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嵐の前(4)
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「ジャンヌ殿。今、宜しいですか?」
「んぁ……? アランさん?」
不意に呼ばれ、一條は机から身体を引き剥がした。
向かってからそれ程時間が経っていないとはいえ、それでも凝り固まっているのを自覚しながら、入り口となっている布をずらせば、見慣れた人物。
「ロキの件、じゃあないですね」
言葉に、彼は無言で頷くのみ。
既に日は落ち、これからは敵も動きを止める時間帯だ。
つと、周囲を見ても緊張した空気はあるが、未だに穏やかなものを纏っている為、嘘ではないらしい。
――ま、嘘吐く意味はないけれども。
ウネリカから半日と少し、東へ行った辺りのゴルゴダ平原。
此処にあるのが、多くの天幕や荷馬車を利用した休憩所が集約されている前線基地。
そして、既にロキケトーの先頭集団は目と鼻の先。
が、この二日程前進を止めているのは、頭目と思しき巨竜が豆粒の様な大きさだからだろう。向こうとしても、そちらを目立つ位置に据えておきたい思惑でもあるらしい。
ともあれ、ここ十日位の猶予を以て一條自身の準備も恙なく終わり、早ければ明日にでも火蓋は切って落とされる筈だ。
「……少し、歩きますかね」
女性である以上に、十二皇家として、主戦力として期待されているのか。
わざわざ一人分の専用個室まで用意されているのだが、そこへ招いて良いものかを逡巡した結果の台詞。
しかしながら、一條が居る此処は戦乙女隊の中心に近い為、そもそも彼としても居心地が良いとは言えないだろう。
「良く一人で来られましたね」
隣に並びながらの言葉に、アランは苦笑い。
「正しく言えば私だけではありませんでした。シャラに連れて来られた様なものです」
「あん? シャラ? ……そういえば、さっきからミラも見てないけど」
と言い掛け、続けて隣に視線を向けてから、
「ははーん。なるほろ……」
納得の表情を作った。
今後の展望は決めあぐねているが、少なくとも大仕事は終わる寸前である。
とはいえ、決戦前夜とはまた大胆とも言えよう。
――でも、らしいっちゃらしいか。
「嬉しそうですね」
「そう見えます?」
答えは微笑。
同じ表情を返しつつ、
「……です、ね。ミラもシャラも、大切な友人なので」
心のつっかえも、多少なりは取れようと言うものである。
「ちなみに、アランさんはどうなんです?」
ついで、そんな事を尋ねていた。
――他意は無い。
心中で、妙な言い訳を噛ませ、恐る恐る、隣を行く人物へ視線を送る。
迷っている様な表情。
「シャラの友としては、嬉しくもあります。それとは別に、まだそういう仲ではなかったのか、とも思いましたが」
「あはは……。まぁ、その辺りは少々複雑な事情もあったりなので……」
その事情の中心点は他ならぬ一條自身なのだが。
「先程、クラウディー殿も似た様な事を言っていましたね」
「……。それは、本人達には言わないであげて下さい」
軽く一息を吐いてから、
「あぁ、そうそう。クタルナさんの件は聞いてますか? こっちはそれ以上に面白い事になってるみたいですけど」
話題変更。
茶化した風に言うが、一條としても真面目な話である。
「えぇ。シャラが言っていました。イブリッド家の当主が、いつになく狼狽していて、会議にならなかった、とか。ジャンヌ殿の策でしょうか?」
「人をなんだと思ってるんですか」
等と嘯いたものの、そういった感情が無かったとは言わない。
最も、当人も乗り気であった事は、彼の名誉の為にも記しておくべきではあろう。
「彼女も本気だったので。ともあれ、作戦としては半分成功、って所でしょう。今も毎日の様に手紙を送ってますよ」
拙いなりに、ではあるが、クタルナ自身の言葉で綴った物だ。
が、彼女に付き添っている身としては、少々、心に来るものも確かである。
「他人の恋文なんて見るもんじゃないけど……。いえ、おきになさらず」
首を傾げたアランに対して、言葉と同時に手で制する仕草も足した。
返ってきたのは、いつもの表情。
「ルツさんもあれから気になる所で……っと、そういえば、ガティネの方はまだ到着してませんよね?」
「その、ルツ・ナミル殿と十数人は来ているのですが、それ以外は聞いていませんね」
「気が長い人達だ事で……」
悪態をついてみせたが、向こうも向こうで色々あるのも知っている。
寧ろ、それだけの人数が初手から参戦してくれるだけでも、ヴァロワとしては嬉しい誤算だ。
ヴィルオートやリアシラを含め、全員が相当の手練れであるのは見れば分かる。
この人数がどこまで増えるかはルツも読めない所ではあるらしいが、なんとも心強い援軍だろう。
「それでー……」
