58 / 141
58. 6年越しの治癒
しおりを挟む
ミケの夢、ばかりだった気がする。
気が付くと、口の中が甘かった。
ミケが重そうに俺の頭を腕に抱いて持ち上げて、コップをふるふるさせながら、一生懸命果汁を飲ませているところだった。
「あ、おきた!ました?」
謎の言葉遣いが、シェドとパチドが混乱しているのは俺だけじゃないと語っている。
「ああ。で、お前は、寝ているだけで病人でもない俺に、何をしている?」
「それはそうなのですが、回廊の魔素は熟成発酵しちゃっているといいますか、ちょっと勝手な加工がされているので、気分悪くなったかと」
「人が取り込めないように加工されてはいたな。おかげで欲求不満だ」
そう言って、俺の頭を抱えているミケの掌を取って、軽く唇を押し付ける。
ぴい
ミケは、雛鳥のようなおかしな悲鳴を上げ、同時に彼女が俺をこれまでのパチドそのままだと結論したようだ。
もし俺が、シェドになれていたなら、彼女は喜んだろうか。
「しょ、職務放棄する気はないのですが、親代わりの家でしてっ、魔素の供給方法は手のひら×手のひらバージョン限定でお願いします!」
職務、な。
で、『愛のないエッチの腕で生きる姉さんにまかせなさい』か。
些細な言葉尻や、壁越しに聞いたセリフが、いやに癇に障る。
「・・・屋敷に戻ってお前を抱く」
シェドなぞ、なんの安全装置にもなりはしないと脅したつもりだったのに。
「魔素回廊すどおり?!全く平気なのです?!」
気になるのは、そこか。魔への耐性が高いことは知っているだろうに。わざわざ魔素を避ける首飾りまでかけておいて。
「お前もルカも、素通りだろうが。里帰りが簡単で良かったな」
ああ、そういえば、シェドは過去にミケの傷を見ていたのだな。
どれだけ魔素の擬態でごまかされきっていても。
ほんものの傷を見た今ならば、治してやれる。
折れた両脚も、背中の槍傷も。
「た、たまに、ひとりで、ここにきても良いとゆーことでしょうか?!」
声が裏返ったミケは、夢で見たとおりに、笑っていた。
☆
どこかで、期待していたのかもしれない。
俺のパーツがシェドだけだと知ったミケが、俺に、シェドに向けるような目を、向けてくれるのではないかと。
いつもの事、なのに。
キスをしようとして、ミケに顔を背けられただけで、シェドを憎める気がする。
パチドにされることは、なんでも、嫌なのだな、お前は。
全裸に剥いて、うつぶせに押さえつけると、二つ並んだ傷跡がよく見えた。
「いや、いやぁっ」
天使が翼をもがれた跡、か。
両足が折れ、爪が裂けて、背中から血を流しながら。
チャドを思い、シェドを気遣い、諦めきれず。
ミケは無駄としか言いようのない術をまき散らして泣いた。
今も、パーツだけがシェドの、俺なんかに押さえつけられて、叫んでいる。
痛めつけられるとしか、思っていないか?
彼女にとってのパチドは、苦痛しか与えない征服者で。
彼女がパチドに懐いて見せるのは、被害者が加害者におもねる生存戦略に過ぎなくて。
右側が、チャドと共に貫かれた、槍の傷あと。
左側に、魔素を絞り抜かれた、刺し傷のあと。
擬態を凝らしたミケの背中に、魔力を巡らせ治癒をかける。
あの時、血はどくどくと流れつづけ、裂けた肉が魔力に焼かれて蒸気をあげていた。
シェドの惰弱とミケの抵抗と魔術師の攻撃の中で、一向に塞がろうとしなかった傷口。
ありありと思い描くことが出来る。
時間をせき止められていただけの傷口は、どんなに痛んだだろうか。
俺の魔力が壊れた組織を編み治していく。
ひっく、ひいっく
ミケの叫び声が、しゃくりあげる泣き声にかわり、暴れていた力が抜けていく。
左側の傷は、かなり消しにくい怪我だった。鋭い金属を何度も刺し、時たま、思い出したように麻酔薬と止血剤をぶち込み、へたくそな治癒で繰り返し塗り固めた跡。
固まってしまった傷を解き、組織をあみ、また解いては、編む。
ひっく、ひっく
痛みはないはずなのに、ミケはしゃくりあげ続ける。
背中の傷跡がふたつともすっかり消えてから、ミケを押さえつけていた手を離した。
ミケの顔は泣き過ぎてぐしゃぐしゃで。
紙を渡してやったら、ずびずびと鼻をかみ、じたばたと上掛けで体を隠して、
「しぇど、なの?」
と聞く。
「傷の形がわかったら、シェドなのか?」
質問に質問で返しながら、今度はミケの足を押さえつける。
ミケは必死で身を縮めようと暴れた。
説明もせず、なだめてやることもしない俺が悪いのだとわかっていても、いちいちビクビクするなと、怒鳴りつけてやりたくなる。
「まって!・・・嫌な私が、見え、た?」
「なんのことだ?怪我をした時のことか?」
「そのあと。シェドは、古い傷跡から『邂逅』で、その人に時間を辿れたから」
『邂逅』、か。
強い感情に浸かった怪我だの物だのを媒介にして、そこにいた人間のその後を追体験する術だ。ムーガルよりもさらに南の国ではよく使われる術だが、北のフェルニアではあまり聞かない。
「はん。知られたくないことがあるから古傷の治癒はことわると?下らん見栄で歩けなくなってもいいのか?」
傷を抉って悲鳴を上げさせるのでないなら、秘密を暴いて心を抉る気だろうって?
