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第七回 追想、疑惑、切なる拒絶。

七の三(歓迎会の思い出、事情聴取、妖怪の誘惑)

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 /三


 雷横が宋江と初めて話をしたのは、都頭として運城県に赴任して二日後のこと。

 新任の雷横のために『歓迎会』という名の酒宴が開かれた。
 まさか一人のために宴が開かれるような職場とは思わず、無料タダで酒が飲めるなら断れないと向かった先で、宴の立案者の宋江が酒を注いできたのだ。

「これからお仕事大変だと思うけど、頑張って」

 単に飲み会がしたかっただけじゃないかと思っていた。
 だが真正面から純粋な笑顔を見せつけられて、本気でこの企画者は自分を迎え入れているのだと、すぐに気付く。

 宋江という小男は人望があり、「宋江の酒宴なら参加する」という同僚が一定数いることを知った。
 大勢に愛される一人がいる職場なら、きっと良い場所だ。
 確信した雷横は、心地良い気分で歓迎の酒を飲み続けた。

 案の定、酔った。
 同僚達は気の良い連中だが全員薄情者で、新人酔っぱらいを相手にしない。
 だから宋江と、面倒見の良い先輩・朱仝が、雷横の介抱にあたった。

 翌朝。記憶が無い雷横は、朱仝に「宋江と一緒にずっと身の上話を聞いていたよ」と教えられた。
 職を転々としてきたことを人生観も含め、熱く語ったという。
 雷横には全く記憶が無いが、おかげで宋江と朱仝の二人とは、何も言わなくても理解してくれる仲になった。
 本当に全く記憶が無いので、どうしてそこまで理解してくれるようになったか検討がつかないが。

 雷横の父は既に亡くなり、気が強くうるさくはしゃぐ母が家で待っている。
 その母は、朱仝と宋江を気に入っていた。

「新しい息子が増えて嬉しいよ。雷横あんたも良い義兄が出来て良かったねぇ」

 母いわく女達の井戸端情報が言うには、宋江は街で一番モテるのだという。
 背が小さく、声も小さく、情けない容貌ではある。
 しかし男特有の威圧感が無いからか誰も怖がらない。
 悪口を囁かれないのだから好感度は頂点ナンバーワンだというのだ。

 その通りだと、噂に興味が無い雷横も思う。
 業務が苛烈で激しくても、職場に行けば宋江が笑って話を聞いてくれた。
 穏やかな彼はいつでも自分を迎え入れてくれる。それが心地良かった。
 いつだって話がしたい。ずっとあの笑顔を見ていたい。傍に居たい。
 ……心が奪われていたのだと気付くのも、時間の問題だった。


 娘を亡くした母が位牌を持って嘆いている姿を、朱仝は目に焼き付けていた。

「宋江宅で閻婆惜が死んでいた。なら宋江が殺したに違いない。宋江は殺人犯で、罪を問われることを恐れて逃げたんだ。早く捕まえてくれ、罰を与えておくれ!」

 尤もな意見だ。閻婆惜を失った閻氏えんしは、知事へ宋江の罪を叫ぶ。
 だが知事も衛視も、その場に居た全員、そして街中の人間達が、訴えを疑った。

『宋江が、罪を犯す筈がない』

 誰もが、そう思っていた。
 宋江を知る者は全員口を揃える。噂話に流されやすい女達も、事情など知らない子供達ですら、宋江を庇う言葉を並べているほどだ。

(それは、宋江の人徳によるものだ……)

 宋江の人柄を知る者なら、利益で殺人を犯す男だと思わない。
 下級とはいえ役人。実家は大地主である。そんな男が、金品目的の強盗をする訳が無い。
 強姦殺人というのも、信じられない。
 妻を亡くして一年以上経つというのに、操(みさお)を立てていた男なのだから。

 宋江ほどの評判が良く金払いが豪快な男となれば、後妻の座を巡って女が近寄る。
 現に王婆わんぼのような仲介婆が、たびたび若い女達との結婚を勧めていた。
 だがそのたびに宋江は「喪に服したいから」と断っていた。

