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皇都恋愛奇譚(1)

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「……。……えっ、と」
 一條は、現在の自分が置かれている状況が飲み込めず、視線を右往左往させる他なかった。
 しかし、高井坂は視線を合わせようともせずに明後日の方向を向いているし、ルッテモーラは見た事もない表情をしている。
――全く新鮮な表情を……。
 等と思うが、軽く咳払い。
 改めて、視線を正面に、下へと向けた。
 覚えの無い少年が一人、そこに居る。
 だが、姿勢は片膝を付いて、一條の方へ白い花を一輪、手に持って向けていた。
 見た所、年の頃は十歳前後。視線もばっちり合うが、傍目に見ても緊張している。
「……何だっけ。ごめん。何の話されてるんだっけ、アタシ」
 隣のルッテモーラへ、耳打ちする様に告げれば、はっとした表情で彼女が顔を向けてきた。
「何、って……ジャンヌさん。何言ってるんですか。結婚を申し込まれているんですよ? しかも、です。
――おぉう。
 いつになく前目に来る彼女の迫力に押されつつも、結婚、と言う単語にため息を吐く。
 軽い目眩を覚え、思わずこめかみを押さえる。
 ちらりと横目で相手を再確認。
 変わらず、少年が見上げている。
 そして、
――よりにもよって、こんな……衆人環視の中で……なんて……。
「消えたい。今すぐに……」
 一條達三名、少年一人、周囲には足を止め、此方の情勢を窺う観客が多数。
 皇都・グランツェの大通り、であった。
 状況的に言えば、一條と同様、結婚を申し込んだ相手もそれなりの痛手を被っている筈である。
 が、やはり、その相手を思えば、精神的な物は相当に差があると言わざるを得ない。
「……二人目は子供かぁ……」
「ぐぅ……っ」
 高井坂の一言に、一條が膝に手を付いた事で、周囲の喧噪がやおら大きくなった。
 今の行動を、応えとしたのか、と言う事だろう。
――冗談じゃない。けど、何故こんな事に……。
 思案するが、するだけ無駄と結論付け、ルッテモーラにとりあえずの質問を投げる。
「もうこの際なんで何も言いません。……所で、ルッテモーラさん。あの花には、何か意味が……?」
 一瞬、目を開いた彼女だったが、すぐに苦笑。
「あれはリードの花。この近辺ではあまり目にしませんが、昔、初代ヴァロワ皇が後の皇妃となられる女性に対し、その花を贈って結婚を申し込んだ。とされています」
 微笑に変え、続けた。
「ふふっ。つまり、ですね。あの花を持って求婚する。私はこの言葉に対して偽る事なく本気である、と言う事です」
「ガチの方だったかー」
 親友を睨むが、効果はない。
「まぁ……そんな顔真っ赤のむくれっ面じゃあな」
「ぐぬぬ……」
 ロキと命を削って戦っていた方が確実にマシであった。
 少なくとも、今の状況よりは分かりやすくて良い。
 最も、それを続けてきた結果が現状なのだろうが。
「……いや、て言うかちょっち待ちなさい」
 待たせたままに放置していたが、一條はそこでふと、一つの事実に思い至る。
 服の裾が地面に着くのも構わずにしゃがみ込み、件の少年と視線の高さを合わせた。
「あ……の……」
 戸惑う彼を他所に、首を傾げる。
――誰かに、似てる? 様な?
「ごめんなさい。言ったのを忘れてたら、あれなんだけど。……君、名前は?」
 言葉に、少年は目をかっと開いた。
 かと思えば、口を開閉し始め、顔から血の気が引いていく。
 図星。
「すすす、すいませんっ。ぼ、僕は、フラド。フラド・ホリマー、と言いますっ」
――ホリマーさん……っ!!
