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第一章
私の可愛い親友
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ランは、書類を店の人間に渡すと、ぶらりと市場を歩いていた。
ダグラス家は上級貴族だが、商人気質だとよく言われている。
市場の片隅に直営の店を出し、実験的に商品を置いて、市場調査をしているのは、多くある貴族の中でも、ダグラス家だけだ。ほとんどの貴族は、商人と癒着して任せている。
市場に出している店も、酒や飲食物ではなく、化粧品や香水なのも変わっている。
「先生、今日は珍しい野菜が入ったよ。サラダにすると最高なんだ」
ランが市場の出店に置かれた木の皿を見つめていると、通りがかりに八百屋の店主に声をかけられた。
「ありがとうございます。後で寄りますね」
「ちゃんと取っておくから、待ってますよ」
ランが眼鏡の奥で微笑んだ。
市場の人間たちは人懐っこい。
ランは、気づいていないが、市場の近くに引っ越した事によって、一時期市場の中で噂になった。
貴族関係者は表立って市場に近づく事はない。特権意識が強いのだ。お忍びで貴族達が下町に来ることはあったが、相容れない壁を感じていた。
その中でランは、異例だった。
ランは、平民だが引き抜かれて、ダグラス家の長男の下で働いていることは、皆、知っていた。
ごますりのうまい奴が、やってきたのかと、最初は思っていたのだが。
ぐりぐり眼鏡のがり勉スタイルの姿はいただけないが、市場の人間を見下した雰囲気は一切なかった。
買い物も市場でしている。
最年少で医者の免許を取得し、国の機関で働いて、貴族関係者になった青年が、普通に市場に通っている。
それだけで好感が持てた。
偏屈で、学者肌で、めったに話さないと聞いていたけれど、市場で食材を買い、話し掛ければ木訥ながら答えてくれる。
貧しい地区の子供を、無料で治療したとも聞いていた。
引っ越した当時、ランは、市場の脇に建つ、鍛治屋や工員の働く姿を熱心に見つめていた。
誰かが、何故そんなに見るのかと尋ねた事があった。
すごい技術だと思って・・・・と、はにかんだようにランは、答えた。
住人たちの、ランに対する好感度は一気にあがった。
先生と呼ばれ、ランは、最初のころは、赤面して嫌がっていたが、全員が呼び始める頃には慣れたのか、受け答えをしてくれるようになった。
きっと、貴族たちは、先生のこんな人間らしい姿を見たことがないんだ。かわいそうな奴らだ。と、住人達は思っていた。
「ラン」
聞き慣れた声で呼ばれて、ランが振り向いた。
弾けるような笑顔で、サウスが手を振っていた。
「サウス?」
大柄で金色に近い髪をしたサウスと、その周りにいる鋭い眼光をした側近たちは、異常に目立っていた。皆が振り返っている。
「買い出しか?奇遇だな」
ランが、そっと路地の方に移動した。
「貴方こそ、珍しい。こんな昼間に、市場にいるなんて」
目立つ事になれているのか、サウスは気にしたそぶりなく、ランの行く路地に入った。
「取引先の帰りだ。今日は休みなのか?それともさぼりか?」
いたずらっ子の眼差しで、サウスが見た。
「ダグラス家管轄の店へ用事があったんです。終わったので、そのまま直帰しています」
「ダグラス家は庶民向けの化粧品も出してたな。仕事、終わったのか。じゃ、このあと、私の屋敷に来ないか?母も喜ぶ」
「・・・・貴方は、仕事中でしょう」
ちらりと後ろに立つ部下たちを、ランが見た。
目線は合わない。
「私の仕事も終わってる。こいつらが嫌なら、すぐ解散させるから」
「・・・・・・ミレンダ母様には、後で会いにいきます。どうぞ、仕事、頑張ってください」
サウスの母親は、サウス以上にランを可愛がっている。
「一緒に帰ればいいじゃないか。何か買ってやろうか?いい酒知ってるんだ。ランが好きな度数の高い奴だ。甘い香りがする新しい酒も知ってるんだ」
