黒の転生騎士

sierra

文字の大きさ
上 下
247 / 287
第十二章

腕(かいな)の中のリリアーナ 93

しおりを挟む
 リリアーナは魂を抜かれたように、焦点の合わない瞳でカイトを見つめる。ただこぼれる涙だけが、彼女の胸の内を物語っていた。

「涙の雫さえも美しいのだな、君は」

 長い時間くちづけられ、力が入らないリリアーナの身体を、カイトは再び引き寄せようとした。

「い…やぁ……」

 か弱い抵抗などものともせず、腕の中に閉じ込めて、強引に唇を重ねた。

 まるで烙印を押すかのように――

 
***


 何で殴ってしまったの……わたし……。

 サファイアは医務室に近い庭園のベンチで、深い溜息を吐き、ラザファムと侍女は顔を見合わせる。

 あの時、サファイアはすぐに気づいた。
ルイスのついた優しい嘘に――

 本当は凄く嬉しくかった……。けど、照れくさくて、ブレンダンにキスされた悲しさもあって、でもやっぱり嬉しくて……とごちゃ混ぜになって混乱し、気付いたら手が出ていた。

 その後、自己嫌悪に陥り今日に至る。はぁぁ……とまた溜息を吐いた。

「謝らなきゃ……でも、何て言おう……」
 リスがスカートを這い登り、サファイアの指先に鼻面をすりつけて餌をねだる。

「いっそのこと、このまま騙された振りをして……ルイスもそれを望むかも……」
 上の空のサファイアは無意識に鼻を撫でるだけだ。

「ううん、やっぱりそれは駄目。私はすぐ顔に出るし、きちんと謝らないと、殴ったことを………」
 口にして、またどーんと落ち込んで項垂れる。

「リリアーナだったら嬉しそうに、『ありがとう』って言うだろうに……私はなんで手が出る……」

「――分かってくれると思うがの」

 顔を上げると優しい目をしたじいやが目の前に立っていた。じいやは手を伸ばしてきてサファイアの頭をぽんぽんと叩く。

「全く、昔から変わらんのう……。お前さんは不器用だけど、とてもいい子じゃ……あやつになら、素直な自分を見せても……いいや、見せたほうがいいとわしは思うがな」
「………」
 
 幼子のように頭を撫でられ、サファイアの気持ちが落ち着いていく。暫くはまだ座っていたが、意を決して立ち上がった。
 そう、じいやの言う通り、素直になって、自分の気持ちを伝えよう。そして謝るのだ。
 怖気づかないうちにと、医務室に足をむけた。医務室の入り口にはラトヴィッジの騎士や、従者がなぜか大勢いる。
 不思議に思いながらラザファムを待機させ、侍女を従えて医務室に入り、病室の扉をノックした。

 扉を開けたのは見知らぬ男性で、服装から見てラトヴィッジの高官のようである。病室はその高官達で溢れかえっていた。

「サファイア様!」

 いつもルイスに付き従っている従者の青年が、サファイアを見て飛んでくる。

「ルイス様は国王陛下とお会いになっています」
「お父様と?」
「はい。すぐお帰りになるので、こちらでお待ちください」

 従者は感じ良く、いつもサファイアが座っている椅子を指し示した。

「ありがとう、アーロン。でも忙しそうだし、また改めて……」
「もう、18歳だそうですよ……」

 サファイアの耳に、意地の悪いひそひそ声が聞こえてきた。

「確かに美しく、見かけは可愛くもありますが……我が国の王子にはもっと若くて、こう、しとやかな、深窓の姫君が似合いますなぁ」
「今回、王子が大怪我を負ったのも、この国の姫君の軽はずみな行動が原因だったとか……」
「ああ、そんな女性が王妃になった日には、目も当てられませんな」
「サファイア様、外で待ちましょう」

