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束の間(5)
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「……」
静かな自室の中、一條は紙に書かれた文字列を一つすら逃すまいと追い掛けていた。
「……。……」
読み込み、記憶に留め、次へ向かう。
覚えているかどうかまた後で考えれば良い事だが、兎に角、今は先を急ぐ。
「……。……。……」
書いてあるのは名前だ。
姓がある者も居れば、無い者も居る。
軍人貴族も居れば、平民も居た。
総計は、
――1372名……。
それが現在の所、一條預かりとなっている女性のみの部隊、戦乙女の全てである。
先日、御前会議染みた会合の翌日にあたるが、ともあれ、スフィ達協力の下、完成した簡易的な名簿だ。
それだけの人数が、ジャンヌ・ダルクと言う人物の元に集った事実を、改めて実感する。
決戦は近いが、それでも、遅すぎると言う事は無いだろうと、自分に言い聞かせた。
「おっ、なんだ。そっちは終わったのか? ジャンヌ」
「いーや。四分の三、位かな」
身体を解す様に上半身を反っていったのを見てか、親友の声が掛かる。
「良くもまぁ、これだけの人数が集まってくれたなぁ、って」
「この状況で脱落者も出てないんだろ? 良い事だと思うぜ」
「……ジャンヌ・ダルクの影響力には頭が上がらないよ」
「お前じゃねぇか」
「そうなんだけどねぇ」
二人して笑う。
「この際、胸に流星でも描いてみるか?」
一頻り笑った後に告げ、高井坂は自分の胸を親指で突いて見せる。
対し、一條は肩を竦めた。
「遠慮しとく。怪物退治のエキスパートみたいな称号はいらないよ。……後、橙色は私的にちょっとなぁ」
「そこかよ」
突っ込まれる。
「……でも。まぁ、なんだ。立派に熟してると思うぜ、俺はな」
「そうかい」
「……それにしても、本当に俺で良かったのか? これ。超重要任務だろ」
「超重要任務だからだろ」
微笑に対し、微妙な表情。
「つっても、基本的には私が前線張る事になるだろうし。当然、発案者の私がメインで担当。でも、実際、どうなるかは分かんないし、私に何かあった時用のサブプランは必要だった。そこでー」
幼馴染へ向けて、手を拳銃の様にしながら、
「バンッ。君に白羽の矢が立った訳だよ」
「撃つか立てるかどっちかにしてくれ。まぁ、白羽の矢って意味からすれば同じか……」
犠牲者とも言う。
「最初に聞いた時は、流石は親友だぜそこに痺れる憧れるぅ、ってなもんだが、いざ指名されるとなんとも言えないこの新感覚」
「そいつは良かった」
「ちなみに、ぶっつけ本番、って訳じゃあないよな?」
「私もそこまで考え無しではないけど。向こう行ったら準備と並行作業で何度か試しはしないと。巨人戦と同じく、イメージは共有して初めて完成と言えるだろうから……でも本番で失敗なんてしたら死刑だな」
「悪魔かなぁっ!?」
両手で制する様な仕草。
「はぁーあ。それにしても、普通は思い付かないと思うね。地面にデカい円状に詠唱文書いて、そいつを起動させて敵を吹っ飛ばそうなんてよ」
「相手がロキだからこそ、だね。向こうがのろのろやってくるなら、戦場をこっちで定めて迎撃すれば良い。迎撃するなら、準備に時間が掛かって戦果も上げ難いとされる文字ゼルフ学でも、多少なり使い道はあった訳だ」
親友が、大仰に頷いて見せた。
現状、剣を始めとした近接戦が主なのは、魔法、ゼルフの使い勝手が悪い故、流動的でいて展開も早い戦場ではあまり役に立たない為である。
そして、文字ゼルフ学。
こちらはと言えば、まず準備するだけで精一杯だ。
地面に文字を繋げて行き、その文字に触れながらの詠唱。
