紅蓮の島にて、永久の夢

文月 沙織

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女神の寵児 三

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 処女妻、というカールのからかうような声が、かすかにアレクサンダーの胸をざわめつかせた。
 叔父が小さく苦笑したのが、口髭の動きで知れる。
 アレクサンダーは内心の小さな動揺をおさえ、笑ってみせた。
 折しも、陽光が、アレクサンダーを祝福するかのように振りそそいできた。
 近くの席の若い婦人たちが、ちらちらと彼に視線をおくっている。連れの男性客まで、美しい青年に目を引かれてしまっている。
 富裕層や著名人で占められた豪華客船にあっても、アレクサンダーはひどく目立つ存在なのだ。
 通りすがりの人も船員も外国人も、ときには敵国人であっても、その目を引きつけずにいられないアレクサンダーという人間は、やはり特別な存在だった。
 光に包まれ、その光を跳ね返す彼を見て、エーゲ海の美の女神は何を思うか。巨大な船に寄せる波は祝福か、それとも嫉妬か。

「少佐、ちょうど良かった」
 裁判所の廊下に軍靴の音をひびかせ駆け寄ってきた相手を見て、アレクサンダーは眉をひそめそうになった。もちろん感情は絶対にあらわさないが。
 いついかなるときも冷静な彼は、軍では氷の貴公子アイス・プリンスと呼ばれていることも知っているが、それは誉め言葉だと思っている。
「何か用かな? ヴルブナ中尉」
「いえ、べつに用というわけではないんですが、せっかくここで会えたので。少佐への昇進、おめでとうございます。似合っていますね、その制服」
 祝福の言葉を告げながらも、彼の焦げ茶色の目は笑っていない。アレクサンダーは内心ため息をついていた。
 ヴルブナの目にはいつも揶揄がふくまれている。それに気づかないとでも思っているのだろうか。
 いけ好かない、という言葉はこの男のために使うものだと実感した。
 アレクサンダーはさっさと歩き始めた。相手は気にせずついてくる。廊下には二人のたてる軍靴の響きが不吉なメロディーのように響く。すれ違う人は、二人の、夜を連れてきたような漆黒の軍服に、畏怖の視線を向け、あわてて道をゆずる。
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