観音通りにて

美里

文字の大きさ
上 下
9 / 35

しおりを挟む
それから何回か、渚はユキと会った。
 母親の働く姿が見たかったわけではない。保育所が気にいらなかったわけでもない。ただ、どうしても観音通りの側溝にただ座っていたくなる日があったのだ。
 それは精々数カ月に一度、渚が保育所を出て小学校に通うようになる一年間で三回だけだったけれど、その度にユキは律儀に保育所まで渚を迎えに来た。
 後藤先生は、渚が頼めば必ずユキに電話をかけてくれたけれど、最低限の言葉しか発しなかったし、ユキと顔を合わせることさえ避けているようだった。いつもごく細く、なにかに警戒するようにドアを開けて、ユキと去って行く渚の後姿を見送っていた。
 観音通りの街頭下の側溝で、渚とユキは別段話しさえしなかった。ただ、人1人分くらいの隙間を開けて並んで座り、渚が満足するまで道行く男と女を眺めていただけだ。
 渚が側溝から立ち上がるとユキもそれに従い、また渚を保育所まで送って行った。
 じゃあまた、と、保育所の前でいつもユキは言った。
 渚はそれに小さな会釈だけを返した。
 インターフォンを鳴らすと、やはり後藤先生はごく細くドアを開けた。
 それを三回繰り返した。ただ、それだけのことだ。
 渚が小学校に上がると、残酷な噂がいくらでも耳に入って来るようになった。
 観音通りの子どもはみんな貧乏人で頭が悪い。性的なことにしか関心がなくて、病気持ち。
 大体の内容はそんなところだ。
 それでも渚にとって学校生活はさほど辛くはなかった。クラスには夕佳がいたし、他にも何人かいる観音通りの子どもたちは、学校の行き帰りや休み時間を、いつも集団で過ごすことで身を守っていた。虐げられる集団の結束は固い。古今東西決まりきった話だろう。
 夏休みも間近に迫った金曜日、渚がユキの悲しい話を耳にしたのは、本当にたまたまだった。
 その晩、渚は家の電話機からユキに電話をかけた。保育所を出る時に、後藤先生はきれいな便箋にユキの電話番号を書いて、渚にそっと手渡してくれていたのだ。渚はそれを、狭いアパートの中で唯一渚だけの場所といえる、居間の隅っこのチョコレートの缶の中に入れていた。金で縁取りされた白い便箋を取り出したのは、その日が最初だった。
名前も名乗らないまま、来て、とだけ言うと、ユキはやはり律儀に保育所の前まで渚を迎えに来た。
彼は白いノンスリーブのブラウスに、花柄のフレアスカートを着ていた。
 「久しぶり。」
 と彼が言い、渚は顎先だけで頷いた。身体に夜風がまとわりつくような熱帯夜だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

ねえ、私の本性を暴いてよ♡ オナニークラブで働く女子大生

花野りら
恋愛
オナニークラブとは、個室で男性客のオナニーを見てあげたり手コキする風俗店のひとつ。 女子大生がエッチなアルバイトをしているという背徳感! イケナイことをしている羞恥プレイからの過激なセックスシーンは必読♡

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

人妻の日常

Rollman
恋愛
人妻の日常は危険がいっぱい

とりあえず、後ろから

ZigZag
恋愛
ほぼ、アレの描写しかないアダルト小説です。お察しください。

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

完結【R―18】様々な情事 短編集

秋刀魚妹子
恋愛
 本作品は、過度な性的描写が有ります。 というか、性的描写しか有りません。  タイトルのお品書きにて、シチュエーションとジャンルが分かります。  好みで無いシチュエーションやジャンルを踏まないようご注意下さい。  基本的に、短編集なので登場人物やストーリーは繋がっておりません。  同じ名前、同じ容姿でも関係無い場合があります。  ※ このキャラの情事が読みたいと要望の感想を頂いた場合は、同じキャラが登場する可能性があります。  ※ 更新は不定期です。  それでは、楽しんで頂けたら幸いです。

処理中です...