「ジャンヌ殿」
遮る様な、不意の言葉。
行き場を失った為、声としては何も出ず、代わりとでも言う様に両手が忙しなく動いていたが、それも生み出すには至らず。
結局、どちらからともなく足が止まった。
沈黙。
視線が、周囲をうろつく。
人影も見当たらないのは、夜間警備そのものが最低限なのと、決戦に備えて既に寝入る時間帯だからでもあり、出歩く存在がそもそも居ない。
それでも、ある程度の光源もあり、空には月も出ている。
寒風に、若干、身動いだ瞬間だった。
「大丈夫」
声。
聞き返す様に、彼と目を合わせる。
「大丈夫ですよ。ジャンヌ殿」
アランが、続けた。
「皆がついています」
珍しく深呼吸を入れたかと思えば、
「……私も居ます。ミランヌ殿やシャラも」
だから。
「だから、大丈夫です」
碧眼が、真っ直ぐにこちらを見た。
何とも心強い台詞とは裏腹に、一條は、三度目の言葉に笑いがこみ上げてくる。
「三度目の正直か、っての。ふふっ。全く……っ」
一頻り笑ってから、改めて、アランと向かい合う。
「ふぅ……ごめんなさい。そんなに分かり易く緊張してましたか、アタシ」
「さて。私は一目見て分かりましたが」
「ですか。……はぁ……誰も部屋に来なかったのは、それもあるかも知れないですね……」
解す様に、身体を動かしていく。
つと考えれば、ミーナニーネすら今日は殆ど顔を見せていなかった。
――駄目だなぁ。
思案。
「後で……。いや、もう寝てるかな」
一応、彼女は国賓扱いにはなる。
と言うより、した。
それ位の職権乱用は許されるだろう。
無論、前線には出さないが、治療士として関わって貰う予定である。
ついでに言えば、部屋も小さいながら個室を傍に用意してもいるので、会おうと思えばすぐだ。
「まぁ、明日に備えますかね」
軽く息を入れつつの台詞に、
「所で、今日は月が綺麗ですね。ジャンヌ殿」
「んぐふっ」
自分でもどうかと思う程の変な返事。
しかし、こちらに被せる様にして言葉が来た為、咄嗟の反応としてはそれが限界でもあった。
さりとて、アランはまるで自然な様子。
「……それ、は、どう……?」
表情の変化は見られない。
――またぞろ教えられてる可能性……。いや、月って単語もあるし。普通に日常会話的なアレ?
浮かび掛かった親友の顔を蹴り飛ばしてから、疑心暗鬼になりつつも、一條は大仰な仕草で天上の月を見た。
向こうの世界との違いは何かを思案するも浮かばず。
「……。……綺麗です、ね?」
精一杯の言葉。
対して、金髪碧眼の美男子は、子供の様な笑みを見せるのみであった。
「んぁ……? アランさん?」
不意に呼ばれ、一條は机から身体を引き剥がした。
向かってからそれ程時間が経っていないとはいえ、それでも凝り固まっているのを自覚しながら、入り口となっている布をずらせば、見慣れた人物。
「ロキの件、じゃあないですね」
言葉に、彼は無言で頷くのみ。
既に日は落ち、これからは敵も動きを止める時間帯だ。
つと、周囲を見ても緊張した空気はあるが、未だに穏やかなものを纏っている為、嘘ではないらしい。
――ま、嘘吐く意味はないけれども。
ウネリカから半日と少し、東へ行った辺りのゴルゴダ平原。
此処にあるのが、多くの天幕や荷馬車を利用した休憩所が集約されている前線基地。
そして、既にロキケトーの先頭集団は目と鼻の先。
が、この二日程前進を止めているのは、頭目と思しき巨竜が豆粒の様な大きさだからだろう。向こうとしても、そちらを目立つ位置に据えておきたい思惑でもあるらしい。
ともあれ、ここ十日位の猶予を以て一條自身の準備も恙なく終わり、早ければ明日にでも火蓋は切って落とされる筈だ。
「……少し、歩きますかね」
女性である以上に、十二皇家として、主戦力として期待されているのか。
わざわざ一人分の専用個室まで用意されているのだが、そこへ招いて良いものかを逡巡した結果の台詞。
しかしながら、一條が居る此処は戦乙女隊の中心に近い為、そもそも彼としても居心地が良いとは言えないだろう。
「良く一人で来られましたね」
隣に並びながらの言葉に、アランは苦笑い。
「正しく言えば私だけではありませんでした。シャラに連れて来られた様なものです」
「あん? シャラ? ……そういえば、さっきからミラも見てないけど」
と言い掛け、続けて隣に視線を向けてから、
「ははーん。なるほろ……」
納得の表情を作った。
今後の展望は決めあぐねているが、少なくとも大仕事は終わる寸前である。
とはいえ、決戦前夜とはまた大胆とも言えよう。
――でも、らしいっちゃらしいか。
「嬉しそうですね」
「そう見えます?」
答えは微笑。
同じ表情を返しつつ、
「……です、ね。ミラもシャラも、大切な友人なので」
心のつっかえも、多少なりは取れようと言うものである。
「ちなみに、アランさんはどうなんです?」
