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第二章

32 息子が一番手強い #

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「こんな訓練場があるなんて、この城の中はちょっとした要塞だな」
「ああ、篭城ろうじょうもできるようになっている……今回はそちらの動きが早すぎて、準備もできなかったが……それにしても早かったな。どうやって移動したんだ?」
「とても腕のいい乗組員つきの小型帆船をチャーターしたんだ。興味があるなら今度紹介をする」
「それはぜひ頼みたい」

 グリフィスはロングソードを肩に担ぎ上げた。

「さて、一戦交えようか――」

 両者とも剣を立てて右顔の高さで掲げ、構える。

「始め!」

 号令と共に、アレクサンダーが先手必勝! とばかりに飛び込んできて勢い良く切りつけた。グリフィスはその勢いを殺すため、前方に踏み出しながら、斜めに切り下げ剣を交える。
 交わった剣の押し合いになり、交わらせたまま刃を滑らせて、アレクサンダーは切っ先をグリフィスの喉に突き入れた。
 咄嗟に彼は間合いを取り、その交わりから剣を外す。瞬時に刃先を相手の剣の反対側に移すと、彼の剣を音高く弾き、左足を踏み出しながら頭に向かって振り下ろした。
 周りが息を止めたのと、刃先をぎりぎりで止めたのが同時であった。

 アレクサンダーが長い諦めの息と共に言葉を吐く。

「負けを認めるよ」
「ああ、これで少しは溜飲が下がる」
「俺は下がらないがな」

 グリフィスが片眉を上げる。

「そうか? 勝つチャンスを与えられたのだから、無血開城だけで終わるよりも良くはないか?」
「確かにそうだが……本当に頭のいい奴だな」

「何が『頭のいい奴』なの?」

 クリスが傍にいたダリウスに聞いた。

「今回のこの件は、傭兵たちの口から広く知れ渡る事になるでしょう。『無血開城を行ったのに、略奪を行わなかった希代の指導者』と」
「でも、略奪をしない代わりにクロノスが報奨金を支払うんでしょう?」

「そんなこと、傭兵達には関係ありません。給料が尻すぼみになっているところに、グリフィス王子のお陰で、戦ってもいないのに金が手に入ります。おまけに、ロングソードでの一騎打ちにも彼は勝利しました。`あのクロノスのアレクサンダーが、開城した挙句、剣でも勝てなかった ‘ と、あっという間に他国まで噂は広がるでしょう。そしてその噂とこの事実によって、アクエリオスはクロノスに対してこれから優位に立てる訳です。戦争に勝利したのと同じ事なのですから。クロノスだけではありません他国もアクエリオス国に一目を置くようになるでしょう」

「何か……凄いのね……」
「本当はクリス様を攫われて、アレクサンダーの首を刎ねたいほどのお気持ちだと思います。しかし今回はクリス様を早らかに取り戻すのが目的でした。グリフィス様にとっては、涙を呑んで、敢えての作戦なのでしょう」
「そう? この作戦のほうが、アレクサンダーには痛手のような……」


「ところで、大司教を見つけて保護しているのだが、もう必要ないだろう? 連れて行ってもいいか?」
「構わない。早速式を挙げるのか?」
「お前みたいな奴が手出しできないようにな……ついでに、ここの教会を借りてもいいか? 用意をしていたんだろう?」
「駄目にきまっているじゃないか! デリカシーの無い奴め」
「しようがない。国に帰ってからにするよ」

 グリフィスが折れて、クリスが驚きで目を丸くした。

「婚約の発表が三ヵ月後でしょう!?」
「この期に及んでまだそんな事を言っているのか?」
「だって、約束だったじゃない! それに結婚前に私は色々としたい事があるの!」
「何を……?」

 クリスは周りの人間を見て、言いにくそうにグリフィスを端に連れて行くと、耳打ちをした。

「何だ、それなら俺が教える」

 真っ赤になったクリスは食い下がる。

「式には家族も出たがるわ!」
「大丈夫。盛大な結婚式はやり直しをすればいい。その時は結婚証明書を形だけの物にする」

 アレクサンダーと、グリフィスは似たもの同士だとダリウスは思う。

「それに、もう許可を得た」
「まさか、結婚の?」 
「それだけじゃなくて、君の父上がまだ隠居は早いから、あと二年はアクエリオスに居てもいいと仰ってくれた。勿論、君もだ」
「ええ――!?」
「君の妹さん達には遊びに来てもらえばいいし、これで万事解決だ」
「じゃあ、私は今回帰国できないの……?」
「当然だ」
「そんな……楽しみにしていたのに」

 クリスの哀しそうな表情にグリフィスの心は一瞬揺らいだ。しかし、ここで折れては、と踏みとどまる。

「俺に時間ができたら、一緒に帰ろう。しかし、何で攫われることになったんだ? 無防備過ぎるんじゃないか? 後でじっくりその辺の事情を聞かせてもらう」
「確かに彼女は無防備かもな。自分が狙われているとは思ってもいないから、まあ、今回で学んだんじゃないのか?」
「アレクサンダー、お前が言うな」
「呼び捨てか?」

 アレクサンダーは面白そうな顔をする。

「そういえば、彼女の身体は戻りつつあるぞ、腹が立つ事に俺を拒否してだがな。しかし唇は柔らかったし、問題なくその身体も美しかった――」

 途端にその場の空気が一変して凍りついた。グリフィスは彼がふたなりの事を指しているのを理解できる。しかし、それをどうやって確かめた? 美しいだと――?