 崩れ落ちそうになるのをなんとか堪えた。
 同時に、最早幻でもなんでもなく、頭痛がしてきている。
「あー、なるほど。言われりゃどことなく面影あるなぁ」
「アルベルト様の話にも何度か聞いた事があります。成程。納得しました」
「しないでください……あぁぁ、事態がややこしくなってく……」
 一條の奇怪な行動を、周囲はやはり固唾を呑んで見守っていた。
 当然、そんな事は二の次であり、この場を切り抜けるのに全神経を集中していく。
――なんて言えば良い。年齢? いや、その概念は無いし、むしろ俺も十七。そこまで不自然ではな……いーやいやいや、違う違う。
「……あー、その。ちなみに、なんだけど。フラム・ホリマーさんはこの事知ってたりは……」
「知りません。僕の意志ですっ。あの、先程も、申し上げました通り、ウネリカから凱旋してきたあの日、此処で、ダ、ダルク様を見た時から、一目惚れ、しましたっ」
 改めて宣言され、一條は若干気恥ずかしさが上になる。
――俺の初恋っていつだったかなー……。
 等と、遠い目をして思う。
 しかし、忘れられない思い出でもある。
「しまった。同じ位か……」
 心中でため息。
 それでも思考は継続していく。
――ふむ……。さて……。
 顎に手を置きつつ、一息で立ち上がり、ルッテモーラに相談。
「ごめんなさい。もう一つ。あの、リードの花? って、皇都じゃ珍しいの?」
 先程の彼女の言葉だ。
 一條も、考えてみれば皇都ではあの花を見た記憶がなかった。
 求婚に際して使用される、と言うのであれば、花屋、いや、雑貨屋になるのだろうか。
 兎も角、贈呈用として売りに出されていても不思議ではない。
――でも、少なくとも俺は見た事無い。って事は。
「えぇ。由来が由来なので、皇都近辺ではヴァロワ城でしか育てられていない、と。ただ、外に行けば、そこまで珍しい花ではないんですよ」
 ルッテモーラの言う、外、とはつまり、田舎の方では割合目に付く程度と捉えて良いだろう。
 一條は二度頷き、一応の算段を付けた。
――いやー。勇気を振り絞って頂いたのには、確かに、光栄、ではあるんだろうけど。
 今の所、一條にはそういう気は一切ないのだ。
 身体は立派に女性でも、精神性はまだ男性である。
――……若干。少し。ほんの少ーし、揺らいでるのは、そうなんだけど。
 そこが不思議な点であった。以前も似た事を高井坂と話していた記憶がある。
 事現在に至り、更に忌避感めいたものが遠のいていくのを覚えていた。
 元々そういう感情があったのか、一條自身にも分からない。
 顔にそんな苦みを出さず、深呼吸。
「フラド・ホリマー君」
 声を掛けつつ、一條は再び腰を落として、彼と視線の高さを合わせる。
 呼ばれた彼は、びくり、と肩を振るわせた。
「君の気持ちは、十分伝わりました」
 一息。
「それなら、やっぱりその花は受け取れない」
 その断りの台詞に、フラド・ホリマーは俯いた。
 肩を落とした姿に、一條としては気が引けるものの、続ける。
「……理由は分かる?」
 彼は、一度首を横に振るが、少ししてから、恐る恐る告げた。
「僕が、子供、だからですか?」
 そんな答えに、一條はつい、小さく笑ってしまう。
――何か、いかにもな答えだなぁ。
 思案するが、そもそも、子供と大人の境界線が未だに曖昧だった。
 これに関しては、今度有識者と議論を重ねる必要がある。
「あ、馬鹿にする訳じゃないから。一応ね」
 断りを入れてから、咳払いを一つ。
「違うよ。私が言ったのは、、って事」
 少年が、分からないとでも言いたげに首を傾げた事に、苦笑。
「んー。じゃあずばり言うけど。その花、君が自分で採ってきた物じゃあない。そうでしょう?」
「あっ……」
――ビンゴ。
 ルッテモーラの言葉通りだ。
 リードの花は、この近辺では咲いていない。と言うより、咲かない様にしている、と表現すべきなのだろう。
 とすれば、フラド・ホリマーがこれを用意するのは、相当に無茶をしなければならない筈である。
 一條はロキが暴れている現状しか知らない為、正門が常に閉じられている今の皇都しか記憶にない。