基本的に効果範囲が狭いので、そこも考慮しなければならず、その性質上、待ちの戦法一択。相手の進路一つでそれも破綻しかねない。
後者は戦略次第なのだろうが、どう考えても効率が悪すぎる。
しかし、今回においてはそれらも無視出来る要素だ。
敵は足も遅く、準備期間は多少なり取れるし、その進行方向も、ジャンヌ・ダルクと言う存在を追って来るなら読みやすい。
後はいかに威力を増す工夫を施せるか、に掛かっている。
詰まりは一條の腕の見せ所だ。
とはいえ、一応は一條自身が担当だが、こうして高井坂を指名したのは、一種の保険である。
アラン達を頼っても良かったが、そうなると翻訳の手間があったので、それならば都合の付く彼で問題はない。
「んで、これ。確かに長いけど、基本はこいつで良いんだよな」
紙を摘まみ上げ、こちらへと見せる様に揺らす。
「基本はね。追加修正は受け付けてるよ。ゴルゴダ平原なら無駄にスペースはあるから、後は大きさをどんぐらい取るか、かな。文字数との兼ね合いもあるけど」
「まぁ、そこは一文字の大きさも考えないとだから……。もう少し簡単になんねぇのか、これ」
「どっかの発明王みたいにはいかないでしょ。今やれる最善手を打ってくしかないね」
告げた台詞に、何事かを呟きながら机に突っ伏した高井坂に対し、苦笑。
「所で、俺らはいつ位にウネリカ行くんだ?」
「ん? んー……。どう、かな。一応、スフィ達と連帯して動く予定だけど。後はロキ側次第か。向こうは今まで以上にリーグォっぽいし、通常通り夜になったら動きを止めるみたいだから、一月、いや、一月半は掛かるんじゃないかな……。ひょっとしたらもう少し掛かるかも」
「マジで訳分かんねぇトロさだな……」
「翼で飛ばないだけマシだろうねぇ」
寧ろ、飛ばれたら今考えている作戦案も全て台無しである。
ある意味感謝すべき所であろう。
「それから……。あー……これは本筋と全然関係無い話なんだが……」
「んだよ。やっと本題か」
苦笑すれば、親友はバツの悪い表情を浮かべるのみ。
自室で名簿を見つつ考え事をしていた矢先、いつもなら大した遠慮も無く入ってくる筈の男は、戸を叩いた後で入ってきて此処に居る。
そうして、いつもなら部屋に入り浸っている紀宝に凄い視線を貰っているのだ。
最も、当人が居ない事を知った上で彼は来たのだろうが。
ちなみに彼女は、弟子を伴ってリゼウエットの家に押し掛けている頃だ。
一條も一度御見舞いで行った事はあるが、両親に泣かれた時は非常に困惑したものである。
――まぁ、大体泣かれるんだけど。
そして感謝されるのだ。
悪い感情は得ないのだが、どうにもこそばゆい。
自身では、そんな大した人間ではないと思ってるが故、だろうか。
――いや、身近に居る人達の方が凄いと思ってるからか。
苦い感情を飲み込んだ直後、高井坂が両手で頭を掻いた。
漸く、と言った体で身体毎、こちらへ向き直る。
「俺はな。百合にも理解がある男だ」
「……いきなり、一体何の話……?」
話が場外までかっ飛ばされた。
言葉の意味を思案しつつ、一條も改めて彼と向き合い、腕を組んだ。
首を傾げる。
「……もう少し話の着地点短く出来ない?」
次いで、先を促す様に手で示した。
何故か不思議そうな目で見られもしたが、進む事にしたらしい。
「性別の事だ。お前のな」
「……私の……?」
幼馴染みからの、改めての指摘。
「戻る見込み、無さそうなんだろ? ……いや、別に誰から聞いた話でもねぇよ。なんとなくそんな気がしただけだ」
気恥ずかしげに視線を逸らした。
「戻る……見込み……」
口の中でそれらの言葉を転がし、幾つかの情景を思い返してから、
――と言うか、なんとなくか。
微笑は心中のみにしつつ、数度、頬を摩るだけに留める。
