黒の転生騎士

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第十二章

腕(かいな)の中のリリアーナ 77  リリアーナは噛んだ跡にくちづけながら、ひそやかに囁いた。

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 柔らかい手の感触を首筋に感じ、カイトは浅い眠りから覚めた。

「リリアーナ様……?」
「ごめんなさい、起こしてしまって……風邪をひくと思ったから」

 少し済まなそうな顔をして、リリアーナがカイトの顔を覗き込んでいる。
いつの間にか東屋のベンチでうたた寝をしてしまったようだ。リリアーナは両手に持ったストールを、カイトに掛けようと屈んでいるところであった。

「平気です。そんなやわにはできていません」

 背凭れに寄りかかっていた身体を起こすと、ぶつからないようにとリリアーナが身を引いた。バランスを崩して倒れそうになる彼女へ、すかさず両手を伸ばし腕の中に抱きとめる。

「大丈夫ですか……?」

 華奢で柔らかい身体をカイトに預け、恥かしそうにこくりと頷く。

「ありがとう……」

 リリアーナはカイトの胸に手を当てて、上体を起こそうとした。
 カイトはその動きを知りながらも、拘束する腕を緩めない。戸惑ったリリアーナは彼の胸に抱かれたまま、上目遣いで見上げてくる。
 瑞々しい唇をじっと見つめていると、それに気付いたリリアーナがうっすらと頬を染めて、小鳥のようにふるりと身を震わせた。 
 カイトは少しづつ腕の力を強めていき、リリアーナの身体を自分にぴたりと重ね合わせる。
 
「カイ…ト……」

 愛らしい唇から、掠れ出る自分の名前――それに答えるようにくちづけた。触れ合う程度に、そっと……いつくしみながら、リリアーナが怖がらないように。幾度も、幾度も…角度を変えて優しくくちづける。

「お願い…カイト……」
「ん……?」

 嫌なのかと顔を離すと、濡れた瞳でカイトを見つめ、甘やかな声で縋り付いてきた。

「もっと……深く……」
 
 必死に自分を抑えている時に、可愛い悪魔は欲情を刺激してくる。

「ぁっ、……カイ……っ」

 激しく唇を重ね、薄く開いた唇の間から舌を滑り込ませる。舌を絡ませてその甘さを味わい、足りないとばかりに咥内を貪った。ただ翻弄されていたリリアーナがカイトの首に細い手を絡ませ、積極的に応えてきた。彼の背筋を興奮が駆け上がる。  

 急にリリアーナがくちづけをやめ、心持ち顔を離してカイトを見つめた。

「ん……?」

 妖艶な笑みを口元に浮かべ、カイトの頬に唇を這わせ始める。カイトはリリアーナらしかぬ行為に戸惑い、身体の動きを止めて、訝しげに彼女を見た。リリアーナはそれには構わず、頬から耳元へ唇を這わせていった。違和感を感じカイトが彼女の名前を呼ぼうとした刹那、耳朶を噛まれる。

「――っ!」

 痛みに顔をしかめると、リリアーナは噛んだ跡にくちづけながら、ひそやかに囁いた。

「覗いて…会える…か……」
「リリアー……!」

 叫ぶと同時に跳ね起きた。宿舎私室のベッドの中――今は真夜中のようで、窓からは月明かりが差し込んでいる。

「夢……か……?」

(やけに生々しい夢だった……)

 まだリリアーナのぬくもりが、身体に残っているような気がする。口元を片手で覆い、何とはなしに部屋を見回すと、壁に掛けた木枠の鏡が目に留まった。

(覗いてと言っていたが――)

 ベッドから下り、鏡に近付き覗き込んでみる。そこには月の光に照らされた自分の姿が映っていた。カイトは溜息を吐いて自分の馬鹿さ加減に苦笑いをする。

「ばかばかしい、たかだか夢の中の出来事………、!?」
 鏡の中にあるものを認めて息を呑んだ。

 耳朶に紅く残った、それはリリアーナの噛み跡――

 
***


「カイト、どうしたの? 私の顔に何かついている?」
「いえ、何でもありません」

 昨夜の出来事が気になって、リリアーナの顔をまじまじと見つめてしまった。清楚なリリアーナが好きなのだが、あんな夢を見るなんて……実は深層心理で妖艶な彼女を求めているのだろうか――? 
 考えに耽っていると、指先が自分の左耳に触れていた。つい気になって、指がそこにいってしまう。
 耳朶にはまだうっすらと紅い跡が残っている。しかし訓練中に打ったものかもしれないし、はっきりと噛み跡とは言えないでいた。
  
「それでね、最近サファイア姉様が朝食の席に出てくるようになったの!」
「そのようですね」
 カイトは頭を切り替えてリリアーナの話しに関心を戻す。考えたところで、どうせ答えは出ないのだ。

