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職人の街ドワーレ
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「朝起きて朝練してご飯。移動中は語学勉強、夜連してご飯食べて就寝と言う快適な旅も四日目にして終わりかぁ」
一條は、多少は構えも様になってきた剣を手に、そう愚痴た。
それを何かしらの敵対行為と捉えたのか、目の前の獣が咆哮を上げる。
獣、と言っても、身の丈は人の背を優に超える程、口からは体格に見合う立派な牙も生えそろっており、単純な見た目は絶滅した剣歯虎に似ていた。
――スミロドンだっけ。
思うが、記憶は曖昧だ。
「初めて会った動物……でもないけど、こういうの居るんだったら教えておいて欲しかったなぁ」
この世界に来てから初めて真っ当にぶつけられる殺意は、ロキより不気味さを感じず、正直、まだ御しやすささえ感じる。
――感覚バグってるかもしれん。
「前から思ってたけど、こういう時でもホント物怖じせんよな、お前」
そう言う高井坂は、一條よりも一歩下がった位置から獣を見上げていた。自分より大きい存在は、流石に肝を冷やすらしい。
その点、隣に立つ紀宝は静かにこれを見ており、彼よりかは根性も座っている。
「ミランヌ?」
声を掛けた直後、
「可愛い……」
一條にも聞こえるかどうかと言った声量で、紀宝が呟く。
「……なんだって?」
「可愛いっ。え、待って、こんな可愛いの居るんだっ。うわぁ、実家のセキト思い出すよー、これなら今の私でも乗れるかなぁ、うっそ良いなぁ、こっち!」
いつになく上機嫌の格闘王がそこに居た。根性が座ってたのではなく、美的感覚が人と違ってただけである。
紀宝の言うセキトとは、彼女の実家で飼われている大型犬の事だ。犬種は一條も忘れてしまったが、少なくともここまで成長はしていなかったし、立派な牙も生えていない。付け加えるなら、毛の色も白を基調としたあっちとは違って、此方は黄土色に近い色合いをしている。
そんな、セキトと言う名前の由来は勿論、三国志に名高い名馬だ。名付けたのは彼女の父親だという話だが、一番気にいっているのは他でもない紀宝・香苗である。
一條は高井坂と視線を合わせ、一緒に目の前の立派な体格を誇る獣を再び見上げた。
見た目は鬣のない獅子そのものだが、立派な牙が性別を現すのかまでは不明である。
とはいえ、威嚇している大型動物を前に、
「「可愛い……?」」
二人は揃って首を捻った。
直後の二度目の咆哮に、周囲の軍人貴族達が身を縮める。
「ジャンヌ、ジャンヌ。ほら、こういう時こそ出番だぞ。噛まれながら、怯えてるだけです、って静める役目があるだろ」
「噛まれたら間違いなく死ぬんだが? あいつの口に叩き込んでやっても良いんだぞ。親友の為の涙は流してやるとも」
嘘泣きを始めた大男を尻目に、意にも介さず、紀宝が詰め寄っていく。
それに対して頭を低くしつつ、一歩下がって飛び込む姿勢を取る獣に対して、機先を制する様に頭を鷲掴みにしてみせた。
「よーしよしよしよし。お、す、わ、りー」
紀宝の表情は見えないが、最早力任せに押さえ付けている。
その力は拮抗しているのか、両者共にそれ以上の動きはない。
「いや、これ、ミランヌの方が力強いのか……?」
だとしたら人の領分を既に超えている事になるが、当人に恐らくその自覚はないだろう。
――恐ろしすぎんかあいつ。
「うちの紀宝さん。日に日に怪物になってない?」
一條が口に出さない代わりと言う様に、高井坂が答えた。
幸い、紀宝には聞こえてなかったのか、目の前の動物と力比べに夢中である。
が、
「あっ」
相手が不意に後ろに飛び下がった事で、その枷も外れた。
