蜂蜜の君と

まきまき

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第一章

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消毒用のアルコールが蒸発したのか、つんと鼻につく匂いが部屋には充満している。
狭い部屋には、白衣をきたランが埃を被っていた机を拭いていた。
しばらく無心で部屋中を拭いていたが、机に向かい、ランは疲れたように、ため息をついた。

「先生、気分が悪いの?寝ておく?」
覗き込まれ、びくりと身じろぐ。
くりくりとした眼差しの少女が心配そうに覗きこんでいる。それでも、悪戯っ子のように、楽しそうだ。
おさがりの服なのか、ぶかぶかなシャツとオレンジ色のスカートだったが、綺麗に洗われ清潔に保たれている。
気配に気付かなかったのは、自分が鈍いせいではなく、ここの住人達が特殊なのだと信じたい。
ランは眼鏡をかけ直した。
「大丈夫だよ。水を汲んできてくれないかな」
「はあい」
今度は、パタパタと足跡がして遠ざかる。
小さな部屋だった。白い壁は黄ばんでひび割れている。
外観もいろんな木材で作られており、よく建っているなと思う。
部屋にあるのは、自分が座っている椅子と、補修し直したカタガタの机と、処置台とは名ばかりの板が置かれていた。
隣の小さな部屋には、手術用の台がある。
煮沸用の鍋と薪が隅に置かれていた。
ランの持ってきた大きな鞄の中には、メスと簡単な手術道具と薬が入っていた。
スラムの奥の一般人は殆ど立ち寄らない場所に、ランはいた。

「先生、入口の横に置いて置くわね」
「ありがとう」
水を持ってきた少女に、飴を渡すと嬉しそうに笑った。
「わたし、子供じゃないわ!」
それでも、嬉しそうに大切にポケットに飴をしまっている。
「そうだね。私に用事がある人がいたら、連れてきてくれないかな。昼過ぎぐらいまではいるよ」
「わかった!先生、帰らないでね!」
居なくなった部屋で、ランは自作したカルテを読み直す。
市場の家に引っ越し初日に、たまたま助けた男性がこの家の大家だった。この界隈を、牛耳っているらしい。
身なりと言葉使いがきちんとしていたので、つれてこられるまで、スラムの住人とは気づかなかった。
若い頃は、それなりの地位にいたようだが、詮索するのは野暮なのだろう。
満足に医療を受けれない住人たちは、簡単な病気でも、重篤に変化していた。
見たことがない大きさの腫瘍を持つ人間がごろごろいて、ランは解剖してみたい衝動に駆られていた。
それでも、その薄暗い欲望を押さえつけ、ランは自分の仕事を全うする。

「堕胎と性病は対だね」
1人ごちる。
堕胎で泣くのは、女性だ。民間療法の堕胎よりも、自分がやった方が幾分ましだろう。
ランの鞄の中には、イツに許可を貰った薬が複数入っている。イツには感謝したりない。

「先生、お見えでしたか」

狭い入り口から声がして、慌てて顔を上げた。
初老の目つきの鋭い男性が、笑みを浮かべこちらを見ていた。この家の大家だ。
彼は、名前をハルノキと名乗っていた。
通り名だと思う。中肉中肉の男性で腰も曲がっておらず、すらりとした体躯だった。
若い風貌に見えたが、真っ白な白髪が後ろできちんと束ねられている。
ステッキを持って歩いているが、ほぼ使われていない。
当初、喧嘩に巻き込まれ、倒れてきた板で足を負傷し、かなり筋と骨をやられていたのだが、1ヶ月程度で治っていた。
初老の人間にしては、異常な早さの回復だったため、ランは彼は貴族なのだろうと思っている。
スラムにはいろんな事情の人間が集まる。ランは深く詮索するのは危険だとわかっていた。
ハルノキは、スラムに不似合いなぴしりとした服を着ている。
たまに、若い男性達がハルノキのそばで何か話しているのを見る。自分には見せない威圧感を感じた。
この場所の有力者なのだろうと、薄々気づいていた。
「え、ええ。しばらく来ていなかったから、患者さんたちも来ないみたいです」
「彼らはいよいよにならないと、来ないですよ」
「早く来たら、早く楽に治るのに」
「基本、医者を信じていませんからねえ。あいつ等は、人をゴミだと思っている」
「・・・・・・・」
ランが何ともいえない顔をした。
「あ、ああ、先生は違いますよ。ちゃんと私を助けてくれたり、子供を治療してくれた。来ないのは、医者嫌いなだけですよ。ほぼ無償と言っても、怖がって来ない」
ハルノキが、苦笑いをした。ランは、かすかに笑みを浮かべた。
「治療と言っても、おままごとみたいなものです。本当なら、数人ちゃんとした場所で治療を受けさせたいのですが」
「先生、ここは酷い場所だけど、好んで住んでいる人間もいるのですよ。離れられるのを、特に嫌がる」
「・・・・・そうですね」

