海月のこな

白い靴下の猫

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シヨラの姫

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だが、アルトは翌日の朝には、それが不可能なことを知った。
ローが私室に押し入ってまで、アルトに告げたのだ。
「シヨラのヨナ姫があなたの正妻になられます。シヨラ王の特別なご配慮で、明後日に公になり、十日後にはご到着されます。どうぞご準備を」
父王はアルトが女性を引っ張ってきても文句を言わない代わりに、自分も勝手にねじ込んでくる。
それよりなにより、このスピードは裏に誰かいる。
振り切っても、なぎ払っても這い上ってくる公務。正妃の座を知らぬ間に埋められたくなければ、放っておくわけには行かなかった。激しい舌打ちを残して、アルトは執務室に向かった。

アルトは。文句を言うでもなく、ルウイをただ腕の中に入れて眠らせてくれる。
「やさしい、よなぁ」
ルウイは、アルトの綺麗な寝顔を見てつぶやいた。
アルトの腕の中にいると、感応力が増していくのがわかる。
アルトがいないときは、金属もどきを傷つけて、にじみ出てきた「何か」をナイフの先ですくって、腕の傷につきたてていたけれど。
いまや、なにも体に入れなくても。
こんな風に、辿れば・・・。意識を集約させた途端に、頭の中に響く声。とてもはっきり聞こえる。
“スタック!ハンターのコードにトラップをいれてくれ!近くの死体を動かせるやつをたのむ”
みつけた。こいつだ。耳をすます、深く、深く。
気が付いた時には、体が冷え切っていて、乾ききった唇を噛んでしまったらしく血がにじんでいた。
ああ、ずいぶん分かったな。
良い情報としては、受精卵さえあれば、特に男性の個体は必要ないらしいということ。
これは不幸中の幸いだった。
アルトやミセルに興味を向けさせないためには、ルウイが受精卵を作るという手がひとつある。もう一つは、ルウイ自体のサンプルとしての価値をなくす。要するにサンプル採取計画自体の失敗。
例えば死亡後、回収される前にルウイの肉体の損傷が進めば、男性個体のサンプルは不要になる。
神の船の廃棄燃料は下手に蓋を開けるとα線がDNAを損傷するらしい。あれを使えば卵もDNAもサンプルとしての価値はなくなるだろう。たぶん自分も死ぬので、できればやりたくはないけれど。
悪い情報は、適合する個体、要するにアルトたちは、ルウイ限定で適合するわけではないということ。他のTの女性とも適合してしまう。
パセルの王廟にある凍結ポッドが思い浮かぶ。神の船で死んだ妊婦たち。コレクターは気づいていない。だが彼女らも、ルウイと母親と一緒に割れた太陽に乗ったTの女で、保存状態は極めて良い。うまくすれば、ルウイのかわりに、この妊婦たちを差し出せば済むかもしれない。
だが、最悪の場合、簡単に言うと胎児に男性がいない場合、ルウイから興味がそれて、アルトやミセルだけがコレクターに狙われる可能性がある。考えるのも生理的に嫌だけれど、アルトたちは、あの死体との受精にも使えてしまうことになるからだ。ルウイにわからないところで、アルトたちがコレクターに狩られる?
そんなことは、絶対にゆるさない。

数日後、伝言板にメッセージが流れたのを確認して、ルウイは出かけていった。
馬車で行くから、無理しないから、レグラム王のフォローはするから、ケセルにもシヨラ王にも絶対負けないから。骨折を無理やり手伝わせたのを悪いと思ったのか、ルウイはアルトの不安を拭おうと、たくさんの約束をした。
だがどれをとってもまったく安心できない。
アルトは凄絶な不安のなかに残された。

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