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第十二章
腕(かいな)の中のリリアーナ 88
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「この女!!」
腹立ちも露に、ブレンダンがナイフを振りかざした。
(刺される――!)
「サファイア!!」
歯を食い縛り、死に物狂いの形相で、ルイスがこちらへ手を伸ばす。
必死に伸ばしてくるその手を、サファイアは取らなかった。ルイスを見つめながら静かに言う。
「逃げて……」
私が刺されている間に、せめて貴方だけでも逃げてほしい。
声が小さかったから、彼に届いたか分からなかったけど、ルイスの顔は色を失い顎にぐっと力が入った。
ブレンダンの右手が振り下ろされ、サファイアは瞳を閉じる。最後に目にした人が、ルイスであった事を感謝しながら――
***
オルブライト公爵邸にて
「アレクセイ様」
部屋に入って来たサイラスの声に、アレクセイは書類の束から顔を上げる。他にも何人かが机を囲んで書類のチェックをしていた。
「そっちはどうだ?」
「残念ながら見つかりませんでした。用心して、一つ前の港で下ろしたようです」
「直接領地に運び込む気か。どれくらい掛かりそうだ?」
「多分、三日後には到着するかと」
「領地ではクルムバッハ辺境伯が捜索を行っている。到着次第、証拠として差し押さえるだろう」
「帳簿や、税関書類に怪しい点はありませんでしたか?」
「見てみるか? うまいこと誤魔化しているぞ。ただ所々手抜かりがあるから、そこを突いて抑留できそうだ」
「長期の拘束でも投獄でもなく抑留(短期の拘束)ですか?」
「証拠の大麻が手元にないからな。万が一、大麻を差し押さえられなかった時を考えて、書類と帳簿だけで摘発できるよう、これから念入りに調べる」
机の上に積まれた書類の山を見て、アレクセイは眉間に皺を寄せて溜息を吐いた。
「微力ながら手伝わせて頂き……」
サイラスの言葉の途中で、聞き込みをしていた部下の一人が飛び込んできた。
「失礼致します!! あっ、あの……っ、」
王子であるアレクセイがいる部屋に、ノックもせずに入室してくるのは訳があるのだろうと、怯んだ部下に向かってサイラスが先を即した。
「どうした? 慌てて」
「ブレンダンが、舞踏会に間に合うように手配していた物があったそうです。ただ、それが……」
話しを聞いて、アレクセイが顔色を変えた。
「媚薬……だと?」
「はい、サファイア様は姫君である上に好みだから、是非落としたい…と……言っていたそう…です……」
憤怒の形相のアレクセイに、部下の言葉は段々と小さくなっていく。
「アレクセイ様、落ち着いて下さい。ルイス王子とラザファムが傍に付いていますし、サファイア様も賢明な…かた…で……」
「いま言いよどんだだろう。サファイアは賢明ではなく、懸命だ。全力を尽くすのはいい事なのだが、後先を考えない」
アレクセイは徐に立ち上がると声を張り上げた。
「撤収する――! 書類、それ以外でも証拠となりえる物は全て押収しろ! 手が空いている者は、全員私に続け!!」
周囲が慌しく動き始めた。
「すぐに馬を用意させます」
アレクセイが頷き、玄関に足を向ける。
「城の空き部屋はみな施錠させてある。連れ込まれることはないと思うが……」
「あるとしたら庭園ですね。しかも今日は、騎士を相当数こちらに割いています。警備が手薄なのが気になります」
二人は用意された馬に飛び乗ると、十数人の騎士を従えて闇の中、脇目も振らずに城を目指した。
***
ずんっ――と、鈍い音が身体に響く。
「ぇ……?」
サファイアが恐る恐る目を開けると、ルイスの腕の中に守られていた。
「大丈夫か!? 怪我は!?」
「だ、大丈夫……何ともないわ……」
(でも、そうしたら今の鈍い響きは……)
腑に落ちないサファイアに、ホッとした様子のルイスの身体が、崩れるように圧し掛かってきた。
「ル、ルイス――!?」
ずるずると支えきれずに倒れていき、とうとうサファイアは彼の下敷きになってしまった。
「まさか……?」
サファイアは下敷きになったまま、ルイスの背中に両手を回す。広い背中を確かめるように探っていくと、ぬるりとした物が指先に触れた。
「!!」
青ざめたサファイアはルイスと目を合わせる。
「私を庇って刺されたのね……」
「大した傷ではない」
酷い傷である事は、手の平に触れる血の量で分かる。荒い息遣いに、心配をかけまいと微笑んだ顔は、痛みのせいか引きつっていた。
「無理をしないで…」
ガッ!!