先程よりも一層気合いの入ったうなり声を響かせる中、一條も続く様にして前に出る。
「前の猪とかならアレだけど、こういうのなら余裕で行けそう」
ランスの指導のみならず、周囲の者達もこちらを見掛け次第、あれこれと見様見真似で腕の振り方などを教えてきてくれる為、付け焼き刃ながら、剣の腕前を試せる場でもあると判断しての言動だ。
あれからまだロキとは遭遇していないが、それを見据えての練習台として見れば、それほど悪くない相手である。
「いやいや、野生動物だからってそうそう行ける、とか言えんのよ普通は……しかも熊よかデカい相手にさぁ。お前も大概怖いわ。地球に居た頃にも似た事あったけど、ホントに現代日本育ちかよその根性は」
「あれぇ?」
辛辣な友人の評価に、一條は小首を捻った。
「……うーん。でも言われてみればそうかも知れない」
彼の言う通り、一條・春凪は現代日本育ちなのは確かであるし、これと言った複雑な家庭環境や悪党染みた行動等にも覚えがない。記憶にあるとすれば、親に見せる試験の結果を粉飾した位なものだ。
――あれは半年後にバレたが。
ともあれ、ロキとの時もそうだったが、荒事に対してこうまで平常心で居られる理由には今以て心当たりがない。
物怖じしない人物という評価に関しては当世から時々言われてはいたものの、流石に紀宝程、無鉄砲に素手で相手をぶっ飛ばしていける度胸はないが。
「ミランヌー。加勢しよっかー?」
「え? ……あー、うん。多分大丈夫、かな?」
紀宝が一條の言葉に対して視線を向けた瞬間、相手が動いた。
「ミラ……っ!」
高井坂の声が届く中、一條も脚に力を込めたが、それを右手で制したのは他ならぬ彼女自身だ。
巨大な獅子の、まるで、道ばたの小石を払うかの様な動作。
「……ふっ!」
かなりの速度で放たれ、威力は見た目通りの物であろう、その前足による薙ぎ払いを、しかし、紀宝は慌てず騒がず、片手一本と言う最小の動きで軽くいなしてみせた。
傍目には巨大な前足が、それこそ見えない壁か何かに弾かれた様にすら思える。
「柔よく剛を制す、ってね。力だけが技ではないのだよジャンヌ君」
彼女の格闘に対する造詣の深さには頭が下がる思いだ。
――それはそれとして、ジャンヌ君って何だろうか。
あえて聞く事はしない。
そこから始まったのは、人と四足獣との熾烈な攻防である。
「カンフー映画か何かかな」
純粋な力比べをしていた紀宝・香苗と言う女武者はそこに居らず、目の前で前足による連撃を防ぎきると言う荒技を熟している熟達の功夫使いだった。
「動物使いかな……どっちかって言うと」
見た目以上に素早く振るわれる攻撃も、彼女に掛かれば家猫とのじゃれ合いにも見えてくるから不思議なものである。
最も、見えているだけで、いなした攻撃が地面と奏でる音は爆撃とも思える激しさと振動であり、えぐれ方からしても生身で貰えば致命傷は免れないだろう。
それを正確に弾き、又は回避で無傷のまま動き回る姿は、ある意味でジャンヌ・ダルクよりも女神に近い存在に思える。
「何かお前より女神してねぇかあいつ」
「だよなぁ。そう思うよなぁ」
最早手持ち無沙汰の為、剣を曲芸師よろしく両手で遊ばせていく。
「……まぁ、二人とも戦女神って感じだが」
「あんだとー?」
紀宝とのじゃれ合いを見て多少は持ち直してきた親友に対して威嚇しようとも思ったが、それこそ戦の女神だと思いとどまった。
「ちなみにあのサーベルタイガーっぽいのはアスール、って名前で、ローンヴィーク北に位置するあの丘……山か。を越えた先のミラリヤって言う国に多く住んでる種でな。ローデアーって言う更にデカいのを襲ってる肉食獣らしい」
「……どうした急に」
「なんでもその国がローデアーって動物を戦争に用い始めてから保護する様になって、ついでに牙やら毛皮やら目当てで狩られる様になったと。ここまで来るのは珍しいらしいが、まぁ、餌を求めてだろうなぁ」
