帝国秘話―落ちた花ー

文月 沙織

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痴戯

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 パリアヌスが姉をさがして廊下をさまよっていると、荒々しい声がひびいてきた。
「叔父上、話がまったくちがいますぞ!」
「なにがちがう? わしは帝国法にのっとって、わしが相続すべきものを相続しただけではないか?」
「官位にかんしては、私はもうなにも言いません。ですが辺境の領地は私の実の父のものだ。父が命をかけて戦って母ともどもその血をしみこませた土地だ。あの場所は、帝国法にのっとって実子である私が受けつぐべきはずだ」
「じゃがなぁ」
 舌なめずりするような下品な音にパリアヌスは背に冷や汗を感じた。
「おまえをひきとるとき兄上、おまえの養父は後見人としておまえ名義の財産の管理人ともなったわけじゃ。つまり、そのとき辺境の領地は兄のものになったのじゃな。そうなると、兄の財産はわしが受け継ぐべきで」
「そんなめちゃくちゃな話があるか!」
 タキトゥスの怒鳴り声にパリアヌスは息をつめた。
 聞こえてきた話の内容はパリアヌスが聞いても理不尽なものに思える。イカラスにいたころ、亡くなった父の財産がすこしも自分や姉にまわってこなかったことが思い出され、すこしだけタキトゥスに同情しそうになった。
 さらにタキトゥスのいらだった声が聞こえてきたが、いつまでもそうしているわけにもいかず、パリアヌスはしのび足で奥へすすんだ。
 角までいくと、目のまえに青い薄布が見え、布のむこうにはさらに廊下が見える。
 まるでその薄布が屋敷の秘密をおしえてやろう、とパリアヌスをそそのかすようにゆれ、いざなわれるままにパリアヌスは布の扉を割った。
 高雅な香がただよってきて、パリアヌスは入ってはいけない場所に入ってしまったことをさとったが、どこかで確信していた。この奥つきにはイカラスの神官イリカがとらわれていることを。
 薄暗い廊下をすすむと、さらに白繻子しろしゅすの布がはられていた。そっとめくってみると、天蓋てんがいつきの豪華な寝台が見える。装飾過多な調度品からしてあきらかに女人の部屋だが、寝台に横たわっていたのは、不思議な生き物だった。
「パリアナ?」
 水晶の杯を真珠色の爪ではじけば、このような音かと思われるほど美しくひびく声には、たしかに故郷の発音がまじっており、パリアヌスは両耳に糖蜜をぬりこまれた気がした。
「パリアナか? 今は私ひとりだ。入ってくるとよい」
 さらに声をかけられ、おそるおそるパリアヌスはサンダルをすすめた。
「あ、あの、僕、パリアナではありません。パリアナの弟のパリアヌスです」
 相手は寝台のうえに身を起こした。その人がゆれると黒髪が波をうち、部屋のなかの香に新たに甘い香がまじる。
「どうしてここへ?」
 わずかにだが相手の長い眉がいさめるようにゆがみ、パリアヌスはあわてた。
「姉にはだまって入ってきてしまったんです。あの、姉を怒らないでください。僕が勝手についてきてしまって」
 自分にむけられた黒曜石の瞳にパリアヌスはイカラスの夜空を思い出した。近くで見ると、あらためてその美しさに胸がふるえた。
「あの……あなたは神官長様ですよね。神官長のイリカ=イカラシア様。亡き陛下の第三王子」
 イリカは力なく首をふった。髪が白絹の肩にからまる。
「私はもはや王子ではない。神官長の地位もすでに剥奪されているという」
「奴隷……宣言をされたのですか?」
 貴族や王族が奴隷となるときは宣誓書に署名する習慣をパリアヌスも聞き知っていた。自分たちもまた、帝国軍の奴隷となることを契約させられ、誓わされて連れてこられたのだ。もっとも誓約書に署名したのは義母だったが。
 この時代、人が人を買うという残酷な習慣が、形式的とはいえ紙面で同意を記すと法に後押しされ、堂々と世界中でまかりとおっているのだ。 
「してはいない……だが、彼はかならず私にそれをさせるだろう」
 どれほど責められても今日までそれだけは命がけで拒否してきたが、それも時間の問題かもしれない。そう力なくつぶやくイリカの瞳に言いつくせぬ憂哀を見てパリアヌスの胸はきしんだ。
「……神官長様、おねがいがあります」
「ねがいとは? 今の私にはなにもできないが」
「僕……もうすぐ十二歳になります。成人の儀をしていただけないでしょうか?」
 イカラスでは男子は十四、五歳になると神殿で成人の儀をとりおこない、大人の仲間入りをすることになる。この儀を通過しなければ結婚や軍への入隊はもちろん、家や土地を買うこともできない。
「十二は、まだ早い。それに、私にはもはやそれを執りおこなう資格はない。私は……、神の声が聞こえなくなってしまった」
「それは……、きっと今だけです。戦に負けて、祖国からここまでつれてこられて、きっとイリカ様は辛いことがあまりにおおくて、心が休みをほしがっているのです」
 少年の精一杯のなぐさめにイリカは曖昧に微笑んだ。かすかな笑みだが、イカラスが敗北して以来、はじめてイリカが見せた微笑だったかもしれない。
 唇を噛みしばらく考えこむようにパリアヌスの真摯な薄紫の瞳を見つめてから、イリカは重々しく唇をひらいた。
「パリアヌスといったかな? わかった。私でよければ成人の儀をおこなおう。こちらへ。私のまえにひざまずきなさい」
「はい」
 白色の袖がゆれて細いイリカの腕がパリアヌスの頭上にのばされた瞬間、パリアヌスはカカオの実の色をしたイリカの腕が赤黒くすりむけているのに気づき、それが縛られた跡だと気づいてあわてて目をふせた。  
 儀式の折につかわれるイカラスの古代語で祝福を受けると、目には見えない錫杖の音を聞いた気がして、パリアヌスは感激のあまり涙ぐんだ。
 無事、成人となれた喜びと、自分や姉の運命以上に過酷なものをイリカの傷だらけの腕に見た悲しみに心がふるえる。
「……汝、パリアヌス、今日よりイカラスの民として尽くせ。誓うか?」
「はい。誓います。……いつか、かならずイカラスに帰ります」
 心の底にひそかにかくしていた望郷の念がこみあげてきてパリアヌスは自分でも驚いた。姉とちがって男子である彼にはやはり祖国に愛着と執着があったのだ。
「イリカ様もごいっしょに帰りましょう。今は無理でも、いつかかならず帰りましょう。僕がお供します」
「それは……」
「それは、無理だな」
 