「宋江さんは、女を食らう男ではない」
「あの腕で、人を殺せるもんか」
「娘を安心して預けられる男性は、あの人ぐらいだよ」
「うちのダンナも見習ってほしい」
「おそらく宋押司おうしは、巻き込まれた。そうに決まっている」

 宋江を知る者達は、宋江の味方をする。
 宋江を知らない外の人間からすると、奇妙を通り越して不気味だったに違いない。

「みんなが、私の閻婆惜を悪く言う! ……あの子はまだ二十歳にもなってないのですよ! まだ未来のある娘だったんですよ! どうしてみんな、あの中年男ばかりを庇うんですか!」

 朱仝は、宋江の味方である。
 そもそも宋江を逃がしたのも、宋江が疑われないように現場を隠蔽したのも、事件を『宋江はいつもの長期休暇で旅行に出ていた。閻婆惜は留守の宋江宅に一人で押し入り、物色。宋江が保管していた財産を狙って二階へ向かったとき、運悪く足を滑らせて落下。頭を打ち死亡した』と改竄したのも、朱仝である。

 無理がある改竄だった。
 だが、責任者である知事や同僚達はそれを信じた。
 「宋江が殺人をする訳がない」と信じ切ってしまい、多少の違和感も噛み殺したのだ。

 なおかつ、閻氏には閻婆惜と『人には話せない、後ろめたい計画』があることを察している。
 事情聴取で閻氏は、「閻婆惜が高級酒を客から貰い、そのお裾分けとして宋江宅を訪ねた」と話した。
 しかし、そんな高級酒を贈った客などいなかった。閻一家自らが酒を買い、宋江宅に向かう口実を作っていたのだ。

 一度でも嘘を吐いた閻氏は、大勢から疑いの目を向けられてしまった。
 それにより宋江は無実だと、半ば確定したのだった。

 悪巧みが成功した。
 導いたのは、雷横と朱仝だ。
 それでも朱仝は、喜べない。胸が苦しくて堪らない。
 目の前で泣き喚く女は、早くに夫を失い、今度は娘まで失い、しかも疑いの目を向けられている。
 哀れまずにはいられない。

(僕達は……友を救うために、とんでもないことをしてしまった)

 人一倍『家族の情』に敏感で飢えていた朱仝には、冤罪に嘆く母親の姿など、耐えられなかった。

 朱仝には、家族がいない。両親や兄弟は運悪く先立っていた。
 宋江を幼い弟のように可愛がったり、手の掛かる雷横の面倒を見たり、雷横の母を実母のように慕ったり、身寄りのない子供達の世話をする――そのようにして家族のいない寂しさを誤魔化し、生きてきた。
 三年前に宋江と親交を始めたのも、「大病を患い、長く『実家の地下にある自室』で一人篭もって生きてきた」と酒の席で話した彼が心配で……可哀想で、憐れで、朱仝の保護欲を満たす最適な存在だったからに起因する。

(それは切欠きっかけに過ぎない。この三年で、僕は、宋江と親友になった。なったから、こうして今も、窮地の宋江を救うために……)

 だが朱仝はいつの間にか『梁山泊から貰った金』を、閻氏に与えていた。
 事情聴取だと言い訳をして閻氏に会い、そのたびに少しずつ「生活の足しに使うように」と渡し、結果百両ほぼ全額を託していた。
 少女の命が百両だなんて思わない。
 けれど身勝手な罪滅ぼしをしたかったのだと、朱仝は何度も頭を抱えた。

 完全に閻婆惜の味方がいなかった訳ではない。
 宋江と同じ部署で書記として働いていた張文遠ちょうぶんえんという男は、閻家えんけの味方だった。

「最初に言っておきますが、俺は、宋江さんを尊敬しています。本当です。その上で、あの人に……近寄りたくなかった。宋江さんのことが、嫌でしたから」

 宋江がそう言われることなど皆無だからこそ、朱仝はその会話をよく覚えている。

「一緒に働いて、信頼できる人だと思います。だけど、誰にだって相性はあります。俺は……宋江さんを見てると、ダメ、でした」
「誰にだって好き嫌いはある。僕にだってある。君の付き合いを否定する気は無い。……話したいことがあるなら、言ってくれ」
「今から俺は、最悪なことを言います」
「構わないよ。事情を聞くのが僕の仕事だ。何でも言うといい」
「……宋江さんといると、自分が自分でなくなる。自分を見失う。それが嫌で、距離を取っていました……」