所謂、人の都合で居場所を追われた種と言う訳であった。
そして、自分よりも遙かに大きい種を専門に狩る攻撃獣であるならば、あの立派な牙も合点がいく。今は紀宝と言う自分よりも小さい相手に前足を振るっているが、元々の戦闘様式でないにも関わらずあそこまでやってのけているのは驚嘆に値する。
「ふふーん。完璧……で、その情報は誰から?」
空中に投げた剣を、鞘に納める事で捕った後で、一條は改めて尋ねた。
「あぁ、この人。ローツ・ルーツ。そういう事に詳しくてな。今聞いた」
高井坂に促されるまま視線を動かしていけば、いかにも恐縮している茶髪の青年が居る。
一條と視線が合うも、すぐさまあらぬ方へ飛んでいく。とはいえ、高井坂に首根っこを押さえられているので、それにも限界はある。
観察の意味も込めて、こちら側からは視線を外さないでおけば、それほど間を置かずに視線があった。
「ディ、ディーラ」
「スゥリート。グラン!」
満面の笑みで褒める。
一條としては思った事を素直に口にしただけであったが、一方の青年は、明らかに狼狽した様子であり、視線もかなり泳いでいて、陸地に上がった魚が如く口を閉口させていた。
――……思ったよりも効果的過ぎた。
思った時には既に遅く、青年は謝罪の言葉を述べつつ脱兎の勢いで逃げていく。
「目の前のこれじゃなくて、やっぱ俺の所為かなぁ」
「当然やんけ」
ため息を吐きつつ、少々落ち着いてきた紀宝とアスールの対決に目を向ければ、こちらも勝敗は決まる寸前だ。
あれだけの攻防でも怪我一つ追っていない彼女は流石としか言い様がなく、しかも、見る分にも息切れすらしていなそうであった。
「俺の見せ場無かった」
「次のロキ戦で頑張れ」
肩を叩かれながら、一條は改めて紀宝の隣目指して歩いて行く。
一帯だけ草地はえぐれ放題であり、戦闘の激しさを物語る。しかし、戦意喪失しているアスールとは対照的に、紀宝の目はもう一戦位は出来そうな雰囲気を見せた。
今ならば、鼠型はおろか、猪型のロキすら一人で相手するのも躊躇しないだろう。
――いや、流石にそれは止めよう。
現状、紀宝を制止させられるのは一條位である。
或いは高井坂でもいけるかも知れない。彼がどうなるかは未知数だが。
「あ、ジャンヌ。ごめんね。でも久々に良い運動出来たわ」
滴る汗をそのままに、紀宝は爛々と輝く表情を向ける。
「……そうか。良かったな。……で、こいつ。アスール、って言う動物らしいけど、どうする?」
これ以上、目の前の巨体がこちらを襲ってくる事は無いだろう。
かと言って、人を襲う様な野生動物をこのままにしておく訳にもいかない。
「んー。まぁ、じゃあ、仕方ないけど……てい。デコピン!」
宣言通りに、紀宝はアスールの眉間目掛けて正拳突きを叩き込む。
本気とは程遠いが、それでも軽くはないだろう一撃を不意に受けたアスールは、その衝撃も相まって、疲れた巨体へ鞭打つ様に逃げていった。
「デコピンとは一体……でも、これが最善かぁ」
「しかないでしょ。安易に餌付けする訳にもいかない。あんな巨体連れ回る訳にもいかないし、で。多少痛い目見れば、ここらにも寄り付かなくなるわ。きっとね」
走って行くアスールの背を、腕を組んで見つめる紀宝の寂しげな横顔は、直前まで激闘を演じていた人物とは思えない。
年相応の女子である。
「ま、紀宝のそういう所が……いや、うん。紀宝らしいな」
「なにそれ。それに今は、って話だから。事が済んだら絶対会いに行くし? あんな可愛い動物、飼わないなんて勿体ないない」
「いや、俺ら元の世界に帰る為に頑張ろうとしてんだから。そういう事言うなし」
「あっはは。それもそっかー。なら千載一遇のチャンス逃しちゃったかなぁ」
屈託無く笑う紀宝は、埃を払い、汗を服の袖等で拭っていく。
