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49☆濃くなる軌跡
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朝、腕の中からユオが消えていて、サフラは恐怖に叫んだ。
するとすぐにドアが開いてユオが顔を出す。
「どしたの!?」
自分の荒い息が溺れてでもいるように苦しげで、駆け寄ってきたユオを、唯一の浮きのように抱きしめて聞く
「うご、けるの?」
「うん。起きたら動けた」
「消えたと、思った」
「お陰様で元気」
少しでも気を注ごうと、ユオの指に唇を当てる。
「あ、こら。も、お腹いっぱい」
なんだろう、ユオの声なのに、初めて聴く。恋人、みたいな、甘い、響き。
振り払うのじゃなくて、惜しそうに、ずらされる指。
酩酊しそう。
「少しだけ。ほんの、少し」
ユオが笑って力を抜く。吸い込まれていく金色の力。
「力吸われたいなんて、へんなの。太らせたいの?私、今日は体が軽いからちょっと歩いてみたいのだけれど。散歩とかいく?」
「・・・行きます」
外に出て、サフラはユオが雪のなかを走るのを見た。
追いかけるのも後ろ姿を見るのも嫌だったので、つい並んで走る。
ユオは体が軽いという割によく転んだ。
巻き込まれて転ぶと、軽く『ごめん』という。僕が、抱きしめられるから嬉しいというと、ユオはあきれ顔になった。
そんな風に一日過ごして。
彼女は、焼き孔をえぐったことも、強引に体を拓かせたことも何もなかったように、何度も当たり前のように好きだといい、僕に笑いかける。
そして、当たり前の続きのように言った。
「さて、優しくしてもらったし。行こうか。」
ユオの言葉を、僕は予想していなかった。
冷たい氷の矢を打ち込まれたように自分の表情が変わったのが分かる。
「どこ、へ?」
「もちろん、私が落ちてきた狭間の側に」
「・・・いやだ」
狭間の側へなど、2度と連れて行きたくない。
だって、あの場所に近づくと、彼女の首や額に冷や汗が浮く。体だってしんどいはずだし、なにより、彼女が冷たい塊に戻りかけた場所でもある。
「うわ。ユオが泣く。浮気か?受けてたっちゃうぞ。」
「・・・なぜ、そこで、ユオが泣くはなしになる?」
彼女は、んー、と呻いた後、まっすぐに僕を見ていった。
「ユオはね、まだ狭間で生きているの」
「ユオが、生きて、いる?」
コクン。自信ありげに彼女がうなずく。
ユオが?この世に?
「どこに、いる」
いや、どこであろうと取り戻す。生きていてくれるなら。もう一度。今度こそ。
「だーかーらー。私が落ちてきたところに行こってば。説明するから」
同じ次元でも、雪のなかの小屋ならば随分安定しているのに。
ユオはもっともっととサフラをせっついて、歪な次元のはじっこに寄っていく。
ユオの額に汗が浮くと無意識にスピードが落ちるサフラに、本物のユオが待ってるのだと檄を飛ばし続けて。クレーム係さんが、ユオの形を再生した場所についた。
ユオが夜空にむかって大きく腕を広げる。
それをまっていたように、空にくっきりと、ユオの左手が通った軌跡がうかびあがった。
「みえる?ユオはね、この軌跡の先にいます」
「この先に、ユオが・・・」
軌道上には、脈動する複数の次元が入れ代わり立ち代わり飛び出して、せめぎあっているのがわかる。
自分も、どの次元も、ちぎれとんでかまわない。この軌道が、ユオにつながっているのなら。次元を裂き、跳ね飛ばしてでも飛んでいきたい。
「ゆっとくけど、次元裂いて強引に跳んだら、壊れるのサフラの体だけじゃなくて、ユオのいる狭間も砕け散るからね」
「どうすればいい、どうすれば!」
彼女は、格段に悪くなった顔色のまま、にぱにぱと満足げな笑みを浮かべて空を見る。
「だから優しくしてってば。みて、すごく濃くなったでしょ。これをうんと強くして、本体を私に向けて引っ張るの」