 サファイアに付き添っていた侍女が、腹立たしそうに二人を睨んでから、サファイアに囁いた。

「王子も三日後には帰国されますし、この国で購入した屋敷も手放すそうですぞ」
「どこぞの誰かが、変に気を持たせてなかなか返事をしないから、見切りをつけたんですな」
「隣国の姫君であるステファニー王女。可憐で初々しく、ルイス王子を少なからず想っているとか」
「ほう、それは、似合いのお二人ではないですか……!」
「お二方ふたかた! いくら王子と縁戚関係にあるからと言って、サファイア王女殿下に対して、無礼ではないですか!!」

 腹に据えかねたアーロンが申し立てるが、どこ吹く風で二人の高官は話を続ける。

「やはり女性は大人しく、愛らしく、若ければ若いほどに……」
 サファイアを見て冷笑する。
「お二方! 王子の想い人に失礼だと言っているのが、お分かりにならないのですか!?」
「何だと? 王子に気に入られているからと大きな顔をしおって、お前の首など私の一存で…」 

「ちくちくねちねち……」
「……は?」

 サファイアがキッと二人を睨みつける。

「さっきから聞いていれば……ちくちくねちねち! うるさいったらないわ!! 言っておきますけど、ルイスは私に首ったけですからね! 他の王女なんて見向きもしない筈よ!! それにラトヴィッジみたいな大国の王妃が、深窓の姫君に務まるとは思わない! 貴方達はお飾りの王妃が欲しいのでしょうけど、ルイスはきっとそれを望まない! ルイスは強くて、自分と一緒に国を支えてくれ、いついかなる時も味方になってくれる女性ひとを――自分を守ろうとしてくれるような、そんな相手を選ぶはず!」

「思いあがりも甚だしい! こんな跳ね返りに首ったけなぞ! そのうえ呼び捨てにしただけでなく、王子が守られたいだと!? 我が国の王子が軟弱だと馬鹿にしておられるのか!?」
「貴方達こそ! 自分達の都合ばかりを押し付けて、王子の気持ちを知ろうとしたことがある? 彼の話を親身になって聞いたことがあるの? 味方になって、守ろうとしたことは? ないでしょう……! ないからこうやって頭から私を否定するのよ」
「ふん、口ばかり達者で……小賢しい女は可愛げがない。だからなかなか嫁の貰い手がないのでは? 第一王女のクリスティアナ様も、20歳でやっと相手が決まったそうではないか…」
「姉様のことは私とは関係ないわ、悪く言うのはやめてちょうだい! 姉様は初恋の人とやっと結ばれたのよ。水を差すようなことは言わないで!」
「ふん、どうだか……口では何とでも言える」
「何の落ち度もない姉様を、引き合いに出すなんて最低ね。貴方みたいな人が政務活動にたずさわっていたから、最近までラトヴィッジの経済は傾いていたのではないの!?」
「な、何という事を…!!」

 ギリギリと歯軋りをする男の言葉を打ち消すように、拍手が聞こえてきた。全員の視線がサファイアに……いや、サファイアの背後に集中する。

「さすが私のサファイアだ」
「えっ、……」

 振り返るサファイアに、ルイスが片手を回して肩を抱いた。サファイアは目を見開き、口もあんぐりと開けたままルイスを凝視する。ルイスは高官二人を厳しい目でめつけた。

「なに勝手なことを言っているんだ? 私はもう、サファイア姫以外は関心がないと伝えただろう。それにアーロンも言った通り、随分と失礼な物言いだ」
 
 高官達は顔を赤くして、気まずそうにルイスの視線を避ける。

「い、いつから聞いていたの?」
「”ちくちくねちねち”辺りからかな?」
「………”ちくちくねちねち”って………という事は”首ったけ”も……?」

 ”もちろん” とばかりにいい笑顔で頷くルイス。

「いやあぁあああああ!!」

 サファイアはルイスをグーで殴りつけ、その場から逃走した。ルイスはサファイアの瞳が潤んでいた事を見逃さない。

「王子、考え直すなら今ですぞ。あんな乱暴な姫君はおやめになったほうが……」
「デトレフにローマイヤ、私の唯一を泣かした罪は重いよ」
「えっ、……」

***

「16人目……」

 サファイアは東屋近くの茂みに身を隠し、来る人を窺っていた。姿を消したサファイアを、城中の人間が探している。全員お気に入りの東屋に隠れていると思うようで、探しに来たのはこれでもう16人目だ。

