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第二章

27話 流れた紫水晶

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「未来の王妃に手を出した覚悟はできているんだろうな?」

 アレクサンダーは尋常ならぬ怒気を孕み、危険を察知したヘルマンが後ろ手にクリスを庇った。大人しく庇われているクリスの様子もまたアレクサンダーをイラつかせる。

「クリス、こっちに来るんだ!」
「行ったら彼に何もしない……?」
「国王の婚約者に手を出して、何もない訳がないだろう!」

 クリスがヘルマンの背後から一歩出ると毅然とした態度で口を開いた。

「私達は何も後ろめたい事はしていないわ」
「ほう――さっき抱き合って、逃げる算段もしていたのに後ろめたくはないのか? 婚約者殿」
「あ、あれは……ヘルマンが私が泣いていたから同情をしてくれたの。それに彼は奥さん……」
「奥さんがどうした?」
「ううん、それは間違いだったけど……とにかく彼は、私を慰めていただけ。会っていたのは私が彼に頼んだから`貴方を見ていると、私が知っている人を思い出せそうだから、会ってもらえないか ‘ って、彼はそれに付き合ってくれただけ」
「君はそうでも彼は違ったのでは?」

 アレクサンダーがヘルマンに視線を移すと、彼はその視線を正面から受け止めた。
 
「私は、ずっとクリス様をお慕いしておりました」

 クリスが息を呑むと、ヘルマンは彼女に向き直った。

「私は毎日貴方に会いたいが為に`貴方を見ると思い出しそうだ ‘ と言うその言葉を利用していたのです」
「嘘よ! だってお願いしたのは私だもの! 貴方は優しさから承諾してくれたんだわ。そうでしょう?」

 自分の右腕を掴むクリスをヘルマンは辛そうな表情で見下ろした。

「優しさからではありません。私は寧ろ転がり込んできた幸運に感謝をしていました」
「ヘルマン……」
「正直なところが気に入った。俺が直に切り捨ててやる」

 アレクサンダーが腰に佩いた剣に手を掛けると、クリスがヘルマンの前に立ちはだかった。

「駄目よ! 彼を殺させない!!」
「そこをどけクリス……!」
「いやよ! 切るなら私を切り捨てればいいわ!」
「まさかそいつに気があるのか?」
「私の為に人が殺されるのが嫌なだけよ!!」
「クリス様、危ないので後ろに下がっていて下さい!」

 ヘルマンが前に出ると、今度はまたクリスが前に出る。アレクサンダーが手を伸ばしてクリスを捕まえると、手元に引き寄せた。

「いやっ――放して!」

 暴れるクリスを易々と押さえ込む。

「彼を殺したら、貴方と結婚をしない! 絶対にしない!!」

 アレクサンダーは嘆息したが、やがて何かを思いついたように酷薄な笑みを浮かべた。

「彼を助けてやってもいい――」
「え……?」
「その代わりに俺と結婚するんだ。準備が出来次第すぐに」

 クリスは一瞬言葉を失う。
 
「……そんな、準備が出来次第だなんて……」
「いやなら彼はここで切り捨てる」
「結婚を受け入れたらヘルマンを助けてくれる……?」
「ああ、だが結婚式までは牢屋に入ってもらう。式の後に解放だ」


「クリス様、私のことは構わないで下さい! 元々覚悟はできております!!」
「いいわ、貴方と結婚をする」
「クリス様、おやめ下さい!!」

 クリスは囚われた腕の中でアレクサンダーを見上げる。

「貴方はいいの……? 私は貴方を愛せないのよ、記憶も……戻ったらどうするの?」 

 彼は両手で彼女の頭を捉えると、自分の胸に押し当てた。

「愛させてみせる。他の男には渡さない、絶対にだ……!」

 
「分かったわ――」
「クリス様!!」

 クリスはヘルマンに視線を向ける。

「これは私が決めたことなの。貴方は気にしないで」 
「………」

 恋い慕っていたクリスを窮地に陥れてしまい、ヘルマンは自責の念に駆られた。絶望から視線を下に落とし、右手にネックレスを持ったままだった事を思い出す。

「これをお返ししたいのですが……」

 ヘルマンが近付いてクリスにそれを差し出すと、横からアレクサンダーが掴み取り、排水溝に投げ捨てた。

「――っ!!」
「何を……!」

 ヘルマンが息を呑み続いてクリスが声を上げる。ネックレスはあっという間に流されて、地下の水路へと吸い込まれていった。

「『何を』じゃない、当然だ。他の男が触れた物など、決して君の身につけさせない・・・決してだ――誰か! この男を地下牢へ連れて行け!」

 それまで遠巻きにしていた騎士達が、ヘルマンを拘束して連れて行く。

「クリス様! お止め下さい、クリス様ーーー!!」
 
 アレクサンダーはクリスの顔にかかっていた髪の毛を、愛おしそうに後ろへと払う。顎に手を添えて身を屈め、唇が触れそうなほどに顔を近づけた。

「これで君は俺の物になる――」
 
 人形のように無表情なクリスに、アレクサンダーはくちづけた。
 


「おい、あったぞ! 紫水晶のネックレス!」
「あったか……! 良かった……川に流れ出てしまう前に見つけられて」
「しかし、こんな高価な物を躊躇なく捨てる辺りが俺達と感覚が違うよな」
「結婚式はいつになったんだ?」
「明後日だ」
「明後日!? 早過ぎやしないか!?」
「大司教様が到着次第、城の敷地内の教会で式を挙げるらしい」
「アレクサンダー様、やけに急いでないか?」
「国中の兵士や騎士にも招集をかけているし、クリス様と何か関係があるのかも」
「う~ん、確かに……とにかくその前にどうにかしてやらないと」
「ああ、そうだな――」 

 


「デイヴィッド、大型船の手配は済んでいるか? 三隻は必要だ。それでピストン輸送をする」
「ああ、アクエリオスを出る前に済ませた」
「用意ができた者から乗船させてすぐに出航をする」
「いくら傭兵国家の兵士達だからと言って、そんな早く用意して乗船できるか?」
「金で釣れ」
「へ?」
「これは時間との勝負だ。早くに目的地に着いた者、後は指示に従って結果を出した者にも褒章金を出す」
「それはちょっと変わっているな。普通は戦いで手柄を立てた者に出すものだが……まあ、今回のケースだとそうなるか、って、そんな金どこから出すんだよ!」
「上手くいったらあてがある」
「上手くいかなかったら?」
「その事は考えないでいる」
「マジかよ!」
「クリス様奪還の為ですよね? 我が国が費用を持てると思いますが」
「ありがとう、アーネスト。でもそれには及ばない」
「先程の取引と同じで、この費用も何かお考えがあるのですか?」
「ああ、だが今も言った通り、上手くいくかは……いや、上手くいかせてみせる!」

 三人の男達は結束し、馬に跨ると港までの道を急いだ。


 
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