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第三回 崩壊、密談、救助の声。
三の二(寺子屋の教師、少女、北斗七星の悪巧み)
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/二
「呉用先生、さようなら」
寺子屋に通う子供達が大きく手を振り、去っていく。
呉用はいつものように『擬態』し、絵に描いたような笑顔と台詞を送った。
「はい皆さん、さようなら。気を付けてお帰りなさい」
先生さようなら。さようなら先生。次々と無邪気に散っていく子供達の後ろ姿を眺める呉用は、彼らを素直に可愛いと思った。
子供は良い。馬鹿な提案をしたり行動をしても、子供は馬鹿だから良い。
愚かな彼らを見ていると心にゆとりが生まれる。
だから子供を見守る教師は、呉用にとって天職と言えた。
(大人が馬鹿だと腹立たしい。出会う人間、どいつもこいつも馬鹿ばかりで……どうして世の中には、僕より馬鹿な人間しかいないのか)
道理を通さず正義を嗤い、ちんけで下らない、理不尽を強いる者がなんと多いか。
幼い頃から自分が人並み以上に優秀だと気付いた呉用は、馬鹿にされると判っているので決して口にしなかったが、愚かな者達の相手をすることに嫌々していた。
悪知恵が働くだけの自分が、かの天才軍師のようだと謳われるのも馬鹿馬鹿しい。
そんな訳で人より利口であった呉用は、子供なら馬鹿でも気にならないという理由で、寺子屋で教鞭を取っている。
本心を隠す擬態は得意だった。尊敬される教師になりきるのも、容易いこと。
自分が――他人を罵って甚振ることで悦になるような人間であることを――悟られないように生きることなど他愛もなかった。
「呉用センセイ、お勤め終わったのー?」
子供達が居なくなった教室の片付けが終わる頃。
机に突っ伏していた少女が、ようやく顔を上げた。
「ええ、本日の授業はとっくに終了しました。貴女はよく眠ってましたね。僕の授業を見学するつもりだったのでは?」
「んー。そのつもりだったんだけど。思ってたよりちょっと幼稚だったっていうか」
「ただの子供相手の授業ですからね、幼稚で結構。見学だから堂々と寝ても許しましたけど、貴女が僕の生徒だったらこの鞭で叩いていましたよ」
「ヤだ、コワーイ」
彼女は、笑う。まるで大人を馬鹿にしたように笑う。
普段の呉用なら年下相手に「口を改めなさい」と指導する。
だが、彼女にだけは笑われても構わないとすら思っていた。
彼女――公孫勝という少女が、自分と同じぐらい優秀と認めているからである。
「ていうか呉用センセイ。案外長い授業をするのね?」
「まともに教えるなら要領良く短時間で学ばせますよ。正直に申しまして、ここの授業は学ばせるためではなく、親御さんから子供を預かっているだけなんです」
「ってコトはダラダラくだらない授業してるのって、親御達さんからの注文?」
「はい。この辺りの親は、子供には頭が良くなってほしいけど別に出世させたい訳ではないのですよ。しっかりと仕込めないのが惜しいですねぇ」
「ヤだぁ、仕込むって。センセイ本気になったらその鞭でビシバシ叩いてチビッ子を泣かせる人でしょー?」
「ええ、僕は本気になったら、しますね。でも大事なお子様ですし。『躾ていい』と許可されていませんからしませんよ」
教室の戸締りを終え、使わせてもらっている屋敷の主・晁蓋の元へ向かう。
今夜も夕食の相手をすると晁蓋と約束をしていた。『例の作戦』について近いうちに煮詰めておきたいのもあり、連日夜通し議論を重ねていた。
隣でクスクスと笑う少女も議論に参加するべく、呉用の隣を歩む。
「貴女は今日一日、僕の授業を聞きましたが、何か得られるものはありましたか」
「呉用センセイって演技、大変お上手ねー」
少女の口が、わざわざいやらしく『演技』と言い放った。
擬態していたことを指摘されて、やや癇に障る。でも「そこはよくぞ気付いた」と褒めるべきかと彼女に言葉を続けさせた。
「それが貴女にとって有意義な情報になるのですか?」
「演技、超重要なコトでしょ? これからワタシ達みんなで商人っぽく振る舞う練習をしなきゃなんだから。お宝に近づくには商人になって騙すの必要不可欠要素だし」
「ですね。僕達、何を売る商人をしましょうか。それも晁蓋と相談すべきでしょう」
「テキトーに仕入れるって言っても、やるなら良い物を売ってるフリしたいなぁ」
「やるからには細部までこだわりたい派ですか、公孫勝ちゃん」
「こだわりたい派でぇーす」
「気が合いますね、僕もです。まあ、少しぐらいの出費は気にするなって晁蓋も昨夜言ってくれましたし、多少の無茶ぶりをした方があいつは喜びますよ」
