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第二章
17話 引っ掛かり
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「私があなたの婚約者……?」
クリスは驚きを含んだ表情でアレクサンダーを見つめ返した。
「ああ。正式ではないが……しかし、頭を強く打ってまだ目覚めたばかりだ。話が長くなるし説明は明日にしたほうがいい」
「そうね……すごく頭が重いの……そうさせて頂くわ」
クリスが横になりやすいようにアレクサンダーが手を添える。横たわった途端にその瞼は閉じられて、吸い込まれるように眠ってしまった。
「婚約者ですか……」
「ダリウス、いたのか――」
「はい、入室の許可を得てはいませんでしたが、成り行きを把握しておいたほうがよいかと思いまして」
「・・・もう後戻りはできない。俺は、クリスを妻に・・・名実共に自分のものにする」
「記憶が戻った時は、どうなさるのですか? もしかしたら一生恨まれるかもしれません」
「他の男の物になるぐらいなら恨まれても構わない。例え嫌われても一生傍に置いておく……!!」
「アレクサンダー様……」
(アレクサンダー様のクリス様への入れ込みようは、尋常ではない……フローラ様を失った時の悲しみも相当ではあったが、これ程までに想いを寄せていただろうか……)
アレクサンダーの深すぎる愛に、ダリウスは不吉な予感を禁じ得なかった。
夕方からは雲行きが怪しくなり、ダリウスのその予感を煽るように、一晩中嵐のような風と雨が吹き荒れた――
誰かが指先に触れている……
翌朝は昨夜の嵐が嘘のような快晴で、部屋の中が光で溢れていた。クリスが瞼を開けて自分の指先を窺い見ると、幼い男の子が掛布から出たクリスの指先をつんつんと突っついている。
顔を少し起して眺めると、腰から上をベッドにのせ、右手を懸命に伸ばしていた。
「起きた……?」
男の子が嬉しそうに首を傾げる。
「ええ、起きたわ……おはよう」
「おはよう、クリス」
男の子に呼ばれてふと腑に落ちた。そうだ、自分はクリスという名前であったのだ。その他の事はまるでなかかったかのように思い出せないが、この可愛い子にそう呼ばれたのは覚えている。
「貴方は私を知っているのね……?」
「うん、クリス。僕はジェラルドだよ、ねぇ、僕のことを覚えている?」
「ええ、何となくだけど……あなたに・・・ジェラルドに`クリス ‘ と呼ばれたのを覚えているわ」
「本当に!? お父様聞いた!? クリスが僕の事を覚えていたよ!」
「え……?」
ジェラルドが顔を向けた方向を目で追うと、影になった場所からアレクサンダーが現れた。昨日の夜は気付かなかったががっしりとした体躯に、身に備わっている堂々とした威厳、誰が見ても人の上に立つ人物である事が見て取れた。
「俺の事は覚えているか……?」
「ええ……昨夜、婚約者だと伺ったわ……ごめんなさい……思い出せないのだけど」
心なしかアレクサンダーがほっと安堵したように見える。`何故だろう ‘ とぼんやり考えていると、彼がジェラルドに話しかけた。
「ジェラルド、エミリーにクリスの食事を運ぶように伝えてくれ」
「分かった!」
ジェラルドが`僕の使命 ‘ とでもいうように、一目散に駆けていった。
二人きりになり、じっと見つめられると何だか落ち着かない。
「ジェラルドは貴方のお子さんで……奥様は……?」
「妻は三年前に亡くなった……そういえば、きちんと説明をしていなかったね。君と私は旅行先から帰国途中の船の中で出会ったんだ。そこで恋に落ちて、私は君を自国に連れ帰った」
「……昨夜私の事を`王女 ‘ と言っていた覚えがあるんだけど」
「君は大国ヘルマプロディトスのクリス王女だ」
「王女の私を勝手に連れ帰ってしまって良かったの? お付きの者達もいただろうし、許されないことでしょう?」
「君は国王から意に沿わない結婚を強いられていた。だから強硬手段に出るしかなかったんだ」
「……記憶は何故失ってしまったの……? 何か理由があるのでしょう?」
「馬車を追ってきた君の国の騎士達を振り切ろうとして、少々無理をしてしまったんだ。騎士らは振り切れたが、馬車が横倒しになり、君はしたたかに頭を打って血を流した……記憶喪失はそれが原因だと思う」
「そうだったの……」
彼はとても後悔をしているように見える。きっと本当のことを言っているのだろう……でも心の奥底で何かが――引っ掛かる。
「頭の傷は大したは事ないそうだ。傷跡も残らないと言われた。……美しい君に傷をつけてしまうところだった――」
「でも、不可抗力なのでしょう? しようがないのでは……?」
「いや、私のせいだ……! それだけではない! もし打ち所が悪かったら君を失っていたかもしれないんだ!!」
「アレクサンダー……?」
激昂したアレクサンダーにただならぬものを感じ、クリスは彼を見上げながらその左手に自分の右手を添えた。
「私は、大丈夫だから……」
彼はハッと我に返り、添えられたクリスの右手を見下ろす。
「大丈夫だから――」
クリスが繰り返すと、段々と気持ちが落ち着いてきたようで、やがては表情を緩めてクリスをただ見つめ返してきた。
添えられた右手を壊れ物を扱うように、ふわりと掴んで口元に寄せるとその甲にくちづけ、愛しさが溢れた瞳でじっと見つめられる。
