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16話「屈辱の舞踏会-9」
しおりを挟む「第一皇子、ウェルター・アンダースカー陛下の入場です」
静寂の中に、最後の1人が入場したことを告げる騎士の声が響く。この会場の全ての視線を奪った美しく煌びやかな2人は、ゆったりとした……しかししっかりとした足取りでまっすぐ歩いてくる。道を塞いでいた貴族たちは彼らの歩みに合わせて道を開けた。
……そうして会場の中央まできたところでわたくしたちは対峙する。
「……、ご機嫌よう。ウェルター様、……ノア嬢」
誰かが口を開くよりも先に、わたくしはそう言ってドレスの裾を摘み彼らに挨拶をした。目線を上げれば、ウェルター様とノアが身に纏っている青い軍服とドレスが真っ先に目に付く。つい見てしまったウェルター様の袖口には、以前わたくしが贈った緑色の薔薇のカフスボタンが飾られていた。
つられてノアを確認すれば、彼女は耳に緑色の薔薇をモチーフにしたイヤリングをつけている……わたくしが助言した通りになったのね。
「あ、リリアンさん!その赤いドレス、すっごく似合ってますね!」
「ノア、こういう場では最初に一礼するんだ。教えただろう」
「おっと、そうでした」
ウェルター様にたしなめられたノアは、淑女らしく一礼をした。わたくしから見ればまだ粗があるけれど、十分貴族に見える所作。ウェルター様に教わったのだと思うと、ズキ……と心臓が刺すような痛みを覚えた。
……落ち着くのよ、余裕を持ちなさい。わたくしはそう自分の心に言い聞かせながら、ノアの挨拶に微笑みで返す。
「おや、兄さんとノア嬢は青色で統一したんだね。ノア嬢の瞳の色かな?……僕たちはほら、赤色で揃えたんだ」
スパーク様は相変わらずの軽い調子でそう言うと、わたくしの腰を引き寄せた。突然のことにわたくしは対応できず、彼の体に軽くぶつかるようにして密着してしまう。わたくしが信じられない面持ちでスパーク様の顔を見上げると、彼はそんなわたくしを見下ろしながら片目を閉じて楽しそうに微笑んだ。
「……そうか。よく似合っている」
ウェルター様はわたくしとスパーク様を少しの間眺めると、ふっと息を吐くようにして穏やかにそう呟いた。
その瞬間、わたくしの時間だけ止まってしまった気がした。ウェルター様は嫌味なんて言えるほど捻れたお方じゃないけれど、今のわたくしには……どうしても。
どうしても、……悪く聞こえてしまうの。
「あっ、綺麗なピアノの音!」
「……ダンスか。ノア、教えた通りにできるな?」
「どうかなあ……」
ピアノの穏やかな旋律が聞こえると、貴族たちは次々と踊り始めた。ウェルター様がノアに手を差し伸べれば、ノアは笑ってその手をとった。そして、2人はわたくしたちに軽く挨拶をすると少し離れたところで踊り出す。
この会場の誰も彼もが2人に注目していた。……まるで、この舞踏会の主役だとでも言うように。
本来ならばわたくしがいた場所へ、当然のような顔をして……。
「リリアンさん、しっかりしてもらわないと困るんだけど」
わたくしを傍に抱いたまま耳元でスパーク様はそう呟くと、わたくしの手を取り跪いた。急な動きに目を瞬かせながらただ見ていることしかできないでいると、スパーク様はそっとわたくしの手の甲にキスを一つ落として言う。
「今日きみと踊るのは僕だよ。だから……あまり失望させないでね」
「……望むところね。わたくし、ダンスで失敗したことなんて、ございませんから」
「うーん、まあいいか。それで」
何やら意味のわからないことを呟くスパーク様の手を握り返すと、彼は花が咲くように笑って立ち上がり、わたくしの手を引いた。ピアノの穏やかな旋律に合わせて、緩やかにステップを踏む。
スパーク様と踊るのは5年ぶりくらいかしら、なんて呑気な考えはすぐに打ち消された。
「リリアン嬢、ついに第一皇子に捨てられたんだな」
「お優しいスパーク様が代わりにエスコートして差し上げたのかしら」
「ウェルター様と踊られているのはどなた?初々しくて可愛らしいわ」
「だってあの悪評高い一族だ、愛想を尽かされても仕方ないよな」
勝手に耳に入ってくる声、声、声。
誰が言っているのかなんて判別はつかない。踊りながら聞こえてくる声は近づいたり離れたり、形を帯びない悪意にわたくしは切り刻まれたかのような感覚に襲われる。全身がカッと熱くなったかと思えば、すぐに底冷えするように体が冷たさを帯びた。冷や汗がこめかみから頬を伝った気がする。
この程度、聞き流しなさい。慣れているじゃないの。くだらない戯言よ。
いくら自分にそう言い聞かせようとしても、止めどなく耳に入ってくる知らない令嬢や令息の声が、わたくしの頭から出ていかない。
「……リリ――さん、ちょっと。今――の足を踏ま――た?」
くだらない人間の戯言に動揺してしまうなんて、わたくしらしくないわ。胸を張って、ちゃんと足を踏み込んで……今はダンスに集中しないと。浅い呼吸を繰り返しながら、どうにかこれ以上具合が悪くならないようにと歯を食いしばった。
「――さん、リリアンさん?」
いつもより少し早口にわたくしの名前を呼ぶ声に、悪夢から覚めたような感覚でわたくしは顔を上げた。スパーク様がわたくしを心配するような顔でじっと見下ろしている。目が合うと、グローブ越しに手をぎゅっと優しく握られた。
「ちょっと、大丈夫?布越しでも手の冷たさが分かるんだけど」
「あ、」
ピアノの音が途切れる。一曲目の終了の合図に、手の甲にキスをしているのが見えた。
誰が?……ウェルター様が、ノアの手の甲に。何も身につけていない素肌に、その唇を寄せて――。
「ご、めんなさい」
「え?どうしたの」
「わたくし、具合が悪いので失礼いたします」
「あ、リリアンさん!待って、僕が――」
スパーク様の声も聞かずに、わたくしは走った。一刻も早く、こんな場所から離れるために。
ダンスが終わったのに挨拶もしないで立ち去るなんて、無礼だわ。スパーク様を置いていくなんて最低よ。どこか冷静な頭の片隅でそんなことを少し思ったけれど、逃げたい衝動を止められなかった。
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