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南へ(3)

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「ジャンヌ殿、見えて来ましたよ」
 声に呼ばれ、一條は幌から御者席へと顔を出した。
 遅れて、紀宝が続く。
「……あれが噂のモックラックの森、か」
 眼前に広がるのは、木の群れ。見た目的には何処にでもある森の様相を呈してる。
――でも雰囲気は苦手なやつ。
 思うのもある意味道理だ。
 居並ぶ木はどれも黒く、それが殊更に恐怖を煽っている感じがしてくるからである。
「まだ全てを探索出来てない、って話ですよ。この森」
「広すぎるんだよなぁ……」
「……。ドーム四万……五千とか六千個分位?」
「真面目な顔して言う事それか? ……いやそれよか数字刻み過ぎでしょ」
――第一、ドーム四万六千って広さどんぐらいだよ。
 刻んだ以上、彼女なりに意味はあるのかも知れない。
 兎も角、地図上ではヴァロワ皇国のリンダール他南方を遮る様にして、東西に広く横たわっている森。
 それがモックラックの森だ。
 正確な面積は不明だが、紀宝の挙げた数字程度には広大なのは確かだった。
「それにしても、生態も実情も良く分からん森の横だなんて、誰だって住みたくはないわな……」
 そんな巨大な森へと続く道の先、一軒の家がぽつんとある。
 アランの示した目的地だ。
 住みたくはないが、それでも交通としての道がある以上、関所に近い物は必要であると言う事だろう。
 しかし、それはこの森の危険性を暗に伝えてくる気さえしてくる。
 聞く所によれば、中は起伏も激しい箇所が多く、当然見通しも悪い為、進む方向も安定しない。
 一歩間違えれば遭難。
 文字通り我武者羅に踏み入れて通過が出来る程、生易しい地ではなかった。
 以前に立ち寄った村、ハーラトから続いているこの行く先の道が、
「えぇと。確か、村長の息子さん、だっけ? あそこに住んでるの」
「そう」
「……罰ゲーム?」
「いや。それはどうだろう……」
 紀宝の言う事も大概なのだが、この様な僻地に住んでいれば、そう考えるのも致し方無いとは言えた。
「アランさー、ん」
 呼ぶと同時に、馬車が動きを止める。
「すいません。ジャンヌ殿」
「いや、平気……で、着いたけど。何。通行するのに料金払うとか?」
「他の国に行く訳じゃないので。そんな事をする必要もありませんよ」
 一條の疑問に答えたのは、聞き覚えのない声。
 向けば、そこには一人の男性。
 金髪に黒目。
 歳は壮年、と言った所。
 彼は、咳払いを一つ。
「モックラックの見張り役をしています、ホルルクと申します。噂はここまで聞こえてきていますよ。ジャンヌ・ダルク様」
 少々、慇懃が過ぎる程の会釈。
「いやいや。そんなそんな……ハーラトの村長、の息子さんですよ、ね。……泣いてないな?」
「……常に泣いてるのは父さんだけです。悲しんでも泣くし、喜んでも泣くし、笑っても泣くし。酒が入ると厄介ですよ。まるで赤ん坊みたくなりますから」
 そう言うと、苦虫を噛み潰した顔を見せる。
 その時の事を思い出しているのだろう。
 とはいえ、話に聞くだけでもげんなりするのは理解出来る。
「ついでに髪もふさふさ」
「言うな言うな」
 小声で茶々を入れてくる紀宝を、頭を撫でる事で内に押し込みつつ、
「えぇと。じゃあ、普通に通っちゃって良いんです?」
「構いません。ただ、この所森が騒がしいので、そこだけは注意して下さい」
 忠告。
 モックラックの森の全容が、未だ不明とくれば、果たして、相手はどんな生物か。
――あっちこっちで騒がしいのは、ロキも関係あるのか無いのか。
 思った先、アランが口を挟む。
「ホルルク殿。お父上殿から伝言が一つ。たまには帰って来い、と」
 彼は、バツが悪そうに頭を掻いているだけだ。
「……そうなの?」
 アランへの問いには、苦笑気味の表情だけが返ってくる。
 ハーラトの直前まで馬車の運転に集中していた為、村に着いてからは記憶があやふやだ。
 お陰で操縦そのものはかなり上達した様にも思うが、客観的評価はまた別の話である。
「速攻で用事終わったし。どうするのリーダー? 先進むの?」
「えー……スフィ?」
 中へ向けて投げた言葉に、五人の中で最も立場が上の人物は、不思議そうな顔をしていた。
「ジャンヌ姉様が決めれば良いのでは?」
「なんでかなぁ」