本心は読めないが、彼女なりに明るく振る舞っている様にも思える。
――帰る為に、か。
ロキを倒してランス達の国を救う事が、それに繋がるかも、現状分からない。
そもそも、一條達はランスに召喚された筈なのだ。他に情報が皆無とはいえ、それが正しいかどうかも今後見極める必要はある。
「汗かいちゃったし水浴びしたいー。換えの服はあったと思うんだけど」
「お、なら押し付けられ、じゃない、ワンピースならあるぞ」
「あれはジャンヌのだから」
ばっさりと断言された。
今は一條も紀宝も、行軍中と言う事で男装とまでいかないまでも、出来る限り男物の服装をしている。
流石に髪まではどうしようもないが、それも可能な限り短く纏める事を第一に決めたのだ。一條の薄紫色をした長髪では、それも限界はあったのだが、散髪する事は紀宝に固く禁じられている。
よって、今の一條の髪型が所謂、お団子頭になっているのもその為だ。
紀宝曰く、
「遊び心がねー」
との事だ。
納得し難いものがあったが、これは運命として受け入れた。
「それじゃあ、今日は頑張って魔法、じゃない、ゼルフで水精製を試してみるか」
「ひゅー。流石ジャンヌ、話が分かるー」
「無から水を生む、って概念がなんだかなぁ。まぁ、飲み水にはあまり適してないっぽいけど」
普通の水と違い、ゼルフで精製した水は、各種生活用水としてなら問題はないし、多少であれば飲んでもすぐに影響が出るものでもない。のだが、少なくとも続けていく内、人体に悪影響がある事はここでは経験として共有されていた。
――どう考えても普通の水じゃないしなぁ。
話によれば、あまり影響の出ない種族も居るらしいが、正確に伝わってはいない様だ。
「そうと決まれば行くわよ。ロキも出てこない内にさくっと、さくっと……えーっと、なんだっけ」
「ドワーレ」
「そう、そこ。向かいたいし」
「だなぁ。何か今なら行けそうな気もする。嫌な感じも最近はしないし」
一條は、太陽に目を細めた。
ドワーレまでは、大凡折り返しの地点だ。
一條は、多少は構えも様になってきた剣を手に、そう愚痴た。
それを何かしらの敵対行為と捉えたのか、目の前の獣が咆哮を上げる。
獣、と言っても、身の丈は人の背を優に超える程、口からは体格に見合う立派な牙も生えそろっており、単純な見た目は絶滅した剣歯虎に似ていた。
――スミロドンだっけ。
思うが、記憶は曖昧だ。
「初めて会った動物……でもないけど、こういうの居るんだったら教えておいて欲しかったなぁ」
この世界に来てから初めて真っ当にぶつけられる殺意は、ロキより不気味さを感じず、正直、まだ御しやすささえ感じる。
――感覚バグってるかもしれん。
「前から思ってたけど、こういう時でもホント物怖じせんよな、お前」
そう言う高井坂は、一條よりも一歩下がった位置から獣を見上げていた。自分より大きい存在は、流石に肝を冷やすらしい。
その点、隣に立つ紀宝は静かにこれを見ており、彼よりかは根性も座っている。
「ミランヌ?」
声を掛けた直後、
「可愛い……」
一條にも聞こえるかどうかと言った声量で、紀宝が呟く。
「……なんだって?」
「可愛いっ。え、待って、こんな可愛いの居るんだっ。うわぁ、実家のセキト思い出すよー、これなら今の私でも乗れるかなぁ、うっそ良いなぁ、こっち!」
いつになく上機嫌の格闘王がそこに居た。根性が座ってたのではなく、美的感覚が人と違ってただけである。
紀宝の言うセキトとは、彼女の実家で飼われている大型犬の事だ。犬種は一條も忘れてしまったが、少なくともここまで成長はしていなかったし、立派な牙も生えていない。付け加えるなら、毛の色も白を基調としたあっちとは違って、此方は黄土色に近い色合いをしている。