「……個人的には、もう戻る気は無い。かな」
零す様に続けた。
「最近も考えた事がない、とは言わない。でも、考えない日が多い事も、否定しない」
今も、指摘されるまでは殆ど忘れていた位である。
――戻れる可能性が残されてるかは……だけど……。
思いながら、暫しの沈黙を、一條は髪を弄りながら待つ。
「そうか……」
意を決する様に呟く。
「……。なら尚更、だ。同性で友人同士であっても、俺はその考えを尊重したい。少し妬けるがそれも仕方が」
「待て待て。友人同士でとか分からん単語出てきた。え、何。つまり何?」
「え。いや、お前さんとミランヌが付き合うと言う話だが」
「どっから生えてきたんだよその話はよっ!?」
きょとんとした表情を浮かべる親友へ、過去に例が無い程度の突っ込みを入れた。
「あー、もう。最近妙にそわそわしてるな、とは思ってたけど見当違いも甚だしいよ全く」
ぶつくさと文句を言ってから、ちらりと高井坂を見やる。
不思議そうな表情をしていた。
「全く以て勘違いだよ、トンチキポンコツめ」
「悪口が可愛いかよ」
指摘されたが、咄嗟に浮かんだ単語がそれだったのだから致し方無い。
ため息。
「兎も角、何でそんな結論になったんだよ……」
「まぁ、その。少し前から、君ら二人、凄ぇ仲良くなってんじゃん。前にも増して」
眉根を詰める。
「そうか……?」
「そうだぜ。で、アランとも相変わらず、ってか、何か更に一歩遠のいてないかなぁ、と勘繰って。成程と思い至った訳だ」
「そうか……」
自覚は無かったが、十年来の親友が言うのなら、そう見えている事になるのだろう。
が、前者に関しては思い当たる節もある。
流石に公言する訳にもいかないが。
「んで……まぁ、なんだ。俺としては、だ。お前ら程似合ってる二人は居ないと思ってたんだよ。……ずっと前からな」
台詞に、一條としては黙りこくるしかなかった。
「俺じゃあ駄目なんだと思ってた。俺はお前みたく、誰彼構わず引っ張って行ける程、強くはないからな。紀宝とだって、会った時から息の合ったやり取りしてたしよ」
いつにも増した、真剣な声色。
その上で、彼からそんな事を言われるのは、初めてだった。
「俺はな。昔っからお前の事、尊敬してたんだぜ。困った人には進んで手を差し出すし、弱い者イジメを止めた事だって一度や二度じゃない。知ってる奴だろうと知らない奴だろうと、な。……俺には出来なかった。こんなガタイしてっけど、そんな勇気は微塵も湧いてこなかった。色々出来るのだって、全部偶々だ」
苦笑い。
「勉強は姉ちゃんから教わったから出来ただけだし」
「でもずっと努力してたろ」
自嘲気味の言葉に、一條は無意識に、即座に反応を滑り込ませた。
「運動も、血筋かは分からんけど出来た。人に頼られるのも悪くなかったし、少しでもお前みたいになれるかと思ったからやってた。……まぁ、結局、本腰入れてやったスポーツは無かったけど」
「でも皆から断然頼られてたろ」
覆しようのない事実だ。
「受動的だっただけだ。どっちも、一度だって俺からやる、って言った物は無かった」
巨体が、一回り小さくなった様に感じる。
「でも、俺が行けば一番に来てくれたろ。お前」
「言ったろ。受動的だって。お前に付いてっただけだ」
――そうかい。
目を閉じ、一息。
鮮明、とまではいかないまでも、それでも脳裏に焼き付いている。
「……。でも、俺は付いてこい、なんて言った事は一度も無かったぞ」
告げた台詞に、ハッとした表情を見せる。
笑って、言った。
「俺に対しては、積極的に動いてくれたじゃんか、お前さ。紀宝が来る前からだよ。だから信頼してるんだ」
「一條……」
「それに、だ」
続ける。