「結構です。それは、恋人に買ってあげればいいですよ。貴方は目立つから、ここではあまり話しかけないでください」
無表情にランが呟いた。
「あ、ああ、すまない」
サウスがしょんぼりとした。
「ランを見つけたから、つい」
「私に気付く前に、周りに気を配ったらいい。貴方は貴族。私は平民。貴方の側近さん達も貴方の行動に振り回されて迷惑ですよ」
後ろにいた部下たちの目がつり上がっている。
ランは、会釈すると振り返る事もなく、市場の雑踏の中に入っていった。
後ろ姿を、サウスが寂しそうに見つめていた。
「なんですか、あれは!せっかく、旦那が声をかけたのに」
「いや、私が悪いんだ。人が多いところでは、話し掛けない約束だったのを忘れていた」
「しかし」
「ランは、私が自分のせいで不利益になることを嫌うから。ランも目立つのを嫌う。後でお詫びに、うちの一番いい酒を持っていこう」
「・・・・・・旦那。彼は旦那の友人に相応しくない」
言いにくそうに呟いた言葉を、サウスは睨みつけた。
「黙っていろ。ランの良さは、私しか知らなくていいんだ」
雑踏を見つめ、サウスは少し溜め息をついた。
数刻後、ランは、高台に建つ屋敷の裏に立っていた。
白を基調にした外観は、周りの屋敷よりも鮮やかに目立たせていた。高い塀は、ダグラス家と同じで、用心深い貴族しか知り合いがいないのかと、ランは思っていた。
ランは、塀を見上げ軽く溜め息をつき、こつこつと裏の扉を叩く。小さなのぞき窓が開いた。
「こんにちは。ランです」
年老いた門番に会釈すると、にこやかに門番が笑い、扉が開いた。
「坊ちゃん、ひさしぶりですね。今日は、ミレンダ様と会食ですか」
奥方の名前が先に出てくるのは、仕方がない。
「ミレンダ母様に、ケーキを焼いたんです。沢山焼いたから、どうぞ」
紙袋を渡され、門番が破顔する。
「坊ちゃんは相変わらず、料理上手ですね。皆、美味しいって、すぐなくなるんですよ。ミレンダ様も喜ばれますよ」
「ミレンダ母様は、裏?」
「当主と中庭で、お茶してますよ」
「ああ・・・・・じゃあ、部屋に置いておこう。おじさんに会うと、仕事の勧誘がうるさいから」
「当主は、坊ちゃんがお好きだから」
「私じゃなくて、私の家族が好きなんですよ。父を片腕にしたいから」
「はは、頭のいい坊ちゃんの事も、欲しがってましたよ」
軽口にランが笑うと、軽く手をあげ歩き出した。
廊下を自由に歩いてるランに、女中や執事たちも何も言わなかった。
ランの家族専用の部屋まで、ミグリ家にはあった。
家族ぐるみの付き合いだったが、ここまで親密なのは珍しいらしい。
周りの家族は知らないから、よくわからない。ただ、とても居心地がいい空間にしてくれているのはわかる。
屋敷の中は、殆ど若い人間は働いていない。古参の慣れた人間たちばかりが、雇用されていた。サウスの仕事場や当主の仕事場も、別館に作られており、本人達が来るのは食事ぐらいらしい。
屋敷はミレンダ夫人の城だった。
「ラン、きてたの!」
濡れ羽の黒髪を美しく結い上げた妙齢の美女が、ランを抱きしめた。
「ミレンダ母様、お久しぶりです」
「もう!来る前に連絡してくれたら、美味しいお菓子沢山用意したのに」
「ケーキを焼いたんです。どうぞ、おじさんと食べてください」
「一緒に食べましょう。嬉しいわ、ランが来てくれるなんて。サウスは来ても、あの人と難しい話ばっかりして面白くないんだもの」
「私も難しい話をしますよ?」
「ランはスズそっくりで、優しいから全然嫌じゃないわ。わたしにも分かるように、教えてくれるじゃない。さ、いきましょ。お茶を入れるわ」
「おじさ、当主の邪魔は・・・・」
「他人行儀ね。おじさんでいいのよ。父様じゃ駄目ね。そんな事言ったら、嬉しがって、すぐ後宮に閉じ込めちゃうわ。あの人は、追い出したわ。貴方をすぐ勧誘するんだもの。ランは、遊びに来ただけなのに」
