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職人の街ドワーレ(2)

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「なんだなんだ。鼻歌とは随分ご機嫌だな、うちのジャンヌお嬢様は」
 高井坂に指摘され、一條は鼻歌を口ずさんでいる事に気付いた。
――迂闊。
「でも今日中には着くんでしょ。えっと。ドワー……レ?」
「良く出来ました」
「いえーい」
 紀宝はご満悦と言った表情をしている。
 どうも彼女は、地名を覚えるのが苦手の様で、記憶してる限りではドワーレと言う街の名も、今のが初めて言えた事になる。
 一條からすれば、それでご満悦してる場合ではあるまい。
「まぁ、携帯食も飽きたしなぁ。携帯食と言うか固いパン」
「味の薄い乾パンだな。保存食としては有用なんだろう。戦時中なら……いや、戦時中だったわ」
 本来であれば、もう少しまともな食事も出来る様だが、今回はランスの若干私情が入ったものもあって、必要最低限の物資で遠征してるとの話だった。
 ただ、それでもこうして百人以上志願者が同行している為、彼の人柄は相当に評判があると判断出来る。
「そういえば聞きそびれてたんだけど、はるなちゃん」
「次それ言ったらグーだかんな」
 御者席から、絶妙に上手い口笛が聞こえてきた。
「あー……でも今女子なんだよねぇ、一條。外見だけなら通じちゃうのが私としても微妙な所」
 握りこぶしの振り下ろし場所を求め、一條は唸るしかなくなる。
 春凪、と言う本名は母親が名付けたものだが、そこから末尾の文字を抜いた、「はるな」と言う呼称を、何故だか彼女は使いたがった。
 娘が欲しかったと言う話はついぞ聞く機会は訪れなかったが、兎も角、それを真似た父親が時折使い始め、ほぼ同時期に高井坂や紀宝も使い始めたのである。
「昔から肌艶綺麗で、女子の間じゃ女装も悪くないかも、なんて言われてたけど。まさかホントに女性になっちゃうんだもん」
「だもん、じゃねーよ。て言うか初耳なんだけどそれ」
「そりゃ初めて言ったし」
「今、俺は何かしら試されてます?」
「お客様ー。ツーサイドアップの髪型もお似合いですよー」
 露骨に話を替えられたが、そもそも、今の一條の髪を整えたのは紀宝本人である。ついでにその台詞もその時に言われたものと同じだ。もっと他にも言われていた気もするが、むず痒さから話半分であった為、覚えていないのが正直な所でもある。
「話戻すけど、ジャンヌ。こっちの世界に来てから、何日経ったか分かる?」
 脱線した話が戻ってきた。
 一條は、脇に束ねてある紙を捲っていく。ハーラトに着いた日、ランスに無理を承知で紙と筆記具を貰ったのだ。
 紙と言っても、高井坂を通じて聞いた説明では、ラグ、と言う真っ白な樹木を水に浸けては乾燥させ、を繰り返した物がこれなのだと言う。
 貴重品でもないが、かと言って誰でも入手出来る安物、と言う訳でもない絶妙な金額とも聞いた。
 そして、筆記具の方だが、こちらはルグと呼ばれ、見た目は所謂、羽ペンである。
 ルービル、と言う白い鳥の羽根であるらしいが、伝え聞いたのは、
「肉も美味い」
 と言う点のみだ。
 流石は高井坂である。食事関連の情報は聞いているのに内容がざっくりし過ぎていて、逆に興味が湧いてくる。
 一條もこういう物を使うのは初めてだが、中々しっくり来るのは元の世界でも遙か以前に使われていた為であろうか。
――インクに浸ける体験も新鮮だ。
 とはいえ、これらを用いて、一條はこの世界に来てからを一日目として、日記として記す事に決めたのだ。
 無為に過ごすよりは多少目的意識を持てる事にもなり、備忘録としてそのうち役に立つ事もあるだろうと判断しての事でもある。
――単純に手持ち無沙汰と言うのもあるけど、こういうのは嫌いじゃないし。
 日記と言っても、常に長々と書いてる訳ではない。
 思った事をつらつらと数行書いてるだけの日もあり、加えてロキやアスールの絵も挿入していたりと、今読み返しても中々凝った部分もある。
 ちなみに絵の方は、
「不気味さは表現出来てる」
「特徴は良く捉えてるわね。上手い? うーん」
 と微妙な回答を貰った。
 一條の個人的な意見としては中々の出来だと思うが、表現とは難しいものだと納得するに至る。
「あー、日にちね。えーっと……十一日目だな」
「もうすぐ二週間になるのか、早いなー。向こうどうなってんのかな」