 朱仝は頭を殴られたような衝撃を受けた。
 間違いなく自分も感じていることを言われ、先を促す筈の唇が、硬直する。

「俺は、宋江さんと同じ部屋で仕事をすることも少なくありませんでした。あの人は優しいですから、判らないことがあったら何でも言えと、なんでも頼れと言ってくれました。仕事と関係無いときも暖かく声を掛けてくれました。そのうち……好きになりました」

 誰もがそうだ。優しい人間を好いてしまう。
 朱仝もそんな宋江に、好意を抱いていた。

「でも俺は、女が……好きなんです。本当は女が大好きなんです! そう、閻婆惜のような綺麗な女が大好きで、何度も彼女に会いに行くぐらい夢中ファンでした!」

 張文遠は、若くて健康的な男だ。
 年頃の女と付き合うのもおかしくないし、若くして役所で働くほどだから人気者だろう。
 そうだね、と朱仝はただ頷く。

「俺は、閻婆惜が……女が、好きなのに。宋江さんを見るたび……あの人のことしか考えられなくなって、ついには、その」
「その?」
「……何度も……抱きたいと、犯したいと、めちゃくちゃに壊れるぐらい犯し尽くしたいと……妄想するようになりました」
「……それは」
「引きましたね? 分かってますよ! 相手は男なのに、しかも仕事中にですよ、頭の中で何度も強姦レイプしたいと思うようになって、でも彼から離れるとその妄想は消えて近づくとまた衝動が沸き上がって……いつ本当に……あの男を組み敷いてしまうのではないかと、自分が自分じゃなくなっちまうって、怖くて怖くて怖くて……!」

 そうして張文遠は、宋江から離れるように別の部署デスクに移る嘆願書を出したという。

 宋江から離れた張文遠は、安息を取り戻した。
 いつも通り女が好きな日常に戻り、凶悪な強姦願望は消えた。宋江から離れることで、救われたのだ。
 そして今、宋江から離れていたから判るという――『ありとあらゆる人間が宋江を絶賛する不気味さ』が。
 あまりの『好意の渦』に恐怖したと、張文遠は語る。

「だから思うんだ、朱仝さん。……宋江さんが、人間ではない可能性は無いかって。

 あの人の周りには、非現実的な何かがあるんじゃないかって」

「人間ではない? ……なんだって?」
「判りません。でも、もしかしたら幻術を操る道士どうしとか、妖怪とか、人間じゃないモノじゃないんですか? 心を操る化け物、そういうの、聞いたことありません?」
「張文遠。話をしてくれてありがとう。閻家の味方をする君がいるって判っただけでも僕は嬉しい。……少し休もうか?」
「いや! そういうの、疑う時期ですよ! 宋江さんは、心を乱す何かを持っています! 自分の都合の良いように人を動かしたり、陥れたり、たぶらかしたり狂わせたりするような! みんなそれの被害者で、みんな操られていて、だから俺も真っ当な頭じゃなくなって、閻婆惜は正体とか秘密を知ったせいで殺されたとか……!」
「張文遠。休もう」

 部下に命じて茶を出させて、医師も呼ぶ。
 面談を、強制終了した。


朱都頭しゅととう。張文遠の奴、やべえ物を食ったんじゃないっすか? 目ぇ、血走ってましたよ」

 目が血走っていたかなど、目の前で事情聴取していた朱仝が気付かない訳がない。
 部下達は張文遠の豹変を「変な奴」だと笑っている。

「幻術とか妖怪とか、化け物だとか馬鹿らしい!」

 口々に並べている。
 皆が皆、宋江の潔白を信じているからだ。

 ――朱仝は、部下に気付かないように冷や汗を流していた。

 心当たりがあった。
 朱仝もまた、宋江に対して強烈な性衝動を抱いたことがある。
 しかしそれは『彼に対する愛情から』だと思い込んでいた。

(どうして僕は……閻婆惜が死んだ現場を見たとき、宋江を逃がした? たとえ宋江が殺人犯でなくても、重要参考人として事情を聞くものだろう?)

