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第二章

28話 執着と誤解 #

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 翌日は朝から忙しく、ウエディングドレスはもう用意をされていて、細部のサイズを合わせるだけになっていた。
 
 いつから用意をされていたのだろう……

 漠然とそうは思ったが、何の感情も湧いてこない。どう転んでも明日には結婚式を挙げるのだ。考えたところで、もう逃げ道は塞がれている。
 クリスは感情を失ってしまったように、淡々と言われるまま目の前に差し出された用件をこなしていった。

 
「大司教は予定通り着きそうか?」
「はい、明日の早朝には到着しそうです。しかし……ヘルマンと会っていた事が吉と出ましたね」
「ああ、腹立たしくはあるがな」
「良かったではないですか。今回の件がなかったらクリス様はきっと神の御前みまえでの宣誓を拒んだに違いありません」
「彼に感謝すべきか――」
「そうですね。ただ心配事が二つ……」
「何だ?」
「まず、ヘルマプロディトスのレネ国王には何と申し開きをするおつもりですか? 前代未聞ですぞ、娘の結婚式に出席できない国王だなんて……親としても勿論出席したいでしょうし、お怒りになりそうですが」
「何なら、式のやり直しをしてもいい。やり直しの時は結婚証明書を形だけの物にする。レネ国王もあまり騒いだら、却って娘の名前に傷がつくことくらいは分かるだろう」
「ふむ……。次にクリス様のお身体ですが、もしアレクサンダー様を拒絶して男性化……もしくはふたなりに戻ってしまったらどうなさるおつもりですか? もう少し様子をみてからのほうが、本当はいいのでは……」
「いや、躊躇していたら、グリフィスに奪い返されるかもしれないし、ヘルマンのような輩も出てくるだろう。ふたなりでも、男性化しても俺はクリスを受け入れる。跡継ぎはいるし、困ることもない」

 アレクサンダーは口元だけで薄く笑った。
                                                 
「それに、どの性別に変化しても、クリスとだったら楽しめそうだ。朝も昼も……それこそ抱き潰して、俺以外は欲しがらない身体にしてしまえばいい」                                 

 ダリウスが驚きで言葉を失っていると、アレクサンダーが安心させるように表情を和らげた。

「悪かったな驚かせて、自分でも驚いているんだ。多分彼女を手に入れない限り、この飢えは満たされないのだろう。手中に収めたら、もう誰にも触れさせはしない」

 アレクサンダーの異常なクリスへの執着に、ダリウスはごくりと喉を鳴らした。彼女の何が彼をここまで掻き立てるのか……



 クリスがクロノスのしきたりや式の進め方を、指南役の女性から指導を受けていると、部屋の入り口でジェラルドがこちらを見てもじもじしているのが目に入った。明らかに気付いて欲しいと、目で訴えているのが分かる。

「どうしたの? ジェラルド、いらっしゃい」

 クリスが不思議に思い手招きをすると、キョロキョロと辺りを見渡してから、やっと聞き取れそうな小さな声が返ってきた。

「今日はね、クリスは忙しいから邪魔をしたら駄目だって、エリーゼが」

 クスッと笑うと女性に休憩にする旨を伝え、クリスはジェラルドに向かって両手を広げた。

「いらっしゃい」

 途端に笑顔になって、ソファに座っていたクリスの腕の中に飛び込んできた。

「クリス、明日は結婚式だね」
「そうね」

 ジェラルドはクリスの膝の上に頭を乗せる。

「僕ね、クリスがお母さんになってくれて嬉しいんだ。とっても――」
「私もジェラルドのお母さんになれて嬉しいわ」

 これはクリスの本音である。ジェラルドは身体を起こしてクリスを見上げた。

「ほんとに?」
「ええ、本当よ」

 ジェラルドは父であるアレクサンダーが、婚約者がいるクリスを攫い、記憶を失った彼女を偽り、結婚しようとしている事を知っている。
 大好きなクリス……! できれば父と結婚をしてずっと傍にいて欲しい。しかし、今のクリスはとても哀しそうに見える。笑ってはいても、とても哀しそうに……

 船の上では、あんなに幸せそうだったのに――

「クリス、幸せ……?」
「ええ、幸せよ」

 クリスが微笑むと、ポタッとジェラルドの頬に何かが落ちてきた。
 彼が自分の頬に手を当てる。

「泣いているの……クリス?」
「え……泣いてなんかいないわ……よ…」

 しかしそれは雨のように……ジェラルドの上に降り注いだ。
 クリスは慌てて手の甲で涙を押さえ、濡れたジェラルドをハンカチで拭う。

「哀しいの?」
「………」

 涙が出ている事に気付かなかった――
 
 クリスは息を吸って顔を上げる。

 ジェラルドの前で泣いてはいけない、心優しいこの幼子おさなごに心配をかけてしまう。

 クリスが無理に笑みを浮かべようとした時に、彼が膝の上に乗ってきて彼女の頭を優しく撫でた。何も言わずにただ優しく……

「あ……」

 押し殺していた感情が堰を切って溢れ出す。
 彼女はジェラルドの小さな身体を抱き締めると、肩を震わせて泣き始めた。
 
「クリス、僕……」

 その静寂を破るように扉にノックの音がする。ジェラルドが振り返るのと同時に、エリーゼが顔を覗かせた。

「ジェラルド様がこちらにいらっしゃいませんでしたか?」
「僕、ここだよ!!」

 ジェラルドは必要以上に大きな声で、エリーゼに返事をすると扉まで駆けていく。

「やはりこちらにいらしたんですね。今日クリス様はお忙しいから邪魔をしないようにとお伝えしたではありませんか」
「僕、邪魔してないよ! 少しお話をしてただけ、ねえ、ほら、もう行こう!」