「――っ!!」
無情にも、ブレンダンがルイスの腹を蹴り上げる。激痛で声を詰まらせるルイスを見て、サファイアがブレンダンを睨みつけた。
「何をするの!! やめなさい!!」
「全く……この王子様ときたら、自分が刺されても姫君を離さないとは……」
ブレンダンはまた腹を蹴り上げた。
「お前のせいで、逃げられねぇんだよ!!」
「やめてぇえ!!」
ガッ、ガッ、と尚も蹴りつけるブレンダンに、歯を食い縛って耐えるルイス。
「お願い、これ以上彼を傷つけないで!」
ブレンダンが動きを止め、サファイアを見下ろすと、右手を差し伸べてきた。
「サファイア様、そこから出てきて私と逃げてくれませんか? そうしたら王子はもう傷つけないと約束します。貴方が私の手を取ってくれたら、私とアロイスで王子を引き剥がすので」
「分かったわ」
サファイアは躊躇わずに、ルイスの身体の下から手を出そうとした。ぎゅっと隙間なくサファイアを抱き締め、ルイスは手を出せなくする。
「ルイス、離して――!」
「離さない」
「こいつ……」
ちっ、と舌打ちをして、ブレンダンはまた王子の横腹を蹴りつけた。
「蹴らないで! 私が説得をするから!!」
肩をすくめたブレンダンが、こそこそと逃げ出そうとしているアロイスに目を止めた。
「アロイス、どこへ行く?」
ビクッと肩を揺らして、アロイスが振り返る。
「付き合っていられないから、俺はこれで失礼をするよ」
「お前……遠くが騒がしいのが聞こえないのか? もう騎士が駆けつてくるだろうし、とっくに城門も閉まっている筈だ。サファイア姫を人質にして逃げるほか手はない」
「リーフシュタイン城は広い。探せばきっと、どこからか抜けられる。一人のほうが目立たないし、ブレンダンもそうしたほうがいい」
「俺は、サファイア姫を人質にとって逃げる」
アロイスが溜息をついた。
「ブレンダンはサファイア姫に執着してたものな。悪いけど、俺は先に逃げるよ」
「待て……ほら、約束していた例の大麻だ」
「おっ、律儀だな」
手を伸ばしてきたアロイスの胸を、ブレンダンは躊躇なくナイフで刺した。
「……え?」
状況を理解できないまま、アロイスが倒れていく。ブレンダンは冷ややかな目で倒れた彼を見下ろした。
「一人だけ逃げるなんて、そんな虫のいい話しが許されると思っているのか?」
胸を押さえて苦しむアロイスを靴先で突き、彼はサファイア達の元へ戻る。
「さあ、説得はして下さいましたか?」
「信じられない……! 友達なのでしょう?」
「あんな奴。ただの使いっ走りですよ」
「最低……」
ブレンダンはしゃがみ込むと、サファイアの顎を掴んだ。
「いいですねぇ、その瞳。ぞくぞくします。貴方を私の体の下で心ゆくまで喘がせてみたい」
「触るな!!」
ルイスがブレンダンの手を払い、サファイアの顔を胸の下に隠す。
「ふ~ん、妬けます…ねっ!」
ブレンダンは立ち上がりざまに、ルイスの刺し傷を踏みつけた。
「うぐっ……!」
「さあ、死にたくなかったら退いて下さい。また刺しますよ?」
サファイアがルイスに訴える。
「ルイスお願い、退いてちょうだい、このままだと貴方は死んでしまう……!」
「大丈夫だ。私は…死なないし……君を決して離さない。リリアーナ姫と約束を……したん…だ……」
声を出すのさえ苦しそうなルイスに、ブレンダンが意地の悪い笑みを浮かべる。
「しようがありませんね」
「やめて! お願い!!」
ナイフを突き立てようと、右手を振り上げるブレンダンの耳元で囁く声がした。
「死ね――」
腹立ちも露に、ブレンダンがナイフを振りかざした。
(刺される――!)