「サウスは・・・・」
言いにくそうにランが言うと、ミレンダが笑った。
「貴方がやって来るって、そわそわしていたわよ。何か嫌なことされたでしょ?貴方が好きな酒や肴を用意してたわよ」
「・・・・知りません。面倒なので、会わないで帰ります」
「いいわ。後宮でお茶をしましょう。あそこなら、サウスも入ってこないわ。嬉しいわ、ランが来るなんて」
ミレンダが花のように笑った。
母と親友と公言している彼女達は、息子の目から見ても少女のような可愛らしさがある。屋敷の狭い空間で生きているから、擦れていないのだと思う。
ひとしきり中庭でミレンダとお茶をして、ランは何気に廊下を歩いていた。
「ラン、私に会わないで帰るのか」
サウスが廊下の入口で、腕を組んで見ていた。
むっとしたように睨み付けている。
長い足だな。ぼんやりと思った。
ランが白々しく、今気付いたように呟いた。
「・・・・・ああ、居たんですか。仕事してると思ってました。ミレンダ母様とお茶をしてましたよ。用は終わりましたので、帰ります」
「ま、待って。私と遊んでくれ。別館に行かないか?私の部屋の隣に、ランの部屋も作ったんだ」
ランの腕を掴んだ。ランが軽くはたく。
「屋敷の中に部屋はあるから、必要ないでしょう。それに嫌ですよ。貴方が連れ込んだ人間たちと夜中遊んでる声が、隣から聞こえるなんて、安眠妨害だ」
サウスが慌てて言った。
「そんな事しない。新しい本入れたんだ。グラゾラ国の新刊だぞ。サゾルでは、どこよりも早い」
サウスが輸入品で、本に手を出したのは聞いていた。
「・・・・・・・新刊?」
ランが立ち止まった。
本の虫のランが、ロジムの本を読み尽くしていることを知っていた。
ランが喜ぶとサウスは思って、興味がない本に手を出したのだ。
「娯楽から医学書まで入れた。まだ、倉庫に置いてる。好きなのを書庫においてておくつもりだ。原本だから、訳されてないが、読めるだろう?」
「・・・・・見ます。でも、売り物でしょ?」
「うん、でも、ランが好きそうな本は、書庫に移してる。料理の本もあるんだ。元締めの特権だ」
「サウスが本まで手を出すとは思いませんでした」
「そうだろ。意外だろ」
嬉しそうにサウスが言った。
サウスから渡されたリストに目を落とし、ランが嬉しそうに呟いた。
「改訂された論文も入ってる」
事業に組み込むにあたり、サウスは内容も猛勉強した。
「特殊な本も入れてる。何か欲しいのがあったら、言ってくれ」
「ありがとう。今度、内容を詳しく教えますね」
好意で言ったのに、サウスは嫌そうに首を降った。
「やめてくれ。代わりに、母上に焼いたケーキを私にも焼いてくれ」
「わかりました。今度、焼いて持ってきます」
「別館にくるか?改築して、後宮も作ったんだ」
別館と言っても、同じ敷地内に建つ本館と大きさはほぼ変わらない。
「後宮?とうとう、本腰を入れて正妻探しですか」
最初は当主の仕事場だけだったが、サウスが大きくなるにつれ、増築が施されていった。ランは、別館がいつも工事中の外見しか覚えていない。
「あ、ああ。正妻好みの後宮にしようと思って。広い庭といろんな作業ができる部屋もあるんだ」
「へえ、珍しい。内職でもさせるんですか?」
そんなに困窮していたかしらと、ランが首を傾げる。サウスが笑う。
「まさか。細かい作業が好きだから、1日過ごせる場所が必要だろう。私の相手だけでは、あきてしまう」
「・・・・・サウスの正妻は幸せですね。ちゃんと迎える前から、思われてるのだから」
人事に言うランに、サウスは探るように何気に言った。
「ラ、ランは?ランは、そういった奴いないよな?」
「私はまだ、文字を見たりする方が楽しいですから」
「うん。ランはそういったのが似合う。案内する。後宮は、まだ誰も行っていないんだ。正妻はまだ居ないから、ランの秘密基地にしていい」
「秘密基地って。子供ですか」
ランが笑う。
