ジャンヌ・ダルク伝説~彼の地にて英雄と呼ばれた元青年~

白湯シトロ

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南部都市リンダール(16)

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――本当に一日中お祭り騒ぎだわ……。
 窓枠から漏れ入ってくる微かな灯りを横目に、ミランヌは消え入りそうな吐息と共に思考した。
 窓とは言っても、元の世界の様に硝子がはめ込まれている訳ではない。
 壁や床と同様、木で作られた格子状の物で内外とを区切られているだけである。
 現在時刻は不明だが、深夜であるのは確実だ。それでも、少し前まで聞こえていた喧噪は流石に止んでいる。
 黒をぶちまけた様な色合いの室内も、寝息が微かに二人分聞こえる位であり、逆に起きている此方の息が詰まる程に静かだった。
 最も、床に座禅を組んでいる身としては、これ位の方が心地よくもあるが。
「ふぅ」
 と、小さく、そして浅く、息を吐く。
 ミランヌ自身、別に眠気が無い訳でもなく、全く疲れが無い訳でもない。
 
 宿泊施設の二人部屋の中で、不意に動く物がある。
 窓枠の一つが開かれた。
 ミランヌ達の居る此処は三階。外は所謂、露天風呂仕様になっている。
 正に至れり尽くせり、ではあるが、当然、
 そして、開いていくにも関わらず、最低限の音すら立てない様、慎重に慎重を期している。
 息を殺し、耳を側立てていなければ、同じ部屋の中に居ても聞き逃してしまうのでは、と思える程の微細な音。
 続いて、抜き足で移動してくる物体。
 それらを確認してから、ミランヌも音も無く一息に立ち上がる。
 周囲に配慮した声量を飛ばす。
「リンダーラには夜這いの慣習でもある訳?」
「っ!?」
 部屋の中。
 此方の声に身を震わせて反応した数は四。
 全員共に全身黒。目付きの悪さが、射貫く様に此方を見た。
――暗殺、だなんてジャンヌ姉の悪名此処に有り、かしらねー。
 苦笑しながら思う。
 が、それも一瞬。
「気配の消し方がなってないのよ。。人ってね、色んな気配を持ってるの。暗殺したいなら殺意だけ出してれば良いのに。此処に来て急に存在感まで無くなったら誰でも不気味に思うでしょ? 普通」
 言葉に、相手から反応は見られない。
 構わずに続ける。
「今なら、、って形に治めたいんだけど。如何?」
 とはいえ、微かに声は聞こえる。内容までは判然としないが、
――んー。これは無理かなぁ。
 頭を掻いた。
 同時に、四人が懐からを取り出したのを闇の中に見る。
 恐らく、だが、短剣の類い。
――ご丁寧に黒塗りしてんのかしら。或いは、毒とか?
 分析しつつ腰を落とし、脚に力を込める。
 四人が持っているのは、本来ならば多少は光を見せる筈の刀身が見え辛いからだ。
 考え通りの物が塗られているとしたら、刃に触れるのは止めた方が良いと結論。
 ミランヌを障害とは認識し得なかったのか。一瞥をくれたのみ。
。クラウディー家のご令嬢まで刺しちゃうわよっ」
 飛ばした声に、一人が腕を振り上げたまま、慌てて、しかし、寝てる当人を刺激しない様注意を払いつつ掛け布団を剥いだ。
 一つのベッドに、女性が二人。
 ジャンヌ・ダルクとスカルトフィ・クラウディーである。
 彼が、いや、彼女になってからかも知れないが、兎も角、一度寝たら中々起きないのはこの世界に来て知った新しい側面だ。
 そんなジャンヌに引っ付いて寝息を立てるスフィも、アレはアレで手強い。
 どうにも彼女は、抱き付き癖があるらしく、寝相はとても良い割りに、抱き枕的な物が無いと深く眠れないと言う厄介な性質の持ち主であった。
 ミランヌ自身は勿論、ジャンヌやテリアも被害に遭っている為、最早、そういう妖怪か何かだと思う事にしている。
 それでも体内時計は正確なのか、朝にはすぐさま起きてくるのだ。
 何とも不思議な眠り方をする人物であった。
 ともあれ、一見して誤解を招きそうな程に絡まり合っている二人である。
 四人共が、躊躇した。
 当然である。
 まだ貴族として日の浅いジャンヌ・ダルクならばいざ知らず、十二皇家の中でも名家であるスカルトフィ・クラウディーの殺害、まではなくとも、傷を負わせたとあっては、一大事だ。
 考え得る最悪の結末が待っているのは、火を見るより明らかである。
 だからこその、そんな一瞬の躊躇から来る意思疎通の確認。
 が、ミランヌにはその一瞬があれば事足りた。
「ふっ」
 狭い部屋の中、床を滑る様な動きで前へ。
 右の一歩目。十分に距離を詰めた。
 左の二歩目。思い切り足首を内へ捻り、攻撃態勢。
 浅く息を吐いた。
「っ!?」
 それに反応した所で、
――遅い。
 一撃。
 ベッドを囲う様に展開していた最前、左手前の人物へ、側頭部への綺麗な右の上段蹴り。
 会心の一撃クリーンヒット
 膝から崩れ行くそれには目もくれず、返す刀で右の人物への連撃。
 上段、同じく側頭部への踵は、相手が振り向いた為、顔面への一撃となり、小気味良い音を奏でた。
 手加減も躊躇も無く、振り抜く。
 残りは二人だが、ミランヌにとってその反応は鈍いのも良い所である。
「こいつっ」
 薄ぼんやりとした影が言葉と同時に動いたが、やや緩慢とも思える動作であった。
 それでも、大きさすら把握し難い短剣の突きは、底知れない物を感じる。
「こいつとは失礼ねぇ」
 、正解と呼べる行動であったのは確かだ。
 武器を持った相手との素手試合は、異世界に来てからも、それ以上に以前の世界でも、幾度となく経験している。