 休日の午後に東屋のベンチでカイトは読書を、リリアーナはハンカチに刺繍をしているところであった。
 カイトは片手に持った本を、開いたページで逆さにして膝に置き、リリアーナの話しに耳を傾けている。リリアーナの刺繍を刺す手も、今は止まっていた。

「ルイス王子が嬉しそうに、自分の隣の席までエスコートをするの。それをツンと迷惑そうにしながらも、サファイア姉様は拒まないのよ!?」

 リリアーナは弾むような笑みを浮かべて話を続ける。

「頬も赤らめて、周りから見たら丸分かりなのに、姉様ったら、まだ意地を張っているの! もう観念すればいいのに」
「多分リリアーナ様を攫った事がまだ許せないのと……」
「許せないのと?」
「ラザファム先輩から話を聞いて感じたのですが、リリアーナ様に気を使っているところがあるかもしれませんね」
「え……許せないだけではなくて、私に気を使っているの?」
「無意識の、心の深いところで ”リリアーナを攫った相手なんかとどうにかなったら申し訳ない” という気持ちがあるのだと思います。リリアーナ様を大切に思っていらっしゃる方ですから」
「気付かなかった……ありがとうカイト。今度気にしないようにって話してみるわ」

 リリアーナは刺繍を刺す作業に戻った。

「これが最後の一刺し……できた……!」

 ハンカチを広げて出来栄えに少々顔を顰める。隠すように刺繍道具の陰に置いてから、カイトに顔を向けた。

「……カイトは何を読んでいるの?」

 カイトが本から顔を上げる。

「国の歴史本です。こちらに置いてあるのは近隣諸国との外交や交易について詳しく書かれた書物で、古い時代の物と最近の物。これはそれらに対しての考察や見解が書かれていて、こちらは戦争による領土拡大…」
「ありがとう、もういいわ。私には難しすぎる……」

 リリアーナが積み上げられた本を見渡した。

「面白い……?」

 力が抜けたようにこてんと机に頭をのせて、カイトを見上げてくる。

「面白いですよ。歴史と照らし合わせて読むと、国の動きが把握できて」
「12歳でこんな本を読むなんて信じられない」
「転生者だからかもしれませんね」

 微笑んだカイトが刺繍道具の陰に手を伸ばした。

「できたんですね。見せて下さい――」
「あっ、駄目!」

 カイトが手に取ったハンカチを取り返そうと手を伸ばす。

「いいじゃないですか。とても上手ですよ」

 小枝にシジュウカラがとまっているモチーフで、刺繍に自信がないリリアーナは、練習用として刺したのだ。

「返して!」

 カイトは立ち上がり右手を高々と上げ、取り上げられないようにして刺繍を見ている。
リリアーナも続けて立ち上がり、カイトの肩に手を掛けて、悔しそうに届かない片手を思い切り伸ばした。

「もう! また背が伸びたのね!」

 ふと……互いの顔が触れ合うほどに近く、身体も密着している事に気付く。しばし見つめ合った後に…… 

「か、返さなくても……見てもいい……」

 離れようとしたリリアーナの身体は、腰を掴まれ引き戻された。強い腕に抱きすくめられ、リリアーナは身を震わせる。カイトの指先が頬に触れて、顔の輪郭を指先で辿り、顎を柔らかくとらえた。

「カイ…ト……」
「まだ怖い?」

 ふるふると首を横に振るリリアーナに、そっと顔を近づける。リリアーナが瞼を閉じ、カイトは優しく唇を重ね合わせた。一度は離れたが、また角度を変えてくちづける。

 何度も…何度も……ただ触れるだけの優しいくちづけ……

 後ろ髪を引かれる思いで唇を離し、カイトはリリアーナをじっと見つめる。リリアーナが深い眠りから覚めるように、ゆっくりと目を開いた。
 彼は暫くの間、腕の中のリリアーナをただ見つめていた。

「……リリアーナ様、いま…幸せですか?」

 唐突な問いに少し驚いたリリアーナが、束の間、眼を瞬かせた後に微笑んで答える。

「幸せよ」

 その笑顔を見て、カイトは唇を噛んで横を向いた。 

「……どうしたの?」
「いえ、何でもあり……」

 びゅっ、と風が吹いてきてハンカチを宙に舞い上げる。

「取ってきます――」
「えっ? いいわ、練習に刺した物だから放っておいて、カイト!」

 カイトはリリアーナの声を聞き流して、東屋を飛び出した。ハンカチは空高く舞い上がり、森のほうへと落ちていく。それを目で追いながら、カイトも森へと入っていった。

 所々に木漏れ日が差し、小鳥が飛び交う美しい森。カイトは周囲を見渡して、大樹の根元に落ちているハンカチを見つけた。
 傍に行って拾い上げると、無垢の白さを持つそれは、まるでリリアーナのように見える。

 気付いた時にはハンカチを……手の中で握りつぶしていた。

「くそっ!!」

 大樹を拳で思い切り叩く。鈍い音が森に響き渡り、揺れた枝々からは小鳥が一斉に飛び立った。

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