サフラは、状況を理解できずに、ただユオを凝視する。
「わっかんないかなー。私は、消える時に本体ユオの帰り道に使えるという、ゴージャスな特典付きの手紙だったのよ!おめでとう!」
「話、が、理解できない」
「え、本当にわかんない?私が賢すぎるの?ひょっとしてわかるのを嫌がってる?」
「なぜ嫌がる、なんて話が出る・・・」
なぞなぞみたいな話し方が、不安をあおる。
「嫌なはずないよねー。優しくされて重くなった私を呼び水にすれば、狭間に残っているユオを軌道からキャピラリーして、器に受けられるんだから。サイフォンの原理、わかる?」
「器?」
ユオが自分の胸をトン、と突く。
「そう、私です。呼び水が、左手だった私の気で、器は補強してもらったこの体、チューブがあの濃くなっている軌道、ってイメージ」
「・・・今のユオは、どうなる?」
「成功すればユオの気の一部に還るんじゃないかな。失敗して吹っ飛んだら体ごと原型とどめないけど、どうせそんなに長くもたないしねぇ」
「消えると?」
「たぶん?」
ゆっくりと、降り積もるように、話の意図が見えてくる。
サフラが、いまいるユオを大切にすればするほど、思い入れれば思い入れるほど、気を注げば注ぐほど、器はもっと重く、確かになるのだと。
力を流せば軌跡もユオも強くなるけれど、それは結局、壊されるのだと。
「壊すために強くしろ?そんなものが協力か」
怒りのこもったサフラの声に、ユオは3秒ほど黙った。
「いや、必要だし」
「消えたくないと、言っただろうが!」
サフラは、今ここにいるユオに惹かれている。
自分がしたことがひどすぎて、伝えられないだけで。
自分の犯した間違いと暴虐と卑陋を、黙殺して、何もなかったかのように甘やかしてくれるから、言葉に出せないだけで。
はじめて、力を受け入れられて、甘い声で語りかけられて。
茶化されないキス、抱きしめて眠る体温、振りほどかれない指。
どれ程欲した世界だろう。
愛しくて、有難くて、失うことなど考えられないすべて。
なのに、壊し頃になるまでもっと思い入れろ?
無理に決まっている。
「嫌だ」
「ん?そう言ってくれてありがとうね。社交辞令でも嬉しい。でも、本体からのラブコールを無視したら寝覚め悪いから」
ユオの目は本物のようで、抗うことができなかったけれど、引き受けることもできなくて、サフラはユオの前に膝をつく。
「耐えられない」
あ、泣く・・・ユオにはそうみえたようだ。
でも、涙は零れなくて、息をしているのかもわからない彫像のようになった。
「おーい、ちょっとぉ?」
優しく撫でてくるユオの声を聴いても、動けない。
「注文自体はむつかしくないでしょ。遠慮なく食べごろにまで太らせて頂戴!」
露骨な物言いに、硬直が解けた。
「・・・やめてくれ」
「はぁ?太るよってくらい力くれたじゃない。いちゃいちゃしながら人助け!さっきまでと変わらないでしょうが!」
「全然ちがう。消えたくないって、言わせることができた時と」
「だからって私に優しくしないで、ユオを諦めるわけ?それとも本体のユオが完全に消えたら安心して私に優しくする気?たいしてもたないわよ?」
「うるさい!」
彼女が僕に触れる。誘うような、甘い、触れ方で。
「ユオ以外の誰にその力くれてやる気よ」
挑発たっぷりの物言いに、触れられた手を振り払おうとしてみるけれど、まったく力が入らない。
「・・たのむから黙って」
過去と今が、絡みつく。
「私は触りたい放題で、何の我慢も不都合もないよ?」
触れられる、ユオ。受け入れてくれる、ユオ。
ニセモノ扱いでごまかして触れ始めたくせに、本物に見えるようになった彼女を食い破った。
「消えるつもりの人間が、・・触れろ?」
「もともと寿命よ。短命が優しくしてもらえない理由になるとは思わないのだけれど?」