 布の扉から石床を打つような声がひびいてきて、そこにタキトゥスが立っていた。
 頬は怒っているせいかいつにもましてひきしまっており、目は獲物を狙う獅子そのものにするどい。まとっている青色の衣が彼を冷たく見せる。
「あの叔父貴め、散々言って帰っていった」
 大またでふたりに近づいてくると、突然、イリカの頬を軽く張った。本気で打ったのではないようだが、イリカは屈辱に眉をしかめ、パリアヌスは驚愕に目を見張った。
「可愛いお小姓をたぶらかしているのか? 坊主、残念だがイリカ様はイカラスへは永遠に帰れない運命だ」
「あ、よせっ!」
 タキトゥスが荒々しい動作でイリカの衣を胸元でひきさく。
 肌があらわになった瞬間、パリアヌスは息をのんだ。
 男にはめずらしいほどにふくらみを持つ胸は、もちろん女の乳房ほどに大きいわけではない。パリアヌスを呆然とさせたのは、その胸をきわだたせるように白絹に白繻子のかざりがついた美しい紐が上半身をしっかりと縛っていることだ。
 それまでは聖職者らしくおごそかに美しく思えたイリカが、一瞬にして話に聞くバイランの陰間のように淫らに見えてパリアヌスは動揺した。
(こ、こんな……)
 そこにいるのは男でも女でもない、性を超越した別の生き物のような気がする。それもとびきり淫蕩な。
 羞恥に顔をふせるイリカを、タキトゥスはゆるさない。背後にまわって羽交い締めにすると、こってりと固まっている乳首をパリアヌスに見えるように指でつまみあげた。
「どうだ、神官殿の乳首は? 色っぽいだろう? しゃぶってみるか?」  
 タキトゥスは下卑た笑い声をたてながら、掌につつんだものを、さらに二本の指でしごき、パリアヌスにもなにをしているか理解できるようにゆっくりと、イリカの下衣をまさぐる。
(あっ……)
 日中とはいえ光のさしこまない部屋は、まるで猥褻な行為を見せものにしている秘密の小屋のようで、パリアヌスはいたたまれなくなったが、強烈な刺激に思考をうばわれてしまい、逃げようにも足が動かず、目はどうしてもそらすことができず、ただ少年の本能にしたがうしかなかった。
 イリカは連日のタキトゥスのはげしい責めに免疫ができてしまったのか、もはやあらがうこともあきらめ、瞑想するように目をとじ、ひたすらタキトゥスがこの淫虐な遊びに飽きてくれるのを待っている。だが彼の頬は色が濃くなり羞恥の痛みをしめしていた。やはりパリアヌスの存在は拷問なのだ。
 さらにタキトゥスは執拗にイリカのうなじのあたりに舌をはわせる。
「そうら、お小姓殿、見ておれ」
「い、いや」
 さすがにイリカは声をあげた。
 タキトゥスは寝台に腰かけイリカを自分の膝のうえに乗せると、そこで思いっきり足をひろげさせた。 
(ああっ!)
 パリアヌスは頬を真っ赤にした。
 タキトゥスがむごくも衣を大きくたくしあげるや、下帯を一気にはぎとったので、あられもない姿をイリカは年下の少年の目にさらすはめになったのだ。 
「ああっ……! よせ、タキトゥス」
 幼児に小用をたさせるようなものすごい恰好をさせ、タキトゥスはイリカをあおろうとした。
「くぅー!」
 イリカは背をきしむほどそらして逃れようとするが、すでに身体はしっかりとタキトゥスにとらわれている。
 この形はタキトゥスがもっとも好む格好で、毎夜、一度はイリカはこの屈辱的な姿勢で吐情を強いられた。はじめて辱められた夜のように、幾度となく鏡のまえでこの格好を強いられることもある。
 だが、この残酷な屈服の儀式には、まだ肉のつながりはおこなわれなかった。
 皇帝への貢ぎものだから、という理由でタキトゥスは最後の一線はこえない。
(ああ……また……)
 これほど神経を摩滅させられるような痴態を強いられ、欲望をたたきこまれてなお、イリカの肉体には無垢の領域がのこされており、それがイリカにいっそうの打撃をあたえる。
「は……あっ」