そんな、セキトと言う名前の由来は勿論、三国志に名高い名馬だ。名付けたのは彼女の父親だという話だが、一番気にいっているのは他でもない紀宝・香苗である。
一條は高井坂と視線を合わせ、一緒に目の前の立派な体格を誇る獣を再び見上げた。
見た目は鬣のない獅子そのものだが、立派な牙が性別を現すのかまでは不明である。
とはいえ、威嚇している大型動物を前に、
「「可愛い……?」」
二人は揃って首を捻った。
直後の二度目の咆哮に、周囲の軍人貴族達が身を縮める。
「ジャンヌ、ジャンヌ。ほら、こういう時こそ出番だぞ。噛まれながら、怯えてるだけです、って静める役目があるだろ」
「噛まれたら間違いなく死ぬんだが? あいつの口に叩き込んでやっても良いんだぞ。親友の為の涙は流してやるとも」
嘘泣きを始めた大男を尻目に、意にも介さず、紀宝が詰め寄っていく。
それに対して頭を低くしつつ、一歩下がって飛び込む姿勢を取る獣に対して、機先を制する様に頭を鷲掴みにしてみせた。
「よーしよしよしよし。お、す、わ、りー」
紀宝の表情は見えないが、最早力任せに押さえ付けている。
その力は拮抗しているのか、両者共にそれ以上の動きはない。
「いや、これ、ミランヌの方が力強いのか……?」
だとしたら人の領分を既に超えている事になるが、当人に恐らくその自覚はないだろう。
――恐ろしすぎんかあいつ。
「うちの紀宝さん。日に日に怪物になってない?」
一條が口に出さない代わりと言う様に、高井坂が答えた。
幸い、紀宝には聞こえてなかったのか、目の前の動物と力比べに夢中である。
が、
「あっ」
相手が不意に後ろに飛び下がった事で、その枷も外れた。
先程よりも一層気合いの入ったうなり声を響かせる中、一條も続く様にして前に出る。
「前の猪とかならアレだけど、こういうのなら余裕で行けそう」
ランスの指導のみならず、周囲の者達もこちらを見掛け次第、あれこれと見様見真似で腕の振り方などを教えてきてくれる為、付け焼き刃ながら、剣の腕前を試せる場でもあると判断しての言動だ。
あれからまだロキとは遭遇していないが、それを見据えての練習台として見れば、それほど悪くない相手である。
「いやいや、野生動物だからってそうそう行ける、とか言えんのよ普通は……しかも熊よかデカい相手にさぁ。お前も大概怖いわ。地球に居た頃にも似た事あったけど、ホントに現代日本育ちかよその根性は」
「あれぇ?」
辛辣な友人の評価に、一條は小首を捻った。
「……うーん。でも言われてみればそうかも知れない」
彼の言う通り、一條・春凪は現代日本育ちなのは確かであるし、これと言った複雑な家庭環境や悪党染みた行動等にも覚えがない。記憶にあるとすれば、親に見せる試験の結果を粉飾した位なものだ。
――あれは半年後にバレたが。
ともあれ、ロキとの時もそうだったが、荒事に対してこうまで平常心で居られる理由には今以て心当たりがない。
物怖じしない人物という評価に関しては当世から時々言われてはいたものの、流石に紀宝程、無鉄砲に素手で相手をぶっ飛ばしていける度胸はないが。
「ミランヌー。加勢しよっかー?」
「え? ……あー、うん。多分大丈夫、かな?」
紀宝が一條の言葉に対して視線を向けた瞬間、相手が動いた。
「ミラ……っ!」
高井坂の声が届く中、一條も脚に力を込めたが、それを右手で制したのは他ならぬ彼女自身だ。
巨大な獅子の、まるで、道ばたの小石を払うかの様な動作。
「……ふっ!」
かなりの速度で放たれ、威力は見た目通りの物であろう、その前足による薙ぎ払いを、しかし、紀宝は慌てず騒がず、片手一本と言う最小の動きで軽くいなしてみせた。
傍目には巨大な前足が、それこそ見えない壁か何かに弾かれた様にすら思える。
「柔よく剛を制す、ってね。力だけが技ではないのだよジャンヌ君」
彼女の格闘に対する造詣の深さには頭が下がる思いだ。