 特に短剣の類いは、まず想定すべき事態として訓練された。
「基本は逃げるべし。しかし、正面から戦う場合、これはただの獲物と考えるべし」
 偉大な師の教えである。
 何故かは、彼がそう言った経験豊富さ故、としか言い様がなかった。
 武器を持っている場合、多少なり射程は長く、当たれば無事ではない。
 確かにその通りだが、同時にそれは弱点にも成り得る。
 意識の問題だ。
「足元がお留守」
 際どい回避をしている様に見せ掛け、視線すら動かさないままに、踏み込んだ相手の足へ蹴りを合わせる。
「っ!?」
 とはいえ、威力は然程無い。
 精々が子供に蹴られた位だ。
 が、それでも相手の動きが悪くなったのを見れば、驚愕と不可思議さが同居しているのは分かる。
「判断が遅い」
 逆に踏み込んでからの連撃。
 左太もも。
 右の膝。
 臍。
「ぐ、くそっ」
 負けじと飛んできた右からの短剣を、左手一本で簡単に流した。
 追撃を再開する。
 心臓。
 左裏膝。
 顔面。
 喉仏。
 暗闇の中においても、ほぼ正確に、打撃を叩き込んでいく。
 これらも、威力自体はかなり抑え目だ。
 本気で打ち込めば、部屋そのものを駄目にしかねないからである。
 再度短剣を突き込まれたが、
「ふんっ」
 左の肘と膝で腕そのものを挟み、骨を粉砕。
「がっ……」
――大声挙げないのは褒めるべきかな。
 短剣を取りこぼしたのは、致し方ないとは言える。
 一息。
――当たれば勝ち。ってのは、当てられなきゃ負け、って事。
 刃物は当然強力な物だが、素手よりも遙かに高い攻撃力を持っている所為で、常に攻撃はそこを中心に据えてしまう。
 これは、超近接戦闘が行われている中にあって、ある意味で厄介な障害となり得る。
 人間が有史以来、最も研鑽と派生、進化をさせてきたのは徒手の類いだ。
 四肢を用いた打撃、掴み、投げ、締め、組み付き。あらゆる事をあらゆる角度、場所から行える戦闘技術。
 さしものミランヌとて、その全てを網羅している訳ではない。
 しかし、だ。
 短剣一本を突き入れる事に執着してしまえば、今の相手の様に、
 実質的に手数が減るのだ。
 その分攻撃は読みやすくなり、加えて、直線的な攻撃が多くなる事で隙が増える。
 最も、後者に関してはミランヌの様な実戦経験も豊富な人間だからこそではあるが。
「次からは対素手の相手、も少し訓練なさい」
 忠告じみた言葉に対して、取った行動は、、だ。
――戦い慣れはしてる訳、ね。
 思うが、同時に諦めの悪さに辟易してくる。
 それだけ、ジャンヌの存在が鬱陶しいのだとも取れるが。
 だが、彼女の夜目は、その人物を既に見てはいなかった。後方で、再び動き出した黒の影をこそ、見詰める。
 舌打ち。
 同時に選んだのは、眼前の相手の懐へ飛び込む様な動き。
「っ!」
 ミランヌの不意の動作に即座に反応して、最短距離で左の短剣が飛んでくる。
 意にも介さない。
 短剣を脇に通してやり過ごしつつ、右足を相手の左太ももの上に乗せ、両手で相手の肩を掴んだ。
「よっ」
 声と共に、相手を中心にして弓形を描きつつ越えていく。
「っ、なっ」
 一番奥で余裕ぶっていたであろう敵に対し、体勢を崩す程度に足で押し込んだ。
 が、その反動を以て、足元の標的、その後頭部へと強烈な膝を叩き込んだ。
「ご、あっ」
 音と感触、呻き声から、どうなったのかは推察するのみだが、ミランヌはさして気にも留めない。
 倒れゆく人の上で器用に立ち、そのまま着地。
 丁度踏み付ける形ではあるが、それも気にしない。
 その上で、
 短剣を、未だに熟睡中の二人へ向けた最後の一人と、視線が合った。
 お互い動きを止めて数秒、雲の裂け目からだろう。月が顔を出し、部屋に僅かばかり光量が入る。
「「……」」
 両者の位置、姿形。全てが開示された。
「……皇都じゃ、それが寝る時の格好なのか?」
 おや、とミランヌは思った。
 声を掛けられるとは考えていなかった為である。
 だが、彼の指摘に、ミランヌはただ笑う。
「女性の寝込みを襲撃しに来た割に、姿? 彼女いない歴=年齢なの?」
 口元は黒地の布で、頭部も頭巾を被っているお陰で表情全ては窺えない。
 それでも、若干困惑したのは感覚的に理解した。
 月明かりの元に晒されたミランヌの格好が、どうにも不可解に映ったのだろう。
 上下共に布生地一枚。
 紛うこと無く、ミランヌは今、下着のみである。
 付け加えるならば、ジャンヌも殆ど似た様な格好だ。流石にスフィは寝間着である。
 豊か、とは言えないまでも、きちんと立派に胸もあり、腰回りや腕、足も女性的な細め体型、とは言えないが、これは鍛えている証左だ。
――失礼な。そりゃあ、ジャンヌ姉に比べれば……見劣りは、する、かもだけど。
 ついでに言えば、スフィよりも一回り小さい。
 テリアはジャンヌ側である。つまり敵だ。
「くそぅ」
 別な意味で悲しくなってきたので、それ以上は思考を止めておく。
「全く。まぁ、別に減るもんじゃないし……。それより、まだやる? 見逃してあげても良いけど?」
「見逃す? 振り下ろすだけで俺の勝ちだが……?」
 勝ち誇る様な物言いに、ミランヌはため息一つ。
 彼には最早、スフィも関係は無くなった様だ。
「なら試してみる? 西部劇のガンマン風に言うなら、、ってやつね」
 口の端をつり上げたが、後半部分は伝わっていないだろう。
 それでも、言葉の意味する所までは大凡理解している筈である。
 その証拠に、男の短剣を握った手が、ぎしり、と音を立てた。
 一瞬の静寂。
「「っ!」」
 初動は同時。
「っ!?」
 
