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南へ(2)

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「結構、様になってきたんじゃない? 画家のヘアン・オーブ君や」
 一條のそんな声に、彼、ヘアン・オーブはややあってから顔を上げた。
「いえそんな。……すいません。なんか、引き留めてしまったみたいで……」
「誤差誤差。こういうのは少し遅れた方が良いの」
 からからと笑って見せれば、困った様な表情になる。
「こっちもこっちでやりたい事あったし。お互い様ってやつ」
 続けた軽口に、少しばかり納得した様で、作業に戻った。
 皇都を出立してから、一條達一行が中継地点のドワーレへ辿り着いたのが二日前。
 本来ならば翌日、つまり昨日には此処を立つのが普通なのだが、理由はある。
 一つが、目の前にある幌馬車だ。
 元々、ランス家の所有にはなるのだろうが、一條達がこの世界に来てからお世話になり続けている代物なのもあり、此処に至って正式に一條達の馬車となった。
 そして、それを示す何かが必要となった訳である。
 これに軍人貴族でありながら、現在では画家志望でもあるらしいヘアン・オーブが手を挙げ、幌の横面に紋章にも似た絵を描いているのだった。
 と言うより、紋章そのものと表現して良いだろう。
「まさか自分のエンブレムが描かれるとは……」
 控え目に言って、気恥ずかしさが先に立つ。
 長髪を携えた女性を横から表現した絵。
 簡略化され、顔等も描かれてはいないが、どう見繕ってもジャンヌ・ダルクである。
 成程、存在と所有を内外に知らしめるには、これ以上ない手法であると言えよう。
「ウネリカから運ばれてくる紫鉱石を買って砕いて、色も加えてみる予定です」
「平気かそれ……」
 等と呟いたが、紫鉱石自体は別に可燃性等があると聞いた覚えもない。
 ただ、加工に相応の火力が必要であると言うだけだ。
 少量を粉末状にして塗る程度ならば、気にする必要もないだろう。
「ここまでさせて貰ったんですから、妥協はしません」
「そうか……まぁ、後でお金は払うから」
 と言う一條の声すら、今の彼に聞こえているかは微妙だった。
 最も、ジャンヌ・ダルクを表現するのであれば、紫鉱石での色付けはこれ以上ない方法ではある。
 相応の金は掛かるだろうが、どれほどの量を使うかは、判然としない部分だ。
――それはアランさんと相談と言う事で……。
 心の中で詳しい人物へぶん投げた所で、
「ジャンヌさん」
 声が掛かる。
「テリアさん。どうだった?」
 質問には何も答えず、ただ両手を見せるのみ。
 可愛らしい掌が見える他は、物も置かれてはいない。
――うーん。……?
 思う。
 ドワーレに留まっている理由の二つ目。
 一條としては、むしろ此方が本来の目的でもある。
 郵便。
 都市間でこれが叶えば、少なくとも情報伝達の速度は飛躍的に上昇する。
 開発者として、今回のリンダールへの出頭はこれを試す良い機会だ。
 アランには勿論、スフィにもこの事は折り入って相談していた。
「失敗……は早計か」
「でも、本当に届いたかどうかは、分からない、んですよね?」
 とはいえ、彼女の言う通りだ。
 ドワーレに着いてすぐ、一條は連絡事項等を書いた手紙を、用意していた便せんに入れて封をした後、文字魔法学で飛ばしている。
 一応、見た目には皇都へ向けて飛行して行った筈だ。
 しかし、観測出来るのはあくまで飛んで行った所までで、届いたかどうかは向こうからの返信を待つ他無い。
――当然だが。
 出発前、ルッテモーラやルリエ、グランツェの門番と言った面々に事情は話してある為、混乱は起きないだろう。
 無事に届いていれば。
「流石に二日で行って帰ってくるのは無理か。今回は結構な速度でかっ飛んでいったから、どうかなと思ったけどー……」
