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異世の果てで 六
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竹弥は、少し迷って、荷物はなにも持たないことにした。戻るつもりはないが、実家は都内だし、一人暮らしの学友も何人かいる。
(とにかく屋敷を抜け出して、一晩は友人の所に泊めてもらおう。……それから……)
実家に戻れば家族に累がおよぶので、それは避けるつもりだ。
(それなら、どこか地方にでも行こう)
京都や大阪なら父の仕事上知り合った有力者もいるし、彼らのなかには、後ろ暗い世界の事情に通じている者も何人かいる。良いかどうかはわからないが、杉屋のような男から逃げるためならば、頼りにできるかもしれない。
以前、大阪で手広く事業をしている芝居好きの資産家と、なにかの催しで知り合ったことがある。大阪へ来るときは、是非連絡をくれ、と名刺を手わたされた。もらった名刺は実家においてあるが、著名人でもあるから、連絡先はすぐ調べられるだろう。
竹弥はズボンのポケットに持っているだけの金を詰めこんだ。いざというときは、手荷物を捨てるかもしれないからだ。
足をしのばせ、廊下に出た。杉屋の気配がする方向へ進まないと玄関へは出れない。うまく通り過ぎる自信はなく、反対側へ向かった。風呂の窓から逃げることを考えた。幸い、予備の靴は、玄関に置かず、箱に入れて他の荷物といっしょに部屋に置いていた。竹弥がこの時代の若い男にしては衣料品や装飾品に恵まれているのは、やはり育った環境のせいだ。
風呂にたどり着くと、まず靴を履き、摺りガラスの窓を全開にし、荷物を入れた鞄を投げ落とす。つづいてその窓から、どうにかして用心しながら脚を出し、腰、胴、胸と脱け出す。やっと全身が外の空気に包まれたときは、息が切れて、額に汗がにじんでいた。必死に窓の桟をつかんでいた手が痛む。
顔をあげると、黒幕を背に美姫が立ち尽くしているかのように、夜空に桜花が映えている。彼女を寿ぐように楕円の月が光を落とす。
こんなときでなければ、見惚れていたろう。だが、今の竹弥には、この桜の樹は、自分をこの恐怖の屋敷に誘い込んだ、狡猾な妖婦のように思える。あの美しい見た目に惑わされたのだ、と恨めしくさえ思えた。
この桜御殿から一刻も早く逃げ出さないと。竹弥は焦りながらも、門を目指した。
「おい! どこへ行く!」
背後から響く、というより轟いてきた声に、竹弥は一瞬、心臓が止まりそうになった。
(とにかく屋敷を抜け出して、一晩は友人の所に泊めてもらおう。……それから……)
実家に戻れば家族に累がおよぶので、それは避けるつもりだ。
(それなら、どこか地方にでも行こう)
京都や大阪なら父の仕事上知り合った有力者もいるし、彼らのなかには、後ろ暗い世界の事情に通じている者も何人かいる。良いかどうかはわからないが、杉屋のような男から逃げるためならば、頼りにできるかもしれない。
以前、大阪で手広く事業をしている芝居好きの資産家と、なにかの催しで知り合ったことがある。大阪へ来るときは、是非連絡をくれ、と名刺を手わたされた。もらった名刺は実家においてあるが、著名人でもあるから、連絡先はすぐ調べられるだろう。
竹弥はズボンのポケットに持っているだけの金を詰めこんだ。いざというときは、手荷物を捨てるかもしれないからだ。
足をしのばせ、廊下に出た。杉屋の気配がする方向へ進まないと玄関へは出れない。うまく通り過ぎる自信はなく、反対側へ向かった。風呂の窓から逃げることを考えた。幸い、予備の靴は、玄関に置かず、箱に入れて他の荷物といっしょに部屋に置いていた。竹弥がこの時代の若い男にしては衣料品や装飾品に恵まれているのは、やはり育った環境のせいだ。
風呂にたどり着くと、まず靴を履き、摺りガラスの窓を全開にし、荷物を入れた鞄を投げ落とす。つづいてその窓から、どうにかして用心しながら脚を出し、腰、胴、胸と脱け出す。やっと全身が外の空気に包まれたときは、息が切れて、額に汗がにじんでいた。必死に窓の桟をつかんでいた手が痛む。
顔をあげると、黒幕を背に美姫が立ち尽くしているかのように、夜空に桜花が映えている。彼女を寿ぐように楕円の月が光を落とす。
こんなときでなければ、見惚れていたろう。だが、今の竹弥には、この桜の樹は、自分をこの恐怖の屋敷に誘い込んだ、狡猾な妖婦のように思える。あの美しい見た目に惑わされたのだ、と恨めしくさえ思えた。
この桜御殿から一刻も早く逃げ出さないと。竹弥は焦りながらも、門を目指した。
「おい! どこへ行く!」
背後から響く、というより轟いてきた声に、竹弥は一瞬、心臓が止まりそうになった。
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