そのように見つめられ気恥ずかしさもあったが、まだ先程の引っ掛かりが気になり、クリスは顔を俯けるように視線を逸らした。
クリスは驚きを含んだ表情でアレクサンダーを見つめ返した。
「ああ。正式ではないが……しかし、頭を強く打ってまだ目覚めたばかりだ。話が長くなるし説明は明日にしたほうがいい」
「そうね……すごく頭が重いの……そうさせて頂くわ」
クリスが横になりやすいようにアレクサンダーが手を添える。横たわった途端にその瞼は閉じられて、吸い込まれるように眠ってしまった。
「婚約者ですか……」
「ダリウス、いたのか――」
「はい、入室の許可を得てはいませんでしたが、成り行きを把握しておいたほうがよいかと思いまして」
「・・・もう後戻りはできない。俺は、クリスを妻に・・・名実共に自分のものにする」
「記憶が戻った時は、どうなさるのですか? もしかしたら一生恨まれるかもしれません」
「他の男の物になるぐらいなら恨まれても構わない。例え嫌われても一生傍に置いておく……!!」
「アレクサンダー様……」
(アレクサンダー様のクリス様への入れ込みようは、尋常ではない……フローラ様を失った時の悲しみも相当ではあったが、これ程までに想いを寄せていただろうか……)
アレクサンダーの深すぎる愛に、ダリウスは不吉な予感を禁じ得なかった。
夕方からは雲行きが怪しくなり、ダリウスのその予感を煽るように、一晩中嵐のような風と雨が吹き荒れた――
誰かが指先に触れている……
翌朝は昨夜の嵐が嘘のような快晴で、部屋の中が光で溢れていた。クリスが瞼を開けて自分の指先を窺い見ると、幼い男の子が掛布から出たクリスの指先をつんつんと突っついている。
顔を少し起して眺めると、腰から上をベッドにのせ、右手を懸命に伸ばしていた。
「起きた……?」
男の子が嬉しそうに首を傾げる。
「ええ、起きたわ……おはよう」
「おはよう、クリス」
男の子に呼ばれてふと腑に落ちた。そうだ、自分はクリスという名前であったのだ。その他の事はまるでなかかったかのように思い出せないが、この可愛い子にそう呼ばれたのは覚えている。
「貴方は私を知っているのね……?」
「うん、クリス。僕はジェラルドだよ、ねぇ、僕のことを覚えている?」
「ええ、何となくだけど……あなたに・・・ジェラルドに`クリス ‘ と呼ばれたのを覚えているわ」
「本当に!? お父様聞いた!? クリスが僕の事を覚えていたよ!」
「え……?」
ジェラルドが顔を向けた方向を目で追うと、影になった場所からアレクサンダーが現れた。昨日の夜は気付かなかったががっしりとした体躯に、身に備わっている堂々とした威厳、誰が見ても人の上に立つ人物である事が見て取れた。
「俺の事は覚えているか……?」
「ええ……昨夜、婚約者だと伺ったわ……ごめんなさい……思い出せないのだけど」
心なしかアレクサンダーがほっと安堵したように見える。`何故だろう ‘ とぼんやり考えていると、彼がジェラルドに話しかけた。
「ジェラルド、エミリーにクリスの食事を運ぶように伝えてくれ」
「分かった!」
ジェラルドが`僕の使命 ‘ とでもいうように、一目散に駆けていった。
二人きりになり、じっと見つめられると何だか落ち着かない。
「ジェラルドは貴方のお子さんで……奥様は……?」
「妻は三年前に亡くなった……そういえば、きちんと説明をしていなかったね。君と私は旅行先から帰国途中の船の中で出会ったんだ。そこで恋に落ちて、私は君を自国に連れ帰った」
「……昨夜私の事を`王女 ‘ と言っていた覚えがあるんだけど」
「君は大国ヘルマプロディトスのクリス王女だ」
「王女の私を勝手に連れ帰ってしまって良かったの? お付きの者達もいただろうし、許されないことでしょう?」
「君は国王から意に沿わない結婚を強いられていた。だから強硬手段に出るしかなかったんだ」
「……記憶は何故失ってしまったの……? 何か理由があるのでしょう?」
「馬車を追ってきた君の国の騎士達を振り切ろうとして、少々無理をしてしまったんだ。騎士らは振り切れたが、馬車が横倒しになり、君はしたたかに頭を打って血を流した……記憶喪失はそれが原因だと思う」
「そうだったの……」
彼はとても後悔をしているように見える。きっと本当のことを言っているのだろう……でも心の奥底で何かが――引っ掛かる。
「頭の傷は大したは事ないそうだ。傷跡も残らないと言われた。……美しい君に傷をつけてしまうところだった――」
「でも、不可抗力なのでしょう? しようがないのでは……?」
「いや、私のせいだ……! それだけではない! もし打ち所が悪かったら君を失っていたかもしれないんだ!!」
「アレクサンダー……?」
激昂したアレクサンダーにただならぬものを感じ、クリスは彼を見上げながらその左手に自分の右手を添えた。
「私は、大丈夫だから……」
彼はハッと我に返り、添えられたクリスの右手を見下ろす。
「大丈夫だから――」
クリスが繰り返すと、段々と気持ちが落ち着いてきたようで、やがては表情を緩めてクリスをただ見つめ返してきた。
添えられた右手を壊れ物を扱うように、ふわりと掴んで口元に寄せるとその甲にくちづけ、愛しさが溢れた瞳でじっと見つめられる。
そのように見つめられ気恥ずかしさもあったが、まだ先程の引っ掛かりが気になり、クリスは顔を俯けるように視線を逸らした。
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