 言ってから、首を横に振る。
「あー、いや、それより付き合わせちゃってごめん。一応、
 頭を掻いた。
 街の出入り口付近を指定しているのも、事情はある。
 まず、皇都内での実験がランス邸私室から門までであったので、文字的に融通が利いた為。
 そして、もう一点。むしろこっちが大事だろうが、個人の住所が存在しない為。
 いや、存在していたとして、果たして細かな指定先が可能かは未確認でもあり、それ故分かり易い指標としての選択であった。
「それは良いんですけど……あ、これ、ジャンヌさんですか?」
「いやうん。そうだけど……」
「流石ですねぇ、凄いですねぇ」
 改めて指摘され、反応に迷っていると、
「リアちゃん。あんまり褒めると調子乗るから止めとき」
 義理の妹からの差し止めが行われた。
「……別に制作したのアタシじゃないけど」
「原案出したのジャンヌ姉だし、似た様なものでは?」
 唸る。
「見た目分かり易くするならスフィとこのみたいな感じで良いんじゃない?」
 と発言してしまった以上、紀宝の言う事も一理かも知れない。
 そもそもこの様な部隊章を持つのは、一條が知り得る限りスカルトフィ麾下位である。
「要らん事言った気もしてきた」
 その事に軽く息を吐こうとした所で、見慣れた人物が視界に入ってきた。
 片手を挙げ、ざっくばらんな様相。
「おーう、ジャンヌ。おはよう」
 パラチェレンが、巨体を揺らしつつの乱入である。
 彼の挨拶に、一條は天を見た。
「……まだ、朝、ではあるか」
 時間は太陽の位置でぼんやりとした把握である。
 因みに今現在、まだ頂点には早く、多少傾いている程度だ。
 口に出した通り、一応、朝と形容は出来た。
――時計が恋しくなってくる。
 砂時計も完成している為、次は一日を計る物の作成も必要だろう。
 最も、一條にはそういう知識は皆無なので、それこそ時間が解決してくれるのを待つ他無い。
「昨日の返事をまだ貰ってないと思ってな」
「一夫多妻制はお断りだ馬鹿野郎。後、昨日も言った」
 にべもなく突き返した。
 と言うのに、彼は肩を竦めるのみ。
「そうか。じゃあ、いつぞやの続きでもするか?」
 身振り手振りでパラチェレンが示すのは、決闘だろう。
 一條の考えが正しければ、恐らくは以前と同じく木剣ではない。
 あれから幾人にも聞いているが、普通は行われない類いの物である。
「戦闘狂め。……アタシもアルベルトさんに教えを受けてる以上、やるなら徹底的になるけど、それで良いなら」
「あぁ……前に聞いた様な気もするが。全く羨ましい限りだ」
「羨ましい……?」
 パラチェレンから出た、珍しい単語に思わず聞き返した。
「当然だろ。俺もあの人の槍捌きに惚れた側だからな。綺麗な動きだったぜ。無駄がない、と言うか。全てが洗練されてる動きだった。あれは一度見たら忘れられない。俺以外にも真似してる奴も居た位だ。少なくなっちまったが。……ま、俺も俺で結局今の形に落ち着いたがな」
「……へぇ」
 感嘆の声を出したのは、パラチェレンが只管に他人を褒めている珍しい状況なのもある。
 その上、長々と話している事が既に面白いと言えた。
 彼にこれ程まで言わしめるアルベルト・ランスの槍。
 アランからも多少なり聞きかじってはいたが、改めて他人からの評価を目の当たりにすると、その凄さも一入である。
「今もかなり動けるみたいだし、そんな人の弟子やってるんだ。期待しても良いんだろう、ジャンヌ?」
「……やるなら場所とか改めてね。お互い木剣で、身体の何処か一撃入れたら終わり。武器飛ばされても負け。後は……」
 思案しながら、条件を提示していく。
 事前に取り決めれば、お互い怪我も少なくて済む。
「決闘するのは良いんだ」
 紀宝の声に、一條も指折り数えていたのを止める。
 それにふと、パラチェレンに向き直れば、妙に嬉しそうにしていた。