利用して壊すのが優しいのか。消えたくないって言わせといて、消すのが優しいのか。
大切だとか、癒したいとか、そんな気持ちを封じられて。どうやって知らなかったときのように過ごせるのか。
しばらく、動かない僕を好き勝手に触りまわした後、ユオは、ちぇ、と軽く顔をしかめて、距離を開けた。
「お腹減ったから、家に帰ろ」
「は?」
「このまま放置されたら、寿命より先にエネルギー切れで消えそう。触るのが嫌ならご飯にする」
「薪かっただけで戻ったから、家に何も、ない」
「あ、余計にお腹がすいた。ごはん買いに行こ。一緒に」
歩き始めると、相変わらずユオはよく転んだ。
反射的にサフラが抱きとめると、嬉しそうに笑う。
食材を買った。いつもどおりに。
ユオがまな板と包丁を出す。これまで通りに。
「ね。怪我したら、また直してくれる?あれ、サフラの気が一杯で、どかっと濃くなる気がして好きなんだよねー」
「・・・もうやらない。気をつけて」
それが、彼女を濃くするだけなら。ただの器に近づけるだけなら。もうしない。
サフラにとって、気を吸われる至福は、彼女からしか与えられたことがない。
乳母も、ユオも、サフラに与えるだけ与えて、何も返させてはくれなかった。
彼女だけが、サフラが与えることを許してくれた。
ユオが消えた世界を壊してしまいそうな憎悪だとか、ユオを失ってしまった自分の無力感と罪悪感だとかの地獄の沼は、ユオが居るときには想像すらできなかったから。
壊れた自分がこんなにも汚い事も知らなかった。
ユオが見たこともないほど醜悪な僕と、彼女は体を重ねてすら笑ってくれた。
彼女だけが、汚いサフラに笑ってくれた。
はじめてのことばかりだったのだ。
守られて、幸せで、自信家だった自分ですら、ユオが消えることに耐えられなかった。
弱く、汚く、乾ききった自分は、もう二度と彼女が消える事に耐えられる気がしない。
「ん」
軽いうめき声がして、サフラが現実に目を戻すと、ユオが、包丁で自分の左の肩口を切りつけていた。
「なにを・・・」
サフラが慌てて包丁を取り上げる。
「んー。目印、のつもりなんだけど、動脈はやめといた。何か見捨てられそうだし?」
目印?あふれだした血が手の先から床に落ちる。
「さて、と。サンドイッチでいいかな。高級チーズ買ったし。スープも欲しいけど・・・」
ガタッ。
ユオが膝をつく。
「おい!」
サフラも、ユオを抱えるように一緒に膝をつく。
「どうすれば優しくしてくれる?」
何も答えず傷に口をつけようとしたら、ユオが僕の髪をちょんと引いた。
「血で汚れるから、こっち」
ユオが自分の唇を指差して笑う。
吸い寄せ、られる。
誘われることがこんなに情動を暴れさせることも、求められて与えることがこんなに心地良いことも、彼女に教えられた。
今のユオが一番大切だと言えたらどんなに心が軽くなるだろうか。
彼女が、ただサフラをなだめるためだけに送られた人形だったなら。きっと彼女に絡みついて、死ぬまで大人しくしていた。
けれど、このユオは本体のユオのもので、たったひとつの希望で、裏切れるはずがないのだ。
選べるとしたら、サフラがユオをどこまで強くするかだけ。
サフラがこのユオに思い入れれば入れるほど、消えることが許せなくなる。このユオの気配が強くなればなるほど、壊れる時が辛くなる。
自分の力がユオの力になるのに、それを耐え難いと思う時がくるなんて、考えたこともなかった。
サフラが唇を離すと、ユオが笑いながら『お腹いっぱいになっちゃった。もう御飯いらない』という。
ユオの肩の血は止まっていた。傷もふさがっているだろう。分かっていたが、サフラは肩に唇を移した。止めない言い訳が欲しかった。
また少し、酔っ払ったような口調になって、ユオが言った。
「かなり優越感、だな。本体に。ユオは我慢してたわけだ。この力を隠したくて」
我慢、していた?