「それに。それを言ったら、俺だってそうだ。知ってるだろ。勉強も運動も、頑張って平均位。二人にはどう足掻いても勝てなかった。……結構、来る物があったんだよ、これでも」
苦笑い。
今でこそ笑い話でもあるが、最初は、それこそ悔しい思いもあったのだ。
勉強はそれなりとはいえ、特に運動方面。
実姉と同じく、一日二日あれば大抵の人間を余裕で飛び越えてしまえる才能と体格を有する化け物。
片や、格闘に特化した身でありながら、素の身体能力と反応速度で驚異的な成績を叩き出す怪物。
比較対象が違い過ぎると言えばそれまでである。
だがそれでも、最も近しい友人二人から、それほどの規格の差をまざまざと見せ付けられれば、歯痒い感情を得るのに然程時間は掛からなかった。
「正直、羨ましかった。逆立ちしたって勝てないんだから当然だけど」
「……」
「ま、今はお前は兎も角、あいつにだって早々負けてはやらんけどね」
多少、大仰に肩を竦めて見せる。
「それを考えれば、今の状況も最悪って訳じゃあなかったけど……。えーと、なんだ。お互いに色々言いたい事は言ったし言われたかな」
頭を掻いてから、一息。
「……。私は……とりあえず今は、そういうのはナシ。アランさんだけじゃなくて、誰に対しても。ミラに関しては……うん。諦めた、と言っちゃっても、良い、と思う」
言ってしまえば、消化不良も治まった感じがした。
「……良いのか……? それで」
顔を伏せ、しかし、次の瞬間には親友を真正面に見据える。
「良いも悪いも無いでしょ」
困った様な笑みを浮かべた。
「急に男に戻っても同じ事言えるか?」
「あー……うん。その時はちょっち、そんな事言える状況にはならないと思うので。気にしないで大丈夫、だと思うよ?」
視線を外しながらの台詞。
「んだそれ」
逆に高井坂側が困惑しているだろう事は想像に難くないが、何せそうなれば死人が二人出てしまう。
それもあまり公表出来ない理由からだ。
――やると言ったらやると言う凄みがあったからね……あいつ。
忘れられない記憶でもある。
思い出して、笑う。
「俺、今変な顔でもしてたか?」
それが、目の前の人物にとっては自分が笑われたと解釈したようだった。
揉み込むように顔を触っていく親友に対して、
「いやいつも通りの変な顔だよ」
とだけ告げ、視線を手元の名簿に移す。
そこには丁度、見知った名前があった。
「……お前の方が変な顔してるぜ」
「さっきまでしょげてた奴が良く言う」
即座に言い返したが、無言で反対の意を示してくる。
特に反応せずに居れば、様相が変わり、ただの妙な踊りになってきた。
「やだ呆れられてる……? ま、良いか。俺もやる事あるから、ここらで一旦お開きにするわ」
「勝手に来といて勝手に帰るのか」
「わっはっは。お前の考えも分かったからな」
「そ。お前の考えは聞いてないが?」
「んー。ま、俺なりに頑張ってみるさ」
「はいはい。精々、頑張んなさいな。……私からは、特に言える事はないけれどね」
「へいへい。……んじゃ行くわ。これでも、忙しい身の上なのはホントでね。……何でか作戦案の一部を考える羽目になってるしよ」
頷いたのは、その推薦をしたのが一條や紀宝らであるからだ。
「少しは働け」
言葉に、一頻り苦笑いした彼は、思い出した様な仕草。
「所で、今日の髪型とか服見てると、何かアレだな。こう、母親、って感じだ」
一條は、眉を顰めながら自分の姿を改めていく。
寝間着ではないが、ゆったりとした上下服。
薄紫色の長髪は、その先端を結び、肩を経由して垂らしている状態だ。
特段出掛ける予定も無かった為、実に簡単な仕上がりである。
等と言うが、実際、それどころではない程度には、忙しない。
「ラフな格好だと言ってくれ……」
親友の呼称に対して、今一度、頭を抱える事となった。
静かな自室の中、一條は紙に書かれた文字列を一つすら逃すまいと追い掛けていた。
