翠帳紅閨 ――闇から来る者――

文月 沙織

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桜の邸 二

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「けれど、ほんまに大丈夫ですか?」
 問う老人の言葉には関西なまりがある。
 大阪か、京都か、兵庫あたりのものか。竹弥たけやは、そんなことをぼんやり考えながら、とにかく話を打ち切りたく、無理な愛想笑いを浮かべた。
「大丈夫ですよ。自分の食べるものぐらい、なんとかできますよ。ここへ来るまでにいろいろ店も見ましたし」
 老いてひからびたような目に、彼は案じるような気配を散らつかせながらも、納得したように頷いた。
「このあたりは風情があって、ええでしょ? 古い店もいっぱいありますからねぇ。空襲にもあわずにすんだせいで、昔ながらの家もそのまま残ってますし。いやぁ、あの頃はいつB29がくるか、いっつも冷や冷やしてましたな」
 竹弥は内心、苦笑した。そのころ竹弥は三つか四つぐらいである。戦争の記憶はおぼろげで、幼き日に見たかもしれない炎の街の記憶はすでに遠い。ただ、周囲の大人たちの怯えた表情だけは、今も時折夢に見たりはする。
「ここでゆっくり養生したら、身体もすぐようなるでしょうよ」
「そうですね」
 曖昧に頷いて見せる。しょざいなげに、門に手をかけた。はやく扉を閉めたいのだ、という意思表示をほのかに見せて。
「ほなら、あたしはこれで失礼させていただきます。夜はまだ冷えますから、くれぐれも気をつけて。あ、それから鍵も忘れずかけてくださいね。なんといってもこの家にはいろいろ古い値打ちもんがたんとありますので。……世の中物騒ですからねぇ。うるさく言って申し訳ありませんが、なんといっても、あんたさんは、近江さんからお預かりした大事な若様ですからねぇ」
 〝若様〟という言葉にどこか険があった。
 はい、はい、と頷きをくりかえすことで、込み上げてくる苛立ちを必死にかくして竹弥はこわばった笑顔を浮かべた。
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