「独占欲、だよね。支配欲が抜け落ちた、ただの独占欲。私は、さ、本体のユオ、嫌いじゃないよ。ちょこーっと小さいけどね。かわいいやつ」
ユオがフラフラするので、ソファーまで手を引いた。
「離れたほうが、いい?」
自分の触れ方が、どうしても邪に思えてきて、恐る恐るそう聞く。
「なんで?どこか行くの?」
ユオは、逆に僕を引き寄せるようにして手を握った。
「どこも、いかない」
「じゃ、離れないぞぉ。も、ずーっとくっついていたい!ふふ、いずれ本体が戻って喧嘩したらさ、誰かれ構わず力ばらまいてやるっていってみな、多分折れる」
いずれ、というのは、このユオがいなくなった後、ということか。
当たり前のように言われて目の前が暗くなる。
「・・・誰かれ構わず出来るもんじゃない」
好きだ。
自分だけのものだと、誰にも渡さないと、何度心の中で叫んだだろう。
それでも。
僕は結局、逃げられなかった。
どんなに失うことが嫌でも、本能まで支配するような力を吸ってもらう心地よさと、何度も好きだと言う目の前のユオから、逃げられなかったのだ。
するとすぐにドアが開いてユオが顔を出す。
「どしたの!?」
自分の荒い息が溺れてでもいるように苦しげで、駆け寄ってきたユオを、唯一の浮きのように抱きしめて聞く
「うご、けるの?」
「うん。起きたら動けた」
「消えたと、思った」
「お陰様で元気」
少しでも気を注ごうと、ユオの指に唇を当てる。
「あ、こら。も、お腹いっぱい」
なんだろう、ユオの声なのに、初めて聴く。恋人、みたいな、甘い、響き。
振り払うのじゃなくて、惜しそうに、ずらされる指。
酩酊しそう。
「少しだけ。ほんの、少し」
ユオが笑って力を抜く。吸い込まれていく金色の力。
「力吸われたいなんて、へんなの。太らせたいの?私、今日は体が軽いからちょっと歩いてみたいのだけれど。散歩とかいく?」
「・・・行きます」
外に出て、サフラはユオが雪のなかを走るのを見た。
追いかけるのも後ろ姿を見るのも嫌だったので、つい並んで走る。
ユオは体が軽いという割によく転んだ。
巻き込まれて転ぶと、軽く『ごめん』という。僕が、抱きしめられるから嬉しいというと、ユオはあきれ顔になった。
そんな風に一日過ごして。
彼女は、焼き孔をえぐったことも、強引に体を拓かせたことも何もなかったように、何度も当たり前のように好きだといい、僕に笑いかける。
そして、当たり前の続きのように言った。
「さて、優しくしてもらったし。行こうか。」
ユオの言葉を、僕は予想していなかった。
冷たい氷の矢を打ち込まれたように自分の表情が変わったのが分かる。
「どこ、へ?」
「もちろん、私が落ちてきた狭間の側に」
「・・・いやだ」
狭間の側へなど、2度と連れて行きたくない。
だって、あの場所に近づくと、彼女の首や額に冷や汗が浮く。体だってしんどいはずだし、なにより、彼女が冷たい塊に戻りかけた場所でもある。
「うわ。ユオが泣く。浮気か?受けてたっちゃうぞ。」
「・・・なぜ、そこで、ユオが泣くはなしになる?」
彼女は、んー、と呻いた後、まっすぐに僕を見ていった。
「ユオはね、まだ狭間で生きているの」
「ユオが、生きて、いる?」
コクン。自信ありげに彼女がうなずく。
ユオが?この世に?
「どこに、いる」
いや、どこであろうと取り戻す。生きていてくれるなら。もう一度。今度こそ。
「だーかーらー。私が落ちてきたところに行こってば。説明するから」
同じ次元でも、雪のなかの小屋ならば随分安定しているのに。
ユオはもっともっととサフラをせっついて、歪な次元のはじっこに寄っていく。
ユオの額に汗が浮くと無意識にスピードが落ちるサフラに、本物のユオが待ってるのだと檄を飛ばし続けて。クレーム係さんが、ユオの形を再生した場所についた。
ユオが夜空にむかって大きく腕を広げる。
それをまっていたように、空にくっきりと、ユオの左手が通った軌跡がうかびあがった。
「みえる?ユオはね、この軌跡の先にいます」
「この先に、ユオが・・・」
軌道上には、脈動する複数の次元が入れ代わり立ち代わり飛び出して、せめぎあっているのがわかる。
自分も、どの次元も、ちぎれとんでかまわない。この軌道が、ユオにつながっているのなら。次元を裂き、跳ね飛ばしてでも飛んでいきたい。
「ゆっとくけど、次元裂いて強引に跳んだら、壊れるのサフラの体だけじゃなくて、ユオのいる狭間も砕け散るからね」
「どうすればいい、どうすれば!」
彼女は、格段に悪くなった顔色のまま、にぱにぱと満足げな笑みを浮かべて空を見る。