「……。……」
読み込み、記憶に留め、次へ向かう。
覚えているかどうかまた後で考えれば良い事だが、兎に角、今は先を急ぐ。
「……。……。……」
書いてあるのは名前だ。
姓がある者も居れば、無い者も居る。
軍人貴族も居れば、平民も居た。
総計は、
――1372名……。
それが現在の所、一條預かりとなっている女性のみの部隊、戦乙女の全てである。
先日、御前会議染みた会合の翌日にあたるが、ともあれ、スフィ達協力の下、完成した簡易的な名簿だ。
それだけの人数が、ジャンヌ・ダルクと言う人物の元に集った事実を、改めて実感する。
決戦は近いが、それでも、遅すぎると言う事は無いだろうと、自分に言い聞かせた。
「おっ、なんだ。そっちは終わったのか? ジャンヌ」
「いーや。四分の三、位かな」
身体を解す様に上半身を反っていったのを見てか、親友の声が掛かる。
「良くもまぁ、これだけの人数が集まってくれたなぁ、って」
「この状況で脱落者も出てないんだろ? 良い事だと思うぜ」
「……ジャンヌ・ダルクの影響力には頭が上がらないよ」
「お前じゃねぇか」
「そうなんだけどねぇ」
二人して笑う。
「この際、胸に流星でも描いてみるか?」
一頻り笑った後に告げ、高井坂は自分の胸を親指で突いて見せる。
対し、一條は肩を竦めた。
「遠慮しとく。怪物退治のエキスパートみたいな称号はいらないよ。……後、橙色は私的にちょっとなぁ」
「そこかよ」
突っ込まれる。
「……でも。まぁ、なんだ。立派に熟してると思うぜ、俺はな」
「そうかい」
「……それにしても、本当に俺で良かったのか? これ。超重要任務だろ」
「超重要任務だからだろ」
微笑に対し、微妙な表情。
「つっても、基本的には私が前線張る事になるだろうし。当然、発案者の私がメインで担当。でも、実際、どうなるかは分かんないし、私に何かあった時用のサブプランは必要だった。そこでー」
幼馴染へ向けて、手を拳銃の様にしながら、
「バンッ。君に白羽の矢が立った訳だよ」
「撃つか立てるかどっちかにしてくれ。まぁ、白羽の矢って意味からすれば同じか……」
犠牲者とも言う。
「最初に聞いた時は、流石は親友だぜそこに痺れる憧れるぅ、ってなもんだが、いざ指名されるとなんとも言えないこの新感覚」
「そいつは良かった」
「ちなみに、ぶっつけ本番、って訳じゃあないよな?」
「私もそこまで考え無しではないけど。向こう行ったら準備と並行作業で何度か試しはしないと。巨人戦と同じく、イメージは共有して初めて完成と言えるだろうから……でも本番で失敗なんてしたら死刑だな」
「悪魔かなぁっ!?」
両手で制する様な仕草。
「はぁーあ。それにしても、普通は思い付かないと思うね。地面にデカい円状に詠唱文書いて、そいつを起動させて敵を吹っ飛ばそうなんてよ」
「相手がロキだからこそ、だね。向こうがのろのろやってくるなら、戦場をこっちで定めて迎撃すれば良い。迎撃するなら、準備に時間が掛かって戦果も上げ難いとされる文字ゼルフ学でも、多少なり使い道はあった訳だ」
親友が、大仰に頷いて見せた。
現状、剣を始めとした近接戦が主なのは、魔法、ゼルフの使い勝手が悪い故、流動的でいて展開も早い戦場ではあまり役に立たない為である。
そして、文字ゼルフ学。
こちらはと言えば、まず準備するだけで精一杯だ。
地面に文字を繋げて行き、その文字に触れながらの詠唱。
基本的に効果範囲が狭いので、そこも考慮しなければならず、その性質上、待ちの戦法一択。相手の進路一つでそれも破綻しかねない。
後者は戦略次第なのだろうが、どう考えても効率が悪すぎる。
しかし、今回においてはそれらも無視出来る要素だ。
