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第十回 放浪、懇願、夢のままに。

十の一(勝利、替天行道、オメガの利用価値)

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 /一


 合戦は勝利で終わった。

 先般に梁山泊が対峙した相手は軍隊ではなく、山奥の廃寺を拠点にしていた盗賊団だった。
 先日に村落が襲われ、男は皆殺しにされ、女は奪われた。
 もうこの宋国くにでは珍しい話ではないが、そういった悪を生業とする連中だった。

 奴らを討伐する筈の官軍は、何もしてくれなかった。
 役人達は自分の身と金儲けばかりを考えて、困窮する民の嘆きなど聞いてはくれない。
 殺して奪うような連中と、殺されたまま笑っている連中、悪しき世について、呉用は昔馴染みの晁蓋に言い聞かせる。
 すると晁蓋は烈火のごとく怒り狂い、出陣するのだ。

「誰かが立ち上がり、この乱れた世を正さなければならない!」

 ありきたりだが当然の怒り。
 晁蓋が燃え盛るたび、呉用は安堵した。
 困っている民を救いたい。その一心で戦う晁蓋は、多くに慕われる。

 梁山泊が勝利すれば、希望が集う。
 集まるのは、人材や兵器だけではない。晁蓋が掲げた『爛れた世を粛正する』という旗――替天行道たいてんぎょうどう(天に替わって道を行う)――この声が広まれば、世界は大きく変わるかもしれない。
 そして奇跡が生まれるだろう。
 全ては、より良く生きる者達のために。
 晁蓋は戦い続ける。少しずつ世を正しながら、今日もまた、勝利の美酒を味わい、この世の春を謳歌するのだ。


「公孫勝ちゃんが発見したという『石碑せきひ』の続報です。しっかりとお聞きなさい」

 戦を終えた後の祝杯に酔う首魁リーダーの盃を、呉用は奪った。
 一城の主となった晁蓋だが、未だに村長の頃のような酒飲みが忘れられず、一般兵の席に混ざって酒を煽る。
 呉用が「頭領なら頭領らしく上座で堂々と座っていろ」と何度言いつけても、無視されていた。
 とはいえ、そんな晁蓋の豪快さや奔放さに惹かれて梁山泊に身を寄せる好漢も多いため、強くは言い出せないでいる。

「ハーイ、聞いてよ、晁蓋さん。発掘した石碑の解読、一応してやったんだから」
「今か? 戦で疲れた皆を激励する酒宴だぞ? 難しい話は後にしないか」
「公孫勝ちゃんが怒って帰っちゃう前に聞いてあげなさい」

 新たな盃に注ごうとする阿呆を、呉用は扇子で引っ叩く。
 容赦なくピシャンと音が立ち、首領と軍師の漫才劇に、周囲がドッと沸いた。

 ――梁山泊は、梁山湖に浮かぶ島にある山寨だ。
 天然の要塞であると同時に、管轄が複数の州にまたがっている場所のため地方軍が連携して対応しづらい立地である。

 そんな利点から、かつては盗賊が根城にしていたが、その発祥はいつなのか、定かではない。
 大昔から祠があり、豊かな緑があり、そして謎の大岩があった。
 塞の中央部にある忠義堂に、妙な岩の出っ張りがあり、晁蓋が調査させたところ、それがおそろしく古い『何者かの手が加えられた物』であることが発覚。
 道教において一位に次ぐ道位くらいを持つ一清道人の公孫勝が石碑を見たところ、石に彫られたものは、神代文字かみよもじであった。
 そうして、数日を掛けて古代文字を読み解いてきた結果……。

「碑の左右にある文字の一方には、『替天行道』、一方には『忠義双全』。晁蓋さんが掲げた旗そのものだったの。ズラリと書いてあるのは、すべて南斗、北斗の星の名前。下にはその星のさがを持つ者の名が示されていて、名は数えて百〇八。……百〇八人の名前が、宿命の星と共に刻まれているということよ」
「なんだって。……替天行道って、そりゃあ」
「何の運命か、島に眠っていた古代文字と同じ信念を晁蓋さんは掲げていたの。まだ左右の文字と星の名前、それと人名っぽいことしか分かってないけど……なんだか、運命めいたものを感じない?」
「晁蓋。僕は思うのですよ。貴方が梁山泊に導かれて首魁となったこと、そして世のため人のために真っ先に掲げた旗が『替天行道』だった、その理由。貴方が暗黒の世に立ち上がったのは、天命の定めで決められていたことなのでしょう」

 歓声が沸く。
 晁蓋が飲み耽っていた場所は、大勢の兵士が集う宴会場の中央だ。
 その中で道士・公孫勝に神秘を語られ、梁山泊二位である軍師・呉用に天地の理数さだめを陳ずられた。
 自分達の行ないは、挙兵は、武器を持っての戦いは、神による正義なのだと!