――師匠を褒められた分にしておこう。
「はぁ……。まぁ何でも良いけど。所で、他に用事があったのでは? パラチェレン殿」
「その用事も今潰れた所だ。アランの奴、此処には居ないよな?」
「……そういえば今日はまだ見てないですね」
 そう言いつつ二人に視線を飛ばせば、彼女らも首を横に振っている。
 アランとは朝食も別々だったのだが、その事を特に気にする事もなかった。
「ついでにシャラもね。つるんでるんじゃない? 最近仲良いみたいだし」
 紀宝の言葉には肯定しかない。
「そうか。なら、ジャンヌにも伝えておく。元々そのつもりだった」
 パラチェレンの言葉に、無言で首を傾げたが、構うこと無く先を続ける。
「リンダールに行くんだろ。リギャルドに会いに」
「あー……うん。そうだけど」
「使いの奴が古い知り合いだったんでな。
「ちょっと……」
 言い方に眉根を詰めたが、今更だった。
 微妙な顔をしているテリアも、このやり取りを含め、少しはパラチェレンと言う男の素性も分かってくるだろう。
「リンダールには少し前からウッドストック家の当主がその部隊毎居るんだがよ」
「ウッドストック……ヴァロワ十二皇家の一つ、だっけ。……確か、サーフマ・ウッドストック?」
 名前にパラチェレンのみならず、テリアも頷いている。
 紀宝は一人、神妙な顔を浮かべていた。
――覚えてないだろうなぁ。
 彼女はそれなりに薄情なのではないかとも思い始める。
「何だっけ……。リンダールの守備隊、みたいな事をしてるんでした、よね。ラースリフ・リギャルドの所だけじゃカバー出来ないから、とか……スフィがそんな事を言ってたな」
 テリアが正解とでも言いたげに首を縦に振った。
 が、この話は一條の記憶違いでなければ彼女も一緒に聞いていた筈である。
「ロキの出現に合わせて、な。ただ、それとは別に問題が出てきてるらしい」
「別の問題……?」
「リンダールがヘッズロー大河の向こうとも交流してるのは知ってると思うが、最近そこに厄介なのが住み着いた様だ」
 ヘッズロー大河。
 一條も小耳に挟んだ程度の知識ではあるが、相当に川幅のある代物で、此処を通じて、更に南方の国と独自に貿易を行っているのが、リンダールと言う街である。
 しかし、そんな噂が立っているとは初耳だった。
「完全に途絶えた訳でもないらしいが、そもそも、皇都でも把握してない事だろうからな。一々報告はしてないだろ」
「なるほろ。……ロキとは違う?」
「みたいだ。詳しくはそいつも言わなかったが」
 一帯を統べるリギャルドと言う人物なりの矜持、みたいな物かも知れない。
 とはいえ、それを今の段階で聞けたのは、少なくとも今後の展開に悪影響は与えないだろう。
――ひょっとしたら、ひょっとするかも。
 等と、一抹の不安を思うに留めた。
「昨日伝え忘れてな。ま、後でアランに会ったら教えてやってくれ」
「ん。有用な情報をありがと」
 感謝の意を述べれば、彼は口の端を上げる。
「……どうだろうか。今晩辺り?」
「良い加減ぶっ飛ばすぞお前」
 通じてる筈の言葉も聞いていないのか効いていないのか、どこ吹く風でいつも通りの感じのまま、踵を返していく。
「……全く、普通に挨拶出来ないのか」
 ため息混じりの批判も、既に耳に届く人物は居ない。
「私は新しい挨拶かと思ってました」
「嫌な挨拶すぎる」
「と言うか少女漫画みたいね」
「少女漫画って流血沙汰平気なの?」
「……? さぁ?」
 首を傾げて尋ねたが、同じ動作で返される。
――どういう……あ、関係性の話かな?
 思い至ったのは、先程のやり取り。
 常に喧嘩腰の男女である件だろう。
 確かに言われてみれば、一連の会話もそう取れるかも知れない。
「だとしたら、全く、頭の痛くなる話だな」
 一條は、今日一番のため息を空へ放った。
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