敵は足も遅く、準備期間は多少なり取れるし、その進行方向も、ジャンヌ・ダルクと言う存在を追って来るなら読みやすい。
後はいかに威力を増す工夫を施せるか、に掛かっている。
詰まりは一條の腕の見せ所だ。
とはいえ、一応は一條自身が担当だが、こうして高井坂を指名したのは、一種の保険である。
アラン達を頼っても良かったが、そうなると翻訳の手間があったので、それならば都合の付く彼で問題はない。
「んで、これ。確かに長いけど、基本はこいつで良いんだよな」
紙を摘まみ上げ、こちらへと見せる様に揺らす。
「基本はね。追加修正は受け付けてるよ。ゴルゴダ平原なら無駄にスペースはあるから、後は大きさをどんぐらい取るか、かな。文字数との兼ね合いもあるけど」
「まぁ、そこは一文字の大きさも考えないとだから……。もう少し簡単になんねぇのか、これ」
「どっかの発明王みたいにはいかないでしょ。今やれる最善手を打ってくしかないね」
告げた台詞に、何事かを呟きながら机に突っ伏した高井坂に対し、苦笑。
「所で、俺らはいつ位にウネリカ行くんだ?」
「ん? んー……。どう、かな。一応、スフィ達と連帯して動く予定だけど。後はロキ側次第か。向こうは今まで以上にリーグォっぽいし、通常通り夜になったら動きを止めるみたいだから、一月、いや、一月半は掛かるんじゃないかな……。ひょっとしたらもう少し掛かるかも」
「マジで訳分かんねぇトロさだな……」
「翼で飛ばないだけマシだろうねぇ」
寧ろ、飛ばれたら今考えている作戦案も全て台無しである。
ある意味感謝すべき所であろう。
「それから……。あー……これは本筋と全然関係無い話なんだが……」
「んだよ。やっと本題か」
苦笑すれば、親友はバツの悪い表情を浮かべるのみ。
自室で名簿を見つつ考え事をしていた矢先、いつもなら大した遠慮も無く入ってくる筈の男は、戸を叩いた後で入ってきて此処に居る。
そうして、いつもなら部屋に入り浸っている紀宝に凄い視線を貰っているのだ。
最も、当人が居ない事を知った上で彼は来たのだろうが。
ちなみに彼女は、弟子を伴ってリゼウエットの家に押し掛けている頃だ。
一條も一度御見舞いで行った事はあるが、両親に泣かれた時は非常に困惑したものである。
――まぁ、大体泣かれるんだけど。
そして感謝されるのだ。
悪い感情は得ないのだが、どうにもこそばゆい。
自身では、そんな大した人間ではないと思ってるが故、だろうか。
――いや、身近に居る人達の方が凄いと思ってるからか。
苦い感情を飲み込んだ直後、高井坂が両手で頭を掻いた。
漸く、と言った体で身体毎、こちらへ向き直る。
「俺はな。百合にも理解がある男だ」
「……いきなり、一体何の話……?」
話が場外までかっ飛ばされた。
言葉の意味を思案しつつ、一條も改めて彼と向き合い、腕を組んだ。
首を傾げる。
「……もう少し話の着地点短く出来ない?」
次いで、先を促す様に手で示した。
何故か不思議そうな目で見られもしたが、進む事にしたらしい。
「性別の事だ。お前のな」
「……私の……?」
幼馴染みからの、改めての指摘。
「戻る見込み、無さそうなんだろ? ……いや、別に誰から聞いた話でもねぇよ。なんとなくそんな気がしただけだ」
気恥ずかしげに視線を逸らした。
「戻る……見込み……」
口の中でそれらの言葉を転がし、幾つかの情景を思い返してから、
――と言うか、なんとなくか。
微笑は心中のみにしつつ、数度、頬を摩るだけに留める。
「……個人的には、もう戻る気は無い。かな」
零す様に続けた。
「最近も考えた事がない、とは言わない。でも、考えない日が多い事も、否定しない」
今も、指摘されるまでは殆ど忘れていた位である。
――戻れる可能性が残されてるかは……だけど……。
思いながら、暫しの沈黙を、一條は髪を弄りながら待つ。