「サファイア!!」
歯を食い縛り、死に物狂いの形相で、ルイスがこちらへ手を伸ばす。
必死に伸ばしてくるその手を、サファイアは取らなかった。ルイスを見つめながら静かに言う。
「逃げて……」
私が刺されている間に、せめて貴方だけでも逃げてほしい。
声が小さかったから、彼に届いたか分からなかったけど、ルイスの顔は色を失い顎にぐっと力が入った。
ブレンダンの右手が振り下ろされ、サファイアは瞳を閉じる。最後に目にした人が、ルイスであった事を感謝しながら――
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「アレクセイ様」
部屋に入って来たサイラスの声に、アレクセイは書類の束から顔を上げる。他にも何人かが机を囲んで書類のチェックをしていた。
「そっちはどうだ?」
「残念ながら見つかりませんでした。用心して、一つ前の港で下ろしたようです」
「直接領地に運び込む気か。どれくらい掛かりそうだ?」
「多分、三日後には到着するかと」
「領地ではクルムバッハ辺境伯が捜索を行っている。到着次第、証拠として差し押さえるだろう」
「帳簿や、税関書類に怪しい点はありませんでしたか?」
「見てみるか? うまいこと誤魔化しているぞ。ただ所々手抜かりがあるから、そこを突いて抑留できそうだ」
「長期の拘束でも投獄でもなく抑留(短期の拘束)ですか?」
「証拠の大麻が手元にないからな。万が一、大麻を差し押さえられなかった時を考えて、書類と帳簿だけで摘発できるよう、これから念入りに調べる」
机の上に積まれた書類の山を見て、アレクセイは眉間に皺を寄せて溜息を吐いた。
「微力ながら手伝わせて頂き……」
サイラスの言葉の途中で、聞き込みをしていた部下の一人が飛び込んできた。
「失礼致します!! あっ、あの……っ、」
王子であるアレクセイがいる部屋に、ノックもせずに入室してくるのは訳があるのだろうと、怯んだ部下に向かってサイラスが先を即した。
「どうした? 慌てて」
「ブレンダンが、舞踏会に間に合うように手配していた物があったそうです。ただ、それが……」
話しを聞いて、アレクセイが顔色を変えた。
「媚薬……だと?」
「はい、サファイア様は姫君である上に好みだから、是非落としたい…と……言っていたそう…です……」
憤怒の形相のアレクセイに、部下の言葉は段々と小さくなっていく。
「アレクセイ様、落ち着いて下さい。ルイス王子とラザファムが傍に付いていますし、サファイア様も賢明な…かた…で……」
「いま言いよどんだだろう。サファイアは賢明ではなく、懸命だ。全力を尽くすのはいい事なのだが、後先を考えない」
アレクセイは徐に立ち上がると声を張り上げた。
「撤収する――! 書類、それ以外でも証拠となりえる物は全て押収しろ! 手が空いている者は、全員私に続け!!」
周囲が慌しく動き始めた。
「すぐに馬を用意させます」
アレクセイが頷き、玄関に足を向ける。
「城の空き部屋はみな施錠させてある。連れ込まれることはないと思うが……」
「あるとしたら庭園ですね。しかも今日は、騎士を相当数こちらに割いています。警備が手薄なのが気になります」
二人は用意された馬に飛び乗ると、十数人の騎士を従えて闇の中、脇目も振らずに城を目指した。
***
ずんっ――と、鈍い音が身体に響く。
「ぇ……?」
サファイアが恐る恐る目を開けると、ルイスの腕の中に守られていた。
「大丈夫か!? 怪我は!?」
「だ、大丈夫……何ともないわ……」
(でも、そうしたら今の鈍い響きは……)
腑に落ちないサファイアに、ホッとした様子のルイスの身体が、崩れるように圧し掛かってきた。
「ル、ルイス――!?」
ずるずると支えきれずに倒れていき、とうとうサファイアは彼の下敷きになってしまった。
「まさか……?」
サファイアは下敷きになったまま、ルイスの背中に両手を回す。広い背中を確かめるように探っていくと、ぬるりとした物が指先に触れた。
「!!」
青ざめたサファイアはルイスと目を合わせる。
「私を庇って刺されたのね……」
「大した傷ではない」
酷い傷である事は、手の平に触れる血の量で分かる。荒い息遣いに、心配をかけまいと微笑んだ顔は、痛みのせいか引きつっていた。
「無理をしないで…」
ガッ!!