ついで、そんな事を尋ねていた。
――他意は無い。
心中で、妙な言い訳を噛ませ、恐る恐る、隣を行く人物へ視線を送る。
迷っている様な表情。
「シャラの友としては、嬉しくもあります。それとは別に、まだそういう仲ではなかったのか、とも思いましたが」
「あはは……。まぁ、その辺りは少々複雑な事情もあったりなので……」
その事情の中心点は他ならぬ一條自身なのだが。
「先程、クラウディー殿も似た様な事を言っていましたね」
「……。それは、本人達には言わないであげて下さい」
軽く一息を吐いてから、
「あぁ、そうそう。クタルナさんの件は聞いてますか? こっちはそれ以上に面白い事になってるみたいですけど」
話題変更。
茶化した風に言うが、一條としても真面目な話である。
「えぇ。シャラが言っていました。イブリッド家の当主が、いつになく狼狽していて、会議にならなかった、とか。ジャンヌ殿の策でしょうか?」
「人をなんだと思ってるんですか」
等と嘯いたものの、そういった感情が無かったとは言わない。
最も、当人も乗り気であった事は、彼の名誉の為にも記しておくべきではあろう。
「彼女も本気だったので。ともあれ、作戦としては半分成功、って所でしょう。今も毎日の様に手紙を送ってますよ」
拙いなりに、ではあるが、クタルナ自身の言葉で綴った物だ。
が、彼女に付き添っている身としては、少々、心に来るものも確かである。
「他人の恋文なんて見るもんじゃないけど……。いえ、おきになさらず」
首を傾げたアランに対して、言葉と同時に手で制する仕草も足した。
返ってきたのは、いつもの表情。
「ルツさんもあれから気になる所で……っと、そういえば、ガティネの方はまだ到着してませんよね?」
「その、ルツ・ナミル殿と十数人は来ているのですが、それ以外は聞いていませんね」
「気が長い人達だ事で……」
悪態をついてみせたが、向こうも向こうで色々あるのも知っている。
寧ろ、それだけの人数が初手から参戦してくれるだけでも、ヴァロワとしては嬉しい誤算だ。
ヴィルオートやリアシラを含め、全員が相当の手練れであるのは見れば分かる。
この人数がどこまで増えるかはルツも読めない所ではあるらしいが、なんとも心強い援軍だろう。
「それでー……」
「ジャンヌ殿」
遮る様な、不意の言葉。
行き場を失った為、声としては何も出ず、代わりとでも言う様に両手が忙しなく動いていたが、それも生み出すには至らず。
結局、どちらからともなく足が止まった。
沈黙。
視線が、周囲をうろつく。
人影も見当たらないのは、夜間警備そのものが最低限なのと、決戦に備えて既に寝入る時間帯だからでもあり、出歩く存在がそもそも居ない。
それでも、ある程度の光源もあり、空には月も出ている。
寒風に、若干、身動いだ瞬間だった。
「大丈夫」
声。
聞き返す様に、彼と目を合わせる。
「大丈夫ですよ。ジャンヌ殿」
アランが、続けた。
「皆がついています」
珍しく深呼吸を入れたかと思えば、
「……私も居ます。ミランヌ殿やシャラも」
だから。
「だから、大丈夫です」
碧眼が、真っ直ぐにこちらを見た。
何とも心強い台詞とは裏腹に、一條は、三度目の言葉に笑いがこみ上げてくる。
「三度目の正直か、っての。ふふっ。全く……っ」
一頻り笑ってから、改めて、アランと向かい合う。
「ふぅ……ごめんなさい。そんなに分かり易く緊張してましたか、アタシ」
「さて。私は一目見て分かりましたが」
「ですか。……はぁ……誰も部屋に来なかったのは、それもあるかも知れないですね……」
解す様に、身体を動かしていく。
つと考えれば、ミーナニーネすら今日は殆ど顔を見せていなかった。
――駄目だなぁ。
思案。
「後で……。いや、もう寝てるかな」
一応、彼女は国賓扱いにはなる。
と言うより、した。
それ位の職権乱用は許されるだろう。
無論、前線には出さないが、治療士として関わって貰う予定である。
ついでに言えば、部屋も小さいながら個室を傍に用意してもいるので、会おうと思えばすぐだ。
「まぁ、明日に備えますかね」
軽く息を入れつつの台詞に、
「所で、今日は月が綺麗ですね。ジャンヌ殿」
「んぐふっ」
自分でもどうかと思う程の変な返事。
しかし、こちらに被せる様にして言葉が来た為、咄嗟の反応としてはそれが限界でもあった。
さりとて、アランはまるで自然な様子。
「……それ、は、どう……?」
表情の変化は見られない。
――またぞろ教えられてる可能性……。いや、月って単語もあるし。普通に日常会話的なアレ?
浮かび掛かった親友の顔を蹴り飛ばしてから、疑心暗鬼になりつつも、一條は大仰な仕草で天上の月を見た。
向こうの世界との違いは何かを思案するも浮かばず。
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