「本気だぞ。書庫の横に用意してるんだ。ランが好きそうな酒。利き酒しよう」
「いいですね」
2人が歩き出した。
廊下と庭の隙間にテーブルが置かれ、酒瓶と美しくカットされた緑色のグラスが置かれていた。
「ランが好きな果実酒だ。透明だけど、香りがいいだろう?」
無造作に一つを開け、グラスに注ぐ。
「そうですね。いい香りだ」
「今度、これに合うおつまみを作って。持って来るから」
「分かりました。甘いデザートにみ合いそうですね」
隣にサウスが座った。
「うん。ランが作るのは、何でも美味しいから」
でれでれとサウスがランを見つめている。
「旦那様」
その言葉で、サウスの顔が一瞬で引き締まる。
ランの顔も強張った。
苦虫を潰したような顔をした青年達が立っている。
「ここに来るなと言っただろう」
「・・・・ここは、部外者の立ち入りは禁止です」
「ランは部外者じゃない」
「帰ります」
ランが立ち上がった。
「待ってくれっ!紹介する。秘書のアカシだ。後ろにいる三人がクスノとウツギとクコだ」
皆、一様に無表情だ。
「サウス、貴方と違って私はあまり人と話すのは苦手です」
ランが離れようとしたが、サウスが腕を掴んでいた。
「ラン、ごめん。すぐ下がらせる」
「別館には、来ません。貴方も、気軽に部外者を入れないでください」
「ラン」
「ラン殿。お言葉ですが、あまり、我が主、サウスザリア侯を侮辱しないでいただこう」
ランの顔が、強張った。
「旦那を呼び捨てなんて、ただの平民のクセに」
後ろに控えていた三人の誰かが呟いた。
・・・・・・・・
ランが、一瞬目を閉じると、サウスの腕を振り払った。
「私は特権意識の人間に媚びを売るのは、無理です。帰らせて頂きます」
「そんな、すぐ、こいつらは下がらせる」
ランの唇が一文字になり、人形のように側近達を見つめていた。
「旦那の好意にも喜ばないくせに」
「やめろ!ランはいいんだ!」
ランがゆっくりと息を吐いた。
「・・・・サウス、不愉快だ。もう二度と私の所に来ないでください。先日渡された資料は、明日お渡しします」
「ラン」
「では、失礼します」
「ま、待って」
「なんですか?貴方が貴族という事を忘れていました。申し訳ありません、サウスザリア侯」
「呼び捨てでいいんだ!ランは特別なんだ!」
「私よりもふさわしい方々がいらっしゃるでしょう。男同士で特別なんて、気味が悪い」
吐き捨てるランに、サウスが慌てて縋った。
「あ、あああ!行かないで!ラ、ラン!早過ぎるとおもって、ずっと言わなかったんだ」
「なんです?」
「け、結婚してほしい。仕事もそのままでいい。帰ってくる場所を、私のところにしてほしい。愛してるんだ!正妻はラン一人でいいと思っている!」
『旦那様!?』
全員が目を剥いた。ただ一人、ランだけが、理解できないのか、見つめていた。
サウスが膝を付いた。
「ラン、結婚してほしい。本気だ。ずっと、言おうと思っていたんだ。特別なんだ」
「な、にを・・・・」
絞り出すように、何か言おうとしたが、サウスに遮られた。
「子供は親族を養子に貰おうと思ってる。他に男も女も娶るつもりはない。本気なんだ!ずっと、結婚するつもりだった」
「うああああああ!」
ランが目の前にあったグラスをサウスに投げつけた。
避けようとして、サウスが至近距離だったため、後ろにひっくり返った。
「旦那!?」
駆け寄る側近たちを後目に、ランが逃げ出した。
起き上がり、ランの小さくなっていく後ろ姿を見ながら、サウスが全員を睨みつけた。
「ランが怖がってしまった。ずっと横にいたのに。おまえ等のせいだぞ!」
「本気、ですか?」
アカシが眉根を顰めながら、サウスに確認した。
「当たり前だ!ランは人見知りだから、少しづつおまえ等を慣らしていくつもりだったのに。ああ、どうしよう。ランが警戒してしまう。会ってくれないかもしれない」
サウスが立ち上がり、うろうろと歩き出した。
「お前らは、しばらくはランに絶対近づくな。せっかく、後宮を気に入るようにしたのに」