 普段の正義感があれば当然の行為が、できなかった。
 それだけではない。血税を奪った強盗犯・晁蓋逃亡の手助けも、無条件で引き受けてしまった。
 人々を守り法で裁く職務を放棄し、宋江の為に二度も罪を重ねている。
 宋江の為に、何でもしようとしていた。
 これは、おかしいことではないのか。

(本当に宋江は幻術を操る妖術師で……人の心を動かす妖怪で……化け物で。僕は、いいや、僕らはみんな、宋江に洗脳されている……?)

 そんな馬鹿な。何を馬鹿なことを。理論が飛躍しすぎだ、そう笑い飛ばしたい。

(宋江が悪しきモノだったとして、退治すれば……洗脳が、晴れるのか? 術が消え、全てが明らかになり、真実が浮かんでくるのか? ……宋江は捕らえて殺すべき、だったのか?)

 笑い飛ばそうにも、止まらない汗が邪魔をしていた。


 任意の取り調べを終えた朱仝を見た雷横は、驚愕した。
 朱仝も宋江に負けず劣らず、穏やかな人相の男だ。
 その彼が、恐ろしい顔をしている。そんな顔を、彼を慕う子供達に見られたら「おじちゃん怖い」と泣かれるかもしれない。
 雷横がすぐにそう告げると、朱仝は一変、笑みを取り戻した。

 二人が歩く街は、雪が降りそうな冬でも賑やかだった。
 宋国の中でも栄えた地方都市とはいえ、家屋は質素な木造がズラリと並んでいる。
 寒がりながらも屋台で汁を啜っている男達は、「賑やかにしていないとやっていられないのだ」と騒いでいた。
 露店で安い豚饅頭にくまんを買った雷横は、頬張りながら現状を話す。

「知事から『事を大きくする前に事件を解決しろ』と言われたぞ」

 朱仝も聞きたくなければ、雷横も言いたくない話題だった。

「宋江も、被害者の女も、良くも悪くもどちらも有名人だ。噂が独り歩きを始めるかもしれない」

 この城郭まちは人口が多い。
 食も芸能も盛んで、盗賊が出没しているとはいえ、目下の脅威も無い平和な街だ。
 心に余裕がある民衆は、娯楽に飢えている。

 宋江が善人と信じる者が多いうちに無罪を勝ち取り、宋江が無事に戻れる基盤を作らなくてはならない。
 二人は、それを目標にこの数日を動いていた。

 梁山泊からの手紙は雷横が燃やし、百両の金塊は朱仝が回収した。
 さらに閻婆惜が持参した酒瓶を割り、階段を滑りやすいものに仕立て上げた。
 閻氏の失言を餌に、同僚達を動かす手筈も整っている。
 事件終幕は、間近だ。

「雷横は、宋江があくだったらどうする?」

 思考が迷走する中、いつの間にか朱仝は道中で呟いていた。

「……宋江は悪人じゃない。そんなの、朱仝だって判っていることだろ。……罪を犯したとしても、何か理由があった、そうだろ」
「妖怪とか化け物も、人を襲う理由があるのかな」
「何の話だ?」

 家路に着きながらも、二人は門構えが立派な宋江宅を見入る。
 事件後すぐ、殺人現場になったからと野次馬が群がっていたが、今は誰もいない。
 と思いきや、固く閉ざされた宋江宅の前に、男が立っていた。

 相当の色男なのか、周囲で女達がキャーキャーと黄色い声を上げている。
 じっと宋江の家を見つめる男は何者か。雷横は問答無用で近づく。
 横から覗き込んだその容貌は、女が叫ぶのも無理もない、思わず息を呑むほどの美男子だった。
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