翠帳紅閨 ――闇から来る者――

文月 沙織

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花の屍 九

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 むかしはな、芸人なんていうものは、住む家もたいした金ももたず諸国を放浪して、その日その日のかてを得るために身を粉にして芸を演じたものだ。ときには芸のみならず身体を売ったこともあったろう。いや、それぐらいのことができないと芸人なんぞというものはつとまらないものだ……。
 笑いながら酔いの勢いにまかせて、そんなことを言っていたことがあった。むかしのことだと、そのときは聞き流していたが、今でも変わらないのだ。
 飢えも苦労も恥も、すべて芸に昇華してこそ本物の芸人、本物の役者だ。
 だからこそ、竹弥は芸人や役者という稼業にどこか抵抗があったのかもしれない。自分には才能も素質も兄ほどあるとは思えない、と逃げていたのかもしれない。
「だから、貴蝶が近江さんと別れて別の男に走ったときは、驚きはしたが、納得したね。いい加減、近江一家の資金あつめに使われることにうんざりしたんだろ。そして、一度でいいから本気で男を愛したいと思ったんだろうが、馬鹿だねぇ。苦労の末に死んでしまった」
 男の声には嘲笑と同情がふくまれていた。
「幼いころから実父の野心のために散々利用されて、政略で結婚させられて、婚家でもいいようにされて……と、当時の俺は、彼女のことをそんなふうには思っていなかったがな。あの女は、役者の庶子と生まれて、そういう立場に順応して、それが自分の役割だと割り切っていたと思っていたんだが、……結局、割り切れなかったということだろう」
 竹弥は抗うことも忘れて、幼い日に別れた亡母のもとへと想いを飛ばしていた。
 母は自分が想像もできない苦労をしていたのだ。あの一見、高慢にも見える美しい顔の下に、どれほどの苦悶をかかえていたことか。
 たしかに母貴蝶は自分や兄を捨てて家を出た。それは母親として言い訳できることではない。だが、そこへいたるまで彼女には人知れない苦痛と懊悩と屈辱の日々があったのだ。世間はそのことを知らず、彼女を淫婦だ悪女だと罵っていた。
 竹弥は胸がつぶれそうになった。
「ああ、その愁いに沈んだ表情がなんともいいねぇ。君も絶対役者になるべきだよ。私が後見人になってやろう。君のためなら演劇場をひとつ作ってやってもいい。俳優もいいが、君が女形を演じたらどれほど素晴らしいだろうね。そうさ、今夜は俺のために娼婦の役を演じておくれ」
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