「旦那・・・・・」
全員が呆然と、サウスを見つめていた。
ダグラス家は上級貴族だが、商人気質だとよく言われている。
市場の片隅に直営の店を出し、実験的に商品を置いて、市場調査をしているのは、多くある貴族の中でも、ダグラス家だけだ。ほとんどの貴族は、商人と癒着して任せている。
市場に出している店も、酒や飲食物ではなく、化粧品や香水なのも変わっている。
「先生、今日は珍しい野菜が入ったよ。サラダにすると最高なんだ」
ランが市場の出店に置かれた木の皿を見つめていると、通りがかりに八百屋の店主に声をかけられた。
「ありがとうございます。後で寄りますね」
「ちゃんと取っておくから、待ってますよ」
ランが眼鏡の奥で微笑んだ。
市場の人間たちは人懐っこい。
ランは、気づいていないが、市場の近くに引っ越した事によって、一時期市場の中で噂になった。
貴族関係者は表立って市場に近づく事はない。特権意識が強いのだ。お忍びで貴族達が下町に来ることはあったが、相容れない壁を感じていた。
その中でランは、異例だった。
ランは、平民だが引き抜かれて、ダグラス家の長男の下で働いていることは、皆、知っていた。
ごますりのうまい奴が、やってきたのかと、最初は思っていたのだが。
ぐりぐり眼鏡のがり勉スタイルの姿はいただけないが、市場の人間を見下した雰囲気は一切なかった。
買い物も市場でしている。
最年少で医者の免許を取得し、国の機関で働いて、貴族関係者になった青年が、普通に市場に通っている。
それだけで好感が持てた。
偏屈で、学者肌で、めったに話さないと聞いていたけれど、市場で食材を買い、話し掛ければ木訥ながら答えてくれる。
貧しい地区の子供を、無料で治療したとも聞いていた。
引っ越した当時、ランは、市場の脇に建つ、鍛治屋や工員の働く姿を熱心に見つめていた。
誰かが、何故そんなに見るのかと尋ねた事があった。
すごい技術だと思って・・・・と、はにかんだようにランは、答えた。
住人たちの、ランに対する好感度は一気にあがった。
先生と呼ばれ、ランは、最初のころは、赤面して嫌がっていたが、全員が呼び始める頃には慣れたのか、受け答えをしてくれるようになった。
きっと、貴族たちは、先生のこんな人間らしい姿を見たことがないんだ。かわいそうな奴らだ。と、住人達は思っていた。
「ラン」
聞き慣れた声で呼ばれて、ランが振り向いた。
弾けるような笑顔で、サウスが手を振っていた。
「サウス?」
大柄で金色に近い髪をしたサウスと、その周りにいる鋭い眼光をした側近たちは、異常に目立っていた。皆が振り返っている。
「買い出しか?奇遇だな」
ランが、そっと路地の方に移動した。
「貴方こそ、珍しい。こんな昼間に、市場にいるなんて」
目立つ事になれているのか、サウスは気にしたそぶりなく、ランの行く路地に入った。
「取引先の帰りだ。今日は休みなのか?それともさぼりか?」
いたずらっ子の眼差しで、サウスが見た。
「ダグラス家管轄の店へ用事があったんです。終わったので、そのまま直帰しています」
「ダグラス家は庶民向けの化粧品も出してたな。仕事、終わったのか。じゃ、このあと、私の屋敷に来ないか?母も喜ぶ」
「・・・・貴方は、仕事中でしょう」
ちらりと後ろに立つ部下たちを、ランが見た。
目線は合わない。
「私の仕事も終わってる。こいつらが嫌なら、すぐ解散させるから」
「・・・・・・ミレンダ母様には、後で会いにいきます。どうぞ、仕事、頑張ってください」
サウスの母親は、サウス以上にランを可愛がっている。
「一緒に帰ればいいじゃないか。何か買ってやろうか?いい酒知ってるんだ。ランが好きな度数の高い奴だ。甘い香りがする新しい酒も知ってるんだ」
「結構です。それは、恋人に買ってあげればいいですよ。貴方は目立つから、ここではあまり話しかけないでください」
無表情にランが呟いた。
「あ、ああ、すまない」