 制したのはミランヌだ。
「おま、え。今のは……っ」
 短剣を持つ腕を、ミランヌは右手で掴んでおり、
「が……っ」
 安全圏まで移動させてから更に力を込めれば、武器も没収出来て無力化に成功である。
 藻掻く様に左の手刀が来たが、右の脛に一撃を加えて片膝立ちに、次いで顔面へ右肘を叩き込んで沈黙させた。
「暗殺者が状況判断疎かにしちゃあ、駄目ね。……ま、避けたのは流石だけど」
 視線の先、壁には短剣が突き立っている。
 ミランヌは、男の振り下ろしに合わせて、床に転がっている短剣を投擲したのだ。
 無論、拾って投げた、のではない。
 、である。
 当然の様に見る事無く行われた物であり、むしろ、正確に顔面を狙ったそれをすんでで回避した暗殺者をこそ褒めるべきであろう。
「はぁ……」
 力を緩めないまま、深いため息。
 言いたい事や聞きたい事は山の様にあったが、
「こいつってばさ。負けず嫌いで意地っ張りなの」
 吐いて出たのは、現状には似つかわしくない物。
 痛みからか、男は何も言わず、身動き一つしない。
「困ってる人は放っておけないし、頼まれたら嫌って言えない損な性格してる。良く変な委員とか任されちゃってる事も結構あったなぁ」
 まるで独り言であったが、構わず、ミランヌは続ける。
「それでも責任感は人一倍あって、へこたれないし、投げ出さないし。……結局、周囲巻き込んだりして、なんだかんだ解決したり達成したりしてる不思議な奴なの。リーダーに向いてるのか向いてないのか知らないけど」
 苦笑した。
 昔から、一條・春凪と言う人物はそうなのである。
 そんな過去を思い出す。
 人物評価も色々と分かれる部分が多い。だが、少なくとも悪口や陰口とは無縁であった様に思う。
 
