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第一章

5.箱庭の中の信頼

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その日、礼拝堂は異様に慌ただしかった。
「どうしたのですか?」
アスランのチャプレットが紛失したのだ。
「え?」

礼拝堂の掃除が終わって最後まで残っていたのは、トウカだった。
周りが殺気だっている。

何度か、アスランのチャプレットを見たことがあるが、青い石が入った精密な飾りがついたそれはかなりの高額だと思う。
窃盗は重罪である。
特に、聖職者や王族の持ち物の窃盗は、指を切り落とすといった刑罰がある。

トウカは身に覚えがなかったが、怯えたように後ろに下がった。
「トウカ、正直にいいなさい。今なら、まだ間に合う」

穏やかな老神父が、困ったようにこちらを見ている。

昨日、教会を抜け出して隣街に行ったことは誰もが知っていた。
毎日、トウカが掃除をしているのも知っている。

「私は、何もしていません」
トウカが震えながら、答えた。

「トウカ、貴方が盗ったとは私は思っていません」
優しくアスランが言う。

「私はしていませんっ」
「ええ、わかっています。けれど、貴方を糾弾する証拠も無実だと言う証拠もないのです。あるのは、貴方が最後に礼拝堂から出ていった姿と、その前にチャプレットがあったこと確認しています」
トウカが泣きそうな瞳で、ガタガタと震える。
アスランが優しく頭を撫でた。

「トウカ、1ヶ月間、罰を受けましょう」
「やっていませんっ!」
「・・・・分かっています。その1ヶ月の間に、出てくるかもしれません」
「違うのに、指は切りたくないです」


アスランは、ゆっくりとトウカに言う。
「貴方は、今、私の弟子になっています」
「はい」
「1ヶ月、私の奴隷として働きなさい」
「ど、れい・・・・・?」

「指切り落とす以外に、その主人の奴隷になる刑罰もあります。現状証拠で、貴方は犯人にされてしまうでしょう。だから、私が罰を与えたという呈にします」
「・・・・・何を、すればいいのですか?」
「何も変わりません。ただ、寝食を共にして、私の身の回りの世話をお願いすると思います。今より少し、行動範囲が狭くなるぐらいだ」

「・・・・・・」
「いいですね?」
「・・・・・はい」

チャプレットは見つからなかった。
トウカは罰を受けることになった。

アスランが言った通り、トウカは奴隷として1ヶ月間アスランに奉仕することがきまった。
その間に、トウカに対して教会への忠誠や教育を施すことになった。
仰々しく説明する司祭に、トウカは始終悲しそうに俯いているだけだった。


トウカの奉仕期間は、教会の監査が丁度終わる時期と同じなので、見守っていた老シスターは胸を撫で下ろした。

今後、トウカをアスランが見習いとして使うことはないだろう。
シスターは、アスランが時折見せる、トウカに対して歪な眼差しに気付き、見習いを薦めた手前、不穏なものを感じていたのだ。

トウカは、シュナーダ神父の見習いが終わったら、また町の料理店で働いて貰いましょう。
住む場所も前の家で、アークに言って見守っててもらいましょう。

トウカが物をとったのは、絶対ないと思っている。
けれど、トウカに罪を着せた人間がいるこの教会に、彼を置いておくのはとても残念なことだと、シスターは感じていた。



奴隷になったといわれたが、トウカの生活はあまり変わらなかった。
ただ、アスランの部屋につづく小さな部屋に寝泊まりして、アスランの身の回りを手伝う。

初日、トウカは悲しくて部屋で一人、ぽろぽろと涙を流した。
アスランから渡された毛布は、今まで触った事がない位柔らかで、滑らかな手触りだった。

本当だったら、何の気兼ねなくこの感触を堪能したかったが、そんな気に慣れなかった。

眠れず泣くトウカを、アスランが後ろから毛布ごと抱き締めて、慰めてくれた。
大丈夫、必ず失くしたものは見つかりますよ、と。

頷きながら、トウカは鼻を啜る。
優しいアスランの為にも、ちゃんと与えられた仕事を全うしよう。

重い瞼のトウカは、微笑んで僅かに歪んだアスランの口元を目の端に捉えながら、眠りに落ちた。





「・・・・・・」
トウカは、一人大きなため息を付く。
トウカは、アスランの部屋の掃除をしていた。

座学とアスランの付き添い以外は、部屋で待機している状態だった。
空いた時間は、箱に入ったままの衣服を洗ったり、小物を片付けたりしていた。

最初の日で、ある程度の片付けは終わってしまった。
今、トウカは口にタオルを当て、雑巾を持って、窓から拭いて行っている。

アスランは、朝の鍛練に行っている。
とても早起きで、最初、トウカも同じように起きようとしたが、あまりに眠くて昼過ぎには居眠りをしてしまう。

アスランは、朝の祈りの時間迄に起きればいいといってくれた。
人並みに早起きのトウカでさえ眠いのに、アスランはいつ眠っているのだろうと思う。

慢性的な不眠症だと聞いていたので、眠りを誘うハーブティーを用意しようと思う。
アスランのベッドの横の香炉は、今も柔らかな煙をあげていて、トウカは気を抜くととろりと眠くなってしまう。

慌てて、窓を開ける。
勝手に消すことも出来ない。
アスランが戻って来たら、聞いてみよう。

アスランはいつもにこにこ笑っている。
トウカは、純粋にアスランをすごい人だと思った。
濡れ衣を着せられた時も、自分の奴隷にすることで助けてくれた。


ただ、アスランの奴隷ということで、ますます見習いの先輩達から小突かれてしまう。
だから、トウカはアスランの食事や移動の付き添い以外は、できるだけアスランの部屋に逃げ込んでいた。

トウカは、人の悪意に慣れていなかった。

優しい世界の中で暮らしていたトウカは、攻撃的な顔をする人間達を、怖いと思った。
それに、泥棒なんてやっていないが、言い返す言葉も知らず、悲しくなるのだ。


アスランの朝の祈りから、トウカはずっと横に控えている。
座学、昼食、昼の祈り迄、アスランの見習いとして側にいるが、その後、アスランが仕事部屋に入ると、トウカは手持ちぶさたになる。
教会の食堂のお手伝いをしてもいいが、見習いの少年たちに見つかったら口撃されてしまう。


だから、トウカはアスランから離れると、こそこそとアスランの部屋に戻っていた。


アスランは何も言わず、トウカが読みそうな本と紙を渡してくれた。
簡単な教本であったが、子供向きに言い直してあるのかとても読みやすい。
それに、紙は何でも書いていいらしい。

白くて厚みのある紙は、とても高級品だ。
トウカは、勿体なくて使えなかった。
そんな様子を見て、アスランは微笑む。


アスランはとても優しい。
トウカにとって、アスランは育ててくれたシスターと同じくらい大切な人になっていた。


トウカはアスランの部屋ではたきを持って、ぱたぱたと天井の隅をはたいた。
落ちてきた埃を、拭っていく。

アスランの机の上を片付けながら、拭きあげていく。

「・・・・・・え?」
トウカの指先がぴたりと止まった。
本と本の間の隙間の奥に、貴金属があった。

失くなったはずの指輪と白いユリと剣が彫り込まれたチャプレットがそこにはあった。


「見つけるの、早かったね」
振り向くと、アスランが微笑んでいた。

「え?・・・・・これ?」
よく分からない顔をして、チャプレットとアスランの顔を交互に見た。

アスランは少し嬉しそうに、満足そうに微笑んでいた。

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