まったく、どこまでも下種扱いしてくれる。お笑い草だ。
苦笑が漏れた俺を見て、ミケは力を抜いた。
「・・・おかしいですか?私に、恥ずかしがる気持ちとか、痛む心とか、あったら変ですか」
風向きの変わったもの言いに、顔を上げると。
ミケは、年齢ににあわない、えらく疲れ切った顔で、最近よく見るようになった涙をながしていた。
「残念頭だな。何も見ないから、大人しくしていろ」
気が付くと、口の中が甘かった。
ミケが重そうに俺の頭を腕に抱いて持ち上げて、コップをふるふるさせながら、一生懸命果汁を飲ませているところだった。
「あ、おきた!ました?」
謎の言葉遣いが、シェドとパチドが混乱しているのは俺だけじゃないと語っている。
「ああ。で、お前は、寝ているだけで病人でもない俺に、何をしている?」
「それはそうなのですが、回廊の魔素は熟成発酵しちゃっているといいますか、ちょっと勝手な加工がされているので、気分悪くなったかと」
「人が取り込めないように加工されてはいたな。おかげで欲求不満だ」
そう言って、俺の頭を抱えているミケの掌を取って、軽く唇を押し付ける。
ぴい
ミケは、雛鳥のようなおかしな悲鳴を上げ、同時に彼女が俺をこれまでのパチドそのままだと結論したようだ。
もし俺が、シェドになれていたなら、彼女は喜んだろうか。
「しょ、職務放棄する気はないのですが、親代わりの家でしてっ、魔素の供給方法は手のひら×手のひらバージョン限定でお願いします!」
職務、な。
で、『愛のないエッチの腕で生きる姉さんにまかせなさい』か。
些細な言葉尻や、壁越しに聞いたセリフが、いやに癇に障る。
「・・・屋敷に戻ってお前を抱く」
シェドなぞ、なんの安全装置にもなりはしないと脅したつもりだったのに。
「魔素回廊すどおり?!全く平気なのです?!」
気になるのは、そこか。魔への耐性が高いことは知っているだろうに。わざわざ魔素を避ける首飾りまでかけておいて。
「お前もルカも、素通りだろうが。里帰りが簡単で良かったな」
ああ、そういえば、シェドは過去にミケの傷を見ていたのだな。
どれだけ魔素の擬態でごまかされきっていても。
ほんものの傷を見た今ならば、治してやれる。
折れた両脚も、背中の槍傷も。
「た、たまに、ひとりで、ここにきても良いとゆーことでしょうか?!」
声が裏返ったミケは、夢で見たとおりに、笑っていた。
☆
どこかで、期待していたのかもしれない。
俺のパーツがシェドだけだと知ったミケが、俺に、シェドに向けるような目を、向けてくれるのではないかと。
いつもの事、なのに。
キスをしようとして、ミケに顔を背けられただけで、シェドを憎める気がする。
パチドにされることは、なんでも、嫌なのだな、お前は。
全裸に剥いて、うつぶせに押さえつけると、二つ並んだ傷跡がよく見えた。
「いや、いやぁっ」
天使が翼をもがれた跡、か。
両足が折れ、爪が裂けて、背中から血を流しながら。
チャドを思い、シェドを気遣い、諦めきれず。
ミケは無駄としか言いようのない術をまき散らして泣いた。
今も、パーツだけがシェドの、俺なんかに押さえつけられて、叫んでいる。
痛めつけられるとしか、思っていないか?
