鈴の鳴る夜に

文月 沙織

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嬲られ図 八

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「まったくですね。たいした色男だ」
 川堀が御猪口おちょこの酒をすすりながら言うのに、房木が尻馬にのるようにからかった。
 そんな雑音をまったく無視して背後から花若の、青い、乳房とも呼べないかすかな厚みをまさぐりながら東條がささやいた。
「花若……君は知らないだろうけれどね、私はずっと以前に君を見たことあがるんだよ」
 その言葉に花若はかすかに首をふるが、意識が朦朧としているのか答えることもなく、目を閉じて苦しげな顔を天井に顔むけている。
「もうずっと以前のことだ。復員してすぐの年、あの境内の舞台に立っている君を見たことがあるんだ」
 花若の閉じられていた瞳がひらかれ、記憶を追うように天井をぼんやり見つめた。
「あれは……そうだ、『柏崎』だったかな?」
 東條の目は過去の幻をもとめてか、ほのかに柔らかくなっている。
梅紫うめむらさき色の水衣みずごろも藤納戸ふじなんど熨斗目のしめすがたの君は、絵巻物から出てきたような美しい子だったね」
 熱い溜息をひとつ吐いて、東條はさらに花若の胸を揉む手に力をこめる。
「あっ、ああ……!」
「それが子どもながら修行僧の役で、頭には角帽子すんぼうしをかぶっていたかな。手に扇をもって舞台のうえで立ち動く君のすがたは、本当に綺麗で、夢のようで……。戦争から戻ってきたばかりの私に、この世にはこんな美しいものがあったのかと思い知らせてくれたよ。あのときほど、生きて帰ってこれた自分を幸福だったと思ったことはなかった」
 記憶のなかで、七月の夕日に照らされた美少年の面影をさぐるように、東條は花若の上半身の向きを変えさせると、両手で彼の頬をはさみ、うっとりとその美しく成長した顔を見下ろした。
「本当に……可愛い……」
 かすかに笑ってから東條はふたたび花若の唇を吸った。
「……あのあと、泊まっていた宿屋で寝苦しい夜を過ごしたものだ。夢のなかで、君の……あの摺箔すりはくのはいった腰帯をほどいてやりたくなってたまらなかったよ」
 花若はその言葉に身体をこわばらせた。
 当時、十二か三の花若に、この男は欲情したというのだ。
「そんなに怯えないでくれ……。いくら私でも子どもに妙な真似はしないよ。ちゃんと君が大人になるまで待っていたろう」
「……あ、あなたは」
 それ以上が言葉がつづかないでいる花若に代わって川堀が口をひらいた。
「つまり、最初から東條さんは花若を狙っていたということかね? 隅に置けんなぁ。あまり興味のなさそうな顔をしていて」
「最初は本当に興味がなかったんですよ。もう、あのころの花若はいないものだと思っていた。けれど、今夜の舞台が終わったあとで、川堀さんから例の写真を見せられて、いてもたってもいられなくなってきた」
 花若の全身がびくん、と東條の腕のなかで跳ねた。
「そうだよ。君の……あの、乗馬服すがたの写真だよ」
「ひ、ひど……い」
 花若は衝撃のあまり涙目になって東條を睨み、つぎに川堀たちを、そしてやや離れた場所でひかえている小島を睨んだ。
 川堀に恥ずかしい姿の写真を見られることは覚悟はしていただろうが、よもやそれが東条の目にも晒されていたとは思わなかったのだ。
「安心しろ。皆、口が固い」
 皆、という川堀の言葉に花若は気をうしないそうになった。
 川堀は花若の肉体をつかって金や力のある男を釣りこもうとしているのだ。あの恐ろしい写真を見たほかの複数の男たちが、川堀の接待を受けようと待ちかまえているのだ。
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