紅蓮の島にて、永久の夢

文月 沙織

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ヒポクラテスの欺瞞 六

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「おのれぇ!」
 アレクサンダーの発した声は、彼の怒れる魂が凝りかたまって口から出てきたようで、エウリュアレはもちろん、荒事に慣れた三人の警備兵たちも圧倒された。
「貴様! 人でなし!」
 アレクサンダーの怒りと、向けられた破鏡の先端からエウリュアレを守るように前に立つ医師の横顔は、まったく変わらない。
「よくも……! よくも、こんな真似をしてくれたな! 何故だ! 何故こんなことをした?」
 これほど凄まじい怒りを向けてくる手負いの獣のような相手を前にして、どうしてそうも落ち着いていられるのか。エウリュアレがふしぎに思うほど医師は微動だにしない。
「それが私の仕事だからだ。私は命令された手術を患者にほどこすことになっている」
「誰だ? 誰が命令した! テロ組織か?」
 医師の口は開かない。
「命令した奴の名を言え!」
「おいおいわかることだ」
「今すぐ言え! さもなければ、この場で殺す!」
 アレクサンダーが武器を振りかざし、警備兵の一人があわてて医師の前に出ようとした。だが医師は警備兵を手で制し、黒い知的な目を美しい虜囚に向けた。
「秘密事項だ。今はまだ言えん」
「殺す!」
 アレクサンダーの裸足の足が医師に向かう。
「仕方ないな」
 平然とルフ医師が言う。
 目の前の若き将校が戦場で見てきた血と、この医師が手術台や医務室で見てきた血と、どちらの量が多いのだろう、とエウリュアレはふと思った。
 見てきた血の量は同じぐらいかもしれないが、その後もつづく患者の苦痛や家族の嘆きをもルフ医師は目をそらすことはなかった。
 はたしてこの若き将校は、自分の命令のもと、戦場で手足を失った敵や味方のその後の苦悶を知っているだろうか。亡くなった兵士たちの家族の嘆きをどれだけ知っているだろうか。そんな想いがエウリュアレの頭によぎる。
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