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48 ダニエルは無言で顔を背けた

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 目を開いたダニエルが無言で顔を背けた。

「……ダニエル?」

 彼は耳を赤くして、口も引き結んでいる。


*** 


 ”キスしてくれ”と言ったら、狼狽えて、”無理です!”と言われるだろうと考えていた。

 それが柔らかな手に、頬を包まれて……。

 目元に触れた瑞々しい唇に、今まで消極的だったエリカからのキスに、驚きと共に喜びが湧き上がった。

 抱き締めそうになるのをぐっと堪える。

 いま抱き締めたら、馬車から出られなくなってしまうだろう。

 気を紛らわせるために、わざと大きく溜息を吐き、『唇でなくて残念だ』と言おうとした刹那――

 唇にくちづけられた……

 にわかには信じ難く、身体が固まった。

 我に返り、今度は自分を抑えるために、また必死で身体を固まらせる。
 
 少しでも気を抜いたら、馬車の中であろうが、外に人がいようが、座席に華奢な身体を押し付けて、そして………。

 ふっくらした唇が離れ、名残惜しく感じながらもホッとして顔を背ける。

 赤くなってしまった顔をエリカに見られたくなかったからだ。

 熱が引いてから、ゆっくりとエリカを見上げた。

 てっきり彼女も真っ赤な顔をしているだろうと思っていたのに、エリカは辛そうな顔をしていた――。

 瞬く間にその表情は消え去り、温かい笑みに変わったが。

「エリカ、」

 その表情について問い質そうとした時に邪魔が入った。


***


「ダニエル様。エリカ様は大丈夫ですか? 医師を連れて参りました!」

「医師?」 

 扉を開けると、馬車の外では年若い騎士が、青年医師と待ち構えていた。

「エリカ様の具合が悪いとお聞きしたので、ひとっ走りして連れてきました! 若いけど腕がたちます!」

 フォルカーの手を借りて馬車から降りたエリカは、フォルカーとダニエルの間に流れる不穏な空気に気づく。

 エリカは気遣わしげに二人に注意を向けつつ、医師の簡単な診察を受けた。

 医師は彼女の脈を測り、いくつか質問をすると、”よく眠れていないようですね”と処方薬を出してくれた。

 エリカを心配したフォルカーが、ダニエルに進言する。

「今日はもう、お帰りになったほうがよろしいのではないでしょうか」

 ”眠れてない”という医師の言葉もあるし、ダニエルもフォルカーの意見に賛成であったが、エリカは首を振った。

「大丈夫です。下水道の整備については以前から気になっていたので、ぜひ同行させてください」

「これから回るところは不衛生な場所です。窓からゴミを捨てるのも日常茶飯事に行われていて…」

 ダニエルが右手を出してフォルカーを制する。

「エリカ、フォルカーの言った通りだ。これから行く場所は死んだ猫や犬の死骸も普通に転がっている。はっきり言うが、そんな場所で君が倒れたら足手まといになるだけだ」

「大丈夫です。絶対に倒れたりなどいたしません」

(そういう場所こそ前世の知識のある自分が、行かないと)

 エリカは確固たる意志を持った目で、ダニエルを見つめた。

「――分かった。君を信じよう」

 先ほどの年若い騎士に道案内させて、下町を見て回った。

 フォルカーの言葉に間違いはなく、酷い匂いや光景に吐き気を催す。

 実際に貴族階級出身の騎士などは、見慣れない物や匂いに耐えられずに道端で吐いていた。
 
 エリカは下水道だけではなく、上水道の整備についても力説する。
 
 下水道を引くのも重要ではあるが、チフスやコレラを防ぐには、綺麗な水が常に手に入る環境が大切なのだ。

 同行した青年医師は尊敬の念でエリカを見ながら、激しく同意する。

 エリカに心酔したようで、その後もやたら彼女と話したがり、独占して話していた。

 ダニエルは町長と話しながら、”面白くない光景”に、引き剥がして追い払おうかと考える。

 しかし横でフォルカーが敵陣に攻め込むような形相で、医師を睨みつけている事にふと気づいた。

 フォルカーの殺気を感じたのか、青ざめた医師は話を早々に終わらせて遥か後方に下がる。

 見ていたダニエルがこの時ばかりはフォルカーに感謝して、笑いをグッと堪えた。

 
 
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