「――っ!!」
無情にも、ブレンダンがルイスの腹を蹴り上げる。激痛で声を詰まらせるルイスを見て、サファイアがブレンダンを睨みつけた。
「何をするの!! やめなさい!!」
「全く……この王子様ときたら、自分が刺されても姫君を離さないとは……」
ブレンダンはまた腹を蹴り上げた。
「お前のせいで、逃げられねぇんだよ!!」
「やめてぇえ!!」
ガッ、ガッ、と尚も蹴りつけるブレンダンに、歯を食い縛って耐えるルイス。
「お願い、これ以上彼を傷つけないで!」
ブレンダンが動きを止め、サファイアを見下ろすと、右手を差し伸べてきた。
「サファイア様、そこから出てきて私と逃げてくれませんか? そうしたら王子はもう傷つけないと約束します。貴方が私の手を取ってくれたら、私とアロイスで王子を引き剥がすので」
「分かったわ」
サファイアは躊躇わずに、ルイスの身体の下から手を出そうとした。ぎゅっと隙間なくサファイアを抱き締め、ルイスは手を出せなくする。
「ルイス、離して――!」
「離さない」
「こいつ……」
ちっ、と舌打ちをして、ブレンダンはまた王子の横腹を蹴りつけた。
「蹴らないで! 私が説得をするから!!」
肩をすくめたブレンダンが、こそこそと逃げ出そうとしているアロイスに目を止めた。
「アロイス、どこへ行く?」
ビクッと肩を揺らして、アロイスが振り返る。
「付き合っていられないから、俺はこれで失礼をするよ」
「お前……遠くが騒がしいのが聞こえないのか? もう騎士が駆けつてくるだろうし、とっくに城門も閉まっている筈だ。サファイア姫を人質にして逃げるほか手はない」
「リーフシュタイン城は広い。探せばきっと、どこからか抜けられる。一人のほうが目立たないし、ブレンダンもそうしたほうがいい」
「俺は、サファイア姫を人質にとって逃げる」
アロイスが溜息をついた。
「ブレンダンはサファイア姫に執着してたものな。悪いけど、俺は先に逃げるよ」
「待て……ほら、約束していた例の大麻だ」
「おっ、律儀だな」
手を伸ばしてきたアロイスの胸を、ブレンダンは躊躇なくナイフで刺した。
「……え?」
状況を理解できないまま、アロイスが倒れていく。ブレンダンは冷ややかな目で倒れた彼を見下ろした。
「一人だけ逃げるなんて、そんな虫のいい話しが許されると思っているのか?」
胸を押さえて苦しむアロイスを靴先で突き、彼はサファイア達の元へ戻る。
「さあ、説得はして下さいましたか?」
「信じられない……! 友達なのでしょう?」
「あんな奴。ただの使いっ走りですよ」
「最低……」
ブレンダンはしゃがみ込むと、サファイアの顎を掴んだ。
「いいですねぇ、その瞳。ぞくぞくします。貴方を私の体の下で心ゆくまで喘がせてみたい」
「触るな!!」
ルイスがブレンダンの手を払い、サファイアの顔を胸の下に隠す。
「ふ~ん、妬けます…ねっ!」
ブレンダンは立ち上がりざまに、ルイスの刺し傷を踏みつけた。
「うぐっ……!」
「さあ、死にたくなかったら退いて下さい。また刺しますよ?」
サファイアがルイスに訴える。
「ルイスお願い、退いてちょうだい、このままだと貴方は死んでしまう……!」
「大丈夫だ。私は…死なないし……君を決して離さない。リリアーナ姫と約束を……したん…だ……」
声を出すのさえ苦しそうなルイスに、ブレンダンが意地の悪い笑みを浮かべる。
「しようがありませんね」
「やめて! お願い!!」
ナイフを突き立てようと、右手を振り上げるブレンダンの耳元で囁く声がした。
「死ね――」
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