 高井坂の独り言にも似た台詞に、一條も日記を見返しながら、元の世界を思う。
 不思議と焦りの様なものはないが、気になるのは確かだ。
 二週間。
 正確には十一日だが、一條もこれだけ家を空けた事は当然ない。高井坂と紀宝もそうだろうが、失踪届の一つや二つは出されて然るべき期間ではある。
「帰ったらどやされる、で済むかなぁ」
 紀宝は苦笑した。あれでそれなりに厳格な家風なのだから分からないものだ。
「うちは……いや、うちはどうかなー」
 高井坂は呵々大笑と言った感じである。彼の姉がああいう人なので逆に平気かも知れない。
「俺はまず性別どうにかしなきゃ……」
 一條の両親も、人並みに心配はするだろう。それよりも性別が変わってる方が問題である。
 馬車の振動で揺れる双丘と、薄紫の長髪を見ながら、一條はため息を吐いた。
「「ホントそれ」」
 前後から息の合った言葉が投げかけられる。
「いやマジでそのスタイル反則だから。謝んなさいよ世界に」
「世界とは大きくでたな……」
 指摘され、一條はそれを両手に乗せる。
 ずしりとした重さと服の上からでも分かる大きさは、
――いや確かにワールドクラス。
「むきー」
 その行為に対して、奇声を上げた紀宝に指で胸を突かれながら、一條は渇いた笑いをする他ない。
「ははは。こやつめ。ははは。……あぁ、そういえばさ。失踪届で一つ思い出した事あるんだけど」
 紀宝の手を適当にあしらいつつ、ふと思い出した事を話す。
「前にさ。似た様な事起きてなかったっけ」
「似た様な事……? 向こうでか?」
 高井坂が疑問符で答え、しかし、それから先は唸る声しか帰ってこない。
 暫くして、その唸る声も話し声に変わる。
――気のせいだったかな。
 思案しながら、
「……待て待て。普通に揉むな人の胸を」
 いつの間にか指だけだったものが手全体の動きになっていた紀宝を引き剥がしに掛かった。
「えー。減るもんじゃないし良いでしょー」
「俺の中の何かが減るから今は一旦止め、いや嘘だろ力つよっ」
 万力が如くと呼んで差し支えない腕力を見せる紀宝に、一條はたじろぎつつもなんとか踏みとどまる。
――胸への執着心がこいつも凄いっ。
 片膝を立てての紀宝と、完全に尻を着いている一條とでは力の入り方も違うのだろうが、それでも単純な力比べでは紀宝に幾らか分がある様であった。
 ただ、一條としても単に力のみで競り合ってる訳ではない。
 手の位置を前後左右に動かし、紀宝との有利さを少しでも減らそうとしているのだが、それすら考慮されているのか、一向に楽になる時間が訪れないのだ。
「「ぐぬぬぬ」」
 今の身体と戦闘にも幾らかは慣れたものだと思っていたが、やはり年季の入った者との差はそう簡単に埋められるものではないらしい。
 現状の最大戦力保持者は、流石にまだまだ高く、そして先へと進んでいるのだと考えさせられる。
「ごほん。あー、良いかなお二人さん」
 高井坂がわざとらしく咳払いを一つ。
 一條と紀宝もそれで同時に動きを止める。
ジャンヌ。ディラバ シルト?ジャンヌ。良いですか?
アラン リスター?アランさん?
「……え、何。今二人共名前呼びしてたよね? よね? あれ待って……。……。……え、あー、いつの間に?」
「……あー、まぁ、話すと長くなるんだけど……?」
「うん。いや待って。ちょーっと、整理するから」
 頭を抱えて唸り始めた機械人形をそのままに、一條は幌を開け、御者席へ上半身だけを出した。
 それを見込んでか、高井坂は右側へ避けており、その奥には併走しているホボスとランスが見える。
 一條が呼ばれた以上、先に待つのは面倒事だ。
 先を促せば、ランスも頷いて話し始める。
「カルム ドワーレ ロヌアガフ プーロゥト タンホム。コンコース ロキケトー」
「つい今しがた、ドワーレまで先行してた連中が慌てて帰ってきた。ロキケトーだとさ」
 一瞬の目配せで、高井坂は迷い無く通訳してみせた。ランスには見えない様、高井坂へ向けて親指を上げる。
 彼もそれを確認して、苦笑した。
 まだ分からない単語の方が多い為、やはり通訳出来る者は偉大である。
「……もしかして、ドワーレ襲われてる?」
 通訳に、ランスが軽く頷く。
「ハーロン ニプラクト ティオーラ スマレ」
「マジか……。急にこっち来てるってよ」
「えぇ……」
――ロキは、基本的に人間のみを襲う性質を持ってるらしいけど、急に矛先を変えるのか?