――それはそれとして、ジャンヌ君って何だろうか。
あえて聞く事はしない。
そこから始まったのは、人と四足獣との熾烈な攻防である。
「カンフー映画か何かかな」
純粋な力比べをしていた紀宝・香苗と言う女武者はそこに居らず、目の前で前足による連撃を防ぎきると言う荒技を熟している熟達の功夫使いだった。
「動物使いかな……どっちかって言うと」
見た目以上に素早く振るわれる攻撃も、彼女に掛かれば家猫とのじゃれ合いにも見えてくるから不思議なものである。
最も、見えているだけで、いなした攻撃が地面と奏でる音は爆撃とも思える激しさと振動であり、えぐれ方からしても生身で貰えば致命傷は免れないだろう。
それを正確に弾き、又は回避で無傷のまま動き回る姿は、ある意味でジャンヌ・ダルクよりも女神に近い存在に思える。
「何かお前より女神してねぇかあいつ」
「だよなぁ。そう思うよなぁ」
最早手持ち無沙汰の為、剣を曲芸師よろしく両手で遊ばせていく。
「……まぁ、二人とも戦女神って感じだが」
「あんだとー?」
紀宝とのじゃれ合いを見て多少は持ち直してきた親友に対して威嚇しようとも思ったが、それこそ戦の女神だと思いとどまった。
「ちなみにあのサーベルタイガーっぽいのはアスール、って名前で、ローンヴィーク北に位置するあの丘……山か。を越えた先のミラリヤって言う国に多く住んでる種でな。ローデアーって言う更にデカいのを襲ってる肉食獣らしい」
「……どうした急に」
「なんでもその国がローデアーって動物を戦争に用い始めてから保護する様になって、ついでに牙やら毛皮やら目当てで狩られる様になったと。ここまで来るのは珍しいらしいが、まぁ、餌を求めてだろうなぁ」
所謂、人の都合で居場所を追われた種と言う訳であった。
そして、自分よりも遙かに大きい種を専門に狩る攻撃獣であるならば、あの立派な牙も合点がいく。今は紀宝と言う自分よりも小さい相手に前足を振るっているが、元々の戦闘様式でないにも関わらずあそこまでやってのけているのは驚嘆に値する。
「ふふーん。完璧……で、その情報は誰から?」
空中に投げた剣を、鞘に納める事で捕った後で、一條は改めて尋ねた。
「あぁ、この人。ローツ・ルーツ。そういう事に詳しくてな。今聞いた」
高井坂に促されるまま視線を動かしていけば、いかにも恐縮している茶髪の青年が居る。
一條と視線が合うも、すぐさまあらぬ方へ飛んでいく。とはいえ、高井坂に首根っこを押さえられているので、それにも限界はある。
観察の意味も込めて、こちら側からは視線を外さないでおけば、それほど間を置かずに視線があった。
「ディ、ディーラ」
「スゥリート。グラン!」
満面の笑みで褒める。
一條としては思った事を素直に口にしただけであったが、一方の青年は、明らかに狼狽した様子であり、視線もかなり泳いでいて、陸地に上がった魚が如く口を閉口させていた。
――……思ったよりも効果的過ぎた。
思った時には既に遅く、青年は謝罪の言葉を述べつつ脱兎の勢いで逃げていく。
「目の前のこれじゃなくて、やっぱ俺の所為かなぁ」
「当然やんけ」
ため息を吐きつつ、少々落ち着いてきた紀宝とアスールの対決に目を向ければ、こちらも勝敗は決まる寸前だ。
あれだけの攻防でも怪我一つ追っていない彼女は流石としか言い様がなく、しかも、見る分にも息切れすらしていなそうであった。
「俺の見せ場無かった」
「次のロキ戦で頑張れ」
肩を叩かれながら、一條は改めて紀宝の隣目指して歩いて行く。
一帯だけ草地はえぐれ放題であり、戦闘の激しさを物語る。しかし、戦意喪失しているアスールとは対照的に、紀宝の目はもう一戦位は出来そうな雰囲気を見せた。
今ならば、鼠型はおろか、猪型のロキすら一人で相手するのも躊躇しないだろう。
――いや、流石にそれは止めよう。
