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地獄の底で
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薄闇になにかが動いたと思ったら、それは布幕であり、恐る恐るその布幕をはらってみると、奥には木の扉があった。イリカが恐々と扉に耳をあてると、かすかに物音が聞こえる。扉の向こうには人がいるようだ。向こうからは開けられないようにつっかえ棒がさしこんである。
「う……うう」
奥から聞こえるのは呻き声だ。しばし思案したが、イリカは扉のところにあるつっかえ棒をはずしてみた。
ギィー――。不気味な音が薄闇に響き、暗い世界がイリカの目のまえにひろがった。
饐えた匂いがイリカの鼻をつく。
皮沓をすすめると、なかには低い寝台のようなものがいくつか並び、その上でうごめくものがある。
若い女性のようだ。イリカは近づいてみて、息をのんだ。闇に慣れてきた目に、彼女の背中一面に不気味な入れ墨が彫ってあるのが見えたのだ。それは、青黒い蛇の鱗の模様だった。
「……あんた、誰?」
相手がかすれた声で訊ねた。
「わ、私はイリカという。隣の室に閉じこめられていたのだが、声が聞こえて……。苦しいのか?」
「私じゃないよ、となりの《熊娘》じゃないの?」
隣の寝台では別の影がうごめいている。
たしかに苦しそうに身体を揺らしている。女性のようだ。
イリカは近寄ってみてまた息をのんだ。
驚いたことにその女性の背中一面に毛が生えているのだ。動物の毛だ。この女性は奇形なのだろうか? イリカは言葉もなく立ち尽くしていた。
「そいつは、生皮を剥がれて、そのうえに獣の皮を貼り付けられたのよ」
「そんな……。な、なんのためにそんなことを?」
「見せ物にしたり、そういうのを面白がる男の相手をさせるためよ。身体の不自由な女や、白痴の女が好きだっていう奴もいるのよ。勿論、女だけじゃなくて若い男や子どももね」
女の声には感情がなかった。
話には聞いていたが、そういう事が現実にあるのかと思うとイリカはあらためて背が寒くなった。そしてこの室はそういった施術をされて客前に出されるまえの者や、体調が悪く客をとれない者たちが入れられる場所らしい。
「そ、それではそなたの入れ墨もそのために?」
「そう。わたしは《蛇娘》として売られるの」
寝台のうえに身を起こした女の腕にも、毛布の半ばかくされた胸にも、びっしりと蛇の鱗を思わせる入れ墨が彫られている。ゆたかな黒髪が波打ち、彼女を文字どおり妖しい蛇女のように見せている。顔にはさすがに入れ墨はないが、器量が良いだけに悲惨だった。
「なんという酷いことを……」
「でも、あたしらなんてまだマシな方よ。もっとひどい所では、手足をわざと切り落とさせるっていう事もあるぐらいだし」
「そ、そんな!」
「世のなかにはそういう趣味の人間もいるのよ」
まだ若いだろうに、女は地獄の底を見た者だけがもつ諦観をすでに備えているらしい。神殿育ちの神職者であるイリカは、いっそ彼女のその無我の境地に頭が下がるような気がした。
「あんた、客じゃないね。売られてきたの?」
似たようなものだろう。イリカはうなずいた。
「今ならまだ間にあうよ。そっちから逃げるといい」
「そっち?」
「そこに、……子どもの死体があるだろう?」
しめされた方向に目をやると、地面にそれらしきものが横たわり筵をかけられている。
「今朝亡くなったんだ。最初から病気だったんだけれど、病弱そうな子を好む客もいるんで、そういうのに売るつもりだったようだけれど、もたなくてね」
まさか、とイリカは思ったが、訊いてみた。
「……そ、その娘の名は?」
《蛇娘》は首をひねった。
「たしか、リアとか」
やはり。イリカは臍を噛んだ。
(なんということだ。今朝亡くなっていたのか)
もしその事実を老僕が知っていたら、彼はタキトゥスを裏切ることはなかったかもしれない。
「その死体を引き取りに来る奴らがいるから、そのとき逃げるといい。以前、そうやって逃げた子がいたんだ。ただ、言っておくけれど、つかまったらもっと酷い目にあうかもしれない」
(逃げれるだろうか?)