「……オレ達は、天命の定めによって立ち上がった? 素晴らしいな。だが、敢えて違うと言おう」
「それは何故?」
「神に命じられなくても、オレは大勢の為に立ち上がった。隣人を守るため、これから生まれる者達がより良く生きる世界を作るため。そうだろう、みんな!」

 より大きな歓声が沸く。

「さあ、難しい話はやめだ! 共に肉を食らい、酒を飲もう!」

 昔から晁蓋は、音頭が上手い。
 こんな小さな特技でも人を惹きつけるという、天性の才能が宿っていた。



 ――公孫勝はひややかに、酒宴を眺めていた。

 騒ぐことが嫌いな性分ではない。今までも梁山泊の宴を何度も楽しんできた。
 仲の良い劉唐りゅうとうをつつきに行ったり、ウマが合わないが何故か嫌いにはなれない林冲りんちゅうの話を聞くのも好ましい。
 しかし今宵の宴は、楽しむ気にはなれなかった。

「嘘は言っていなくても、真実は言っていないような顔ですね」

 呉用が、公孫勝にご馳走の乗った皿を進める。
 だが手は付けなかった。

「公孫勝ちゃん。簡潔に何があったか、何が貴女の顔を曇らせているのか、お話してみてください。僕は理解が早い男ですよ」

 酒ではなく茶を啜る呉用は、宴の騒ぎの中では掻き消えそうな声音で囁いた。
 公孫勝は呉用の声を聞き逃がしはしない。
 提案通り、簡潔に言い放つ。

「石碑に私の名前があった。天間星てんかんせい公孫勝と名が刻まれていた。天機星てんきせい)呉用とも」
「そうですか。僕達は神に選ばれた者アルファですから、当然ですね」
「晁蓋さんの名前は、無かった。そのかわり、あの人の名前があった。……宋江」

 茶を啜る呉用の表情が、分かりやすく、強張った。
 これも天の思召おぼしめしか。
 晁蓋にこのことを話せば、喜ぶだろう。自分の名前が無いことなど気にせず、また「宋江を梁山泊へ招こう!」と豪語するだろう。
 いっそ宋江を梁山泊に呼んだ方が、晁蓋が我儘を言わずに済むかもしれない。
 晁蓋の子供じみた煩さに手を焼く呉用は、諦めに近い感情を抱いてしまう。

「話は変わりますが、公孫勝ちゃん。貴女は、宋江殿以外のオメガにお会いしたことはありますか?」
「ある。ワタシの山にも居たもの。……食事の場で話す話題じゃないよ、孕み袋オメガは」

 呉用は、公孫勝が旅立つ前に育ってきた山いうものを、詳しく知らない。
 仙人が住み、術師の修行を行えるという人知を超えた山という認識であり、問い質そうにも公孫勝は進んで話そうとしなかった。
 公孫勝の口ぶりから、世を捨てた者、捨てなければならなかった者、捨てられてしまった者の住処であると理解している。
 申し訳無さから、呉用は追及しない。

「なんていうか、悲惨だから茶化して言っちゃうけど。いつも発情しっぱなし。狂わせっぱなし。乱れて乱れて乱れまくって、孕んでは産んで孕んでは産んで、腹の中に孕んでいるのにまた乱れて求めて更に孕んで、とにかく頭には性行セックスすること以外のものが無い、性行セックスするだけの装置になるのが孕み袋っていうか」
「はあ。凄いですねぇ、そんなにしたがるなんて、お元気ですねぇ。人間とは思えないと言いますか。……オメガをんでも重役を背負わせるのは難しそうですね」
「あー、そんなのムリムリ。人と交わって人の子を産めるだけの、人じゃないモノだからね、オメガは。『人間の姿をしている獣』という説明で間違いない」
「公孫勝ちゃん。その獣の利用価値がありましたら教えてください。『面倒だから殺すに限る』はダメですよ」
「呉用センセイ、容赦なく最適解を潰してくるね」
「僕は生まれつき優秀なものでして」
「……孕み袋の用途ねぇ。うーん、呉用センセイ、これは知ってる? 孕み袋は災厄の化身扱いされているけど、その実……凄く優秀な子を産むとされているのよ。凄く優秀な人の精を貰って、優秀な子を産む。そう言い伝えられてるの」
「ほう。では優秀な僕のような人の子を宋江殿に孕ませれば、とても優秀な子が産まれる訳ですね。ここ梁山泊には優秀な人種が多くいる訳ですし、優秀な子に次代を背負って生きてほしいですし、優秀な後継者を作ることは悪ではありませんし、優秀な子供を産ませ続けるお勤めを与えること、決して、悪ではありませんよね」
「なんでセンセイって一の回答で凄まじい飛躍をするかなぁ」

 呉用は、梁山泊の地図を思い浮かべる。
 島の中央は、重要施設や居住区。南方は軍営地や調練に使える平野。西方には畑。東方は造船所や港。
 そして島の北方に、獄舎があった。

 やましいことを考える盗賊達が設置したもののため、比較的新しく、しっかりとした造りである。
 北方は島の中でも崖ばかりの険しい地形であるせいか、多くの建設は望めない。
 虜囚を捕らえておく牢屋を設置したのは、理に適っている。
 そして疚しい連中が消えた今、もぬけの殻になっていた。自由に使いたい放題であることは、言うまでもない。

 ――好きな縄も、鎖も、拘束具も、眠ったままにしておくのは惜しい。

「おい呉用、公孫勝。酒も飲まずに何の話をしている?」
「貴方の愛しの宋江殿を、梁山泊へお連れした後の算段ですよ」
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