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9話「屈辱の舞踏会-2」

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 放課後、指定された中庭にて――。

 授業が終わってすぐ、わたくしはウェルター様を待たせてはいけないと一目散に中庭へとやってきたけれど、どういうわけかウェルター様はそんなわたくしよりも先に中庭のベンチに座っていた。

教室からは確かにわたくしの方が先に出たはずなのに……歩幅の違いかしら?
そんなくだらないことを考えながら、わたくしは少しの間ウェルター様のたくましい背中と風になびく美しい銀色の髪に見惚れてしまっていた。それから待たせていることにハッとして、慌ててウェルター様の前へと出ていく。


「おっ、お待たせして申し訳ありません!」

 軽く一礼してから顔を上げると、夕陽を反射する緑の瞳と目が合った。吸い込まれてしまいそうなほどの綺麗さに、思わずじっと見続けてしまいそうになるけれど、そんな場合じゃないと目を閉じて小さく息を吐いた。

「いいや、大して待っていない。……この間、何か私に話したいことがあると言っていただろう?用件を聞きたい」

 ウェルター様はそう言うと、彼が座っているベンチの隣を手で軽く叩いた。わたくしにも座って話をしていいと言ってくださっているのでしょう。
そんなウェルター様の気遣いが今は少し痛くて、わたくしは小さく首を振ると、立ったまま話をすることにした。

「……今度の舞踏会のことで、少しお話が……」

「ああ。それなら丁度良かった。私もそのことでリリアン嬢に話が……」

 ウェルター様の言葉をそれ以上聞くのが怖くて、わたくしは無礼にも彼の言葉を遮るように大きな声を出して言う。


「わたくし、今度の舞踏会はスパーク様と一緒に参加しようと思っていますの!ですから、ウェルター様は舞踏会の勝手が分からないノア嬢のお相手をしてくださらない?」


 思ってもいないことが口からポロポロ溢れていく。それでも表情は極めて明るく作って、声色も上品に明るく取り繕った。


「ノア嬢は初めての舞踏会でしょうから、事前に一緒にドレスを選んで差し上げるのが良いかもしれませんね!以前わたくしがウェルター様に贈らせていただいた緑色の薔薇のカフスボタンと合わせて、ノア嬢も緑色の薔薇のモチーフを取り入れたらきっと素敵になりそうですわ!あら!わたくしとしたことが、この後用事があった事をすっかり忘れておりましたわ!申し訳ありませんが、これで失礼いたします……舞踏会、どうか楽しんでくださいませ」



 ドレスの端を摘んで一礼をすると、急く気持ちでその場から立ち去る。早足からだんだん駆け足へと変わり、わたくしは目の淵から流れる涙をそのままに、誰もいない廊下をひたすらに走った。ヒールを履いている足が痛みを訴えた気がしたけれど、心の方が痛くてもうわからなかった。

 あの時……最後に一礼をしてから顔を上げた時、一瞬目が合ったウェルター様は目を見開いて驚いていた。
ウェルター様は滅多に顔に感情を出すことなどないのに、一体あの時何を思ったのかしら。

 わたくし、おかしくなかったわよね?ちゃんと普通に淑女らしく振る舞えていたわよね?ウェルター様とノアが舞踏会で並ぶ姿を見ても、きっと普通でいられるわよね?


 答えが出るはずもない問いかけを自分に繰り返しながら、今にも声を上げて泣き出しそうな心を押し殺した。


「きゃっ」

 足に違和感を感じた瞬間、わたくしはみっともなく廊下で転んで地面に手を着いていた。冷たい大理石の感触が手に伝わる。
こんな誰が来るかもわからない場所で転ぶなんて、なんてついていないのかしら。

みっともないから早く立ち上がらなくてはと思うけれど、視界がどんどん滲んでくる。溢れた涙の滴がわたくしの手に落ち、伝って大理石を濡らしていく。足の痛みも、今更感覚が戻ってきたように感じ出した。

 ……何をしているのかしら、わたくしは。ウェルター様の口から「舞踏会はノアと出る」という言葉を聞きたくなくて、無礼にも遮って、自分が傷つきたくないからわざとそうなるように口にして、そのくせ勝手に逃げて。……恥さらしね。

「……しっかりしなさいよ、リリアン・ノーブル……」

 出した声は、ひどく小さくて弱々しかった。

「この程度、どうってことないわ。あの女を殺して、ウェルター様を取り戻すまで挫けちゃダメ……」


 弱々しく息を吐き出して、立ち上がるためにわたくしは手に力を込めようとした……その時、


 パチン――


「そうだ。俺の契約者サマが腑抜けじゃ困るからな」

 憎らしい声が鼓膜を揺らすのと同時に、わたくしの体がふわっと軽くなった。
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