「ドワーフ出てから、もうそんな雰囲気だったじゃん。馬車も描いてあるし。ねぇ、アランさん」
 紀宝の言葉に、全員が頷いている。
――えぇ……。
 一條達の後ろを追従しているもう一つの馬車を操縦する親友も、恐らくは同じ動きをするだろう。
「まぁ、それなら先に……。おや? ホルルクさん? 家の所に居るの、ひょっとして……?」
 指差しで告げた台詞に、ホルルクが微妙な表情をした。
 アランもその先に視線を送り、似た表情を見せる。
「何何ー。何か見付けたのー?」
 紀宝の頭が再び幌の中から出てきて、続く様にスフィとテリアが。
 そして、二人はぎょっとした表情。
「ロキ……っ!?」
「スフィ、違うって。ちゃんと生きてる、って表現はどうかと思うけど、動物だよ。本物の黒犬ウェスグだ」
 一條の言葉に、彼女は眉根を詰めながらも、二度、三度と此方と犬とを見てから、一息を吐く。
 テリアも、指摘には納得したとは言えない顔だ。
「ごめん。悪気はないんだ」
「……良いさ。慣れてる。モックラックの近くに住んでる理由の一つでもあるから……あぁ、いや、あるんだ、です」
 自嘲気味の笑い。
 彼の動揺と、二人の感じからも、十分に異様さは伝わってくる。
――うーん。まぁ、仕方ないんだけど。
 考えながら手早く準備して、一條は後方から飛び出した。
 一応、その辺りの事も把握はしている。高井坂塾塾生に抜かりはあんまり無い。
「よーしよし」
 此方が回ってくる間に、ホルルクが呼び寄せていたのだろう、全身が黒一色の犬を撫でていく。
 ロキで一番目にするのが犬型。
 何故、あの生物群がこれを模しているのかは不明だが、兎に角、色合いすら殆ど似ている為、一時は本来ウェスグと呼ばれるこの犬種が片端から処分されたのである。
 皇都他、北部の街等で見掛けない理由だ。
 ローンヴィーク含む南方では、狩猟犬や家の護衛犬と言った名目で昔から飼われていた事もあり、畏怖の対象にはなったが、其方程忌避はされていない。
 最も、その数を大きく減らしたのは、紛れもない事実である。
 また、多くがモックラックの森に追いやられたと言う話も聞いた。
 理由はあれど、ウェスグを飼っている人間は、余程変わり者だ。それ故、彼の言う様に、此処に住んでいるのが納得出来る点でもある。
「お前も大変だなぁ」
 律儀に座ったまま、此方へ視線を寄越すのみで威嚇もしてこないのは、ご主人が傍に居る事も、無関係ではないだろう。
「ジャンヌさん達は、そういえば、此方の出身、でしたね……」
 スフィは若干引き攣った顔だが、テリアに至っては半分も顔が幌から出てこない。
 ロキと戦った者程、その思いは強く出る。
 逆に、アランは妙な表情をしているが、どういう感情から来るものかは判然としなかった。
――大体同じ様な事考えてるんだろうけど。
 勝手な解釈と推測だけに留め、撫でる手を黒犬から紀宝に移す。
「ミラミラー、そろそろ行こっかー」
 森を抜ける最短距離と言っても、向こう側にある村、エルドまでは一日を見る必要がある程度には、長い道のりである。
「ジャンジャンが煩いからごめんねー」
「パンダかな」
 問いに答えは無かった。
「っと。ホルルクさん。続きは帰って来てからで。……あ、料理するんですよね。お肉かな、微かに良い匂いしますし」
 皇都とはまた違った独特の物だ。
 香辛料等からして異なるのかも知れない。
 或いは、肉そのものの違いか。
「え、えぇ。狩りも仕事の内でして、私とこいつの分なら余裕です。……良ければ、次は家に案内させて下さい」
 未だに面食らった様な顔をしているのは、女子二名が恐れもなく黒犬と触れ合っていたからだろうか。
 若しくは、
「一応貴族待遇なんですけど、距離感は慣れてなくて」
 言葉を理解したのかどうかは分からないが、困った表情に変化した。
――自分も他人の事言えないかも……。
 武器破壊する事でしか決着しなかった対戦相手を思い、心中で即座にそれを投げ捨てる。
「あぁでも、結局、森の中で野営はしなきゃなのか……」
「まだ昼なのに暗そーだし、夜になったらマジで道迷うわよねこれ」
「……」
「……手でも繋いであげようか?」
「いや……流石に、そこまでは……」
 紀宝の嘲笑の色が濃くなった。
――これだから実体無くても殴れる脳筋系は。
「ジャンヌ姉。顔出てる顔。腹立つ事考えてるなさては」
 咳払い一つで真顔にする。
「森林保護の素晴らしい様子を考えてた」
「晴れやかに嘘吐くな」
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