彼女にとってのパチドは、苦痛しか与えない征服者で。
彼女がパチドに懐いて見せるのは、被害者が加害者におもねる生存戦略に過ぎなくて。
右側が、チャドと共に貫かれた、槍の傷あと。
左側に、魔素を絞り抜かれた、刺し傷のあと。
擬態を凝らしたミケの背中に、魔力を巡らせ治癒をかける。
あの時、血はどくどくと流れつづけ、裂けた肉が魔力に焼かれて蒸気をあげていた。
シェドの惰弱とミケの抵抗と魔術師の攻撃の中で、一向に塞がろうとしなかった傷口。
ありありと思い描くことが出来る。
時間をせき止められていただけの傷口は、どんなに痛んだだろうか。
俺の魔力が壊れた組織を編み治していく。
ひっく、ひいっく
ミケの叫び声が、しゃくりあげる泣き声にかわり、暴れていた力が抜けていく。
左側の傷は、かなり消しにくい怪我だった。鋭い金属を何度も刺し、時たま、思い出したように麻酔薬と止血剤をぶち込み、へたくそな治癒で繰り返し塗り固めた跡。
固まってしまった傷を解き、組織をあみ、また解いては、編む。
ひっく、ひっく
痛みはないはずなのに、ミケはしゃくりあげ続ける。
背中の傷跡がふたつともすっかり消えてから、ミケを押さえつけていた手を離した。
ミケの顔は泣き過ぎてぐしゃぐしゃで。
紙を渡してやったら、ずびずびと鼻をかみ、じたばたと上掛けで体を隠して、
「しぇど、なの?」
と聞く。
「傷の形がわかったら、シェドなのか?」
質問に質問で返しながら、今度はミケの足を押さえつける。
ミケは必死で身を縮めようと暴れた。
説明もせず、なだめてやることもしない俺が悪いのだとわかっていても、いちいちビクビクするなと、怒鳴りつけてやりたくなる。
「まって!・・・嫌な私が、見え、た?」
「なんのことだ?怪我をした時のことか?」
「そのあと。シェドは、古い傷跡から『邂逅』で、その人に時間を辿れたから」
『邂逅』、か。
強い感情に浸かった怪我だの物だのを媒介にして、そこにいた人間のその後を追体験する術だ。ムーガルよりもさらに南の国ではよく使われる術だが、北のフェルニアではあまり聞かない。
「はん。知られたくないことがあるから古傷の治癒はことわると?下らん見栄で歩けなくなってもいいのか?」
傷を抉って悲鳴を上げさせるのでないなら、秘密を暴いて心を抉る気だろうって?
まったく、どこまでも下種扱いしてくれる。お笑い草だ。
苦笑が漏れた俺を見て、ミケは力を抜いた。
「・・・おかしいですか?私に、恥ずかしがる気持ちとか、痛む心とか、あったら変ですか」
風向きの変わったもの言いに、顔を上げると。
ミケは、年齢ににあわない、えらく疲れ切った顔で、最近よく見るようになった涙をながしていた。
「残念頭だな。何も見ないから、大人しくしていろ」
0
お気に入りに追加
30
あなたにおすすめの小説

むにゃむにゃしてたら私にだけ冷たい幼馴染と結婚してました~お飾り妻のはずですが溺愛しすぎじゃないですか⁉~
景華
恋愛
「シリウス・カルバン……むにゃむにゃ……私と結婚、してぇ……むにゃむにゃ」
「……は?」
そんな寝言のせいで、すれ違っていた二人が結婚することに!?
精霊が作りし国ローザニア王国。
セレンシア・ピエラ伯爵令嬢には、国家機密扱いとなるほどの秘密があった。
【寝言の強制実行】。
彼女の寝言で発せられた言葉は絶対だ。
精霊の加護を持つ王太子ですらパシリに使ってしまうほどの強制力。
そしてそんな【寝言の強制実行】のせいで結婚してしまった相手は、彼女の幼馴染で公爵令息にして副騎士団長のシリウス・カルバン。
セレンシアを元々愛してしまったがゆえに彼女の前でだけクールに装ってしまうようになっていたシリウスは、この結婚を機に自分の本当の思いを素直に出していくことを決意し自分の思うがままに溺愛しはじめるが、セレンシアはそれを寝言のせいでおかしくなっているのだと勘違いをしたまま。
それどころか、自分の寝言のせいで結婚してしまっては申し訳ないからと、3年間白い結婚をして離縁しようとまで言い出す始末。
自分の思いを信じてもらえないシリウスは、彼女の【寝言の強制実行】の力を消し去るため、どこかにいるであろう魔法使いを探し出す──!!
大人になるにつれて離れてしまった心と身体の距離が少しずつ縮まって、絡まった糸が解けていく。
すれ違っていた二人の両片思い勘違い恋愛ファンタジー!!

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて
アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。
二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

【完結】新皇帝の後宮に献上された姫は、皇帝の寵愛を望まない
ユユ
恋愛
周辺諸国19国を統べるエテルネル帝国の皇帝が崩御し、若い皇子が即位した2年前から従属国が次々と姫や公女、もしくは美女を献上している。
既に帝国の令嬢数人と従属国から18人が後宮で住んでいる。
未だ献上していなかったプロプル王国では、王女である私が仕方なく献上されることになった。
後宮の余った人気のない部屋に押し込まれ、選択を迫られた。
欲の無い王女と、女達の醜い争いに辟易した新皇帝の噛み合わない新生活が始まった。
* 作り話です
* そんなに長くしない予定です
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
勘違い妻は騎士隊長に愛される。
更紗
恋愛
政略結婚後、退屈な毎日を送っていたレオノーラの前に現れた、旦那様の元カノ。
ああ なるほど、身分違いの恋で引き裂かれたから別れてくれと。よっしゃそんなら離婚して人生軌道修正いたしましょう!とばかりに勢い込んで旦那様に離縁を勧めてみたところ――
あれ?何か怒ってる?
私が一体何をした…っ!?なお話。
有り難い事に書籍化の運びとなりました。これもひとえに読んで下さった方々のお蔭です。本当に有難うございます。
※本編完結後、脇役キャラの外伝を連載しています。本編自体は終わっているので、その都度完結表示になっております。ご了承下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる