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ジャンヌ・ダルク、皇都にて(5)

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「え? えーと、つまり、女性が自分を『俺』って言うのは変じゃないか、って事ですか?」
「今までは……なんて言うか、気にした事が無かったので」
 自身の黒い長髪を頭の後ろで纏め、動きやすさ重視の髪型にしたラトビア・ハイカーは、一條の質問に対し、頬に手を当てながら考え込んでいる。
 スカルトフィ・クラウディーがランス邸を訪れた日から、七日が経過していた。
 あれから結局、こうして彼女、ラトビアは毎日の様に顔を出しては一條と数戦交えて行くのが決まりになっている。
 アルベルトとの訓練は今なお継続しているが、午前中に行われていたルカヨとの勉強時間が減ってきている為、結果的に訓練時間が大幅に増えただけであった。
 その甲斐もあってか、一條自身も自覚出来る程度には剣の腕も上達している。
 それ以上に、訓練後にこうしてラトビアと話す機会を得られた事は一番大きい。
 ハイカー家がそもそも、クラウディー家に近い立ち位置と言うかなりの大貴族である。つまりはまごう事無きご令嬢だ。
 色々と話を聞くだけでも一條としては有り難い事である。
 アルベルトとも話しはするが、彼はランス家の当主でもあり、多忙だ。
 ルッテモーラも侍女長としての立場から同じであり、ルカヨはただただ一條に甘い。
 全く不思議な感じではあるが。
「そうですね。あまり考えた事は無かったですけど、男性はディヤ、女性はシィヤ、を使うのが普通です」
 元が男なので、それを忘れない為にも、一條は意識的に一人称に『俺』を使っている。
 しかし、やはりと言うか、この世界では相当に珍しい存在であるのは確かな様だ。
――なにせ俺以外で見た事ないしなぁ。
 また、逆も然りである。 
「後、貴族の方はディヤーフェ、シィヤーフェ、と言う言い回しもしますね。特に貴族同士であれば皆使います」
「ルッテモーラさん達も使う、丁寧な感じのやつだったか。……あー、一応、ルカヨさんにも聞いた事はあるんですけど」
 故に、
「そのままでも良いんじゃないかしら? 私は気にならないわ。ジャンヌちゃんにぴったり」
 と全肯定されてしまった。
 心の底からの笑顔で言われては、逆に変えるのもどうかと言う判断もあって今に至る。
「ジャンヌは地方の出身でしたね。あまり聞く機会は無かったでしょう?」
 苦笑しながら言われたが、ともあれ、事実ではあった。
「それに、私の様な女性の身で軍人貴族等していれば、よく『男勝り』等と言われます。気にならないかと言われれば違いますが、ジャンヌの事より余程、でしょうね」
「……あぁ、男勝りか……。なるほろ」
 戦場に立つのが男性なのは昔からであり、それを目指そうとする女性がそう呼ばれるのは、至極当然ではある。
「えぇ。なので、私やスカルトフィ様からすれば、むしろジャンヌの言い方が自然なのではないかと思ってしまいます」
「……その考えはなかったなぁ」
「羨ましい限りです」
 笑いながらそんな事を言われては、一條も笑う他ない。
「大貴族のラトビアさんに言われるとくすぐったい感じ」
 ラトビアは、実に楽しそうに笑う。
 ここ数日でどれだけ木剣を交え、こうして木陰だったりで二人して話し込んだか分からない。
 彼女の人となりや考え方と言った事は、概ね理解出来ていた。
――高井坂のお姉さんに似てるんだよなぁ。
 その上で、一條がラトビアに抱いた感想である。
 顔つきや身体的な特徴と言った表面的な部分はそうでもない。あえて言うなら黒の長髪位なものだが、雰囲気が良く似ていた。
 その所為もあってか、妙な親近感から一條も距離を詰めやすかったのはある。
 ラトビアの方も、
「やんちゃな妹に似てる」
 と言って憚らず、ランス邸を訪れた二度目の再会時にはとても好意的に接してきていた。
――とはいえ、紀宝と髪の手入れを競い合うのは如何なものか。
 特に汗をかいた後の水浴び後は毎回激戦である。
 何故そうなるのかは一條にも分からない。
 聞いてもお互い牽制し合うだけだった。と言っても、特段、喧嘩している訳でもなく、それがラトビアの日常的なやり取りであり、紀宝もその辺りを分かった上でやり合っている。
 見ている分には心臓に悪いだろうが、慣れてくると一気に何とも思わなくなっていた。
「ジャンヌ、身体も冷えてきましたね?」
 一陣の風が吹いてから、ラトビアがそんな事を言い出す。
 普通なら引き上げる際に言う台詞だろうが、そうはならないのがラトビア・ハイカーと言う女性である。
 その先は言わずとも、だ。
「次は何回勝負ですかーラトビアさーん」
「木剣弾いた方の勝ち」
 一息に立ち上がると、彼女は楽しげな足取りで決闘の場へ向かって行く。
「はいはい……」
 一條が軽いため息と共にゆっくりと立ち上がれば、既に向こうは臨戦態勢である。
 黒の長髪をそのままに、凜と立っている姿は、クラウディーにも引けを取らない。薄い笑みを浮かべているのもあって、どこから見ても完璧な淑女だ。
 育ちも良い為、物事も知っている。
 ルッテモーラに負けず劣らずだった。
「今回は私から行きます、よっ!」
 互いの立ち位置に付き、一呼吸した後、ラトビアが言い終わると同時に剣先が顔面目掛けて叩き込まれてくる。
 難なく、とはいかないまでも、挨拶代わりの突きを頭を逸らす最低限の動きで回避。
「ホントに……っ」
 だと言うのに、ラトビアの戦法は極めて単純明快なものだ。
 刺突。
 只管にそれである。
 無論、各種切り払いも使うものの、それらは主に防御用や牽制。
 攻撃として叩き込まれるのは突きのみと言う潔さである。
 それが読みやすい、等と思ったのも束の間。
 一撃が速く重い。
 しかも弾いた先から次の切っ先が飛んでくる為、相対している一條からすれば、ラトビアが二刀流でもしているのではと勘繰る程だ。
「最速で頭に当てれば終わるから」
 と言う脳筋染みた戦術を実直に行うのだから、最早、一周回って清々しい。
――何でこんなんばっかかなぁ!?