サウスがしょんぼりとした。
「ランを見つけたから、つい」
「私に気付く前に、周りに気を配ったらいい。貴方は貴族。私は平民。貴方の側近さん達も貴方の行動に振り回されて迷惑ですよ」
後ろにいた部下たちの目がつり上がっている。
ランは、会釈すると振り返る事もなく、市場の雑踏の中に入っていった。
後ろ姿を、サウスが寂しそうに見つめていた。
「なんですか、あれは!せっかく、旦那が声をかけたのに」
「いや、私が悪いんだ。人が多いところでは、話し掛けない約束だったのを忘れていた」
「しかし」
「ランは、私が自分のせいで不利益になることを嫌うから。ランも目立つのを嫌う。後でお詫びに、うちの一番いい酒を持っていこう」
「・・・・・・旦那。彼は旦那の友人に相応しくない」
言いにくそうに呟いた言葉を、サウスは睨みつけた。
「黙っていろ。ランの良さは、私しか知らなくていいんだ」
雑踏を見つめ、サウスは少し溜め息をついた。
数刻後、ランは、高台に建つ屋敷の裏に立っていた。
白を基調にした外観は、周りの屋敷よりも鮮やかに目立たせていた。高い塀は、ダグラス家と同じで、用心深い貴族しか知り合いがいないのかと、ランは思っていた。
ランは、塀を見上げ軽く溜め息をつき、こつこつと裏の扉を叩く。小さなのぞき窓が開いた。
「こんにちは。ランです」
年老いた門番に会釈すると、にこやかに門番が笑い、扉が開いた。
「坊ちゃん、ひさしぶりですね。今日は、ミレンダ様と会食ですか」
奥方の名前が先に出てくるのは、仕方がない。
「ミレンダ母様に、ケーキを焼いたんです。沢山焼いたから、どうぞ」
紙袋を渡され、門番が破顔する。
「坊ちゃんは相変わらず、料理上手ですね。皆、美味しいって、すぐなくなるんですよ。ミレンダ様も喜ばれますよ」
「ミレンダ母様は、裏?」
「当主と中庭で、お茶してますよ」
「ああ・・・・・じゃあ、部屋に置いておこう。おじさんに会うと、仕事の勧誘がうるさいから」
「当主は、坊ちゃんがお好きだから」
「私じゃなくて、私の家族が好きなんですよ。父を片腕にしたいから」
「はは、頭のいい坊ちゃんの事も、欲しがってましたよ」
軽口にランが笑うと、軽く手をあげ歩き出した。
廊下を自由に歩いてるランに、女中や執事たちも何も言わなかった。
ランの家族専用の部屋まで、ミグリ家にはあった。
家族ぐるみの付き合いだったが、ここまで親密なのは珍しいらしい。
周りの家族は知らないから、よくわからない。ただ、とても居心地がいい空間にしてくれているのはわかる。
屋敷の中は、殆ど若い人間は働いていない。古参の慣れた人間たちばかりが、雇用されていた。サウスの仕事場や当主の仕事場も、別館に作られており、本人達が来るのは食事ぐらいらしい。
屋敷はミレンダ夫人の城だった。
「ラン、きてたの!」
濡れ羽の黒髪を美しく結い上げた妙齢の美女が、ランを抱きしめた。
「ミレンダ母様、お久しぶりです」
「もう!来る前に連絡してくれたら、美味しいお菓子沢山用意したのに」
「ケーキを焼いたんです。どうぞ、おじさんと食べてください」
「一緒に食べましょう。嬉しいわ、ランが来てくれるなんて。サウスは来ても、あの人と難しい話ばっかりして面白くないんだもの」
「私も難しい話をしますよ?」
「ランはスズそっくりで、優しいから全然嫌じゃないわ。わたしにも分かるように、教えてくれるじゃない。さ、いきましょ。お茶を入れるわ」
「おじさ、当主の邪魔は・・・・」
「他人行儀ね。おじさんでいいのよ。父様じゃ駄目ね。そんな事言ったら、嬉しがって、すぐ後宮に閉じ込めちゃうわ。あの人は、追い出したわ。貴方をすぐ勧誘するんだもの。ランは、遊びに来ただけなのに」
「サウスは・・・・」
言いにくそうにランが言うと、ミレンダが笑った。
「貴方がやって来るって、そわそわしていたわよ。何か嫌なことされたでしょ?貴方が好きな酒や肴を用意してたわよ」
