ひどくされても好きでした

白い靴下の猫

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58. 6年越しの治癒

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ミケの夢、ばかりだった気がする。
気が付くと、口の中が甘かった。
ミケが重そうに俺の頭を腕に抱いて持ち上げて、コップをふるふるさせながら、一生懸命果汁を飲ませているところだった。

「あ、おきた!ました?」

謎の言葉遣いが、シェドとパチドが混乱しているのは俺だけじゃないと語っている。

「ああ。で、お前は、寝ているだけで病人でもない俺に、何をしている?」

「それはそうなのですが、回廊の魔素は熟成発酵しちゃっているといいますか、ちょっと勝手な加工がされているので、気分悪くなったかと」

「人が取り込めないように加工されてはいたな。おかげで欲求不満だ」

そう言って、俺の頭を抱えているミケの掌を取って、軽く唇を押し付ける。

ぴい

ミケは、雛鳥のようなおかしな悲鳴を上げ、同時に彼女が俺をこれまでのパチドそのままだと結論したようだ。
もし俺が、シェドになれていたなら、彼女は喜んだろうか。

「しょ、職務放棄する気はないのですが、親代わりの家でしてっ、魔素の供給方法は手のひら×手のひらバージョン限定でお願いします!」

職務、な。
で、『愛のないエッチの腕で生きる姉さんにまかせなさい』か。
些細な言葉尻や、壁越しに聞いたセリフが、いやに癇に障る。

「・・・屋敷に戻ってお前を抱く」

シェドなぞ、なんの安全装置にもなりはしないと脅したつもりだったのに。

「魔素回廊すどおり?!全く平気なのです?!」

気になるのは、そこか。魔への耐性が高いことは知っているだろうに。わざわざ魔素を避ける首飾りまでかけておいて。

「お前もルカも、素通りだろうが。里帰りが簡単で良かったな」

ああ、そういえば、シェドは過去にミケの傷を見ていたのだな。

どれだけ魔素の擬態でごまかされきっていても。
ほんものの傷を見た今ならば、治してやれる。
折れた両脚も、背中の槍傷も。

「た、たまに、ひとりで、ここにきても良いとゆーことでしょうか?!」

声が裏返ったミケは、夢で見たとおりに、笑っていた。



どこかで、期待していたのかもしれない。
俺のパーツがシェドだけだと知ったミケが、俺に、シェドに向けるような目を、向けてくれるのではないかと。

いつもの事、なのに。
キスをしようとして、ミケに顔を背けられただけで、シェドを憎める気がする。

パチドにされることは、なんでも、嫌なのだな、お前は。

全裸に剥いて、うつぶせに押さえつけると、二つ並んだ傷跡がよく見えた。

「いや、いやぁっ」

天使が翼をもがれた跡、か。
両足が折れ、爪が裂けて、背中から血を流しながら。
チャドを思い、シェドを気遣い、諦めきれず。
ミケは無駄としか言いようのない術をまき散らして泣いた。

今も、パーツだけがシェドの、俺なんかに押さえつけられて、叫んでいる。
痛めつけられるとしか、思っていないか?

彼女にとってのパチドは、苦痛しか与えない征服者で。
彼女がパチドに懐いて見せるのは、被害者が加害者におもねる生存戦略に過ぎなくて。

右側が、チャドと共に貫かれた、槍の傷あと。
左側に、魔素を絞り抜かれた、刺し傷のあと。

擬態を凝らしたミケの背中に、魔力を巡らせ治癒をかける。

あの時、血はどくどくと流れつづけ、裂けた肉が魔力に焼かれて蒸気をあげていた。
シェドの惰弱とミケの抵抗と魔術師の攻撃の中で、一向に塞がろうとしなかった傷口。
ありありと思い描くことが出来る。

時間をせき止められていただけの傷口は、どんなに痛んだだろうか。
俺の魔力が壊れた組織を編み治していく。

ひっく、ひいっく
ミケの叫び声が、しゃくりあげる泣き声にかわり、暴れていた力が抜けていく。

左側の傷は、かなり消しにくい怪我だった。鋭い金属を何度も刺し、時たま、思い出したように麻酔薬と止血剤をぶち込み、へたくそな治癒で繰り返し塗り固めた跡。
固まってしまった傷を解き、組織をあみ、また解いては、編む。

ひっく、ひっく

痛みはないはずなのに、ミケはしゃくりあげ続ける。

背中の傷跡がふたつともすっかり消えてから、ミケを押さえつけていた手を離した。

ミケの顔は泣き過ぎてぐしゃぐしゃで。
紙を渡してやったら、ずびずびと鼻をかみ、じたばたと上掛けで体を隠して、

「しぇど、なの?」

と聞く。

「傷の形がわかったら、シェドなのか?」

質問に質問で返しながら、今度はミケの足を押さえつける。
ミケは必死で身を縮めようと暴れた。

説明もせず、なだめてやることもしない俺が悪いのだとわかっていても、いちいちビクビクするなと、怒鳴りつけてやりたくなる。

「まって!・・・嫌な私が、見え、た?」

「なんのことだ?怪我をした時のことか?」

「そのあと。シェドは、古い傷跡から『邂逅』で、その人に時間を辿れたから」

『邂逅』、か。
強い感情に浸かった怪我だの物だのを媒介にして、そこにいた人間のその後を追体験する術だ。ムーガルよりもさらに南の国ではよく使われる術だが、北のフェルニアではあまり聞かない。

「はん。知られたくないことがあるから古傷の治癒はことわると?下らん見栄で歩けなくなってもいいのか?」

傷を抉って悲鳴を上げさせるのでないなら、秘密を暴いて心を抉る気だろうって?
まったく、どこまでも下種扱いしてくれる。お笑い草だ。

苦笑が漏れた俺を見て、ミケは力を抜いた。

「・・・おかしいですか?私に、恥ずかしがる気持ちとか、痛む心とか、あったら変ですか」

風向きの変わったもの言いに、顔を上げると。
ミケは、年齢ににあわない、えらく疲れ切った顔で、最近よく見るようになった涙をながしていた。

「残念頭だな。何も見ないから、大人しくしていろ」

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