「呉用センセイ、わりと鬼畜ね。今度ぜひともその演技ご指導してくれます?」
「貴女ならただ笑っているだけで充分に人を騙せそうですよ。可愛いですから」
「あはは。よくもまあ、笑顔を崩さずそんなお世辞を」
少女は、少女と言うに相応しい年ではあるが、体つきだけは成熟していた。
甲高くて甘えた声を出し、一方でどこか冷めた表情を浮かべる。
小さな背丈に大きな胸と尻、人を小馬鹿にしたような甘え声ながら、冷淡な目。そして膨大な知識と不可思議な術を操る。
何もかもを混乱させる彼女を一言で表すなら、奇怪な存在、である。
そんな奇特な公孫勝が呉用の幼馴染・晁蓋に『ある計画』を持ち掛けてきたのは、ほんの数日前のこと。
――北京大名府の梁中書が、十万貫(十億円)の金銀財宝を東京の蔡太師に誕生祝いとして贈るという。
聞こえは良いが、ただ『悪い役人が、悪くて偉い奴に賄賂を送ろうとしている』にすぎない。
しかもその賄賂は、民から絞り取った税である。自分の利益のために多くの民を悲しませた。
これは許せたものではない。強奪したとしても天が知ろうが何の罪にもならないだろう――。
彼女と、もう一人の好漢が、そんな話を正義感の強い晁蓋に話した。
「オレは、人々の為に不義の財物を奪う」
東渓村の村長であり村々を救う英雄と名高い晁蓋は、すぐに宣言した。
かく言う呉用も、晁蓋から「呉用も来るよな! お前の知恵があれば百人力だ!」という声に、二つ返事で乗ってしまったのだが。
そんな訳で、普段は教師をしている呉用と、旅の道士をしていた少女・公孫勝は晁蓋の大屋敷に入り浸っている。
仕事が終われば強奪計画実行のため、作戦会議をしながらのため、頭首を待つのが日課になっていた。
県でも辺境の村だが、若き司令塔である晁蓋は忙しい。
その多忙の合間をぬって、財宝をどう奪うか、強奪するための仲間はどうするか、奪った後はどう民に分け与えるかを話し合った。
全ては、馬鹿馬鹿しい連中に正義の鉄槌を下すため。
一世一代の悪巧みを練る呉用と公孫勝の姿は、知らぬ者がない人が見れば似てない兄妹か、長年連れ添った男女に思われるかもしれない。
常人に擬態しながら運命の日まで談笑する間柄。二人にはそれが、心地良かった。
それにしても、作戦の中心人物である晁蓋がなかなか姿を見せない。
使用人に訳を聞いても「出かける」と言っていただけで、「遅くなる」とは聞いていないという。
たまにはそんな日もあるものだろう。
呉用が楽観視していると、当の家主は騒々しく帰宅した。
「呉用先生、さようなら」
寺子屋に通う子供達が大きく手を振り、去っていく。
呉用はいつものように『擬態』し、絵に描いたような笑顔と台詞を送った。
「はい皆さん、さようなら。気を付けてお帰りなさい」
先生さようなら。さようなら先生。次々と無邪気に散っていく子供達の後ろ姿を眺める呉用は、彼らを素直に可愛いと思った。
子供は良い。馬鹿な提案をしたり行動をしても、子供は馬鹿だから良い。
愚かな彼らを見ていると心にゆとりが生まれる。
だから子供を見守る教師は、呉用にとって天職と言えた。
(大人が馬鹿だと腹立たしい。出会う人間、どいつもこいつも馬鹿ばかりで……どうして世の中には、僕より馬鹿な人間しかいないのか)
道理を通さず正義を嗤い、ちんけで下らない、理不尽を強いる者がなんと多いか。
幼い頃から自分が人並み以上に優秀だと気付いた呉用は、馬鹿にされると判っているので決して口にしなかったが、愚かな者達の相手をすることに嫌々していた。
悪知恵が働くだけの自分が、かの天才軍師のようだと謳われるのも馬鹿馬鹿しい。
そんな訳で人より利口であった呉用は、子供なら馬鹿でも気にならないという理由で、寺子屋で教鞭を取っている。
本心を隠す擬態は得意だった。尊敬される教師になりきるのも、容易いこと。
自分が――他人を罵って甚振ることで悦になるような人間であることを――悟られないように生きることなど他愛もなかった。
「呉用センセイ、お勤め終わったのー?」
子供達が居なくなった教室の片付けが終わる頃。
机に突っ伏していた少女が、ようやく顔を上げた。
「ええ、本日の授業はとっくに終了しました。貴女はよく眠ってましたね。僕の授業を見学するつもりだったのでは?」
「んー。そのつもりだったんだけど。思ってたよりちょっと幼稚だったっていうか」
「ただの子供相手の授業ですからね、幼稚で結構。見学だから堂々と寝ても許しましたけど、貴女が僕の生徒だったらこの鞭で叩いていましたよ」
「ヤだ、コワーイ」
彼女は、笑う。まるで大人を馬鹿にしたように笑う。
普段の呉用なら年下相手に「口を改めなさい」と指導する。
だが、彼女にだけは笑われても構わないとすら思っていた。