「おや?先生、いい香りがしますね」
ぎくりとした。
「そう、ですか・・・・?」
蜜人がばれたのかと、ランが沈黙する。ハルノキが、くんと周りの匂いを嗅いだ。
「花、・・・・香水ですか?洒落てらっしゃる」
その言葉に、ほっとする。
「あ、ああ。ダグラス家で使っている香り袋の残り香でしょう。花の香りが屋敷に染み付いてるから。気づかないのですが、私にも香りがついてるみたいで」
「先生もお若いから、女の残り香かと思いましたよ」
「まさか。本の虫には、女はよってきませんよ」
「今度、言ってくだされば、よい女を見繕いましょう。もちろん、無償で。治療費の代わりです」
ランは少し赤くなりながら、首を横に振った。
「お気遣いなく。変わりに、水が溜めれる桶を数個ここに置いてください。毎回汲見にいくのは、面倒で」
「ええ、分かりました。先生は本当に欲がない」
「・・・・欲が偏っているんです。さっきも孫娘さんに、水を汲んできて貰ったばかりなんですよ。働き者ですね」
「あれは、本当の孫ではないが、居着いてしまってね。小間使いにちょうどいいから、追い出していないんです」
それでも、ハルノキの瞳は穏やかな眼差しをしている。
ランは、少し微笑むと、またゆっくりとカルテに目を落とした。




スラムからの帰り、ひさびさに市場の家に寄ってみた。
一応、近所の住人にはしばらく留守にする事を伝えている。
「ラン」
家が見え始めたと思ったら、誰かが玄関で大きく手を振っている。
ランはまた、ため息をつくと、ゆっくり近づいた。
仕事中なのか、髪をぴしりとオールバックにしている。
それが似合っていて、ランには、いやにうらやましかった。

「ラン!会いたかった!」
サウスが嬉しそうに駆け寄った。
「・・・・大げさですね」
ランは冷静に呟いた。
サウスが、ランの手を握った。
大型犬のようにまとわりつくが、ランはされるがままになっている。
派手なスキンシップは苦手だが、無理に逃げようとすると、自分が身体を痛めてしまう。
子供の頃から、全身を使って喜びを表現するサウスに、ランは慣れていた。
周りからは、恋人同士の抱擁に見えたが、ランはまったく気付いていない。
ひとしきり、ランの手をにぎにぎとしていたサウスが、思い出したように、ランを見た。

「ラン、なんで家に戻らない!どこか男の家にいるのか!」
「・・・・・はあ?変な勘ぐりはやめてください。仕事でダグラス家で缶詰めです」
その言葉に、サウスが目を剥いた。
「なんで!ダグラス家に住んでるんだ!私が嫌いなのか!白坊より、私がいいだろう!」
何を言ってるんだ、お前は。と言ったそのままの瞳で、ランが見つめかえした。
「・・・・・サウス、貴方頭に血がのぼりすぎです」
「なんで!なんで!」
「静かにしてください。うるさい人は苦手です」
そう言うと、ぴたりとサウスが口をつぐんだ。