「お前……!! クリスに一体何をした!!」

 クリスとデイヴィッドが慌ててグリフィスを押さえつける。

「触られただけで、何もなかったわ!!」
「どこだ?」
「え……?」
「どこを触られた?」
「……そんな事、言えない……」
「………言えないところなのか!!」

 今ではデイヴィッドとダリウスとアーネストの三人がかりでグリフィスを止めている。

「放せ!! さっき、あのままぶった斬ってやれば良かった!!」
「アレクサンダー様、いい加減にして下さい……!!」

 ダリウスが注意をすると、アレクサンダーがニヤリとした。

「悪かった。剣で負けた上に結婚式当日に花嫁を連れ去られるんだ。ちょっと愚痴が言いたかったんだよ」

 まだ怒り狂っているグリフィスをデイヴィッドに言われてクリスが宥めにかかる。

「グリフィス、アクエリオスに帰りましょう。ね?」

 デイヴィッドに言われた通り、その胸に身を寄せて下から上目遣いで見上げる。クリスは気付いていなかったが、頬を染め唇を開いて賢明に宥めようとしているその表情は、可愛らしい上にキスを強請っているようにみえた。
 彼の怒りは直ちに治まった……が、別の欲求に駆られてしまい痛いほどに抱き締められ、また唇を貪られることになる。

『見せつけないでとっとと帰ってくれ』と訓練場から追い立てられ、庭園へと進む途中でヘルマンに声を掛けられた。 

「クリス様――」
「ヘルマン……!」

 嬉しくて、ついその胸に飛び込むと、ヘルマンに肩を掴まれお願いをされた。

「クリス様、身の危険を感じるので離れて下さい」

 その視線を追って振り返ると、グリフィスとアレクサンダーが不機嫌な顔つきで彼を睨みつけている。
 クリスは小さく溜息をついて身を離した。

「牢屋から出られたの?」
「はい。先輩が出してくれようとしたところに、ヘルガやおばちゃん達がなだれ込んできて、いつの間にか外に出されていました。クリス様のお相手でなかった事も分かっていて、やたら同情もされました」

 クリスがくすくす笑うとヘルマンが目の前に、ある物を差し出した。

「これは……あの時流されてしまったのに」

 それは、紫水晶のネックレスで、アレクサンダーが排水溝に投げ捨てた物だ。

「受け取って下さい」
「でも――」
「先輩が、俺達が逃げるための資金源になると、拾ってくれていたのです。でも俺にはもう必要がないから」

 クリスはそのネックレスを見つめていたが、首を振ってヘルマンの手を押し返した。

「その先輩達とついている宝石を分けて頂戴。私も必要がないから」

 クリスはアレクサンダーに了承を得る。

「いいかしら……?」
「構わない。どうせ捨てたものだ」
「ヘルマンを、また牢屋に戻さない?」
「ああ。寧ろ彼の正直なところや、その人間性が気に入った。近く側近の一人に取り立てるつもりだ」
「良かった……!」

 クリスがヘルマンの両手を握ろうとしたところで、グイッと後ろに引き戻された。いつの間にか腰にグリフィスの腕が回っている。
 
「他の男とあまりくっつくな」
「グリフィス、手を握ろうとしただけよ……」
「それだけ、嫉妬深いと次のあれは苦労するぞ」
 
 アレクサンダーの言葉に`え……?‘と二人が顔を上げると、ジェラルドが走ってくるところだった。

「ジェラルド!!」

 気付いた時にはグリフィスの腕の中はからっぽで、破顔した彼女がジェラルドを抱き上げるところだった。

「俺の息子が一番手強い」

 確かに今まで見た事がないほどのいい笑顔で、ほっぺたを擦り合わせている。

「クリス、行っちゃうの……?」

 悲しそうに上目遣いで見つめられ、クリスの胸はひりひりと痛んだ。思わずグリフィスを見返すと

「駄目だから。もう出発しないといけないし、人様の子供を連れて行く事もできないから」

 しゅんとしながらクリスが答える。

「ごめんなさい。もう行かないといけないの」
「僕、クリスのところに遊びに行ってもいい……?」
「もちろんよ! 当たり前じゃない、大歓迎するわ!」

 息子が嬉しそうに抱きつくのを見てアレクサンダーが言った。

「俺も行くから」
「何でお前がくるんだ!! 息子オンリーだからな!」
「とうとうお前呼ばわりか」
「前言撤回して何もかも略奪してやろうか」

 二人の宰相とデイヴィッドは思った。この二人、結構気が合っていると――

 ギュッとジェラルドを抱き締めて、渋るクリスをジェラルドから引き剥がし、グリフィス達はやっとの思いで帰路についたのであった。
 



お読み頂きありがとうございます。#マークですが、R抜きで読もうのムーンライトと内容が違う回についてます。こちらだけ読んでも問題ない内容なので、興味のない方はスルーして下さい。(可愛くて純真なジェラルド君が好きな人は、ムーンは読まないほうがいいです)
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