 汚れを知らぬ少年のまえで足をひらかされ、秘所をあらわにする姿勢で、背後から男の欲望を押しつけられ、あおられ、嬲られ、みずからの秘めていた欲望を呼びだされ、赤裸々な様をさらすことを強いられ、もはや自分が神の子ではなく、生身の身体と血肉をもった人間であると思い知らされ、それでいて最後のとどめを刺して、終わらせようとは、けっしてしないタキトゥスを、イリカはどれほど憎んだことだろう。
 イリカにとっては身をよじって泣きたいほどに苦しい瞬間だった。
 心が、魂が、なにかを欲している。
 はげしく欲しているのに、それを口にすることは彼のなかの怒る神がゆるさない。
 タキトゥスは余裕の表情で右手の指をつかってイリカの後ろを責め、さらに左手を前にまわし、己自身の欲望を生贄の内またに擦りつけた。
 パリアヌスは目を疑うような光景に完全に魂をうばわれて立ちつくしている。
「くぅー!」
 イリカはパリアヌスの目のまえで、全身で泣いた。
 胸をもまれ、のけぞり、いつのまにか両足をみずからひろげるようにして内股に力を入れていた。ぴん、とはりつめた脚は妙になまめかしく、屈辱の汗の粒をかざった胴や腹はきらきらと輝いて、薄暗い室内に、一瞬、飴色の火柱がたつ。 
「ひっ、ひっ、ひっ……いやぁ……! ああっ、だめ、だ」
 どこかで綱が断ち切れるような音がしたのを感じながらイリカは降参した。
(ああ……、またしても)
 イリカは自分が血のかよった生きた人間であるという現実が、たまらなく恨めしかった。いっそ感情のないになれたら、と本気で思う。
「おお、よしよし。だんだん、気のやりかたも上手になってきたな」
 イリカは悲しい歌のようなすすり泣きをやめられず、タキトゥスにあやされるように抱きしめられてもあらがえない。
 神官の醜態を見せつけられて呆然としている少年の存在などないも同然だった。彼が口をひらくまで。
「し、信じられない。イリカ様、あなたはなんて浅ましい人だったのだ! こんな人に成人の祝福をいただいてしまったなんて!」
 パリアヌスの薄紫の瞳は涙で光り、つぎには怒りに燃えた。
「あ、あなたはイカラスの恥だ!」
 十一歳の少年には、ふたりの行為はあまりにも獣じみていて、なまじ尊敬していただけにイリカに裏切られた気持ちになり、彼に同情するよりも、こんな無残な目に合わされて生き恥さらしているイリカに憎悪と軽蔑を感じてしまうのだ。
 そんな子どもの怒りなどタキトゥスの耳にはまったくとどいていないようだ。
「ほら、まだだ。俺はまだ達しておらんのだぞ」
 情欲を保つことができるタキトゥスは、はりつめた己の獣身でからかうように、傷ついて白蜜の涙をしたたらせるイリカ自身を後ろからなぞるようにつついた。
「はあっ……」
 びくん、と半裸体がゆれる。
「そら、もう一度、な」
「ああ……もう、ゆるして」
 とうとう泣き言をもらしたイリカのとらえている腰をなだめるようにたたきながら、タキトゥスはふたたび手を動かしはじめた。
「ずっと見ていてもよいぞ。良ければ、おまえもさわってみるか?」
 金の髪にエメラルドの瞳の悪魔は、このうえなく魅惑的な声で少年を堕落にみちびこうとする。
「け、汚らわしい!」
 吐き捨てるように言うと、パリアヌスは布をまくって外へとびだした。
 ほんの少しまえは成人となった喜びでいっぱいだった胸が、腹立ちと嫌悪でこわれてしまいそうだ。イリカへの信頼や敬意がこなごなにくだけてしまい、のこったのは祖国を汚された悔しさだけだった。イリカを憎み、タキトゥスを呪い、自分に半分ながれるイカラス人の血を疎んじた。
「パリアヌス、どこへ行っていたの?」
 ひんやりと空気の冷えた廊下を無我夢中で走っていると、厨房にでも行っていたのか果物が盛られた籠をたずさえた姉とぶつかった。
「姉さん、帰ろうよ。今すぐ帰ろう」
 泣きじゃくる弟の様子にパリアナはなにかを感じたのだろう。無言でうなずいた。


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