「今、私はダグラス家の仕事で、総務を手伝っています。今月中に決算書を仕上げなければいけないので、泊まり込みで働いていました。それも、今日の朝で終わったので、久しぶりに家に戻ったんです」
「・・・・・・」
納得していない瞳で、サウスが沈黙した。
「わかりましたか?」
ランが確認すると、渋々頷いた。
「・・・・・ああ、でも何で知らせてくれない」
「週末には終わる事案だし、今まで平日に遊びに来なかったでしょ?」
「なんで、そんなにランは、つれないんだ。私は、心配して・・・・・」
うるっとした目に、ランが嫌そうに一喝した。
「泣かないでください!気鋭の貴族でしょう!」
「・・・・部屋に入れて。ランのオムレツが食べたい」
「・・・・・・・仕事は?後ろに、アカシさん達がいますよ」
少し離れたところで、4人が無表情に見つめている。仕事中でもあるせいだろう。
アカシ以外の3人は、厳しい瞳で、絶えず周りを気にしていた。
サウスが、ランの事を隠さなくなったせいか、堂々と連れてきている。
「ちゃんと、引き継ぎをしている」
その言葉を聞いて、アカシが首を横に振った。
しばらく、サウスを見ていたが、ランはにっこり笑った。
「・・・・・サウス、私を正妻にしたいのですか?」
サウスの顔が輝いた。
「勿論だ。おまえが望むなら、すぐに屋敷に連れていくし、スズ母たちにも報告する!」
ランが笑っていない目で頷いた。
「・・・・・私は、仕事が出来る人が好きです。知っていますよね?そういえば、前、見せて頂いた書類に、他国の商人さんと取引を開始する準備のことを書いてましたね」
「う、うむ」 
歯切れが悪そうに、サウスが頷いた。
「あれ、どうなりました?1ヶ月以上経つでしょう」
「ま、まだ、何も」
「・・・・私の夫になるかもしれない男が、それくらいもできないなんて。私は、嫌です」
「あ、あああ。わかった。進める」
「すぐに、です。まず、仕事が出来る所を見せてください。取引が締結した後で、あなたに会います」
終わる迄、来るな。
「ううう」
サウスが、呻いた。
「では、サウス、頑張ってくださいね」
そのまま、部屋に入ろうとしたランの腕を掴んだ。
「締結したら、何かご褒美をくれるか?」
しばらく考えて、ランが頷いた。

「・・・・・いいですよ。私の留守中、部屋で遊んで構いません。ただし、物を持って帰ったり、新品に替えたりするのは駄目です」
「寝ていてもいいのか?」
「ええ。ベッドで、寝て構いません。ゆっくり、休まれてください。私の部屋で1日中寛いでいてください」
その言葉に、サウスの瞳が輝いた。
「嬉しい。本当か?頑張る!行くぞ、アカシ」
歩き出したサウスに、アカシが慌ててついて行く。
残された側近兼護衛の3人が怪訝な顔をして、ランを見ていた。
ランが無表情に見つめ返した。
「・・・・なんですか?」
クスノが不思議そうに呟いた。
「旦那の趣味を、受け入れたんですか?」
よく見ると背格好が皆、サウスによく似ている。影武者としても考えているんだろうなとランは思った。
クスノは黒髪だが、他の二人は黒みの強い茶色だ。瞳の色だけが三人とも、同じ茶色だった。
サウスの影武者なら、髪の色は、染めればいい話だ。
若干、ウツギは寡黙冷静な印象があり、クコは遊んでいるような軽い印象をランに与えた。
そして、皆、必要以上に整った体躯をした男性だったので、ランは嫌になった。
「・・・・貴方達より、付き合いは長いつもりです。サウスの趣味は、ある程度慣れています。サウスは、人参を前にぶら下げたら、以上の力を出す。仕事に打ち込ませたいでしょ?」
「だからって、その人参が、ただ部屋でくつろぐだけって」
クコが頬を掻きながら、呆れたように言う。
ランが鼻で笑う。
「サウスは、満足でしょ。本人よりも、物に対して執着が強いみたいですよ。私の使い古した毛布を持って帰っていたので、屋敷に行って、先日処分しました。くるまって寝ると落ち着くそうですけど。ボロボロの幼少期の私の靴が置かれていて、ゾッとしました・・・・お願いですから、サウスにふさわしい正妻候補を紹介してください。少し変態でも、地位と金と姿でカバーできるでしょう」