 辺りが薄暗くなってきたが、怖くはない。ひっきりなしに誰かしら東屋を探しにくるからだ。

「それにしても……」
 またやってしまった……orz と、サファイアは落ち込む。高官達に言い返したことは後悔していない。酷い言いようだったし、自分を庇ってくれたアーロンを矢面やおもてに立たせずに済んだからだ。
 ただ、話をルイスに聞かれたことと、また殴ってしまったことは……。

 はぁぁぁ、ともう何度目か分からない溜息を吐く。

「どんな顔をして出ていけばいいの……。無理! やっぱり出ていけない。だとしたら、今日はここで野宿? 野宿……響きが嫌だわ、言い方を変えたら明るくなれるかも。そう、これはキャンプ! 一人で楽しいキャンプ! ……キャンプってした事ないけど……」

 背後からくすくすと笑い声がした。ビクッと身を震わせて恐る恐る振り返ると、ルイスが手で口を押さえ、我慢できずに笑いを洩らしているのが目に入った。

「いつから……?」
「うん……溜息を吐いた辺りからかな」 
「………」

 羞恥心いっぱいで逃げ出そうとするサファイアを、タッチの差で後ろから抱きすくめる。身長差があり過ぎるため、彼女の足は地面から浮いてしまった。

「捕まえた。もう逃がさない」

 確固たる調子で耳元で囁かれて、サファイアは頬を紅潮させ、ルイスの腕の中でじたばたする。

「大人しくして」
「いやっ、んっ、…ぁ……」

 花びらのような耳朶に、ルイスはくちづけた。あえかな声が出てしまい、サファイアは恥ずかしさで益々顔を紅くする。

「は、離して、」
「駄目だ。やっと捕まえたのに」

 ようやく手にした宝物を逃すまいと、きつく抱き締めるルイスの腕。その腕の強さとは裏腹に、こめかみに触れる唇はとても優しい。

 唇で触れても嫌がらないサファイアに、ルイスが喜びを感じていると、なぜか急に腕の中で彼女が静かになった。ルイスは心配になり、掻き抱いたまま上から覗きこんでみる。
 サファイアは顔を真っ赤にして、ただ恥かしそうに身を震わせていた。視線は不自然にさまよっていて、”どうしていいか分からない” といった風情である。
 高官達の前で、女神アテナのように堂々と振舞っていたサファイアが、ルイスの腕の中で途方に暮れ、ふるふると震えている。

 たまらなく、可愛い――

 何だ、この可愛さは……! 良かった、本当に良かった! 他の男に先を越されなくて!! 普段はあんなに気が強いのに、まるで親鳥とはぐれたひなのように、俺の腕の中ではこんなに震えて……。
 ルイスは感激で胸がいっぱいになる。

 サファイアを怖がらせないよう、繊細な陶器を扱うように、桜色に染まった頬に触れ、そっと……指先を滑らせた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王太子の子を孕まされてました

杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。 ※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。

【完結】番を監禁して早5年、愚かな獣王はようやく運命を知る

恋愛
獣人国の王バレインは明日の婚儀に胸踊らせていた。相手は長年愛し合った美しい獣人の恋人、信頼する家臣たちに祝われながらある女の存在を思い出す。 父が他国より勝手に連れてきた自称"番(つがい)"である少女。 5年間、古びた離れに監禁していた彼女に最後の別れでも伝えようと出向くと、そこには誰よりも美しく成長した番が待ち構えていた。 基本ざまぁ対象目線。ほんのり恋愛。