 心中で悪態を吐くだけだ。
 その間にも刺突は止まらない。
 真剣でなかろうが先端が鋭いのだから、そんな一撃を受ければ痛いで済む訳もない為、一條としては彼女との試合はさながら実戦そのものである。
 二、三合打ち合っては鍔迫り合い。を繰り返し、お互いに立ち位置を目まぐるしく変えていく。
「っ!」
「まだまだっ」
 一條とラトビアはここまで共に数回程、確かに相手の身体へ木剣を当てている。
 本来ならばそこで試合は終了しているのだが、二人はそれを当然と割り切って一歩先へ進み出た。
 理由は彼女の言葉通り。
 勝負を付けるのが
「木剣を弾いた方」
 であるからだ。
 
 幾ら相手に攻撃を当てようと、相手が武器を落とさない限りは勝負が付かない。
 何とも恐ろしい勝負方法であった。
 ちなみに考案者はラトビア・ハイカーその人である。
 ここまでくると新手の拷問にすら思えるが、ラトビア自身は勿論、一條とてそう簡単には負けを認めない性質である為、一回がこうして長くなるのもやむなしだった。
 一際高い音が一つ鳴り、二人の動きが止まる。
「手加減無しで顔狙うの、どうかと思うんです、けど……っ」
「剣を弾くどころか、手を切り落とす勢いで、叩いてくる癖、に……っ」
 ラトビアの、何度目かの顔面への突きを、一條が上から押さえ込んだ事で起きた拮抗状態。
「肩が痛くて仕方ないんじゃない、ジャンヌ」
「そういうラトビアさんも、そろそろ体力も限界なんじゃないですか」
 引き攣った笑みを見せるラトビアであるが、一條も似た様な表情をしているのは自覚している。
 結局の所、この勝敗を分けるのは技術もそうだが、それ以上に精神論や根性に寄る部分が大きい。
「ジャンヌー。頼まれてたKOTONOHAの歌詞カードが……俺が三階からここまで来るまで試合やってんのかよ。えげつねぇなおい」
「いや、誰も頼んで、ねぇっ」
 一條が言い終えると同時、二人して後方へ飛び退いた。
「まだ勝負付いてませんからね」
「ラトビアさん、もう三回は剣当たってるのに頑丈過ぎませんか」
「言葉を返すようですけど。私は四回も突きを当ててますが」
「内二回は剣なので含まないですー」
「防いだ回数なら私の方が上です」
「それ、何の自慢にもなってないって」
「嫌なら剣を捨てれば良いのでは?」
「はーあー? 何を言ってるか分かりませんけどー?」
「……随分親交が深まった様で、俺としては嬉しい限りだけど」
 肩を竦めている高井坂。
 それを横目に、一條は少しずつラトビアとの間合いを詰めていく。
 彼女もまた、視線を横に向けてはいるが、意識は確実に前を見ている。
 わざとらしく隙をみせているのだ。
「そうそう、アルベルトさんが呼んでたぜ。終わったら行ってやんな」
「おう。分かった」
「後、また三人で話し合いもしたいんだよな」
「おう。分かった」
「……。じゃあ、それ終わったら風呂でも入ろうぜっ」
「おう。分かった」
 三度目の返事に、ラトビアの表情が明らかに変化したのを一條は見逃さなかった。
 一瞬の内に、高井坂の質問を反芻。
 答えを弾き出し、
「あーっと手が滑ったぁっ!」
 木剣を軽く空中に放ると、そのまま剣先を器用に指二本で挟む。
 一條は全身の筋肉を総動員し、高井坂目掛けて一直線にぶん投げた。
 華麗な縦回転をしたそれは、寸分の狂い無く、数瞬の時間を以て、巨体の脳天に直撃。
「ごあぁっ!!」
 聞いた事のある様な絶叫を上げ、仰向けに吹っ飛んで大の字となる。
 一條としては当然手加減したつもりは無かったのだが、男の頭は未だに健在だ。
 と言うより、木剣の方が衝撃に音を上げた様で、半分から真っ二つの状態である。
「やべぇ。これで何本目だったかな……」
 そこまで数えてないので流石に覚えが無い。
 兎に角、以前、人型のロキに手傷を負った時もあったが、その頃よりも硬さに磨きが掛かっている様にすら感じる。
――亀の精霊でも居るのだろうか。
 思案するが、そもそも亀で硬いのは甲羅の部分であって、顔面ではないだろう。
 状況が読み込めずに視線が右往左往しているラトビアに向けて、一條は考え込む様に腕を組んだ。
 少々胸が強調される事になるが、今は紀宝も居ない為、心に余裕を持って臨める。
「……木剣が亡くなったので俺の負けですかね」
「え。……あ、えーと……確かに……?」
 不承不承、と言った感じでラトビアは頷く。
 これで彼女との戦績は、五戦して三勝二敗となった。
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