「……ううん。向いてないか。自分の為に誰かが傷付くの、凄い嫌がるし」
 腕に力が入るのを、ミランヌは自分でも知覚する。
「だから、自分の為に、って。自分を頼ってくれた、って。それで亡くなった人達や大きな怪我をした人達を見て、思い出して。……時々、夜に飛び起きたり泣いたりしてる」
――ウソが下手過ぎて私でも分かるっつーの。
 ミランヌ以上に長い付き合いだが、シャラは微妙な線だ。
 他、アランやスフィ、テリアも、薄々勘付いてはいるかも知れない。
 言う事では無いし、聞くべき事柄でもないので、正直分からない所だが、それならそれで構わないと思ってはいる。
 しかし、思えば、改めて口にすれば、ふつふつと沸いてくる感情。
 それをぶつける様に、男を睨み付けた。
「なら、これは担ぎ上げた私の責任だ。。他の誰でもない、ジャンヌ・ダルクの為だけに戦う」
 言葉として宣言すると同時、みしり、と音が鳴り、続け様、鈍い音と共に妙な感覚が伝わってくる。
「っー。ぁ……は、ぁ」
 ミランヌ自身も若干驚いたが、単純な腕力で人の手首を壊して見せた。
 と言っても、完全に潰した訳ではなく、精々が粉砕骨折程度ではあるだろうが。
「……これで手打ちにしてあげる。そっちのプライドは知ったこっちゃ無いけど」
 既に、この場での脅威はなくなったと判断し、ミランヌは一旦解放。
 頭目と思われる男が右手を押さえつつ、仲間を一人一人叩き起こしていく。
 彼自身も含めて、戦意が無いのは傍目にも明らかだ。
 ふらふらとした足取りで全員が窓際に立った所で、それでも警戒を怠る事無く、伝える。
「今のを優しさと受け取ったのなら、また来ると良いわ。……但し」
 死の宣告。

 やはり、言い放った相手からの反応は無い。
 ただ、一瞬動きを止めただけである。
 そうして、律儀に窓をも閉めて、立ち去った。
「はぁ……何も言わず、か」
 頭を掻きつつため息を吐いたが、それで答えが返ってくる訳ではない。
 既に、四人の気配は消えた。
「んー……寝れるかなぁ……。って言うか、此処、私とジャンヌ姉の部屋なんだけど」
 当然の様に妖怪抱き付き魔は此処に居る。
 何やら机に向かっていたが、眠気で頭が回っていないとこうなるのかも知れない。
 それはそれで、全く面白い行動ではあるのだが。
「ま、良いか……ベッドは二つー……」
 もぞもぞと潜り込んだミランヌが眠りについたのは、結局、夜も若干白けた頃だった。
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