イリカは迷った。話がうま過ぎる気もする。だが、どのみちこのままここにいても死ぬほど恐ろしい目に合わされるか、それこそ入れ墨を彫られるたり生皮を剥がされるかもしれないのだ。
賭けてみた方がいいかもしれない。
「う……うう」
奥から聞こえるのは呻き声だ。しばし思案したが、イリカは扉のところにあるつっかえ棒をはずしてみた。
ギィー――。不気味な音が薄闇に響き、暗い世界がイリカの目のまえにひろがった。
饐えた匂いがイリカの鼻をつく。
皮沓をすすめると、なかには低い寝台のようなものがいくつか並び、その上でうごめくものがある。
若い女性のようだ。イリカは近づいてみて、息をのんだ。闇に慣れてきた目に、彼女の背中一面に不気味な入れ墨が彫ってあるのが見えたのだ。それは、青黒い蛇の鱗の模様だった。
「……あんた、誰?」
相手がかすれた声で訊ねた。
「わ、私はイリカという。隣の室に閉じこめられていたのだが、声が聞こえて……。苦しいのか?」
「私じゃないよ、となりの《熊娘》じゃないの?」
隣の寝台では別の影がうごめいている。
たしかに苦しそうに身体を揺らしている。女性のようだ。
イリカは近寄ってみてまた息をのんだ。
驚いたことにその女性の背中一面に毛が生えているのだ。動物の毛だ。この女性は奇形なのだろうか? イリカは言葉もなく立ち尽くしていた。
「そいつは、生皮を剥がれて、そのうえに獣の皮を貼り付けられたのよ」
「そんな……。な、なんのためにそんなことを?」
「見せ物にしたり、そういうのを面白がる男の相手をさせるためよ。身体の不自由な女や、白痴の女が好きだっていう奴もいるのよ。勿論、女だけじゃなくて若い男や子どももね」
女の声には感情がなかった。
話には聞いていたが、そういう事が現実にあるのかと思うとイリカはあらためて背が寒くなった。そしてこの室はそういった施術をされて客前に出されるまえの者や、体調が悪く客をとれない者たちが入れられる場所らしい。
「そ、それではそなたの入れ墨もそのために?」
「そう。わたしは《蛇娘》として売られるの」
寝台のうえに身を起こした女の腕にも、毛布の半ばかくされた胸にも、びっしりと蛇の鱗を思わせる入れ墨が彫られている。ゆたかな黒髪が波打ち、彼女を文字どおり妖しい蛇女のように見せている。顔にはさすがに入れ墨はないが、器量が良いだけに悲惨だった。
「なんという酷いことを……」
「でも、あたしらなんてまだマシな方よ。もっとひどい所では、手足をわざと切り落とさせるっていう事もあるぐらいだし」
「そ、そんな!」
「世のなかにはそういう趣味の人間もいるのよ」
まだ若いだろうに、女は地獄の底を見た者だけがもつ諦観をすでに備えているらしい。神殿育ちの神職者であるイリカは、いっそ彼女のその無我の境地に頭が下がるような気がした。
「あんた、客じゃないね。売られてきたの?」
似たようなものだろう。イリカはうなずいた。
「今ならまだ間にあうよ。そっちから逃げるといい」
「そっち?」
「そこに、……子どもの死体があるだろう?」
しめされた方向に目をやると、地面にそれらしきものが横たわり筵をかけられている。
「今朝亡くなったんだ。最初から病気だったんだけれど、病弱そうな子を好む客もいるんで、そういうのに売るつもりだったようだけれど、もたなくてね」
まさか、とイリカは思ったが、訊いてみた。
「……そ、その娘の名は?」
《蛇娘》は首をひねった。
「たしか、リアとか」
やはり。イリカは臍を噛んだ。
(なんということだ。今朝亡くなっていたのか)
もしその事実を老僕が知っていたら、彼はタキトゥスを裏切ることはなかったかもしれない。
「その死体を引き取りに来る奴らがいるから、そのとき逃げるといい。以前、そうやって逃げた子がいたんだ。ただ、言っておくけれど、つかまったらもっと酷い目にあうかもしれない」
(逃げれるだろうか?)
イリカは迷った。話がうま過ぎる気もする。だが、どのみちこのままここにいても死ぬほど恐ろしい目に合わされるか、それこそ入れ墨を彫られるたり生皮を剥がされるかもしれないのだ。
賭けてみた方がいいかもしれない。
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