「そうか……」
意を決する様に呟く。
「……。なら尚更、だ。同性で友人同士であっても、俺はその考えを尊重したい。少し妬けるがそれも仕方が」
「待て待て。友人同士でとか分からん単語出てきた。え、何。つまり何?」
「え。いや、お前さんとミランヌが付き合うと言う話だが」
「どっから生えてきたんだよその話はよっ!?」
きょとんとした表情を浮かべる親友へ、過去に例が無い程度の突っ込みを入れた。
「あー、もう。最近妙にそわそわしてるな、とは思ってたけど見当違いも甚だしいよ全く」
ぶつくさと文句を言ってから、ちらりと高井坂を見やる。
不思議そうな表情をしていた。
「全く以て勘違いだよ、トンチキポンコツめ」
「悪口が可愛いかよ」
指摘されたが、咄嗟に浮かんだ単語がそれだったのだから致し方無い。
ため息。
「兎も角、何でそんな結論になったんだよ……」
「まぁ、その。少し前から、君ら二人、凄ぇ仲良くなってんじゃん。前にも増して」
眉根を詰める。
「そうか……?」
「そうだぜ。で、アランとも相変わらず、ってか、何か更に一歩遠のいてないかなぁ、と勘繰って。成程と思い至った訳だ」
「そうか……」
自覚は無かったが、十年来の親友が言うのなら、そう見えている事になるのだろう。
が、前者に関しては思い当たる節もある。
流石に公言する訳にもいかないが。
「んで……まぁ、なんだ。俺としては、だ。お前ら程似合ってる二人は居ないと思ってたんだよ。……ずっと前からな」
台詞に、一條としては黙りこくるしかなかった。
「俺じゃあ駄目なんだと思ってた。俺はお前みたく、誰彼構わず引っ張って行ける程、強くはないからな。紀宝とだって、会った時から息の合ったやり取りしてたしよ」
いつにも増した、真剣な声色。
その上で、彼からそんな事を言われるのは、初めてだった。
「俺はな。昔っからお前の事、尊敬してたんだぜ。困った人には進んで手を差し出すし、弱い者イジメを止めた事だって一度や二度じゃない。知ってる奴だろうと知らない奴だろうと、な。……俺には出来なかった。こんなガタイしてっけど、そんな勇気は微塵も湧いてこなかった。色々出来るのだって、全部偶々だ」
苦笑い。
「勉強は姉ちゃんから教わったから出来ただけだし」
「でもずっと努力してたろ」
自嘲気味の言葉に、一條は無意識に、即座に反応を滑り込ませた。
「運動も、血筋かは分からんけど出来た。人に頼られるのも悪くなかったし、少しでもお前みたいになれるかと思ったからやってた。……まぁ、結局、本腰入れてやったスポーツは無かったけど」
「でも皆から断然頼られてたろ」
覆しようのない事実だ。
「受動的だっただけだ。どっちも、一度だって俺からやる、って言った物は無かった」
巨体が、一回り小さくなった様に感じる。
「でも、俺が行けば一番に来てくれたろ。お前」
「言ったろ。受動的だって。お前に付いてっただけだ」
――そうかい。
目を閉じ、一息。
鮮明、とまではいかないまでも、それでも脳裏に焼き付いている。
「……。でも、俺は付いてこい、なんて言った事は一度も無かったぞ」
告げた台詞に、ハッとした表情を見せる。
笑って、言った。
「俺に対しては、積極的に動いてくれたじゃんか、お前さ。紀宝が来る前からだよ。だから信頼してるんだ」
「一條……」
「それに、だ」
続ける。
「それに。それを言ったら、俺だってそうだ。知ってるだろ。勉強も運動も、頑張って平均位。二人にはどう足掻いても勝てなかった。……結構、来る物があったんだよ、これでも」
苦笑い。
今でこそ笑い話でもあるが、最初は、それこそ悔しい思いもあったのだ。
勉強はそれなりとはいえ、特に運動方面。
実姉と同じく、一日二日あれば大抵の人間を余裕で飛び越えてしまえる才能と体格を有する化け物。