彼女――公孫勝という少女が、自分と同じぐらい優秀と認めているからである。
「ていうか呉用センセイ。案外長い授業をするのね?」
「まともに教えるなら要領良く短時間で学ばせますよ。正直に申しまして、ここの授業は学ばせるためではなく、親御さんから子供を預かっているだけなんです」
「ってコトはダラダラくだらない授業してるのって、親御達さんからの注文?」
「はい。この辺りの親は、子供には頭が良くなってほしいけど別に出世させたい訳ではないのですよ。しっかりと仕込めないのが惜しいですねぇ」
「ヤだぁ、仕込むって。センセイ本気になったらその鞭でビシバシ叩いてチビッ子を泣かせる人でしょー?」
「ええ、僕は本気になったら、しますね。でも大事なお子様ですし。『躾ていい』と許可されていませんからしませんよ」
教室の戸締りを終え、使わせてもらっている屋敷の主・晁蓋の元へ向かう。
今夜も夕食の相手をすると晁蓋と約束をしていた。『例の作戦』について近いうちに煮詰めておきたいのもあり、連日夜通し議論を重ねていた。
隣でクスクスと笑う少女も議論に参加するべく、呉用の隣を歩む。
「貴女は今日一日、僕の授業を聞きましたが、何か得られるものはありましたか」
「呉用センセイって演技、大変お上手ねー」
少女の口が、わざわざいやらしく『演技』と言い放った。
擬態していたことを指摘されて、やや癇に障る。でも「そこはよくぞ気付いた」と褒めるべきかと彼女に言葉を続けさせた。
「それが貴女にとって有意義な情報になるのですか?」
「演技、超重要なコトでしょ? これからワタシ達みんなで商人っぽく振る舞う練習をしなきゃなんだから。お宝に近づくには商人になって騙すの必要不可欠要素だし」
「ですね。僕達、何を売る商人をしましょうか。それも晁蓋と相談すべきでしょう」
「テキトーに仕入れるって言っても、やるなら良い物を売ってるフリしたいなぁ」
「やるからには細部までこだわりたい派ですか、公孫勝ちゃん」
「こだわりたい派でぇーす」
「気が合いますね、僕もです。まあ、少しぐらいの出費は気にするなって晁蓋も昨夜言ってくれましたし、多少の無茶ぶりをした方があいつは喜びますよ」
「呉用センセイ、わりと鬼畜ね。今度ぜひともその演技ご指導してくれます?」
「貴女ならただ笑っているだけで充分に人を騙せそうですよ。可愛いですから」
「あはは。よくもまあ、笑顔を崩さずそんなお世辞を」
少女は、少女と言うに相応しい年ではあるが、体つきだけは成熟していた。
甲高くて甘えた声を出し、一方でどこか冷めた表情を浮かべる。
小さな背丈に大きな胸と尻、人を小馬鹿にしたような甘え声ながら、冷淡な目。そして膨大な知識と不可思議な術を操る。
何もかもを混乱させる彼女を一言で表すなら、奇怪な存在、である。
そんな奇特な公孫勝が呉用の幼馴染・晁蓋に『ある計画』を持ち掛けてきたのは、ほんの数日前のこと。
――北京大名府の梁中書が、十万貫(十億円)の金銀財宝を東京の蔡太師に誕生祝いとして贈るという。
聞こえは良いが、ただ『悪い役人が、悪くて偉い奴に賄賂を送ろうとしている』にすぎない。
しかもその賄賂は、民から絞り取った税である。自分の利益のために多くの民を悲しませた。
これは許せたものではない。強奪したとしても天が知ろうが何の罪にもならないだろう――。
彼女と、もう一人の好漢が、そんな話を正義感の強い晁蓋に話した。
「オレは、人々の為に不義の財物を奪う」
東渓村の村長であり村々を救う英雄と名高い晁蓋は、すぐに宣言した。
かく言う呉用も、晁蓋から「呉用も来るよな! お前の知恵があれば百人力だ!」という声に、二つ返事で乗ってしまったのだが。
そんな訳で、普段は教師をしている呉用と、旅の道士をしていた少女・公孫勝は晁蓋の大屋敷に入り浸っている。
仕事が終われば強奪計画実行のため、作戦会議をしながらのため、頭首を待つのが日課になっていた。
県でも辺境の村だが、若き司令塔である晁蓋は忙しい。
その多忙の合間をぬって、財宝をどう奪うか、強奪するための仲間はどうするか、奪った後はどう民に分け与えるかを話し合った。
全ては、馬鹿馬鹿しい連中に正義の鉄槌を下すため。
一世一代の悪巧みを練る呉用と公孫勝の姿は、知らぬ者がない人が見れば似てない兄妹か、長年連れ添った男女に思われるかもしれない。
常人に擬態しながら運命の日まで談笑する間柄。二人にはそれが、心地良かった。
それにしても、作戦の中心人物である晁蓋がなかなか姿を見せない。
使用人に訳を聞いても「出かける」と言っていただけで、「遅くなる」とは聞いていないという。
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