上 下
73 / 94
後日談

2 イーサンの優しさは

しおりを挟む
 二階にある医務室を出て廊下を少し歩くと、中庭に面する回廊へと繋がる。手摺てすり越しに中庭を見渡したところ、木立の隙間から、噴水の縁に座っているクリスを見つけた。涙をはらはらと零す姿は、夜の湖に映る月のように美しく、とても儚く見える。

「あそこにいるわ!」

 二人して階段を駆け下り、一階の回廊から中庭に出たところで、男性の声が聞こえてきた。

「クリス様。大丈夫ですか……?」
「イーサン……」

 思わず柱の陰に隠れる二人。イーサンとは、グリフィスの下で働いている文官の若者である。栗色の髪に、同色の瞳。容姿は人並みではあるが、人当たりが良く好青年といった印象で、女性に人気がある。
 プリシラとデイヴィッドが木の陰に隠れて、様子を窺った。

「あ、あの、……これを使ってください……」
「ありがとう……」

 クリスはハンカチを受け取って、そっと涙を拭った。

「大丈夫です。グリフィス様は、きっとすぐに記憶を取り戻します」
「グリフィスの容体を知っているの?」
「はい。医務室に運ばれたと聞いて、大丈夫だろうかと様子を窺っていたものですから」
「そうなの……。心配してくれたのね」

 涙を浮かべたまま、微笑もうとするクリスは、いじらしくて、愛らしくて、……。つい抱き締めてしまいそうになったイーサンは、顔を真っ赤にして、出しかけた手を引っ込める。

「な、何かっ、私にできる事がありましたら、何なりと仰って下さい!」

 固まって言うイーサンに、クリスが思わずクスッと笑った。

「あっ、変ですよね。”何かできる事がありましたら、何なりと”って言い回し……」
「そんな事はなくてよ、貴方は優しいのね。その気持ちがとても嬉しいわ」

 微笑びしょうするクリスはまるで女神のように見え、そんなクリスに感謝をされて、イーサンは夢見心地になる。

「クリスの信奉者がまた増えたわね」
「グリフィスがまともだったら、速攻でくびだな」

 噴水から立ち上がろうとするクリスに、イーサンはすかさず手を差し伸べた。その手に自分の手を添えて、クリスは、優雅に立ち上がる。

「ありがとう。貴方のお陰で少し元気が出たみたい」
「部屋までお送りします」
「遠慮しとくわ。グリフィスが他の男性にエスコートされると嫌がるの。あ、……私ったら馬鹿ね。今は嫌がったりしないのに……」
「クリス様……」

 クリスは悲しげに微笑んで、借りたハンカチに視線を落とした。

「このハンカチは洗って返します」
「いえ、どうぞそのままお返し下さい」
「そんな訳には…」
「どうぞ、お気になさらずに」

 手を差し出され、クリスは躊躇いがちにハンカチを渡す。イーサンは彼女が引こうとした手を掴み、その甲にくちづけた。顔を上げて、じっとクリスを見つめる。

「いつでもお傍に馳せ参じます。どんな小さなことでも構いません。何かありましたら、すぐお呼びください」

 今一度手の甲にくちづけを落とす。

「ありがとう」

 微笑んで立ち去るクリスの後ろ姿を、イーサンはじっと見送った。クリスの姿が見えなくなると、手にしたハンカチを切なそうに鼻に押し当て、芳しい香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

「……はたから見ると危ない奴だな」
「クリス、少し無防備すぎないかしら? あれって、どう見てもクリスに気があるわよね?」
「クリスは主に男性として育ったから、男性からのアプローチに鈍いんだ」
「?」
「クリスは男になるべくして育って、女性化した。今まで女性として見られたことがあまりなかったから、自分がそういう対象で見られている事に気付かない、というか、ぴんとこないんだ」
「あんなにあからさまなのに?」
「自分が王子妃で、既婚者だから、”恋愛対象としてみる筈がない”という考えもあるんだろう」
「………兄様も苦労するわね」
「もう散々苦労している」
「この後どうしましょう? クリスの部屋まで行ったほうがいいかしら?」
「トリシア(注)が付いているから大丈夫だろう。今日は色々とあって疲れているだろうし、明日また話そう」
(注・クリス付きの侍女で、グリフィスの従姉。クリス独身時代にグリフィスに頼まれて、クリスの侍女として潜入し、縁談の有無などを探っていた。クリスの人柄に惚れこみ、今はクリス命)

***

 翌朝。クリスが医務室を訪れ、奥の病室へ足を運ぶと、グリフィスはまたムスッとしていた。
しおりを挟む
感想 89

あなたにおすすめの小説

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

子ども扱いしないでください! 幼女化しちゃった完璧淑女は、騎士団長に甘やかされる

佐崎咲
恋愛
旧題:完璧すぎる君は一人でも生きていけると婚約破棄されたけど、騎士団長が即日プロポーズに来た上に甘やかしてきます 「君は完璧だ。一人でも生きていける。でも、彼女には私が必要なんだ」 なんだか聞いたことのある台詞だけれど、まさか現実で、しかも貴族社会に生きる人間からそれを聞くことになるとは思ってもいなかった。 彼の言う通り、私ロゼ=リンゼンハイムは『完璧な淑女』などと称されているけれど、それは努力のたまものであって、本質ではない。 私は幼い時に我儘な姉に追い出され、開き直って自然溢れる領地でそれはもうのびのびと、野を駆け山を駆け回っていたのだから。 それが、今度は跡継ぎ教育に嫌気がさした姉が自称病弱設定を作り出し、代わりに私がこの家を継ぐことになったから、王都に移って血反吐を吐くような努力を重ねたのだ。 そして今度は腐れ縁ともいうべき幼馴染みの友人に婚約者を横取りされたわけだけれど、それはまあ別にどうぞ差し上げますよというところなのだが。 ただ。 婚約破棄を告げられたばかりの私をその日訪ねた人が、もう一人いた。 切れ長の紺色の瞳に、長い金髪を一つに束ね、男女問わず目をひく美しい彼は、『微笑みの貴公子』と呼ばれる第二騎士団長のユアン=クラディス様。 彼はいつもとは違う、改まった口調で言った。 「どうか、私と結婚してください」 「お返事は急ぎません。先程リンゼンハイム伯爵には手紙を出させていただきました。許可が得られましたらまた改めさせていただきますが、まずはロゼ嬢に私の気持ちを知っておいていただきたかったのです」 私の戸惑いたるや、婚約破棄を告げられた時の比ではなかった。 彼のことはよく知っている。 彼もまた、私のことをよく知っている。 でも彼は『それ』が私だとは知らない。 まったくの別人に見えているはずなのだから。 なのに、何故私にプロポーズを? しかもやたらと甘やかそうとしてくるんですけど。 どういうこと? ============ 番外編は思いついたら追加していく予定です。 <レジーナ公式サイト番外編> 「番外編 相変わらずな日常」 レジーナ公式サイトにてアンケートに答えていただくと、書き下ろしweb番外編をお読みいただけます。 いつも攻め込まれてばかりのロゼが居眠り中のユアンを見つけ、この機会に……という話です。   ※転載・複写はお断りいたします。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

皇帝陛下は身ごもった寵姫を再愛する

真木
恋愛
燐砂宮が雪景色に覆われる頃、佳南は紫貴帝の御子を身ごもった。子の未来に不安を抱く佳南だったが、皇帝の溺愛は日に日に増して……。※「燐砂宮の秘めごと」のエピローグですが、単体でも読めます。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

処理中です...