 思案するが、詮無い事だ。
 頭を振って考えを追い払い、
「良い方に解釈しよう。ドワーレの被害が少し減るって」
「俺らの方に被害出るのにか?」
「だとしたら、俺らで最小限にすれば良いだろ」
 言葉に、呆れた様な表情をする高井坂。
「向こうの方が速そうだし。って事はもう来るな。言われてみれば、嫌な感覚もしてきた」
「だな」
「ミラ。とりあえず胸当て、手伝ってくれ」
「はいはい」
 既に気を取り直している紀宝に告げ、無いよりはマシ程度の胸当てを付ける。
 ロキ相手では、この男用の胸当ても、どちらかと言うと、胸を固定している器具くらいにしか思えないが、それでもだ。
 外からは、あちこちから声が挙げられ、空気も一気に緊張したものへと変わっていく。
「ドワーレに着くまでは、もう少し楽出来るかと思ったんだけどなぁ」
「こればっかりは仕方ないわねぇ」
 紀宝は、あまり広いとは言えない幌馬車の中で軽い準備運動を器用に熟しつつ、深呼吸。
「おい。ちょっと見えてきたけど、なんか今回は数多そうだぞ。ロキケトーって意味が漸く合点言ったわ」
 御者の台詞に、一條と紀宝も外へと改めて顔を出した。
 目測で大凡数キロ先。
 横に広がり、群がりながら向かってくる数は、今までの物が可愛く思えてくる程である。
「……あれ、百、二百じゃないわよね……」
 さしもの紀宝もげんなりした声を出した。
「……ちなみに、ロキケトーの意味とは?」
「正体不明の群れ、って意味だ。ロキ ケトー。不明の群れ初期の通称が、今じゃそのまま名称になってるって訳だ」
「ははぁ。なるほろ。確かに正体不明だもんな」
 それでも、この数は些かやりすぎではないだろうか。
――それとも、これが本来の数なのか。
 一体一体の戦闘力を考慮すれば、二国間の戦争など確かに訳無い。
「んー。ゼルフで望遠鏡みたいにすればここから見えっかな」
「おー。ファンタジーっぽい」
 紀宝に茶化されつつ、一條は深呼吸を一つ。
「頼んだぞジャンヌ。俺もランスさんと色々練ってみる」
 高井坂はランスに状況を説明しつつ、身振り手振りで何やら話し始めた。
 一條としては、その事に頼もしさを感じる。
「『我が目は鷹の目。視野の全てを知覚するは容易く、遠くを見るに不便なく。視覚強化』」
 瞬間、一條の視覚だけが変化していく。唐突に双眼鏡を装着した様な、強烈な違和感だが、次の一瞬には気にならなくなっていた。
――失敗したらと思うとぞっとする。
 既に杞憂ではあるが、不安は完全に拭えない。
 それでも、二人に成功を打診しながら、観察していく。
 遠目には黒一色にしか見えないが、良く視れば姿は鮮明だ。
「いつもの犬っぽいの?」
「……だな。基本は犬型なのかも……いや、なんか首が二つとか三つのも居るんだけど。身体も大きいかな」
「ケルベロスみたいなもんか。もしかしてそんなのも居るのかこの世界は」
 高井坂へは適当な返事をしつつ、更に中心部へと意識を向ける。
「……いや、待った。なんだアレ……あいつ……?」
 他に多く居るロキが、急に有象無象に思える程の、一際異彩を放つ存在を、一條の視野は正確に捉えた。
「あいつ?」
「いや、なんて言ったら良いのか……アレは」
 唾を飲み込んでから、改めて姿形を口にする。
「人、だ。真っ黒い、人型……っ」
 周囲の犬型と同じ速度で、二本の脚で走っている、人型のロキ。胴体周りは少し太めだが、腕も足も細いのが二本ずつ。
 だが、走り方からして異常だ。足は高速で動いているにも関わらず、上半身部分は直立不動なのである。腕も、能動的に動いているのではなく、振動で勝手に揺れてる様に思えた。
 普通に考えて、人間にそんな走り方は不可能だ。
 見ているだけでなんとも言えない気分にさせてくれる動きだった。
 当然、その顔も、人のそれとは違う。部分毎に揃ってはいるのだろうが、能面を被ってるかの様でもあり、それも正しくはない。
――薄いゴム越しに顔がある、みたいな。
 一條自身も説明出来ない状態なのが、余程心を不安にさせる。
 人型に見えるだけで、こうも空恐ろしい存在が出来上がるものだと、感心すらしてしまう。
「人の姿をしたロキ……?」
 口調からも緊張が伝わってくる紀宝の言葉を聞き、一條は、ゆっくりと視界を閉じた。
 再び開けば、もう視界は見慣れた世界である。
「此処にきてもう中ボスか? 忙しない連中だ……」
 軽口を叩く高井坂の肩を二、三度叩いてから、一條は告げた。
「歯応えあるゲームが好きだろ、お前もさ」
 ランスの声が響き、ものの数分で全体が停止。二百にも満たない部隊が展開していく。
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