 或いは、一昔前であれば、彼が冒険なりなんなりで入手しに行く事も可能であったかも知れないが。
――なら、これを摘んできたのは。
 一人しか思い付かない。
 父親であるフラム・ホリマーその人である。
 最初の凱旋時こそ居なかったものの、その後に入れ替わりで皇都へは帰参していた筈だった。
 ウネリカが解放され、ロキの動きも鈍り始めた為、人の動きも多少なり活発さを見せている。
 今の現状を見るに、裏目になってしまっている気がしてならないが。
「君の想いは伝わりました。けど、その花を私に渡す、と言うのなら受け取れません。それは、君が困難に立ち向かって手に入れた物じゃ無いから」
 力無く俯いてしまった彼の額を指で軽く弾いた。
 それに驚いて、上がってきた事で目が合う。
「だから、今度は大きくなった時、リードの花は自分の足で採りに行く事。そしたら、その時はまた、考えてあげる」
 微笑んだ。
 さっ、と彼の頬が朱に染まったのが逆に面白い。
――振っておいて言うのもアレだけど。
「フラド君フラド君」
 思いながら掛けた言葉に、しかし、彼はしっかりと目線を合わせてきた。
 根性だけは大人顔負けである。
 そんな目を前にして、逡巡した結果、
「期待してるから。頑張れ、少年」
 言葉と同時、握った右拳を突き出した。
 フラドは、その手と此方の顔とを往復した後、同じ形の右拳をおずおずと前に。
「こうすんだよ」
 先端を軽く触れさせつつ、微笑しながらの台詞に、フラドは不意を突かれて驚いたのか、脱兎の如く逃げ出してく。
「あらら」
「サービス精神旺盛な事で」
 一條は苦笑すれば、二人も似た様な表情を見せている。
 母性、と言うよりは保護欲、とでも呼べるものを胸の奥に感じながら、一條はやはり一息に立ち上がった。
「……なんだそのしてやったぜ的な表情」
「ジャンヌさんも、立派な貴族、と言う事ですね」
 ルッテモーラの言葉に、ふと思い当たる。
 今日も、ではあるが、以前よりかは軟派の類いが減っていた。
 一條としては、てっきり知名度が上がった故の高嶺の花の様な扱いになったのかと思っていたが、
――ひょっとして、軍人貴族の仲間入り果たしたからか……?
 一條・春凪、いや、ジャンヌ・ダルクを、、と言う事だ。
 詰まる所、平民からは上の地位になった為、単純に遊びとして誘い難くなったのである。
 そして、貴族側としては、むしろ結婚相手として彼女を見る様になった、とすれば、成程、合点のいく話であった。
「何か対策ないか対策」
 恐らくは無いだろうが、考えない事は逃げだ。
 これから必要になってくるかも知れないのである。
 既に平民の時から若干一名に求婚されている身ではあったが。
「姉ちゃん。気苦労耐えないかもだけど、頑張れ」
「うるせぇ。少しは助けろ」
「漢の見せ場だぜ? 無茶言うなよ」
 からからと笑う親友に、舌打ちだけは返しておく。
「ジャンヌさんは、あれで良かったのですか?」
「んー。アタシも流石にこれは初めてだったので。どうかな……?」
 視線で意見を求めた高井坂は、肩を竦めた。
 それを横目に、一條は軽く息を吐きつつ、続ける。
「まぁ、なんだ。こういう時の言い回しがあるんですよ。初めての恋は叶わない、って」
「初めての……。成程、物悲しいですが、良い響きの言葉ですね」
「そりゃあ、お前さん。経験則か?」
「ノーコメント」
 彼の笑い声に、一條も合わせた。
「んーじゃ。他にイベントとかフラグとか乱れ撃たれる前に行こうぜ。グァダコの糸出しとか見学したいんだからな」
「なめんな。ルッテモーラさんの買い出しが先だ」
「はいはい……」
「んじゃ行こうか」
 一條を先頭に、三人は先へ。
――将来が楽しみかもなぁ。
 等と、そんな考えをしつつも、歩みは止めない。


 その日の夕方。
 フラム・ホリマーが血相を変えてランス邸に飛び込んで来て、事情を知った事で泡を吹いて卒倒したのだった。
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