。
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