「だから優しくしてってば。みて、すごく濃くなったでしょ。これをうんと強くして、本体を私に向けて引っ張るの」
サフラは、状況を理解できずに、ただユオを凝視する。
「わっかんないかなー。私は、消える時に本体ユオの帰り道に使えるという、ゴージャスな特典付きの手紙だったのよ!おめでとう!」
「話、が、理解できない」
「え、本当にわかんない?私が賢すぎるの?ひょっとしてわかるのを嫌がってる?」
「なぜ嫌がる、なんて話が出る・・・」
なぞなぞみたいな話し方が、不安をあおる。
「嫌なはずないよねー。優しくされて重くなった私を呼び水にすれば、狭間に残っているユオを軌道からキャピラリーして、器に受けられるんだから。サイフォンの原理、わかる?」
「器?」
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「そう、私です。呼び水が、左手だった私の気で、器は補強してもらったこの体、チューブがあの濃くなっている軌道、ってイメージ」
「・・・今のユオは、どうなる?」
「成功すればユオの気の一部に還るんじゃないかな。失敗して吹っ飛んだら体ごと原型とどめないけど、どうせそんなに長くもたないしねぇ」
「消えると?」
「たぶん?」
ゆっくりと、降り積もるように、話の意図が見えてくる。
サフラが、いまいるユオを大切にすればするほど、思い入れれば思い入れるほど、気を注げば注ぐほど、器はもっと重く、確かになるのだと。
力を流せば軌跡もユオも強くなるけれど、それは結局、壊されるのだと。
「壊すために強くしろ?そんなものが協力か」
怒りのこもったサフラの声に、ユオは3秒ほど黙った。
「いや、必要だし」
「消えたくないと、言っただろうが!」
サフラは、今ここにいるユオに惹かれている。
自分がしたことがひどすぎて、伝えられないだけで。
自分の犯した間違いと暴虐と卑陋を、黙殺して、何もなかったかのように甘やかしてくれるから、言葉に出せないだけで。
はじめて、力を受け入れられて、甘い声で語りかけられて。
茶化されないキス、抱きしめて眠る体温、振りほどかれない指。
どれ程欲した世界だろう。
愛しくて、有難くて、失うことなど考えられないすべて。
なのに、壊し頃になるまでもっと思い入れろ?
無理に決まっている。
「嫌だ」
「ん?そう言ってくれてありがとうね。社交辞令でも嬉しい。でも、本体からのラブコールを無視したら寝覚め悪いから」
ユオの目は本物のようで、抗うことができなかったけれど、引き受けることもできなくて、サフラはユオの前に膝をつく。
「耐えられない」
あ、泣く・・・ユオにはそうみえたようだ。
でも、涙は零れなくて、息をしているのかもわからない彫像のようになった。
「おーい、ちょっとぉ?」
優しく撫でてくるユオの声を聴いても、動けない。
「注文自体はむつかしくないでしょ。遠慮なく食べごろにまで太らせて頂戴!」
露骨な物言いに、硬直が解けた。
「・・・やめてくれ」
「はぁ?太るよってくらい力くれたじゃない。いちゃいちゃしながら人助け!さっきまでと変わらないでしょうが!」
「全然ちがう。消えたくないって、言わせることができた時と」
「だからって私に優しくしないで、ユオを諦めるわけ?それとも本体のユオが完全に消えたら安心して私に優しくする気?たいしてもたないわよ?」
「うるさい!」
彼女が僕に触れる。誘うような、甘い、触れ方で。
「ユオ以外の誰にその力くれてやる気よ」
挑発たっぷりの物言いに、触れられた手を振り払おうとしてみるけれど、まったく力が入らない。
「・・たのむから黙って」
過去と今が、絡みつく。
「私は触りたい放題で、何の我慢も不都合もないよ?」
触れられる、ユオ。受け入れてくれる、ユオ。
ニセモノ扱いでごまかして触れ始めたくせに、本物に見えるようになった彼女を食い破った。
「消えるつもりの人間が、・・触れろ?」
「もともと寿命よ。短命が優しくしてもらえない理由になるとは思わないのだけれど?」
利用して壊すのが優しいのか。消えたくないって言わせといて、消すのが優しいのか。
大切だとか、癒したいとか、そんな気持ちを封じられて。どうやって知らなかったときのように過ごせるのか。
しばらく、動かない僕を好き勝手に触りまわした後、ユオは、ちぇ、と軽く顔をしかめて、距離を開けた。
「お腹減ったから、家に帰ろ」
「は?」
「このまま放置されたら、寿命より先にエネルギー切れで消えそう。触るのが嫌ならご飯にする」
「薪かっただけで戻ったから、家に何も、ない」