片や、格闘に特化した身でありながら、素の身体能力と反応速度で驚異的な成績を叩き出す怪物。
比較対象が違い過ぎると言えばそれまでである。
だがそれでも、最も近しい友人二人から、それほどの規格の差をまざまざと見せ付けられれば、歯痒い感情を得るのに然程時間は掛からなかった。
「正直、羨ましかった。逆立ちしたって勝てないんだから当然だけど」
「……」
「ま、今はお前は兎も角、あいつにだって早々負けてはやらんけどね」
多少、大仰に肩を竦めて見せる。
「それを考えれば、今の状況も最悪って訳じゃあなかったけど……。えーと、なんだ。お互いに色々言いたい事は言ったし言われたかな」
頭を掻いてから、一息。
「……。私は……とりあえず今は、そういうのはナシ。アランさんだけじゃなくて、誰に対しても。ミラに関しては……うん。諦めた、と言っちゃっても、良い、と思う」
言ってしまえば、消化不良も治まった感じがした。
「……良いのか……? それで」
顔を伏せ、しかし、次の瞬間には親友を真正面に見据える。
「良いも悪いも無いでしょ」
困った様な笑みを浮かべた。
「急に男に戻っても同じ事言えるか?」
「あー……うん。その時はちょっち、そんな事言える状況にはならないと思うので。気にしないで大丈夫、だと思うよ?」
視線を外しながらの台詞。
「んだそれ」
逆に高井坂側が困惑しているだろう事は想像に難くないが、何せそうなれば死人が二人出てしまう。
それもあまり公表出来ない理由からだ。
――やると言ったらやると言う凄みがあったからね……あいつ。
忘れられない記憶でもある。
思い出して、笑う。
「俺、今変な顔でもしてたか?」
それが、目の前の人物にとっては自分が笑われたと解釈したようだった。
揉み込むように顔を触っていく親友に対して、
「いやいつも通りの変な顔だよ」
とだけ告げ、視線を手元の名簿に移す。
そこには丁度、見知った名前があった。
「……お前の方が変な顔してるぜ」
「さっきまでしょげてた奴が良く言う」
即座に言い返したが、無言で反対の意を示してくる。
特に反応せずに居れば、様相が変わり、ただの妙な踊りになってきた。
「やだ呆れられてる……? ま、良いか。俺もやる事あるから、ここらで一旦お開きにするわ」
「勝手に来といて勝手に帰るのか」
「わっはっは。お前の考えも分かったからな」
「そ。お前の考えは聞いてないが?」
「んー。ま、俺なりに頑張ってみるさ」
「はいはい。精々、頑張んなさいな。……私からは、特に言える事はないけれどね」
「へいへい。……んじゃ行くわ。これでも、忙しい身の上なのはホントでね。……何でか作戦案の一部を考える羽目になってるしよ」
頷いたのは、その推薦をしたのが一條や紀宝らであるからだ。
「少しは働け」
言葉に、一頻り苦笑いした彼は、思い出した様な仕草。
「所で、今日の髪型とか服見てると、何かアレだな。こう、母親、って感じだ」
一條は、眉を顰めながら自分の姿を改めていく。
寝間着ではないが、ゆったりとした上下服。
薄紫色の長髪は、その先端を結び、肩を経由して垂らしている状態だ。
特段出掛ける予定も無かった為、実に簡単な仕上がりである。
等と言うが、実際、それどころではない程度には、忙しない。
「ラフな格好だと言ってくれ……」
親友の呼称に対して、今一度、頭を抱える事となった。
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yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。
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