忌むべき番

藍田ひびき
恋愛
「メルヴィ・ハハリ。お前との婚姻は無効とし、国外追放に処す。その忌まわしい姿を、二度と俺に見せるな」 メルヴィはザブァヒワ皇国の皇太子ヴァルラムの番だと告げられ、強引に彼の後宮へ入れられた。しかしヴァルラムは他の妃のもとへ通うばかり。さらに、真の番が見つかったからとメルヴィへ追放を言い渡す。 彼は知らなかった。それこそがメルヴィの望みだということを――。 ※ 8/4 誤字修正しました。 ※ なろうにも投稿しています。

目が覚めたら夫と子供がいました

青井陸
恋愛
とある公爵家の若い公爵夫人、シャルロットが毒の入ったのお茶を飲んで倒れた。 1週間寝たきりのシャルロットが目を覚ましたとき、幼い可愛い男の子がいた。 「…お母様?よかった…誰か!お母様が!!!!」 「…あなた誰?」 16歳で政略結婚によって公爵家に嫁いだ、元伯爵令嬢のシャルロット。 シャルロットは一目惚れであったが、夫のハロルドは結婚前からシャルロットには冷たい。 そんな関係の二人が、シャルロットが毒によって記憶をなくしたことにより少しずつ変わっていく。 なろう様でも同時掲載しています。

いじめられ続けた挙げ句、三回も婚約破棄された悪役令嬢は微笑みながら言った「女神の顔も三度まで」と

鳳ナナ
恋愛
伯爵令嬢アムネジアはいじめられていた。 令嬢から。子息から。婚約者の王子から。 それでも彼女はただ微笑を浮かべて、一切の抵抗をしなかった。 そんなある日、三回目の婚約破棄を宣言されたアムネジアは、閉じていた目を見開いて言った。 「――女神の顔も三度まで、という言葉をご存知ですか?」 その言葉を皮切りに、ついにアムネジアは本性を現し、夜会は女達の修羅場と化した。 「ああ、気持ち悪い」 「お黙りなさい! この泥棒猫が!」 「言いましたよね? 助けてやる代わりに、友達料金を払えって」 飛び交う罵倒に乱れ飛ぶワイングラス。 謀略渦巻く宮廷の中で、咲き誇るは一輪の悪の華。 ――出てくる令嬢、全員悪人。 ※小説家になろう様でも掲載しております。

6年後に戦地から帰ってきた夫が連れてきたのは妻という女だった

白雲八鈴
恋愛
 私はウォルス侯爵家に15歳の時に嫁ぎ婚姻後、直ぐに夫は魔王討伐隊に出兵しました。6年後、戦地から夫が帰って来ました、妻という女を連れて。  もういいですか。私はただ好きな物を作って生きていいですか。この国になんて出ていってやる。  ただ、皆に喜ばれる物を作って生きたいと願う女性がその才能に目を付けられ周りに翻弄されていく。彼女は自由に物を作れる道を歩むことが出来るのでしょうか。 番外編 謎の少女強襲編  彼女が作り出した物は意外な形で人々を苦しめていた事を知り、彼女は再び帝国の地を踏むこととなる。  私が成した事への清算に行きましょう。 炎国への旅路編  望んでいた炎国への旅行に行く事が出来ない日々を送っていたが、色々な人々の手を借りながら炎国のにたどり着くも、そこにも帝国の影が・・・。  え?なんで私に誰も教えてくれなかったの?そこ大事ー! *本編は完結済みです。 *誤字脱字は程々にあります。 *なろう様にも投稿させていただいております。

妻の死を人伝てに知りました。

あとさん♪
恋愛
妻の死を知り、急いで戻った公爵邸。 サウロ・トライシオンと面会したのは成長し大人になった息子ダミアンだった。 彼は母親の死には触れず、自分の父親は既に死んでいると言った。 ※なんちゃって異世界。 ※「~はもう遅い」系の「ねぇ、いまどんな気持ち?」みたいな話に挑戦しようとしたら、なぜかこうなった。 ※作中、葬儀の描写はちょっとだけありますが、人死の描写はありません。 ※人によってはモヤるかも。広いお心でお読みくださいませ<(_ _)>

断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた

兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。

処理中です...