 ジェラルドがエリーゼの気を引いてくれている間に、泣いているところを気取られないよう、クリスは涙をぬぐいエリーゼに顔を向けた。

「構わないわ、丁度一休みしているところだったの」
「それならよろしいのですが……」

 まだぶつぶつ言っているエリーゼを追い立てて、ジェラルドは出て行った。
 自分を庇ってくれた優しいジェラルド。彼の母親になれるのだから、思ったほどにはこの結婚も悪くはないのかもしれない――

 たった二日で結婚式を挙げる準備をしなければならず、城の中は上を下への大騒ぎになっていた。
 もう夜中であるというのに、クリスもまだ寝る事ができずに、メラニーが持ってきた夜食を摘んでいる。

 メラニーは実はずっと後悔をしていた。自分は優しくて愛情深いクリスの事が大好きである。
 お世話をした日にちはまだ浅いが、ぜひクロノスの王妃となって頂き、いつまでもお仕えしたい気持ちで一杯であった。
 しかしアレクサンダーがクリスを抱こうとしていた事を、黙っているのは辛かった。クリスは実際には無い催し事に途中から疑問を抱いていたし、彼女の想い人は国王陛下だと思っていたが、どうも違うようなのだ。
 
 寝る準備を始めたクリスの髪を梳いている時に、鏡の中のメラニーに向かってクリスが話しかけた。

「貴方が気に病むことはないのよ、メラニー」
「クリス様……」

 鏡の中の彼女の顔がくしゃっとなる。メラニーはその場でしゃがみ込むと泣き始めた。

「申し訳ありません! 私、クリス様のお相手は陛下だと思っていたのです! 記憶が戻れば、万事きっと上手く行くと……!」
「多分、皆そう思っているわね」
「でも、違うんですね……クリス様は無理やり攫われてきて、途中で記憶を失って……そしてこの地で真実の愛をみつけられたのですね……!」
「え……?」
「女性の使用人達は皆知っています! ランドリーメイドのヘルガが、洗濯物を干す為に裏庭を通った時、クリス様を見かけて」
「ええ」
「不思議に思って後をつけたらヘルマンがいて、二人が人目を忍んで会っていたと……」
「………」
「木立に囲まれた中、暖かい日の光が降り注ぎ、見つめ合ってただ話をする二人、ヘルマンはいつもその手の甲にくちづけるだけ……! 抱き締めたいのにそれ以上の関係に進まないよう、グッと耐えて切なげな表情で見送る毎日……。そう、相手は国王陛下の婚約者、お慕いしてはいけない相手、お互いにプラトニックな関係を貫くなんて……何てロマンチック!」
「……間違いがあるように思うのだけど……」

 メラニーは興奮状態で語り部のように話し続ける。

「でも、その幸せな日々も遂に終わりがきてしまう! クリス様は陛下に貞操を奪われそうになり、すんでのところで回避はしたが、心身ともにボロボロになり、遂にヘルマンの胸の中に飛び込んで……!」

 クリスは紅くなった。

「私がアレクサンダーに抱かれていない事を何で知っているの……?」
「あ……すいません!」

 メラニーも赤くなって下を向いた。

「陛下が私と入れ違いで部屋に入った少し後に、顔色を変えて出ていらして――その後は結局ご自分の部屋の寝室をお使いになったから」
「無理に連れてこられたと思うのは何故?」
「一度、陛下とダリウス様が言い争っているのを聞いた事があるんです。ダリウス様が『本当は婚約などしていないのに!』と仰っていて、その時は`駆け落ちの最中にいきなり婚約はできないからしようがない ‘ って、深くその意味を考えなかったんですけど……」

 メラニーはクリスに向き直る。 

「普段のクリス様のご様子を窺っていると、陛下に対して警戒……ううん、恐れていらっしゃるように見えて、記憶を失っているにしても、かつて愛していたようにはどうしても思えないんです。それでダリウス様の言葉を反芻して、攫われたんではないかと考えました」

 今までは漠然としていたが、メラニーに言われて確信を得た。やはり、自分は攫われたのだ。そうではないかという思いを抱きながらも、王女である自分に一国の王がそんな真似をするだろうか、下手したら国際問題なのに……と、その考えを否定してきた。

 そこまで考えたところで、クリスはメラニーとの会話に注意を戻した。

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