翠帳紅閨 ――闇から来る者――

文月 沙織

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桜の邸 三

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 閉口している顔を見られたくなく、やや顔をうつむけ、視線を老人の藍色の着物の合わせに向ける。
 この家はもとは父と縁のある歌舞伎役者が別宅として使っていたもので、今は遠縁にあたる彼が管理をまかされ、時々見にきていたりしていたそうだ。
 ほとんど空家同然だったが、この春からは、しばらく竹弥が借りることになった。目の前の老人にしては、面倒ごとを持ちこまれたように思っているのかもしれない。
 もとは彼も芝居にかかわる仕事をしていたというが、老人……伊能氏からは、目立ったものや華やかなものは感じられない。だが、半ば白くなった総髪に、渋柿色がかった首元などは、歳のわりには清潔感がただよい、身なりに気をつかっていることが知れる。なにより、痩せた身体にはどことなく芯を感じさせるものがある。
 ふと、竹弥は幼い頃住んでいた家の近くでよく見た、元芸者だという老女を思い出した。
 以前は新橋の芸者だったという彼女は、当時すでに六十過ぎていたが、目の前の伊能老人のように、身体にも声に骨や芯がしっかりのこっていることを感じさせた。それは〝観られる〟ことを長年意識していた者が持ちうる自意識が、老いさらばえた肉体に残したたしなみというのだろうか。
 そんなことを思っていると、相手はどう感じたのか、ぎゃくに竹弥の顔を凝視する。
 老人は意味ありげに笑った。笑うと、奇妙な生気があふれてくる。
「いやぁ、失礼。やっぱりあんた、親御さんに似て男前やね。つい、見とれてしまって」
 ごまかすように笑う相手に、仕方なく竹弥も笑って返し、さも照れたように首の後ろを搔く仕草をしてみた。
 とろけるような日差しが竹弥の色白の頬や首を撫で、白いシャツを照らす。相手は感心したように目を見張り、ますます関西の訛りをつよめてたたえた。
「さすが近江おうみさんの若さんだけあって、なにやっても様になってますなぁ。そんな仕草ひとつとっても写真に撮って残したいぐらいや」
 竹弥は曖昧な微笑を浮かべてみる。
 生まれや容姿のことで賞賛を受けることは日常茶飯事で、そんなときにどう答えるかでまた人からあれこれと批評される運命である。
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