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序章~目覚め~

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「――――――」
 男の声とも、女の声とも取れそうな声が聞こえた。と言うより、響いてきた、と表現するべきかもしれない。
 しかし、聞き取れたのは声色だけで、その意味する所までは分からなかった。
 寝ていた所を揺すられた気分に似ている。
 妙な気持ちのまま、フッと目を開く。 
――おかしいな……。
 開いた筈の視界には、何も無い。
 それ以前に、瞼を開いたかどうかすら微妙だった。兎も角、眼前にはただ暗闇があるだけである。広いのか狭いのか。高所か低所なのかも不明だ。何より、身体の感覚が曖昧なのがとてつもなく不安にさせた。
 ただ、恐怖を感じていない事を不思議に思う。
――そこまで強心臓だったかな。
 何とも分相応な考えが浮かぶが、やはり状況は変化しなかった。視線も、動かせてるのか怪しくなってくる程に、辺りは闇に包まれている。
「――。――――。……。」
 再び、声が聞こえた。
 確かに、誰かを呼ぶ声。自分じゃない、と思いつつも、声の方に目をやろうとする。
――手足の感覚も無い。
――誰だ……?
 声の方に向いてるかどうかも分からない中で、それでも、声に反応しようとした。
「ラ……ジュ サン……!」
――俺は。
 感覚の無い手を伸ばそうと藻掻いた瞬間、目の前で白い爆発が起きる。
 実際に爆発した訳ではないが、黒一色だった世界が広がる感覚は、そう表現出来た。同時に、全身が自由になったのを肌で感じる。だからこそ、最初にしたのは声を出す事だった。我が身可愛さはあるが、それ以上に、先程まで一緒に居た筈の友人二人が気掛かりだったからだ。
 肺を満たす様に息を吸い、腹に力を込めて、第一声を発しようとして、
「っ!?」
 盛大な着水音と共に、想定外の水攻めにさらされる。その事に死を覚悟したが、すぐに水底が浅いのが分かった。勢いよく上体を起こせば、そこは既に水中ではなく、普通に息も出来ている。
 嘔吐きながらも周囲へ目を配れば、遅れて水上へと顔を出してきた二人の姿と声を確認した。
――全員無事か。
 余程水を飲んだのか、中々嘔吐きが収まらないものの、一番に確認したい事は終えた為、安堵感はある。
「くそっ。なんだってんだ。ひでぇ目に遭った。おい無事か紀宝、一條」
「けほっ。うぅ、私はなんとか」
「……あ、あぁ。こっちも、なんともない」
 一息入れ直しつつ、現状を把握しながらだった為、一拍遅れての返事だったが、二人からの応答が無かった。その事を不審に思いつつ顔を向ければ、目が合うも、怪訝な顔をされた。
 手前に居る黒髪のショートカットが映える少女、紀宝・香苗は、座った姿勢のまま背筋を伸ばし、小首を傾げながら何事か呟いている。割合小顔なのと、均整の取れている肢体は贔屓目に見ても美少女と呼んで差し支えない。全裸だが、胸の前で腕組みしている為、大事な部分は見えていないのは幸いであろう。
 奥で仁王立ちしている精悍な顔立ちをした巨漢の短髪男、高井坂・幸喜は、その出で立ちのまま表情まで固まっている。元々運動系の為、ガタイは良い方だ。こちらも全裸である上、銅像の様になってる為、逆にこちらが目を逸らしたい気分であった。
「……はっ!? いや、だ、何で裸!? きほ、うわ! あ、俺もか!」
 高井坂は、慌てて明後日の方を向いて水に浸かる。しかし残念ながら、底の浅い此処では子供用プールに入ってる大人そのものだ。身体を縮めても隠れられるものではない。
 それと同時に、紀宝が行動を開始。
「あー、えーと。ごめんなさい。後であいつにも謝らせます。でー。もう一人居ませんでした? 一條・春凪って男子なんですけど。ついでに、ここが何処か分かります? ってか、あれ? 言葉通じてるのかな。いやでもさっき日本語喋ってたし……?」
 矢継ぎ早に話されたが、あまり内容は頭に入ってこない。勿論、同じ日本人である為、日本語は通じている。
 問題なのは、言葉の意味する所、だ。
 質問が初対面のそれである。
「いや、俺がその一條・春凪なんだけど?」
 と、彼女に喋り掛けた所で、急激に違和感が湧いた。
――どう聞いても女性の声じゃなかったか?
 動転していたにしても程がある、と自分に言い訳しつつも、呆然としている紀宝を尻目に、一條は、視線をゆっくりと下へと落としていく。
――メロンが二つ。
 そこにあった。男である自分には確実に無かった、見事な代物である。
 他にも気付けば、濡れて身体に張り付いている髪の色は見た事も無い薄紫。一房掴んでみれば、自身の物だと分かる。当然、髪を染めた事も無ければ、そもそもこれほど長髪であった事も無い。
 肢体も、無駄な贅肉も見当たらないしなやかなもので、どう見ても女性のそれであり、触れば感覚も十全に伝わってくる。
 胸を避ける様に前屈みで水面を覗けば、見た事も無い女性の顔が見える。指先でなぞってみれば、最早言い訳のしようも無く自分の顔であり、頬を軽く叩いてみれば、
――これが絶世の美女と言うやつだろうか。
 微かに頬から伝わる熱を感じつつ、改めて全裸の女友達に告げた。
「紀宝。すまん。一條・春凪は女になってしまった」
「……はあああああ!?」
「え!? 何事!?」
 素っ頓狂な声を上げた彼女に呼応する様に、奥で一瞬こちらを向きかけた幼馴染が見える。律儀なのは相変わらずだが、先程よりも近付いてきてる為、評価を下げるべきか微妙な所だ。単純に話の輪に入りたいだけだろうが、わざわざ不審な方法を取る辺りが彼らしいと言える。
「うーん……そこの人なら何か知ってると思う?」
 一條は、当初から居たもう一人を目線で指し示す。
 促された紀宝と高井坂と共にそちらへ向けば、身なりの良さそうな服を着た人物が陸地からこちらのやり取りを眺めていた。三人の着水の余波だろう、所々濡れてはいるが、そこまで酷い有様にはなっていない。
 金色の髪に青い瞳の端正な出で立ちをした青年は、唖然としたまま、今も姿勢を正す事なく尻餅を着いている状態だ。しかし、彼の様子から見るに、不意の出来事に驚いていると言うよりは、まるで想定外の出来事が起きてしまってたからこその驚きにも思えてくる。
「えー……っと。大丈夫、です、か?」
 二人からの目配せを貰い、一條が代表として口を開いた。明らかに日本人ではないが、一條が話せるのは母国語しかない為、選択の余地がそもそもない。
「ジャ……ジャンヌ、ダルク……」
「……ジャンヌ?」
 彼が絞り出した様な一言に、思わず首を傾げ、オウム返しとなる。一條自身、そこまで歴史に明るくはなかったが、その単語には覚えがあった。フランスにて救国の英雄と称えられる女性名だ。
――と言う事は……どういう事?
 それを理解する間もなく、すぐさま彼が言葉を紡いだ。
「サンフーヤ ジャンヌ ダルク。スゥーリ エンフェーズル」
「……うーん。これは手に負えないなぁ」
 一條は、一瞬で彼との意思疎通を断念した。
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