「あ、余計にお腹がすいた。ごはん買いに行こ。一緒に」
歩き始めると、相変わらずユオはよく転んだ。
反射的にサフラが抱きとめると、嬉しそうに笑う。
食材を買った。いつもどおりに。
ユオがまな板と包丁を出す。これまで通りに。
「ね。怪我したら、また直してくれる?あれ、サフラの気が一杯で、どかっと濃くなる気がして好きなんだよねー」
「・・・もうやらない。気をつけて」
それが、彼女を濃くするだけなら。ただの器に近づけるだけなら。もうしない。
サフラにとって、気を吸われる至福は、彼女からしか与えられたことがない。
乳母も、ユオも、サフラに与えるだけ与えて、何も返させてはくれなかった。
彼女だけが、サフラが与えることを許してくれた。
ユオが消えた世界を壊してしまいそうな憎悪だとか、ユオを失ってしまった自分の無力感と罪悪感だとかの地獄の沼は、ユオが居るときには想像すらできなかったから。
壊れた自分がこんなにも汚い事も知らなかった。
ユオが見たこともないほど醜悪な僕と、彼女は体を重ねてすら笑ってくれた。
彼女だけが、汚いサフラに笑ってくれた。
はじめてのことばかりだったのだ。
守られて、幸せで、自信家だった自分ですら、ユオが消えることに耐えられなかった。
弱く、汚く、乾ききった自分は、もう二度と彼女が消える事に耐えられる気がしない。
「ん」
軽いうめき声がして、サフラが現実に目を戻すと、ユオが、包丁で自分の左の肩口を切りつけていた。
「なにを・・・」
サフラが慌てて包丁を取り上げる。
「んー。目印、のつもりなんだけど、動脈はやめといた。何か見捨てられそうだし?」
目印?あふれだした血が手の先から床に落ちる。
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ガタッ。
ユオが膝をつく。
「おい!」
サフラも、ユオを抱えるように一緒に膝をつく。
「どうすれば優しくしてくれる?」
何も答えず傷に口をつけようとしたら、ユオが僕の髪をちょんと引いた。
「血で汚れるから、こっち」
ユオが自分の唇を指差して笑う。
吸い寄せ、られる。
誘われることがこんなに情動を暴れさせることも、求められて与えることがこんなに心地良いことも、彼女に教えられた。
今のユオが一番大切だと言えたらどんなに心が軽くなるだろうか。
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けれど、このユオは本体のユオのもので、たったひとつの希望で、裏切れるはずがないのだ。
選べるとしたら、サフラがユオをどこまで強くするかだけ。
サフラがこのユオに思い入れれば入れるほど、消えることが許せなくなる。このユオの気配が強くなればなるほど、壊れる時が辛くなる。
自分の力がユオの力になるのに、それを耐え難いと思う時がくるなんて、考えたこともなかった。
サフラが唇を離すと、ユオが笑いながら『お腹いっぱいになっちゃった。もう御飯いらない』という。
ユオの肩の血は止まっていた。傷もふさがっているだろう。分かっていたが、サフラは肩に唇を移した。止めない言い訳が欲しかった。
また少し、酔っ払ったような口調になって、ユオが言った。
「かなり優越感、だな。本体に。ユオは我慢してたわけだ。この力を隠したくて」
我慢、していた?
「独占欲、だよね。支配欲が抜け落ちた、ただの独占欲。私は、さ、本体のユオ、嫌いじゃないよ。ちょこーっと小さいけどね。かわいいやつ」
ユオがフラフラするので、ソファーまで手を引いた。
「離れたほうが、いい?」
自分の触れ方が、どうしても邪に思えてきて、恐る恐るそう聞く。
「なんで?どこか行くの?」
ユオは、逆に僕を引き寄せるようにして手を握った。
「どこも、いかない」
「じゃ、離れないぞぉ。も、ずーっとくっついていたい!ふふ、いずれ本体が戻って喧嘩したらさ、誰かれ構わず力ばらまいてやるっていってみな、多分折れる」
いずれ、というのは、このユオがいなくなった後、ということか。
当たり前のように言われて目の前が暗くなる。
「・・・誰かれ構わず出来るもんじゃない」
好きだ。
自分だけのものだと、誰にも渡さないと、何度心の中で叫んだだろう。
それでも。
僕は結局、逃げられなかった。
どんなに失うことが嫌でも、本能まで支配するような力を吸ってもらう心地よさと、何度も好きだと言う目の前のユオから、逃げられなかったのだ。
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