現状、紀宝を制止させられるのは一條位である。
或いは高井坂でもいけるかも知れない。彼がどうなるかは未知数だが。
「あ、ジャンヌ。ごめんね。でも久々に良い運動出来たわ」
滴る汗をそのままに、紀宝は爛々と輝く表情を向ける。
「……そうか。良かったな。……で、こいつ。アスール、って言う動物らしいけど、どうする?」
これ以上、目の前の巨体がこちらを襲ってくる事は無いだろう。
かと言って、人を襲う様な野生動物をこのままにしておく訳にもいかない。
「んー。まぁ、じゃあ、仕方ないけど……てい。デコピン!」
宣言通りに、紀宝はアスールの眉間目掛けて正拳突きを叩き込む。
本気とは程遠いが、それでも軽くはないだろう一撃を不意に受けたアスールは、その衝撃も相まって、疲れた巨体へ鞭打つ様に逃げていった。
「デコピンとは一体……でも、これが最善かぁ」
「しかないでしょ。安易に餌付けする訳にもいかない。あんな巨体連れ回る訳にもいかないし、で。多少痛い目見れば、ここらにも寄り付かなくなるわ。きっとね」
走って行くアスールの背を、腕を組んで見つめる紀宝の寂しげな横顔は、直前まで激闘を演じていた人物とは思えない。
年相応の女子である。
「ま、紀宝のそういう所が……いや、うん。紀宝らしいな」
「なにそれ。それに今は、って話だから。事が済んだら絶対会いに行くし? あんな可愛い動物、飼わないなんて勿体ないない」
「いや、俺ら元の世界に帰る為に頑張ろうとしてんだから。そういう事言うなし」
「あっはは。それもそっかー。なら千載一遇のチャンス逃しちゃったかなぁ」
屈託無く笑う紀宝は、埃を払い、汗を服の袖等で拭っていく。
本心は読めないが、彼女なりに明るく振る舞っている様にも思える。
――帰る為に、か。
ロキを倒してランス達の国を救う事が、それに繋がるかも、現状分からない。
そもそも、一條達はランスに召喚された筈なのだ。他に情報が皆無とはいえ、それが正しいかどうかも今後見極める必要はある。
「汗かいちゃったし水浴びしたいー。換えの服はあったと思うんだけど」
「お、なら押し付けられ、じゃない、ワンピースならあるぞ」
「あれはジャンヌのだから」
ばっさりと断言された。
今は一條も紀宝も、行軍中と言う事で男装とまでいかないまでも、出来る限り男物の服装をしている。
流石に髪まではどうしようもないが、それも可能な限り短く纏める事を第一に決めたのだ。一條の薄紫色をした長髪では、それも限界はあったのだが、散髪する事は紀宝に固く禁じられている。
よって、今の一條の髪型が所謂、お団子頭になっているのもその為だ。
紀宝曰く、
「遊び心がねー」
との事だ。
納得し難いものがあったが、これは運命として受け入れた。
「それじゃあ、今日は頑張って魔法、じゃない、ゼルフで水精製を試してみるか」
「ひゅー。流石ジャンヌ、話が分かるー」
「無から水を生む、って概念がなんだかなぁ。まぁ、飲み水にはあまり適してないっぽいけど」
普通の水と違い、ゼルフで精製した水は、各種生活用水としてなら問題はないし、多少であれば飲んでもすぐに影響が出るものでもない。のだが、少なくとも続けていく内、人体に悪影響がある事はここでは経験として共有されていた。
――どう考えても普通の水じゃないしなぁ。
話によれば、あまり影響の出ない種族も居るらしいが、正確に伝わってはいない様だ。
「そうと決まれば行くわよ。ロキも出てこない内にさくっと、さくっと……えーっと、なんだっけ」
「ドワーレ」
「そう、そこ。向かいたいし」
「だなぁ。何か今なら行けそうな気もする。嫌な感じも最近はしないし」
一條は、太陽に目を細めた。
ドワーレまでは、大凡折り返しの地点だ。
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