「・・・・知りません。面倒なので、会わないで帰ります」
「いいわ。後宮でお茶をしましょう。あそこなら、サウスも入ってこないわ。嬉しいわ、ランが来るなんて」
ミレンダが花のように笑った。
母と親友と公言している彼女達は、息子の目から見ても少女のような可愛らしさがある。屋敷の狭い空間で生きているから、擦れていないのだと思う。
ひとしきり中庭でミレンダとお茶をして、ランは何気に廊下を歩いていた。
「ラン、私に会わないで帰るのか」
サウスが廊下の入口で、腕を組んで見ていた。
むっとしたように睨み付けている。
長い足だな。ぼんやりと思った。
ランが白々しく、今気付いたように呟いた。
「・・・・・ああ、居たんですか。仕事してると思ってました。ミレンダ母様とお茶をしてましたよ。用は終わりましたので、帰ります」
「ま、待って。私と遊んでくれ。別館に行かないか?私の部屋の隣に、ランの部屋も作ったんだ」
ランの腕を掴んだ。ランが軽くはたく。
「屋敷の中に部屋はあるから、必要ないでしょう。それに嫌ですよ。貴方が連れ込んだ人間たちと夜中遊んでる声が、隣から聞こえるなんて、安眠妨害だ」
サウスが慌てて言った。
「そんな事しない。新しい本入れたんだ。グラゾラ国の新刊だぞ。サゾルでは、どこよりも早い」
サウスが輸入品で、本に手を出したのは聞いていた。
「・・・・・・・新刊?」
ランが立ち止まった。
本の虫のランが、ロジムの本を読み尽くしていることを知っていた。
ランが喜ぶとサウスは思って、興味がない本に手を出したのだ。
「娯楽から医学書まで入れた。まだ、倉庫に置いてる。好きなのを書庫においてておくつもりだ。原本だから、訳されてないが、読めるだろう?」
「・・・・・見ます。でも、売り物でしょ?」
「うん、でも、ランが好きそうな本は、書庫に移してる。料理の本もあるんだ。元締めの特権だ」
「サウスが本まで手を出すとは思いませんでした」
「そうだろ。意外だろ」
嬉しそうにサウスが言った。
サウスから渡されたリストに目を落とし、ランが嬉しそうに呟いた。
「改訂された論文も入ってる」
事業に組み込むにあたり、サウスは内容も猛勉強した。
「特殊な本も入れてる。何か欲しいのがあったら、言ってくれ」
「ありがとう。今度、内容を詳しく教えますね」
好意で言ったのに、サウスは嫌そうに首を降った。
「やめてくれ。代わりに、母上に焼いたケーキを私にも焼いてくれ」
「わかりました。今度、焼いて持ってきます」
「別館にくるか?改築して、後宮も作ったんだ」
別館と言っても、同じ敷地内に建つ本館と大きさはほぼ変わらない。
「後宮?とうとう、本腰を入れて正妻探しですか」
最初は当主の仕事場だけだったが、サウスが大きくなるにつれ、増築が施されていった。ランは、別館がいつも工事中の外見しか覚えていない。
「あ、ああ。正妻好みの後宮にしようと思って。広い庭といろんな作業ができる部屋もあるんだ」
「へえ、珍しい。内職でもさせるんですか?」
そんなに困窮していたかしらと、ランが首を傾げる。サウスが笑う。
「まさか。細かい作業が好きだから、1日過ごせる場所が必要だろう。私の相手だけでは、あきてしまう」
「・・・・・サウスの正妻は幸せですね。ちゃんと迎える前から、思われてるのだから」
人事に言うランに、サウスは探るように何気に言った。
「ラ、ランは?ランは、そういった奴いないよな?」
「私はまだ、文字を見たりする方が楽しいですから」
「うん。ランはそういったのが似合う。案内する。後宮は、まだ誰も行っていないんだ。正妻はまだ居ないから、ランの秘密基地にしていい」
「秘密基地って。子供ですか」
ランが笑う。
「本気だぞ。書庫の横に用意してるんだ。ランが好きそうな酒。利き酒しよう」
「いいですね」
2人が歩き出した。
廊下と庭の隙間にテーブルが置かれ、酒瓶と美しくカットされた緑色のグラスが置かれていた。
「ランが好きな果実酒だ。透明だけど、香りがいいだろう?」