必死に言うランに、クスノが目を逸らした。
「・・・・いや、旦那が異常なのは、ラン殿の前だけだし」
「遊びなら、ラン殿以上の男女と付き合ってるし」
クコも続けて言う。
「・・・・・・」
ランが無表情になった。
「ぐるぐるメガネのもやし男が好みなんて、ラン殿以外いないし」
クスノが言うと今まで黙っていたウツギが続けた。
「考えたら、ぐるぐる眼鏡のもやしが、貴族に見初められるっていい話だとおもいませんか?旦那は若くて将来有望だ。仕事しなくて、遊んで暮らせると条件もいい」

「・・・・・貴方達、サウスが変態なのを広めたくないだけでしょう。外聞が悪すぎる。」

皆、黙り込んだ。
ランが嫌そうに見た。
「さっさと、サウスを連れて屋敷に帰ってください。私は、しばらく家に戻らないので、ちゃんと引き止めておいてくださいねっ」
「ラン!私以外と仲良くするな!」
ランが閉口した。
サウスがいつの間にか、後ろに立っていた。ギッと周りを睨みつけた。
「・・・・・自分の部下にまで、敵意を向けないでください」
「だって、ランが相手してくれない・・・・・」
ランがサウスの腕を掴んだ。
「ちょっと、サウスとお茶します。すいませんが、皆さん、外でお茶でも飲んできてください」
「ラン」
サウスの顔が輝いた。
「お湯を沸かすから、少し時間かかるし、ひさしぶりの家だから何もありませんよ?」
「うん、うん。ランと話せるならそれでいい。お前ら、茶でも飲んでこい。休憩だ、休憩。」
部下達を追い出すと、ランの手を握り、部屋の扉を開けた。

閉めると同時に、玄関で後ろから抱きしめられた。
「ラン、会いたかった」
ランは無表情だ。
「お茶が沸かせませんよ」
「お茶はいい。しばらく、こうしていたい」
「友達に戻るんでしょう?」
「・・・・このまま、閉じ込めてしまおうか。屋敷でずっと過ごすんだ」
「そして、私はサウスのこと、嫌いになるのでしょうね」
驚いた声音であわてて、サウスがランを振り向かせた。
「それは、駄目だ。ランは私の事が一番にならないと。私以上にいい男はいないぞ?」
「自意識過剰ですよ」
相変わらず、自信満々だなと、ランが笑った。
「私の繁殖期間の相手をしてくれたじゃないか。少しは、私の事、気にしてくれてるだろう」
「あれは、アカシさんに言われて仕方がなく・・・・」
「じ、じゃあ、ランの繁殖期が来たら、私が相手をしていい?相手がいないだろう?優しくするし、満足させれる」
その言葉に、腕の中のランが怯えた。
サウスの繁殖期の監禁を思い出した。
「・・・・・苦しいのは嫌です」
「苦しくない。繁殖期が来たら、しないほうが苦しいんだ」
ランにはいまだに、繁殖期の苦しさがわからない。けれど、繁殖期の記憶が無くなるくらい、変調をきたすのだと知識だけがある。
「ね?それなら、いいだろう。普段はやらないからっ」
「・・・・そ、うですね。それなら」
サウスが嬉しそうにぎゅうぎゅうと抱き締めた。
「苦しいですよ」
「ラン、いい匂いがしてる。貧血を治す薬だけじゃ、駄目だよ」
とろんとした目で、サウスが言った。

貧血に効く薬を飲んでいるせいか、ランの体調はとてもいい。
しかし、外見が少しづつ変化していっているのを、ランは気づいていなかった。
肌も柔らかく、髪もさらさらになっていたが、ランは健康になったせいだと思っていた。

ランの体から、甘い美味しそうな匂いが、かすかにしている。
ランは気づいていない。
密着した自分ぐらいしか、まだ気づいていないはず。

噛んだら、痛がるかな・・・・・
サウスの喉が渇いた。
喉仏に食らいついたら、美味しそうな血潮が出るはずだ。サウスは、ランの肌に噛みつきたくてたまらなくなり、溢れる涎を飲み込んだ。
「ラン、私の血を・・・・・」
「飲みません!」
ランが即答した。
「月一、飲んでたじゃないか。気持ちよくなるって、私に甘えてた」
「貧血は薬で大丈夫です」
「・・・・・・・」
「お茶を飲んだら、すぐ行ってください。不愉快です」
サウスは何も言えず、ランをただ見つめていた。
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