無造作に一つを開け、グラスに注ぐ。
「そうですね。いい香りだ」
「今度、これに合うおつまみを作って。持って来るから」
「分かりました。甘いデザートにみ合いそうですね」
隣にサウスが座った。
「うん。ランが作るのは、何でも美味しいから」
でれでれとサウスがランを見つめている。
「旦那様」
その言葉で、サウスの顔が一瞬で引き締まる。
ランの顔も強張った。
苦虫を潰したような顔をした青年達が立っている。
「ここに来るなと言っただろう」
「・・・・ここは、部外者の立ち入りは禁止です」
「ランは部外者じゃない」
「帰ります」
ランが立ち上がった。
「待ってくれっ!紹介する。秘書のアカシだ。後ろにいる三人がクスノとウツギとクコだ」
皆、一様に無表情だ。
「サウス、貴方と違って私はあまり人と話すのは苦手です」
ランが離れようとしたが、サウスが腕を掴んでいた。
「ラン、ごめん。すぐ下がらせる」
「別館には、来ません。貴方も、気軽に部外者を入れないでください」
「ラン」
「ラン殿。お言葉ですが、あまり、我が主、サウスザリア侯を侮辱しないでいただこう」
ランの顔が、強張った。
「旦那を呼び捨てなんて、ただの平民のクセに」
後ろに控えていた三人の誰かが呟いた。
・・・・・・・・
ランが、一瞬目を閉じると、サウスの腕を振り払った。
「私は特権意識の人間に媚びを売るのは、無理です。帰らせて頂きます」
「そんな、すぐ、こいつらは下がらせる」
ランの唇が一文字になり、人形のように側近達を見つめていた。
「旦那の好意にも喜ばないくせに」
「やめろ!ランはいいんだ!」
ランがゆっくりと息を吐いた。
「・・・・サウス、不愉快だ。もう二度と私の所に来ないでください。先日渡された資料は、明日お渡しします」
「ラン」
「では、失礼します」
「ま、待って」
「なんですか?貴方が貴族という事を忘れていました。申し訳ありません、サウスザリア侯」
「呼び捨てでいいんだ!ランは特別なんだ!」
「私よりもふさわしい方々がいらっしゃるでしょう。男同士で特別なんて、気味が悪い」
吐き捨てるランに、サウスが慌てて縋った。
「あ、あああ!行かないで!ラ、ラン!早過ぎるとおもって、ずっと言わなかったんだ」
「なんです?」
「け、結婚してほしい。仕事もそのままでいい。帰ってくる場所を、私のところにしてほしい。愛してるんだ!正妻はラン一人でいいと思っている!」
『旦那様!?』
全員が目を剥いた。ただ一人、ランだけが、理解できないのか、見つめていた。
サウスが膝を付いた。
「ラン、結婚してほしい。本気だ。ずっと、言おうと思っていたんだ。特別なんだ」
「な、にを・・・・」
絞り出すように、何か言おうとしたが、サウスに遮られた。
「子供は親族を養子に貰おうと思ってる。他に男も女も娶るつもりはない。本気なんだ!ずっと、結婚するつもりだった」
「うああああああ!」
ランが目の前にあったグラスをサウスに投げつけた。
避けようとして、サウスが至近距離だったため、後ろにひっくり返った。
「旦那!?」
駆け寄る側近たちを後目に、ランが逃げ出した。
起き上がり、ランの小さくなっていく後ろ姿を見ながら、サウスが全員を睨みつけた。
「ランが怖がってしまった。ずっと横にいたのに。おまえ等のせいだぞ!」
「本気、ですか?」
アカシが眉根を顰めながら、サウスに確認した。
「当たり前だ!ランは人見知りだから、少しづつおまえ等を慣らしていくつもりだったのに。ああ、どうしよう。ランが警戒してしまう。会ってくれないかもしれない」
サウスが立ち上がり、うろうろと歩き出した。
「お前らは、しばらくはランに絶対近づくな。せっかく、後宮を気に入るようにしたのに」
「旦那・・・・・」
全員が呆然と、サウスを見つめていた。
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